この世界は愛に溢れている

雪月風花

文字の大きさ
上 下
5 / 10

第5話 菱辺光三郎・八十六歳

しおりを挟む
 眼光鋭く頭の禿げ上がった老人が、不意にシロツメクサが咲き誇る花畑の中央に現れた。
 老人は何が起こったか分からず少しだけ狼狽するも、すぐ状況を悟ったらしく、勝手知ったるとばかりにふちの方に歩いて行くとそこに置いてあったベンチにそっと座った。
 雲海を眺めながら日向ぼっことばかり、目をつむる。
 と、目を瞑ったまま、老人がポツリとつぶやいた。

「死神さんかな? ご苦労さま。迷惑をかけるね」
『いえいえ、これが私のお仕事ですので。ちなみに死神じゃなくて案内人です。菱辺財閥総帥、菱辺光三郎ひしべこうざぶろうさん』

 黒のスーツに黒のビジネスシューズ、頭に黒いホンブルグハットをかぶった笑顔の中年男性が、左腕に付けた『案内係』と書かれた腕章を老人に見せる。

「そいつは失敬。ところで君、もし暇ならこのおいぼれの相手をしてくれんかね?」
『暇ではありませんが、故人の思いを受け止めるのも私どもの仕事ですので、懺悔ざんげなりなさるなら、可能な限りお聞きしますよ?』
「それは助かる。ではお言葉に甘えて……」

 案内係が隣に座るのを待って、光三郎は話し始めた。

 ◇◆◇◆◇

「我が菱辺財閥は長男が継ぐしきたりでね。だから私の十個上の長男の総一郎そういちろうは、生まれたときから後継者だった。そして、子供を二人欲しかった両親は五年後、私の五個上になる次男・藤次郎とうじろうをもうけた。総一郎に万が一のことがあっても藤次郎がいる。これで終われば問題は起きなかった」

 案内人が首を傾げる。

『失礼ながら光三郎さん。あなた三男ですよね? そこで終わったら、あなた生まれて来ないじゃありませんか』
「正にその通り。実は藤次郎は五歳のとき、流行り病で亡くなってしまったんだ。そこで、困った両親は仕方なく子供をもう一人もうけた。そこに愛は無い。スペアが必要だから生んだ。そうやって生まれたのが私だ」
『それはまた……凄いお話ですね』

 光三郎が自嘲気味じちょうぎみに笑う。

「総一郎は後継者として、生まれた時から最上級の教育を受けさせられた。私はスペアだからそれなりの教育だったがね。一つ一つ何もかもに差をつけられて育ったよ。ま、もっとも、私もすぐその状態に慣れてしまって、文句を言うこともなかったが」

 案内人が『続けて?』とばかりに横目でうなずく。

「私が十五歳のとき、父母が相次いで亡くなってね。そのとき二十五歳だった総一郎が財閥を継ぐことになった。当然だ。総一郎は長男だからな。そうして五年後、私が二十歳、総一郎が三十歳のとき、事件が起こった」

 話の着地点が想像つかないなりに、とりあえず先に進めて貰うべく、案内人がうなずく。

「実は私には、幼稚舎から大学までずっと懸想けそうしていた同級生の少女がいてね。財前祥子ざいぜんしょうこさんと言って、財前銀行頭取のご令嬢だった人だ。彼女とは、友達以上恋人未満といった感じで微妙な距離を築いていたんだが、ある日いきなり、彼女は総一郎の婚約者となったんだ」
『それはそれは……』

 何となく話の方向性を察したか、案内人の表情が曇る。

「他のことは幾らでも譲ろう。私はしょせんスペアだからな。立場はわきまえているつもりだ。だが、これだけはどうしても許せなかった。そうして総一郎が三十歳の誕生パーティの日に大々的に婚約発表をすることが決まったので、私はその前日、凶行を起こした。つまり、総一郎に酒を飲ませて酩酊めいてい状態にした挙句、屋敷の階段の上から突き落としたのだ。そうやって私は財閥の当主の座と兄の婚約者を手に入れた。大罪人なのだよ、私は」

 光三郎は懺悔を終え、深いため息をついた。
 だが――。

『うん、嘘ですね』
「……なんだと?」

 光三郎は、平然と否定してのけた案内人を信じられないものでも見るかのような目で見た。

『当代一の財閥の大スキャンダルだったんだぞ? マスコミは色めき立ち、こぞって私を糾弾した。警察検察は、結局のところ明確な証拠を見つけられなくて諦めたがね。だが状況証拠だけ見れば、百人が百人、私が犯人だと言うだろう。なのに君は、私の述懐じゅっかいを嘘だと言うのかね?』
「ここ狭間はざまの空間は転生者の為の場です。殺人を犯した者は地獄に直行で、ここには来られない仕様しようになっています。世界はそういう転生システムになっているんです。つまり、あなたがここにいることそのことが、あなたが人殺しではないという証左しょうさなのです」

 光三郎は口をあんぐり開けると、やがて壊れたように笑い出した。

「そうさ、兄は勝手に足を滑らせたんだ。私は手を伸ばして落ちる兄を救おうとしたが間に合わなかった。ふふっ。あれだけ簒奪者さんだつしゃだ殺人鬼だと言われたのにな。こんなにもあっさり無罪証明をされてしまうとは。もっとも、マスコミ連中や財閥内の私の敵どもに、ここにいる私の様子を見せてやることはできないわけだが」

 光三郎は力なく項垂うなだれると、再び口を開いた。

「だが、どうあれ私が兄から強引に祥子を奪ったのは間違いないことだ。彼女に望まぬ結婚をさせてしまった。やはり私が非道な簒奪者であることに代わりはない」
『なぜあなたはそんなに自己否定するんですか? なぜ奥様が結婚を望んでなかったと決めつけるんですか? 菱辺財閥と言えば知らぬ者とてない巨大財閥です。その財閥を切り盛りし発展させて来たのは、他ならぬあなた自身じゃないですか』
「運が良かっただけだ。たまたま計画が上手く行っただけ。あるいは、周りのスタッフが優秀だっただけだ。私自身の手柄なんて一つもない」
『それだって、あなたの指揮がなければ動くことさえできないでしょうに。これだけの事を成し遂げておいてどうしてそこまで自己評価が低いのか。……そうか。スペアとして生を受けたことが、呪いとなってあなたを縛っているのか……』

 しばし場を沈黙が支配する。
 だがやがて、案内人がどこからかタブレットを取り出すといじり始めた。

『ちなみに祥子夫人は、あなたの無実を全く疑っていませんでしたけどね』
「……会った……のか?」
『そりゃあここに一時いっときいましたから。えーっと……あぁこれだこれだ。夫人からあなた宛てに伝言を預かっていたんです。再生っと』

 案内人が持っていたタブレットを光三郎に向けた。
 そこには、ピンクの患者衣を着た、可愛らしい感じのお婆さんが映っていた。

 ◇◆◇◆◇

「はろー、はろー。ちゃんと映ってる? 光三郎さん、わたし、祥子です。あなたのことをここで待ってたんですけど、来るのが遅いんですもの。良縁があったことだし、先に行くことにするわね。でもどうせあなたのことだから、ここでウジウジ悩むに決まってるから、案内人さんにお願いして伝言を残させて貰ったのよ」
「祥子……。なんで……」
『あ、録画ですので返事はできません。念の為』

 案内人がツッコミを入れる。

「光三郎さんは確かにスペアとして生を受けたのかもしれない。でも、財閥がここまで発展したのは間違いなくあなたのお陰だし、子供たちが立派になったのも、あなたの背中を見て育ったからだし、何より誤解して欲しくないのだけれど、幼稚舎のときからずっと私はあなたと結婚すると決めていたのよ? 総一郎さんもそれを知ってて婚約を破棄をするつもりだった。結果的にはあんなことになっちゃったけど。だから、あなたが自分を責める必要なんて全くないのよ」
「あぁ……祥子……私は……」
「誰もあなたを認めなかったとしても、私があなたを認めるわ。あなたはスペアなんかじゃない。たった一人の、唯一のあなたなのよ? 私の光三郎さん」
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……」 
 
 遂に、光三郎は耐えきれずボロボロと泣き出してしまった。
 どれだけ長い間、財閥の当主として虚勢を張りつつも内心自分を責め続けて来たのか。
 ようやく罪悪感から解放されたのだ。

「とは言っても、あなたのことだからそれでもウジウジしそうじゃない? なので案内人さんにあるモノを預かって貰いました。受け取ったらとっとと転生なさい。先行って待ってるから。じゃあねぇ!」

 祥子夫人がニコニコしながら画面に手を振った直後、録画が終わったのか、画面が真っ暗になった。

『以上です。では、夫人から預かっていたものをお渡ししますね』

 案内人は光三郎の前にひざまずくと、その左手の小指に赤い糸を結んだ。
 赤い糸の先は、雲海に消えている。

「これは、まさか祥子の……」
『そういうことです。祥子さんは来世でもあなたと結ばれることを望んでいらっしゃいました。良かったですね』
「ふっふふ。やってくれる……。さすがはわたしの愛した女だ」

 光三郎は立ち上がると、雲海に向かって手を左右に動かした。
 そこにいくつも、夫婦やカップルたちの映像が浮かぶ。
 やがて一つの夫婦を選ぶと、光三郎は大きくうなずいた。

「うん、ここでいい。彼らのところにご厄介になろう」
『随分とあっさり決めましたね。決め手となる何かがありましたか?』
「いや、何となくだな。それに、気に食わない運命ならこの手で切り開けばいいだけだ」
『さすが菱辺財閥総帥。やはりあなたはトップの器ですよ。では、次の世も良い人生となることを祈っています』
「ありがとう」

 光三郎は案内人に一言礼を言うと、躊躇ためらい一つ見せず、雲海に飛び込んだ。
 
 ◇◆◇◆◇

 小学校の片隅で、青の無地Tシャツに半ズボンを履いた十歳の少年が、つまらなさそうに小石を蹴っていた。
 転校してきたばかりなのに、どうにも内気が過ぎて友達に馴染めないのだ。
 とそこへ、ピンク色のワンピースを着た同じクラスの少女が興味津々といった表情で近寄って来た。
 
「ねぇあなた。何してるの?」
「……石、蹴ってる」
「それ、面白いの?」
「……全然」

 少年がつまらなさそうに口を尖らす。

「じゃあ、わたしと遊びましょ。わたしは織部祥姫おりべさき。あなたは?」
柴田光騎しばたみつき

 お互いに名札を見せ合いながら自己紹介する。

「そう。あなた光の騎士って書くのね。じゃあみつき、あなた今日からわたしの騎士ナイトにおなりなさい。わたしは姫だもの。騎士が傍に付き従うのは当然のことだわ。でしょ?」
「え、えぇ?」
「返事は?」
「……うん」
「『はい』でしょ!」
「は、はい!」
「よろしい。じゃ、一緒に遊びましょ、みつき」

 こうして祥子の生まれ変わり・祥姫と、光三郎の生まれ変わり・光騎は、無事再会を果たしたのであった。


 END
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

小さなパン屋の恋物語

あさの紅茶
ライト文芸
住宅地にひっそりと佇む小さなパン屋さん。 毎日美味しいパンを心を込めて焼いている。 一人でお店を切り盛りしてがむしゃらに働いている、そんな毎日に何の疑問も感じていなかった。 いつもの日常。 いつものルーチンワーク。 ◆小さなパン屋minamiのオーナー◆ 南部琴葉(ナンブコトハ) 25 早瀬設計事務所の御曹司にして若き副社長。 自分の仕事に誇りを持ち、建築士としてもバリバリ働く。 この先もずっと仕事人間なんだろう。 別にそれで構わない。 そんな風に思っていた。 ◆早瀬設計事務所 副社長◆ 早瀬雄大(ハヤセユウダイ) 27 二人の出会いはたったひとつのパンだった。 ********** 作中に出てきます三浦杏奈のスピンオフ【そんな恋もありかなって。】もどうぞよろしくお願い致します。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

推し様は二十二年前に捨てた継子(わがこ)

栄吉
ライト文芸
私(田中舘瑛美)は、定年退職して、毎日、暇な日々を送っていたが、声で繋がる配信アプリというものを見つけて、使ってみた。推しの配信者ができたのだが、その人は、私が、二十二年前に捨てた継子(わがこ)だった。

処理中です...