この世界は愛に溢れている

雪月風花

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第1話 立木雪弥・十歳

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 気がつくと少年――立木雪弥たちきゆきやは、シロツメクサが咲き誇る花畑の中央に立っていた。
 見た目は十歳くらい。
 ちょっと薄汚れた半袖半ズボンを着た日本人の少年だ。

「あれ? あとが無いや……」

 雪弥は自分の身体を入念にチェックしたが、火傷の痕も切り傷も、あれだけあった傷が全て消えている。
 分からないながらもここのシステムを察すると、雪弥は辺りをキョロキョロ見回した。
 やはり見えるのは花畑と雲海だけだ。

 ともかく確認だとばかりに雪弥はスタスタ歩くと、ほんの数分で眼下に雲海が広がるふちに辿り着いた。
 そこには二人掛けの木のベンチがあり、景色を楽しむことができるようになっている。
 ただ、景色と言われても、そこには無限に思えるほど遠くまで雲海が広がっているだけだ。
 
 近くのベンチに座っていた頭の禿げあがった老人が雪弥に気づくと、軽く会釈をしながら自分の隣を勧めてきた。

「隣、座るかい?」

 雪弥はちょっと考え、首を横に振った。

「とりあえず一周してから決めます」
「そうかい。焦ることはないからゆっくり見て来るといいよ」

 雪弥は老人に軽く会釈を返すと、縁に沿って反時計回りにゆっくり歩いた。

 ベンチは十メートルに一個程度の間隔でポツポツと設置されていて、空いているベンチもあれば二人分埋まっているベンチもある。
 座っているのも老若男女様々で、そこに目立った法則性はない。
 ベンチの数に余裕があるのは、ちゃんと入場制限をしているからなのだろう。

 そうして一周歩いてみると、自分がいるのが直径百メートル程度の雲海に浮かぶ島であることが分かった。

『大丈夫ですか? 説明、必要ですか?』

 後ろからいきなり声を掛けられた雪弥は、ビックリして振り返った。

 そこには、黒のスーツに黒のビジネスシューズ、頭に黒いホンブルグハットをかぶった笑顔の中年男性が立っていた。
 左腕に付けた腕章に『案内係』と書かれている。
 雪弥はちょっと考え、案内係に尋ねた。

「あ、どうも。えっと、ここ、日本……ですよね? 皆さんやっぱり同じ国を選ぶものですか?」

 雪弥の不安を打ち消そうというのか、案内係は優しく微笑みながら答えた。

『そうですね。別の国が良ければそちらを案内しますけど、だいたい皆さん、同じ国を選ばれますね。どうされます?』
「いや、ここで。ちなみに座るベンチで条件が変わったりしますか?」
『いいえ。特にそういったものはありません。すぐ決めて行動に移る方もいますし、長考なさる方もいます。別に時間制限もありませんから、じっくり考えて決めていいんですよ』
「なるほど。そうやって次の……人生を選ぶんですね」
『そうなんです。世界はそういう転生システムになっているんです』
「分かりました。ありがとうございます」

 雪弥は案内係に礼を言うと、最初のベンチに戻った。
 老人が嬉しそうに話しかけてくる。
 
「や、戻って来たね。嬉しいよ。やっぱり一人だと足を踏み出す勇気が出なくてね」
「お爺さんは、もう決めたんですか?」
「あぁ。良い表情をしている人たちだ。ここなら大切にしてくれそうな気がする。君は、どんな人たちをお望みだい?」
「ボクは……」

 雪弥はちょっとだけ辛そうな顔をした。

「ボクは虐待されて死んだんです。最初のお父さんが亡くなってから新しいお父さんが来たんですけど、どうも新しいお父さんはボクを邪魔に思ったみたいで。だから、特にお金持ちだったらとか、都心に住んでたらとか、兄弟がどうとかそんなのはどうでも良くって。ただボクを愛してくれたら……それだけでいいんです」
「そうかい。それは辛かったね。じっくり吟味して後悔のないよう選ぶんだよ。じゃ、私は一足お先に行かせて貰おう。幸運を祈る」

 老人はベンチから立ち上がって雪弥に握手を求めた。
 雪弥も立って、雲海を前に老人としっかり握手をする。
 老人の身体がポワっと光を放つ。

「お爺さんも。幸運を祈ります」
「ありがとう、少年」

 老人はニッコリ笑うと、次の瞬間、ヒョイっと雲海に飛び込んだ。
 あっという間に老人の姿が見えなくなる。

 雪弥はしばらくそこで立っていたが、やがてまたベンチに座った。
 次は自分の番だ。
 心を決めて、ベンチに座ったまま雲海をジっと見つめた。

 雪弥の思考に反応したか、ほんの数秒で、雲海を割って何組かの男女の映像が見えてくる。
 どれもカップル、ないしは夫婦のようだ。

 十組くらい現れた映像を見ながら、雪弥はベンチに座ったまま右手を左右に動かした。
 その度に、映像が増えたり減ったりする。
 と、雪弥の手が止まった。

 そこに映っていたのは、三十代手前の、何という事もない男女だった。
 男性は大柄だが、ちょっとお腹が出始めているし、ハンサムなわけでもない。
 女性も可愛らしい顔立ちだが、美人というほど整っているわけではない。
 だが、なぜか心が猛烈に惹かれた。
 冗談を言いつつ楽しそうに笑い合う二人のその表情を見て、雪弥の頬をとめどなく涙が伝った。

「ボクは……父さんと母さんの……笑った顔が見たかったんだ……」

 雪弥は座ったまま、顔を覆ってわんわん泣き出した。
 涙が止まらない。

『笑顔、見られませんでしたか……』

 と、いつの間にか、隣に案内係の男性が座っていた。
 案内係が雪弥の背中を優しく撫でる。

「二人ともとても怖い顔でボクを見ていた。気に入られようと頑張ったけど駄目だった。毎日毎日、心が砕けそうだった。ボクはただ、愛されたかっただけだったのに……」
『今度は……幸せになれそうですか?』

 雪弥は右手で涙を拭うと前を向き、しっかりうなずいた。

「この人たちを信じたい。今度こそ、ボクは幸せになるんだ!」
『きっと幸せになれますよ。あなたにさち多からんことを』

 立ち上がった雪弥の身体が、先ほど雲海に飛び込んだ老人と同じように光に包まれた。
 雪弥は涙を振り払うと、笑顔で雲海に飛び込んだ。 

 ◇◆◇◆◇ 

 おぎゃあ! おぎゃあ! おぎゃあ! おぎゃあ!!

「おぉぉぉぉぉぉ!! 産まれた! 産まれた! 産まれたぁぁぁぁ!!」
「あなた、うるさい。他の人の迷惑になるでしょう?」

 どう感動を表現したらいいのか分からないのか、男性は分娩室だというのに周囲の迷惑を省みず、泣きながら妙ちくりんな動きをしつつ喜んでいる。
 近くで立っている産婦人科医や看護師さんたちが釣られて思わず笑う。
 対して女性の方は、流石に出産直後だからか疲労困憊だ。
 ストレッチャーに乗せられつつ微かに苦笑する。

「はい、元気な男の子ですよ」

 看護師の手によって、女性の枕元におくるみをされた赤ん坊が寝かされた。
 赤ん坊は目をつぶりながらも、ふにふに動いている。

「おぉぉぉぉ、生きてる……」
「そりゃ生きてるわよ。生きてなきゃ困るわよ」
「そ、そうだけどさ」

 女性は身体の辛いのを我慢しつつ、微笑みながら赤ん坊にキスをした。

「ありがとう、生まれてきてくれて」
「あ、ズルイぞ。俺も俺も! 絶対幸せにしてやるからな。愛してるぞ!」

 男性が反対側の頬にそっとキスをした。
 反射で赤ん坊が笑う。
 赤ん坊の未来は、光に包まれていた。


 END
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