この世界は愛に溢れている

雪月風花

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第3話 竹中貴晴・九十歳 竹中小枝子・八十五歳

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 老人が二人、ベンチに座ったまま、ずっと雲海を眺めている。
 男女で、二人とも結構なお歳のようだ。
 この世界には時間は無いし、いくらでも長考をして構わないのだが、それにしても長い。

 ベンチの隣にそっと、黒のスーツに黒のビジネスシューズ、頭に黒いホンブルグハットをかぶった中年男性が立った。
 左腕に付けた腕章に『案内係』と書かれている。

『あの……随分と長いことそちらにお座りですけど、どうかされました? えっと……竹中貴晴たけなかたかはるさんと小枝子さえこさん。……ご夫婦ですか』

 老人が二人揃って振り返る。

「あぁ、管理人さん。申し訳ない。なかなか話がまとまらなくてね」
『管理人じゃなくて案内人ですけれどね。よろしければ話を聞きますよ?』
「あら、お優しいのね、あなた。それじゃ聞いていいかしら。この雲海に飛び込めば次の人生が始まるっていう認識でいいのよね?」
『そうですね。この雲海に映るカップルないし夫婦を目指して飛び込むと、そちらのご家庭の赤ちゃんとして生まれ変わります。世界はそういう転生システムになっています』
「ってことはやっぱりここまでなんだな。なるほど」
「ほら、だから言ったじゃない!」

 小枝子が貴晴を責める。
 言ってる意味が分からず、案内人が微かに首を傾げる。

『ここまで……とは?』

 貴晴が渋い顔をする。
 
「いや、こいつが別れたくないって言うんだ」
「だってあなた……」

 小枝子が不安そうに老爺ろうやの袖にしがみ付く。
 良く見ると、貴晴は死装束しにしょうぞく、小枝子は喪服もふくを着ている。
 白と黒と、色が完全に対照的だ。

『あれ? お二人ひょっとして……すぐ?』
「そうなんだよ。こいつ、式場で過呼吸起こしたと思ったらそのままバタンキューしやがった。お陰で俺の葬儀が滅茶苦茶だよ。なーんでそんなタイミングで死ぬかね」
「だって悲しかったんだもの。あなたが先に逝くからでしょ?」
 
 小枝子が貴晴の袖をブンブン引っ張る。
 貴晴が話を続ける。

「ほら、告別式で遺族が最後にズラっと並ぶだろ? 祭壇側から長男、次男、家内って並んでいて、俺、こいつの隣に立ってたんだよ。やっぱり俺の葬式だし、わざわざ遠方からも来てくれたことだしね。そこは挨拶しておくべきだろう? どうせ見えないんだろうけどさ。ところがこいつ、いざ挨拶ってときにその場で倒れちゃったんだよ」
『それは……大変でしたね』
「魂だけムクっと起き上がったかと思ったら俺に気付いて『あなたぁぁ!』ってしがみついてきてさ。その場でわんわん泣き出すし、周りは大混乱だし、いやぁ参った参った」

 小枝子は貴晴から全く離れない。
 随分と仲が良いことだ。 

「父親を送った翌週に今度は母親を送ります――なんて、達哉たつや直哉なおやも立て続けに親の葬儀を行うことになって大変だったろうに。少しは息子たちの苦労を考えなさいよ」
「だってぇ……」

 この歳になってもこの夫婦はラブラブらしい。
 要は、転生を選ぶことで離ればなれになることが嫌なのだ。
 案内人は、少し考えて二人に聞いた。

『奥さんは来世でも旦那さんとご結婚なさりたいんですか?』
「もちろん!」
『旦那さんはどうです? またご夫婦になるのを望まれますか?』
「あぁ……まぁ……そう……だな。こいつを一人にするのが不安でね。どうにも頼りなくて放っておけないのさ」
「ちょっとあなた、ひどい!」
『はっはっは。仲の良いことで。ではお二人の意思の確認ができたということで……』

 案内人はその場にひざまずくと、貴晴と小枝子の左手の小指に赤い糸を結び付けた。
 長さはせいぜい一メートル程度だ。
 小枝子が試しに引っ張ると、みょんっと伸びた。手を離すとまた元の長さに戻る。
 今度は貴晴が頑張って引っ張ってみたが、切れる様子は無い。

「なんかこれ、運命の赤い糸みたいね」
『みたい、じゃなくてそのものですよ』
「へぇ。あれ、ただの伝説じゃなかったのかい」
『これでお二人は来世でも結ばれることが確定しました。これは絶対です。ただし注意点が幾つかあります。いいですか?』

 老夫婦が揃って頷く。

『出会う時期、結ばれる時期は完全にランダムです。そして最終的に結ばれはするものの、それ以前にお互いが誰かしらと出会うことは止められません』

 意味が分からず、小枝子が不思議そうな顔をする。

「あぁそういうことか。つまり、お前と結婚する前に、俺にどこかのタイミングで彼女ができる可能性もあるわけだ。結局は別れるにしたところで」
「うーー、それは嫌だわぁ」
「いや、俺だって嫌だよ、お前に彼氏がいたら。でもしょうがねぇだろ。それぐらいは許容しないと」
『では、よろしいですか?』
「おぅ」
「……はい」

 老夫婦がようやくベンチから立ち上がる。

『あ、ちょっと待ってください』

 その様子を見ていた案内人が夫婦を呼び止めた。
 夫婦が振り返る。

『これは旅立つお二人へのサービスです。それっ!』

 案内人が右手の指をパチンと弾くと、老夫婦は見る見るうちに若くなり、服装も銀のタキシードと純白のドレスへと早変わりした。
 これから結婚式に臨む若夫婦といったよそおいだ。

「これは……」
「凄い……」
『お二人とも、とてもよくお似合いですよ。来世でも幸多からんことを』
「ありがとう、あんた」
「ありがとうね、案内人さん」

 老夫婦――若返った貴晴と小枝子は愛おしそうにお互いを見つめた。
 
「絶対見つけるから心配するな」
「うん、信じてる。愛してるわ、あなた」

 二人は見つめ合うと、抱き合ったまま、揃って雲海に飛び込んだ。
 
 ◇◆◇◆◇

 赤ちゃんがズラっと並んで寝かせられている新生児室のガラス窓の前には、自分のところの子供や孫を見ようと人が大勢集まっていた。

 そんな中、ガラス窓にピッタリ張り付いて、そこにいる一人の赤ちゃんをジっと見つめている少年がいた。
 三歳くらいだろうか。   
 少年がそこにいた男性にヒョイっと持ち上げられ、抱っこされる。

「おい貴明たかあき、どこ見てるんだ。お前の弟は隣だぞ?」
「そうよ、貴くん。すみません、うちの子がお邪魔しちゃって」

 ベージュのジャケットとチノパンを着た二十代半ばくらいの男性と、ゆったりとしたピンクのパジャマに白いカーディガンを羽織った新米ママとが隣の夫婦に謝罪する。

「あぁ、気にしないで下さい。ボク、弟が生まれたのかい? 良かったねぇ」
「うちは女の子なのよ。仲良くしてあげてね」

 Tシャツジーンズのちょっと小太りの男性と、黄色いパジャマの新米ママとが笑いながらペコリと頭を下げる。
 だが、貴明は弟のことを全く見ず、ずっと先ほどの赤ちゃんを見ている。

「おい貴明。いつまでよその子見てるんだ。弟はこっちだっての」

 苦笑いしつつ父親が耳打ちすると、少年がいきなり大声を出した。

「ぱぁぱぁ! あの子、ボクのお嫁さんになる子なんだよ!」

 一瞬の間の後、二組の若夫婦が揃って笑う。

「そうねぇ。そうなるといいわね。小枝こえだ、生まれたばかりでプロポーズされちゃったわよ? どうするぅ?」
 
 黄色いパジャマの新米ママが笑いながらガラスの中ですやすや眠る乳児に話し掛けた。
 新生児ベッドに横たわった乳児は、その声に呼応したか、天使の笑みを浮かべたのであった。


 END
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