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第8話 幻影空間
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「……何……だ、これは!? どこだ、ここは!!」
何が起こったか分からず、アルベルトが目を剥く。
背中に天使の羽を生やした真っ白な猫が、綺麗に刈られた芝生の上を二足歩行で走って蝶々を追いかけている。
わたしは目をつぶって朝露に濡れる芝生の香りを嗅ぐと、ゆっくりと口を開いた。
「ここは幻影空間。ここでどれだけ時間が経とうと、元の世界ではまばたき一回分の時間も過ぎていないから安心して」
自分の理解を遥かに超える魔法が行使されたことを悟ったアルベルトが、化け物でも見るかのような目でわたしを見る。
「貴様、何のつもりだ。何をしようとしている!?」
「別に? 問答無用で倒してもいいんだけど、あなたは加害者であると同時に被害者でもあるから、最低限の説明をしてあげようと思っただけよ。悪魔の書の所有者だってだけで事情も分からず叩きのめされるのは可哀想でしょ?」
「悪魔の書だと? そうか、この力。貴様も悪魔の書の所有者なんだな!」
次の瞬間、わたしたちは古ぼけた教会の中に立っていた。
先ほどの白猫が、ベンチに座ってプラプラと足を振って遊んでいる。
アルベルトが絶句する。
「これは遥かな昔、イーシュファルトという名の天空に浮かんだ王国でのお話。……天才魔導士でもあった偉大な始祖・シルヴェリオ=イーシュファルトは、この国を興すにあたって大いなる力と契約をしたの」
「大いなる力?」
興味を示したのか、アルベルトがベンチに座りながら眉根を寄せる。
「精霊。神。悪魔。何でもいいわ。彼ら超越者にとって善も悪も無いんだけど、ここは便宜上悪魔とでもしておこうかしら。始祖シルヴェリオと契約した悪魔ヴァル=アールは、国を守護する為、魔導書――悪魔の書を作って自らその中に入ったの」
「ヴァル=アール……」
「成り立ちが成り立ちだから、ヴァル=アールが承認した者しか王にはなれない。承認の鍵はヴァル=アールと感応できるか否か。当然よね、国の守護者の声を聞くことができない者に王たるの資格はないわ」
納得したのか、アルベルトが黙ってうなずく。
わたしは続けた。
「王位継承権者たちが一定の年齢に達すると一ところに集められ、悪魔による選定が行われる。そこには長兄だ次兄だ、男だ女だもないわ。現に第二十九代の選定は兄王子エーリクと弟王子テオドールとで争われたけど、王位は弟テオドールが継いだわ」
景色が変わってわたしとアルベルトは夏日に照らされた砂浜に立っていた。
白猫が砂浜を元気に駆け回る。
アルベルトもさすがに慣れたようで、一瞬ビクっとはしたものの『続けて』と手で合図する。
「事件は次の三十代の王位継承の選定のときに起こった。資格者は王兄エーリクの息子・レオンハルト十六歳とテオドール王の娘エリン六歳。レオンハルトは頭も良く武芸に秀で、魔術の腕も一流だった。対して相手は十歳も年下の年端も行かぬ女の子。自分の勝利を疑いもしなかったでしょうね、彼は。……でも、彼は選ばれなかった」
「それだけの才があって六歳の娘っ子に負けたっていうのか?」
アルベルトが驚きの表情を浮かべる。
わたしはアルベルトに向かってうなずくと、そっと足元の砂を蹴った。
日に灼けた砂がサラサラと流れていく。
「絶望感に苛まれたレオンハルトはそれから十年後、悪魔ヴァル=アールの棲む最強の悪魔の書『蒼天のグリモワール』を奪うと、その強大な力を使って国中を石化の魔法で覆い、いずこへともなく出奔した」
「どこへ行ったんだ? その……レオンハルトとやらは」
その問いに、わたしは肩をすくめた。
「さぁ? 地上に降りた後、書を使って自らを不死化したことまでは分かったけどそれ以上は何も。ただ、追手が来ることをひどく恐れた彼は、何冊も写本を作って世界中にばら撒いた。写本が力持つ者の手に渡り、追手の前に立ちはだかるように呪いをかけてね」
「それが、私の持っているこの悪魔の書だっていうのか……」
話の流れが自分に繋がったアルベルトが、呆然とつぶやく。
わたしはそっとうなずいた。
「でもね、写本は悪魔の書ではあってもその中に悪魔はいない。どんな綺麗な色の紙を使っても、どんな丁寧な装丁をしても、悪魔のいない悪魔の書の表紙はやがて黒く薄汚れていく。それこそが偽書の証。始祖シルヴェリオが儀式用に直々に書き写した写本であってもその法則は免れ得ない。城から持ち出すとき綺麗な瑠璃色をしていた蒼天のグリモワールは、地上の空気に触れたせいで、今ごろはかなりくすんでいることでしょうよ」
「な!? レオンハルトの持つ蒼天のグリモワールが写本だったっていうのか!? じゃ、私のこの悪魔の書は、写本の写本なのか!?」
顔色を失うアルベルトをよそに、またも場所が変わる。
わたしたちは夕暮れの光に輝く金色の麦畑に立っていた。
白猫が丈高い麦畑の中で、かくれんぼをして遊んでいる。
優しい風がわたしの髪をなびかせる。
「彼にとっての不幸は、十歳年下の姫が彼を遥かに超える天才だったってこと。だって彼女は三歳にして悪魔ヴァル=アールとの感応を果たしていたんだもの。始祖をも超える才能に、悪魔は大喜びで持てる力の全てを姫に教え込んだわ。だもの、レオンハルトが王に選ばれる余地なんて最初っから無かったのよ。そうして五百年の後、一人石化から覚めた姫はレオンハルトを追うべく悪魔と正式に契約し、本物の蒼天のグリモワールを手に地上に降りた……」
「そんなことが……。ところでなぁ、お嬢さん。どうでもいいけどその白猫は何なんだ? ぬいぐるみか? 使い魔か? さっきからちょこまかと気が散って仕方ないんだが」
わたしは『ようやく気が付いた?』とばかりにニッコリ微笑んだ。
白猫のアルがそこで初めて、ゆっくりとアルベルトの方に振り返った。
猫がニヤァっと笑う。
その両目が禍々しく、金色に光り輝いている。
「悪魔の書を持っているあなたも見ることだけはできるのよ、悪魔を。そう、これが悪魔王ヴァル=アールよ。あぁ、最後に一つだけ教えてあげる。悪魔と契約した者はその左目を差し出すんだけど、代わりに金色に光る特別な目をくれるのよ。人智を超えた理にアクセスできる特別な目をね。……さ、説明は終わり。そろそろ幻影空間が解けるわ。構えなさい。そして全力で抗いなさい。でないと死ぬわよ」
ガッシャァァァァァアァアンン!!
まるでガラスが割れるかのような音を立てて世界が砕け散ると、わたしたちはいつの間にか元いたペントハウスに立っていた。
たった五分前まで碧く澄んでいたわたしの左目は、今、爛々と金色に光り輝いていた。
何が起こったか分からず、アルベルトが目を剥く。
背中に天使の羽を生やした真っ白な猫が、綺麗に刈られた芝生の上を二足歩行で走って蝶々を追いかけている。
わたしは目をつぶって朝露に濡れる芝生の香りを嗅ぐと、ゆっくりと口を開いた。
「ここは幻影空間。ここでどれだけ時間が経とうと、元の世界ではまばたき一回分の時間も過ぎていないから安心して」
自分の理解を遥かに超える魔法が行使されたことを悟ったアルベルトが、化け物でも見るかのような目でわたしを見る。
「貴様、何のつもりだ。何をしようとしている!?」
「別に? 問答無用で倒してもいいんだけど、あなたは加害者であると同時に被害者でもあるから、最低限の説明をしてあげようと思っただけよ。悪魔の書の所有者だってだけで事情も分からず叩きのめされるのは可哀想でしょ?」
「悪魔の書だと? そうか、この力。貴様も悪魔の書の所有者なんだな!」
次の瞬間、わたしたちは古ぼけた教会の中に立っていた。
先ほどの白猫が、ベンチに座ってプラプラと足を振って遊んでいる。
アルベルトが絶句する。
「これは遥かな昔、イーシュファルトという名の天空に浮かんだ王国でのお話。……天才魔導士でもあった偉大な始祖・シルヴェリオ=イーシュファルトは、この国を興すにあたって大いなる力と契約をしたの」
「大いなる力?」
興味を示したのか、アルベルトがベンチに座りながら眉根を寄せる。
「精霊。神。悪魔。何でもいいわ。彼ら超越者にとって善も悪も無いんだけど、ここは便宜上悪魔とでもしておこうかしら。始祖シルヴェリオと契約した悪魔ヴァル=アールは、国を守護する為、魔導書――悪魔の書を作って自らその中に入ったの」
「ヴァル=アール……」
「成り立ちが成り立ちだから、ヴァル=アールが承認した者しか王にはなれない。承認の鍵はヴァル=アールと感応できるか否か。当然よね、国の守護者の声を聞くことができない者に王たるの資格はないわ」
納得したのか、アルベルトが黙ってうなずく。
わたしは続けた。
「王位継承権者たちが一定の年齢に達すると一ところに集められ、悪魔による選定が行われる。そこには長兄だ次兄だ、男だ女だもないわ。現に第二十九代の選定は兄王子エーリクと弟王子テオドールとで争われたけど、王位は弟テオドールが継いだわ」
景色が変わってわたしとアルベルトは夏日に照らされた砂浜に立っていた。
白猫が砂浜を元気に駆け回る。
アルベルトもさすがに慣れたようで、一瞬ビクっとはしたものの『続けて』と手で合図する。
「事件は次の三十代の王位継承の選定のときに起こった。資格者は王兄エーリクの息子・レオンハルト十六歳とテオドール王の娘エリン六歳。レオンハルトは頭も良く武芸に秀で、魔術の腕も一流だった。対して相手は十歳も年下の年端も行かぬ女の子。自分の勝利を疑いもしなかったでしょうね、彼は。……でも、彼は選ばれなかった」
「それだけの才があって六歳の娘っ子に負けたっていうのか?」
アルベルトが驚きの表情を浮かべる。
わたしはアルベルトに向かってうなずくと、そっと足元の砂を蹴った。
日に灼けた砂がサラサラと流れていく。
「絶望感に苛まれたレオンハルトはそれから十年後、悪魔ヴァル=アールの棲む最強の悪魔の書『蒼天のグリモワール』を奪うと、その強大な力を使って国中を石化の魔法で覆い、いずこへともなく出奔した」
「どこへ行ったんだ? その……レオンハルトとやらは」
その問いに、わたしは肩をすくめた。
「さぁ? 地上に降りた後、書を使って自らを不死化したことまでは分かったけどそれ以上は何も。ただ、追手が来ることをひどく恐れた彼は、何冊も写本を作って世界中にばら撒いた。写本が力持つ者の手に渡り、追手の前に立ちはだかるように呪いをかけてね」
「それが、私の持っているこの悪魔の書だっていうのか……」
話の流れが自分に繋がったアルベルトが、呆然とつぶやく。
わたしはそっとうなずいた。
「でもね、写本は悪魔の書ではあってもその中に悪魔はいない。どんな綺麗な色の紙を使っても、どんな丁寧な装丁をしても、悪魔のいない悪魔の書の表紙はやがて黒く薄汚れていく。それこそが偽書の証。始祖シルヴェリオが儀式用に直々に書き写した写本であってもその法則は免れ得ない。城から持ち出すとき綺麗な瑠璃色をしていた蒼天のグリモワールは、地上の空気に触れたせいで、今ごろはかなりくすんでいることでしょうよ」
「な!? レオンハルトの持つ蒼天のグリモワールが写本だったっていうのか!? じゃ、私のこの悪魔の書は、写本の写本なのか!?」
顔色を失うアルベルトをよそに、またも場所が変わる。
わたしたちは夕暮れの光に輝く金色の麦畑に立っていた。
白猫が丈高い麦畑の中で、かくれんぼをして遊んでいる。
優しい風がわたしの髪をなびかせる。
「彼にとっての不幸は、十歳年下の姫が彼を遥かに超える天才だったってこと。だって彼女は三歳にして悪魔ヴァル=アールとの感応を果たしていたんだもの。始祖をも超える才能に、悪魔は大喜びで持てる力の全てを姫に教え込んだわ。だもの、レオンハルトが王に選ばれる余地なんて最初っから無かったのよ。そうして五百年の後、一人石化から覚めた姫はレオンハルトを追うべく悪魔と正式に契約し、本物の蒼天のグリモワールを手に地上に降りた……」
「そんなことが……。ところでなぁ、お嬢さん。どうでもいいけどその白猫は何なんだ? ぬいぐるみか? 使い魔か? さっきからちょこまかと気が散って仕方ないんだが」
わたしは『ようやく気が付いた?』とばかりにニッコリ微笑んだ。
白猫のアルがそこで初めて、ゆっくりとアルベルトの方に振り返った。
猫がニヤァっと笑う。
その両目が禍々しく、金色に光り輝いている。
「悪魔の書を持っているあなたも見ることだけはできるのよ、悪魔を。そう、これが悪魔王ヴァル=アールよ。あぁ、最後に一つだけ教えてあげる。悪魔と契約した者はその左目を差し出すんだけど、代わりに金色に光る特別な目をくれるのよ。人智を超えた理にアクセスできる特別な目をね。……さ、説明は終わり。そろそろ幻影空間が解けるわ。構えなさい。そして全力で抗いなさい。でないと死ぬわよ」
ガッシャァァァァァアァアンン!!
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