7 / 46
第7話 時坂杏奈と魔王の訪問
しおりを挟む
【登場人物】
時坂杏奈……二十三歳。無職。昼行灯の手下の、必ず殺す人。
「いやいやいや。串を使ったから? って大丈夫かしら、これ」
杏奈は何も無い空を見、ちょっと慌てた。
深夜。
日付けも変わって、多くの者が寝静まった頃。
御多分に洩れず眠っていた杏奈は、室内に生じた異様な気配を感じ、跳ね起きた。
元々神経質なタイプなので、異変にはすぐ反応する。
即座に、ベッド横のサイドテーブルに置いておいた眼鏡を取り、掛ける。
ついでに、一緒に置いておいたポーチを手元に引き寄せる。
見ると、部屋の入り口付近に黒いモヤがある。
杏奈は身構えた。
モヤが段々と形を成していく。
ほんの十秒程で、モヤは人の形になった。
黒マントを羽織った男だ。
身長は杏奈より上。
百七十センチ程か。
若い。
見た感じ、杏奈より若そうだ。
パッと見、悪の魔道士といった風貌をしている。
「俺は……うわ!」
黒マントが口を開くや否や、杏奈はいきなりポーチから串を取り出し、投げた。
だが、その結果に杏奈は微かに眉をひそめた。
今回、串に必殺の気を込めた。
当たれば、百%死ぬはずだ。
だが、杏奈の投げた串は、黒マントの後ろの壁に刺さっている。
どうやら、黒マントには実体が無いらしい。
思念体か何かなのだろう。
ちなみに今回投げた串は、道具屋でわざわざ購入した未使用のモノだ。
しかも鉄製なので、重さも威力も倍増だ。
「いきなり何しやがる。挨拶も無しかよ!」
「レディの寝室に許可無く立ち入る男に対して遠慮は無用なの。で? あんた誰? 痴漢さん?」
「バっ、何言いやがる。オバさんに興味なんてねぇよ! バカにすんな! オレは魔王だ。この世界を滅ぼすべく現れた、お前の宿敵だ。」
オバさんという言葉にカチンとくる。
だが、言われたまんまでいる杏奈では無い。
「へぇ。あんたが魔王? ガキが偶然、思わぬ力を拾って、イキっちゃったのかしら。中学生なら中学生らしく、学校でお友達と遊んでなさいよ」
「中学生ちゃうわ! 高校生だわ!」
「どっちにしたってガキよ。善悪の判断も付いてないんじゃね。そうだ。今この場でお仕置きしてやろっか。ママの膝の上で、泣きながら反省するがいいわ」
「野郎……」
バチバチ火花が散る。
魔王は視線で人を殺しそうな顔をしていたが、やがて何とか冷静さを取り戻したらしい。
ニヤっと笑って口を開く。
「今回はただの挨拶だ。本物の勇者が出現したと聞いて、どんな奴かと見に来ただけだ。オレの城に、自称・勇者が何人も殴り込んできたが、どいつもこいつも、多少腕が立つ程度の普通の異世界人だった。オマエのように、神に選ばれし勇者とは違う。 しかし驚いたぞ。オレと同じように異世界召喚された地球人が相手とはな」
「あんたが悪さするからわたしが召喚されたのよ。いい迷惑だわ」
魔王がフっと笑う。
高校生らしく、幼さの残る笑い顔だ。
「こいつはゲームだ。なら、なるべく長く楽しまなくっちゃな。決戦の地は、オレの城だ。無事辿り着けるといいがな。とりあえず今夜はプレゼントを用意しておいた。存分に楽しんでくれ」
魔王の姿がモヤとなって消えた。
モヤが消えるや否や、杏奈は走って窓まで行き、勢いよく窓を開いた。
少し前から、外で大勢の人が叫んでいるような声が聞こえていたのだ。
煙い。
杏奈の部屋は、二階だ。一階が食堂で、二階が宿泊施設になっている。
杏奈は窓から身を乗り出して、周囲の様子を探った。
あちこちで火の手が上がっている。
戦闘が繰り広げられているようだ。
と、思いの外、近くから女性の悲鳴が聞こえた。
建物内だ。
杏奈は急いで身支度を整え、廊下に飛び出た。
店の様子を見に来たところを襲われたのか、昼間のウェイトレスがカウンター越しに、必死にお盆で身を守っている。
襲っているのは、身長、一メートル程度の緑色の生き物だ。
……これがゴブリン?
キシャァァァァァア!
杏奈に気付いたゴブリンが、石斧を振り上げ、階段を駆け上がってくる。
杏奈は無表情で、ゴブリンの顔にケリを入れた。
グギャアァァァァァァァア!
ゴブリンは階段を転げ落ち、大人しくなった。
首が嫌な方向に曲がっている。
杏奈は顔をしかめたが、ゴブリンは魔王の配下だ。
こちらを殺すべく向かってくる。
ならば、覚悟を決めろ。
「ちょっと、大丈夫?」
「は、はい。あなたもご無事で?」
「外で戦闘が繰り広げられているようね。あなたはここで、身を隠していなさい」
杏奈は宿を飛び出た。
町が燃えている。
耳を澄ます。
あちこちで剣戟の音が聞こえる。
冒険者が戦っているのだろう。
魔王は、プレゼントを用意したと言っていた。
これがその、プレゼントだろう。
洞窟が大量のゴブリンに占拠されていると、昼間、食堂のウェイトレスが言っていた。
集めたのは魔王。
杏奈を迎え撃つ為に、予め用意していたようだ。
町を守ってみせろと言いたいのだろう。
わたしの為に、犠牲なんか一人たりとも出すもんか!
杏奈は音のする方へ走り出した。
町の人がゴブリンに襲われている。
悲鳴が挙がるところに駆けつける。
何人か既に犠牲になっているようで、頭を斧で割られた遺体が路上に幾つも転がっている。
杏奈は走りながら、鉄串を投げた。
一瞥してゴブリンと分かった瞬間に投げる。
鉄串がゴブリンの眉間に綺麗に刺さる。
杏奈は怒っているので、その一投一投に必殺の気が入る。
当然、当たれば即死だ。
道具屋で購入した三十本の鉄串は、全て投げ切った。
一応、百本、竹串も買ったが、ゴブリン相手に効くかどうか。
とりあえず、ここからは打撃メインだ。
杏奈はベルトに挟んでおいた麺棒を取り出した。
食堂に置いてあったもので、三十センチほどの長さの硬い棒だ。
「うぉぉぉぉぉ!」
「キシャァァァア!」
杏奈の前方で、冒険者とゴブリンが戦っていた。
剣と盾を構えた冒険者一人に、ゴブリン、三匹だ。
三対一は、流石に分が悪いようで、冒険者のプレートメイルがボコボコに凹んでいる。
杏奈は、すれ違いざまに麺棒を左右に振った。
後頭部への殴打で、ゴブリン二匹が一瞬で撲殺される。
冒険者がお礼の言葉を発した気がしたが、杏奈は気にせず走り抜けた。
一際大きな音が立っている大広場に辿り着いた。
火の勢いがいい。
商店が幾つも空を焦がすほどの炎に包まれ、黒煙を上げている。
水を掛けて消すどころではない。
広場のあちこちで、冒険者とゴブリンの激しい戦闘が起きている。
冒険者とゴブリン、双方の死体がそこかしこに転がっている。
全体的にゴブリンの方が生き残りの数は多いようだ。
杏奈はゴブリンの動きを観察した。
攻撃手段は主に、二つ。
遠距離攻撃の吹き矢と、近接攻撃の石斧だ。
ゴブリンは知能があるのか、妙にチームワークがいい。
あるいは、杏奈を迎え撃とうとする魔王に事前に仕込まれたか。
複数で冒険者に襲い掛かり、一匹が近接で戦っている間に、もう一匹が遠距離から吹き矢を吹く。
毒が含まれているのか、冒険者の動きが鈍った途端、頭を石斧で叩き割り、仕留める感じだ。
これ以上、犠牲者を出したくない。
杏奈は覚悟を決めた。
息を思いっきり吸い込む。
「こっちを見ろーーーーーー!」
いきなりの大声が、広場の剣戟の音を掻き消す。
冒険者、ゴブリン双方の視線が一気に杏奈に集中する。
「ケキャァァァァァァア!」
ゴブリンが一斉に杏奈に向かって走ってくる。
五、十、十五、二十……。
うは、ざっと五十匹?
どこにそんなにいたのよ。
杏奈は腰に提げたポーチに手を突っ込んだ。
竹串を適当な数、掴み、取り出す。
二十本ほどだろうか。
串に必殺の気を込める。
吹き矢の射程距離に入る前に投げる。
続けてまた何本か取り出し、投げた。
投げた。
投げた。
買っておいた百本の竹串が底を付いたとき、
ほとんどのゴブリンが、地面に倒れていた。
ゴブリンに直で竹串が刺さったわけではない。
偶然けつまずいて、自重で竹串が、致命的に深く刺さった者。
避けようとして滑って、偶然、嫌な角度で地面に頭をぶつけた者。
撃ち落とそうと振られた仲間の石斧が運悪く急所に当たった者。
色々いたが、どのゴブリンも、杏奈に石斧を振り下ろすことなく息絶えていた。
それはまるで、魔女の呪いで死がもたらされたかのようだった。
攻撃力が低い武器で必殺の気を込めると、別の死因が発生する。
こんなとこまじまじと見られたら、大騒ぎになる。
夜で良かった。
杏奈は目の前で息絶えたゴブリンの群れから、正面に視線を移した。
二メートルほどの身長の、筋骨隆々のゴブリンが一匹、瓦礫の山のてっぺんから杏奈を見下ろしている。
「ゴブリンリーダーだ……」
上半身に、冒険者から奪ったと思しき鎧を付けている。
武器も石斧ではなく、鉄製だ。
怒りのせいか、その目が血走っている。
「ガァァァァァァァァア!」
ゴブリンリーダーが、怒りの咆哮を上げつつ、杏奈に向かって走ってくる。
途中で迎え撃った冒険者が、タックルで吹っ飛ばされる。
あーあー、死んでないといいけど。
杏奈は腰ベルトに差しておいた麺棒を引き抜き、構えた。
うわ、筋肉すご。
見るからに力が強そうだ。
鉄斧を木の麺棒で受けるのは、さすがに無謀だろうなぁ……。
よし、麺棒は却下と。
杏奈は麺棒を、ゴブリンリーダーに向かってポイっと投げた。
何か他に武器になりそうなものは無いかと、ポーチの中をまさぐりながら、そのまま少し後ずさる。
よもや、ターゲットが武器を捨てるとは思わなかったのだろう。
ゴブリンリーダーは杏奈のそれを、降参の証と見て取った。
ゴブリンリーダーは勝利の笑みを浮かべ、鉄斧を高く振り上げた。
ゴブリンリーダーは、これまで戦ってきた敵を、ことごとくその鉄斧で真っ二つにしてきた。
今度も同じだ。
獲物が小さいので、少々物足りないかもしれないが、まぁいいだろう。
思いっきり振り下ろす鉄斧で、獲物の頭を真っ二つにする。
飛び散る血しぶき。
思わずゴブリンリーダーに愉悦の表情が浮かぶ。
ところが。
ゴブリンリーダーは、あまりに楽しい想像にふけってしまった為、つい、杏奈の手放した麺棒のことを失念してしまった。
走ってきたゴブリンリーダーは、転がる麺棒を踏みつけ、思いっきり滑った。
それはもう、漫画のような、見事なすっ転びかただった。
まるで、バナナの皮で滑った人みたい……。
オゥオゥオゥオゥ……(エコー)。
ゴブリンリーダーは、回転しながら華麗に宙を舞った。
滑った勢いで思わず手放した鉄斧が地面に刺さる。
空中で見事な一回転を決めたゴブリンリーダーは、自身の鉄斧に顔面から突っ込み、動かなくなった。
翌日。
杏奈は、町の北西にある洞窟に向かって歩いていた。
ようやくゴブリンもいなくなり、交易が再開された為か、同じように洞窟に向かって歩くたくさんの人に混じって歩く。
広い洞窟のようで、馬車で向かう人もいる。
杏奈は歩きながら、腰に提げたポーチをポンポンっと叩いた。
嬉しい重さだ。
そこには、出掛けに道具屋で補充した鉄串と、ギルドで貰った報酬がたんまり入っている。
ゴブリンリーダーを倒したこともあって、今回のミッションにおける総報酬額の半分以上が杏奈の懐に入った。
ただあれは、ゴブリンリーダーが足を滑らせて自爆した、ということになっているので、ランクは珊瑚のままだ。
杏奈の対外的な評価は、『運のいいやつ』だ。
でもそれでいい。
下手に目立ちたく無い。
実利だけ取れればそれでいい。
杏奈は他の旅人同様、洞窟の門番に軽く会釈して、洞窟に入った。
この洞窟を抜けると、次はドリアナの町だ。
そこで何が待っているのか。
杏奈は、懐の温かさにニヤつきながら、歩みを進めた。
時坂杏奈……二十三歳。無職。昼行灯の手下の、必ず殺す人。
「いやいやいや。串を使ったから? って大丈夫かしら、これ」
杏奈は何も無い空を見、ちょっと慌てた。
深夜。
日付けも変わって、多くの者が寝静まった頃。
御多分に洩れず眠っていた杏奈は、室内に生じた異様な気配を感じ、跳ね起きた。
元々神経質なタイプなので、異変にはすぐ反応する。
即座に、ベッド横のサイドテーブルに置いておいた眼鏡を取り、掛ける。
ついでに、一緒に置いておいたポーチを手元に引き寄せる。
見ると、部屋の入り口付近に黒いモヤがある。
杏奈は身構えた。
モヤが段々と形を成していく。
ほんの十秒程で、モヤは人の形になった。
黒マントを羽織った男だ。
身長は杏奈より上。
百七十センチ程か。
若い。
見た感じ、杏奈より若そうだ。
パッと見、悪の魔道士といった風貌をしている。
「俺は……うわ!」
黒マントが口を開くや否や、杏奈はいきなりポーチから串を取り出し、投げた。
だが、その結果に杏奈は微かに眉をひそめた。
今回、串に必殺の気を込めた。
当たれば、百%死ぬはずだ。
だが、杏奈の投げた串は、黒マントの後ろの壁に刺さっている。
どうやら、黒マントには実体が無いらしい。
思念体か何かなのだろう。
ちなみに今回投げた串は、道具屋でわざわざ購入した未使用のモノだ。
しかも鉄製なので、重さも威力も倍増だ。
「いきなり何しやがる。挨拶も無しかよ!」
「レディの寝室に許可無く立ち入る男に対して遠慮は無用なの。で? あんた誰? 痴漢さん?」
「バっ、何言いやがる。オバさんに興味なんてねぇよ! バカにすんな! オレは魔王だ。この世界を滅ぼすべく現れた、お前の宿敵だ。」
オバさんという言葉にカチンとくる。
だが、言われたまんまでいる杏奈では無い。
「へぇ。あんたが魔王? ガキが偶然、思わぬ力を拾って、イキっちゃったのかしら。中学生なら中学生らしく、学校でお友達と遊んでなさいよ」
「中学生ちゃうわ! 高校生だわ!」
「どっちにしたってガキよ。善悪の判断も付いてないんじゃね。そうだ。今この場でお仕置きしてやろっか。ママの膝の上で、泣きながら反省するがいいわ」
「野郎……」
バチバチ火花が散る。
魔王は視線で人を殺しそうな顔をしていたが、やがて何とか冷静さを取り戻したらしい。
ニヤっと笑って口を開く。
「今回はただの挨拶だ。本物の勇者が出現したと聞いて、どんな奴かと見に来ただけだ。オレの城に、自称・勇者が何人も殴り込んできたが、どいつもこいつも、多少腕が立つ程度の普通の異世界人だった。オマエのように、神に選ばれし勇者とは違う。 しかし驚いたぞ。オレと同じように異世界召喚された地球人が相手とはな」
「あんたが悪さするからわたしが召喚されたのよ。いい迷惑だわ」
魔王がフっと笑う。
高校生らしく、幼さの残る笑い顔だ。
「こいつはゲームだ。なら、なるべく長く楽しまなくっちゃな。決戦の地は、オレの城だ。無事辿り着けるといいがな。とりあえず今夜はプレゼントを用意しておいた。存分に楽しんでくれ」
魔王の姿がモヤとなって消えた。
モヤが消えるや否や、杏奈は走って窓まで行き、勢いよく窓を開いた。
少し前から、外で大勢の人が叫んでいるような声が聞こえていたのだ。
煙い。
杏奈の部屋は、二階だ。一階が食堂で、二階が宿泊施設になっている。
杏奈は窓から身を乗り出して、周囲の様子を探った。
あちこちで火の手が上がっている。
戦闘が繰り広げられているようだ。
と、思いの外、近くから女性の悲鳴が聞こえた。
建物内だ。
杏奈は急いで身支度を整え、廊下に飛び出た。
店の様子を見に来たところを襲われたのか、昼間のウェイトレスがカウンター越しに、必死にお盆で身を守っている。
襲っているのは、身長、一メートル程度の緑色の生き物だ。
……これがゴブリン?
キシャァァァァァア!
杏奈に気付いたゴブリンが、石斧を振り上げ、階段を駆け上がってくる。
杏奈は無表情で、ゴブリンの顔にケリを入れた。
グギャアァァァァァァァア!
ゴブリンは階段を転げ落ち、大人しくなった。
首が嫌な方向に曲がっている。
杏奈は顔をしかめたが、ゴブリンは魔王の配下だ。
こちらを殺すべく向かってくる。
ならば、覚悟を決めろ。
「ちょっと、大丈夫?」
「は、はい。あなたもご無事で?」
「外で戦闘が繰り広げられているようね。あなたはここで、身を隠していなさい」
杏奈は宿を飛び出た。
町が燃えている。
耳を澄ます。
あちこちで剣戟の音が聞こえる。
冒険者が戦っているのだろう。
魔王は、プレゼントを用意したと言っていた。
これがその、プレゼントだろう。
洞窟が大量のゴブリンに占拠されていると、昼間、食堂のウェイトレスが言っていた。
集めたのは魔王。
杏奈を迎え撃つ為に、予め用意していたようだ。
町を守ってみせろと言いたいのだろう。
わたしの為に、犠牲なんか一人たりとも出すもんか!
杏奈は音のする方へ走り出した。
町の人がゴブリンに襲われている。
悲鳴が挙がるところに駆けつける。
何人か既に犠牲になっているようで、頭を斧で割られた遺体が路上に幾つも転がっている。
杏奈は走りながら、鉄串を投げた。
一瞥してゴブリンと分かった瞬間に投げる。
鉄串がゴブリンの眉間に綺麗に刺さる。
杏奈は怒っているので、その一投一投に必殺の気が入る。
当然、当たれば即死だ。
道具屋で購入した三十本の鉄串は、全て投げ切った。
一応、百本、竹串も買ったが、ゴブリン相手に効くかどうか。
とりあえず、ここからは打撃メインだ。
杏奈はベルトに挟んでおいた麺棒を取り出した。
食堂に置いてあったもので、三十センチほどの長さの硬い棒だ。
「うぉぉぉぉぉ!」
「キシャァァァア!」
杏奈の前方で、冒険者とゴブリンが戦っていた。
剣と盾を構えた冒険者一人に、ゴブリン、三匹だ。
三対一は、流石に分が悪いようで、冒険者のプレートメイルがボコボコに凹んでいる。
杏奈は、すれ違いざまに麺棒を左右に振った。
後頭部への殴打で、ゴブリン二匹が一瞬で撲殺される。
冒険者がお礼の言葉を発した気がしたが、杏奈は気にせず走り抜けた。
一際大きな音が立っている大広場に辿り着いた。
火の勢いがいい。
商店が幾つも空を焦がすほどの炎に包まれ、黒煙を上げている。
水を掛けて消すどころではない。
広場のあちこちで、冒険者とゴブリンの激しい戦闘が起きている。
冒険者とゴブリン、双方の死体がそこかしこに転がっている。
全体的にゴブリンの方が生き残りの数は多いようだ。
杏奈はゴブリンの動きを観察した。
攻撃手段は主に、二つ。
遠距離攻撃の吹き矢と、近接攻撃の石斧だ。
ゴブリンは知能があるのか、妙にチームワークがいい。
あるいは、杏奈を迎え撃とうとする魔王に事前に仕込まれたか。
複数で冒険者に襲い掛かり、一匹が近接で戦っている間に、もう一匹が遠距離から吹き矢を吹く。
毒が含まれているのか、冒険者の動きが鈍った途端、頭を石斧で叩き割り、仕留める感じだ。
これ以上、犠牲者を出したくない。
杏奈は覚悟を決めた。
息を思いっきり吸い込む。
「こっちを見ろーーーーーー!」
いきなりの大声が、広場の剣戟の音を掻き消す。
冒険者、ゴブリン双方の視線が一気に杏奈に集中する。
「ケキャァァァァァァア!」
ゴブリンが一斉に杏奈に向かって走ってくる。
五、十、十五、二十……。
うは、ざっと五十匹?
どこにそんなにいたのよ。
杏奈は腰に提げたポーチに手を突っ込んだ。
竹串を適当な数、掴み、取り出す。
二十本ほどだろうか。
串に必殺の気を込める。
吹き矢の射程距離に入る前に投げる。
続けてまた何本か取り出し、投げた。
投げた。
投げた。
買っておいた百本の竹串が底を付いたとき、
ほとんどのゴブリンが、地面に倒れていた。
ゴブリンに直で竹串が刺さったわけではない。
偶然けつまずいて、自重で竹串が、致命的に深く刺さった者。
避けようとして滑って、偶然、嫌な角度で地面に頭をぶつけた者。
撃ち落とそうと振られた仲間の石斧が運悪く急所に当たった者。
色々いたが、どのゴブリンも、杏奈に石斧を振り下ろすことなく息絶えていた。
それはまるで、魔女の呪いで死がもたらされたかのようだった。
攻撃力が低い武器で必殺の気を込めると、別の死因が発生する。
こんなとこまじまじと見られたら、大騒ぎになる。
夜で良かった。
杏奈は目の前で息絶えたゴブリンの群れから、正面に視線を移した。
二メートルほどの身長の、筋骨隆々のゴブリンが一匹、瓦礫の山のてっぺんから杏奈を見下ろしている。
「ゴブリンリーダーだ……」
上半身に、冒険者から奪ったと思しき鎧を付けている。
武器も石斧ではなく、鉄製だ。
怒りのせいか、その目が血走っている。
「ガァァァァァァァァア!」
ゴブリンリーダーが、怒りの咆哮を上げつつ、杏奈に向かって走ってくる。
途中で迎え撃った冒険者が、タックルで吹っ飛ばされる。
あーあー、死んでないといいけど。
杏奈は腰ベルトに差しておいた麺棒を引き抜き、構えた。
うわ、筋肉すご。
見るからに力が強そうだ。
鉄斧を木の麺棒で受けるのは、さすがに無謀だろうなぁ……。
よし、麺棒は却下と。
杏奈は麺棒を、ゴブリンリーダーに向かってポイっと投げた。
何か他に武器になりそうなものは無いかと、ポーチの中をまさぐりながら、そのまま少し後ずさる。
よもや、ターゲットが武器を捨てるとは思わなかったのだろう。
ゴブリンリーダーは杏奈のそれを、降参の証と見て取った。
ゴブリンリーダーは勝利の笑みを浮かべ、鉄斧を高く振り上げた。
ゴブリンリーダーは、これまで戦ってきた敵を、ことごとくその鉄斧で真っ二つにしてきた。
今度も同じだ。
獲物が小さいので、少々物足りないかもしれないが、まぁいいだろう。
思いっきり振り下ろす鉄斧で、獲物の頭を真っ二つにする。
飛び散る血しぶき。
思わずゴブリンリーダーに愉悦の表情が浮かぶ。
ところが。
ゴブリンリーダーは、あまりに楽しい想像にふけってしまった為、つい、杏奈の手放した麺棒のことを失念してしまった。
走ってきたゴブリンリーダーは、転がる麺棒を踏みつけ、思いっきり滑った。
それはもう、漫画のような、見事なすっ転びかただった。
まるで、バナナの皮で滑った人みたい……。
オゥオゥオゥオゥ……(エコー)。
ゴブリンリーダーは、回転しながら華麗に宙を舞った。
滑った勢いで思わず手放した鉄斧が地面に刺さる。
空中で見事な一回転を決めたゴブリンリーダーは、自身の鉄斧に顔面から突っ込み、動かなくなった。
翌日。
杏奈は、町の北西にある洞窟に向かって歩いていた。
ようやくゴブリンもいなくなり、交易が再開された為か、同じように洞窟に向かって歩くたくさんの人に混じって歩く。
広い洞窟のようで、馬車で向かう人もいる。
杏奈は歩きながら、腰に提げたポーチをポンポンっと叩いた。
嬉しい重さだ。
そこには、出掛けに道具屋で補充した鉄串と、ギルドで貰った報酬がたんまり入っている。
ゴブリンリーダーを倒したこともあって、今回のミッションにおける総報酬額の半分以上が杏奈の懐に入った。
ただあれは、ゴブリンリーダーが足を滑らせて自爆した、ということになっているので、ランクは珊瑚のままだ。
杏奈の対外的な評価は、『運のいいやつ』だ。
でもそれでいい。
下手に目立ちたく無い。
実利だけ取れればそれでいい。
杏奈は他の旅人同様、洞窟の門番に軽く会釈して、洞窟に入った。
この洞窟を抜けると、次はドリアナの町だ。
そこで何が待っているのか。
杏奈は、懐の温かさにニヤつきながら、歩みを進めた。
0
お気に入りに追加
31
あなたにおすすめの小説
異世界をスキルブックと共に生きていく
大森 万丈
ファンタジー
神様に頼まれてユニークスキル「スキルブック」と「神の幸運」を持ち異世界に転移したのだが転移した先は海辺だった。見渡しても海と森しかない。「最初からサバイバルなんて難易度高すぎだろ・・今着てる服以外何も持ってないし絶対幸運働いてないよこれ、これからどうしよう・・・」これは地球で平凡に暮らしていた佐藤 健吾が死後神様の依頼により異世界に転生し神より授かったユニークスキル「スキルブック」を駆使し、仲間を増やしながら気ままに異世界で暮らしていく話です。神様に貰った幸運は相変わらず仕事をしません。のんびり書いていきます。読んで頂けると幸いです。
忘却の艦隊
KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。
大型輸送艦は工作艦を兼ねた。
総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。
残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。
輸送任務の最先任士官は大佐。
新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。
本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。
他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。
公安に近い監査だった。
しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。
そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。
機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。
完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。
意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。
恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。
なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。
しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。
艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。
そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。
果たして彼らは帰還できるのか?
帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?
迷い人 ~異世界で成り上がる。大器晩成型とは知らずに無難な商人になっちゃった。~
飛燕 つばさ
ファンタジー
孤独な中年、坂本零。ある日、彼は目を覚ますと、まったく知らない異世界に立っていた。彼は現地の兵士たちに捕まり、不審人物とされて牢獄に投獄されてしまう。
彼は異世界から迷い込んだ『迷い人』と呼ばれる存在だと告げられる。その『迷い人』には、世界を救う勇者としての可能性も、世界を滅ぼす魔王としての可能性も秘められているそうだ。しかし、零は自分がそんな使命を担う存在だと受け入れることができなかった。
独房から零を救ったのは、昔この世界を救った勇者の末裔である老婆だった。老婆は零の力を探るが、彼は戦闘や魔法に関する特別な力を持っていなかった。零はそのことに絶望するが、自身の日本での知識を駆使し、『商人』として新たな一歩を踏み出す決意をする…。
この物語は、異世界に迷い込んだ日本のサラリーマンが主人公です。彼は潜在的に秘められた能力に気づかずに、無難な商人を選びます。次々に目覚める力でこの世界に起こる問題を解決していく姿を描いていきます。
※当作品は、過去に私が創作した作品『異世界で商人になっちゃった。』を一から徹底的に文章校正し、新たな作品として再構築したものです。文章表現だけでなく、ストーリー展開の修正や、新ストーリーの追加、新キャラクターの登場など、変更点が多くございます。
最強のコミュ障探索者、Sランクモンスターから美少女配信者を助けてバズりたおす~でも人前で喋るとか無理なのでコラボ配信は断固お断りします!~
尾藤みそぎ
ファンタジー
陰キャのコミュ障女子高生、灰戸亜紀は人見知りが過ぎるあまりソロでのダンジョン探索をライフワークにしている変わり者。そんな彼女は、ダンジョンの出現に呼応して「プライムアビリティ」に覚醒した希少な特級探索者の1人でもあった。
ある日、亜紀はダンジョンの中層に突如現れたSランクモンスターのサラマンドラに襲われている探索者と遭遇する。
亜紀は人助けと思って、サラマンドラを一撃で撃破し探索者を救出。
ところが、襲われていたのは探索者兼インフルエンサーとして知られる水無瀬しずくで。しかも、救出の様子はすべて生配信されてしまっていた!?
そして配信された動画がバズりまくる中、偶然にも同じ学校の生徒だった水無瀬しずくがお礼に現れたことで、亜紀は瞬く間に身バレしてしまう。
さらには、ダンジョン管理局に目をつけられて依頼が舞い込んだり、水無瀬しずくからコラボ配信を持ちかけられたり。
コミュ障を極めてひっそりと生活していた亜紀の日常はガラリと様相を変えて行く!
はたして表舞台に立たされてしまった亜紀は安らぎのぼっちライフを守り抜くことができるのか!?
目立ちたくない召喚勇者の、スローライフな(こっそり)恩返し
gari
ファンタジー
突然、異世界の村に転移したカズキは、村長父娘に保護された。
知らない間に脳内に寄生していた自称大魔法使いから、自分が召喚勇者であることを知るが、庶民の彼は勇者として生きるつもりはない。
正体がバレないようギルドには登録せず一般人としてひっそり生活を始めたら、固有スキル『蚊奪取』で得た規格外の能力と(この世界の)常識に疎い行動で逆に目立ったり、村長の娘と徐々に親しくなったり。
過疎化に悩む村の窮状を知り、恩返しのために温泉を開発すると見事大当たり! でも、その弊害で恩人父娘が窮地に陥ってしまう。
一方、とある国では、召喚した勇者(カズキ)の捜索が密かに行われていた。
父娘と村を守るため、武闘大会に出場しよう!
地域限定土産の開発や冒険者ギルドの誘致等々、召喚勇者の村おこしは、従魔や息子(?)や役人や騎士や冒険者も加わり順調に進んでいたが……
ついに、居場所が特定されて大ピンチ!!
どうする? どうなる? 召喚勇者。
※ 基本は主人公視点。時折、第三者視点が入ります。
迷宮に捨てられた俺、魔導ガチャを駆使して世界最強の大賢者へと至る〜
サイダーボウイ
ファンタジー
アスター王国ハワード伯爵家の次男ルイス・ハワードは、10歳の【魔力固定の儀】において魔法適性ゼロを言い渡され、実家を追放されてしまう。
父親の命令により、生還率が恐ろしく低い迷宮へと廃棄されたルイスは、そこで魔獣に襲われて絶体絶命のピンチに陥る。
そんなルイスの危機を救ってくれたのが、400年の時を生きる魔女エメラルドであった。
彼女が操るのは、ルイスがこれまでに目にしたことのない未発見の魔法。
その煌めく魔法の数々を目撃したルイスは、深い感動を覚える。
「今の自分が悔しいなら、生まれ変わるしかないよ」
そう告げるエメラルドのもとで、ルイスは努力によって人生を劇的に変化させていくことになる。
これは、未発見魔法の列挙に挑んだ少年が、仲間たちとの出会いを通じて成長し、やがて世界の命運を動かす最強の大賢者へと至る物語である。
日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
天日ノ艦隊 〜こちら大和型戦艦、異世界にて出陣ス!〜
八風ゆず
ファンタジー
時は1950年。
第一次世界大戦にあった「もう一つの可能性」が実現した世界線。1950年4月7日、合同演習をする為航行中、大和型戦艦三隻が同時に左舷に転覆した。
大和型三隻は沈没した……、と思われた。
だが、目覚めた先には我々が居た世界とは違った。
大海原が広がり、見たことのない数多の国が支配者する世界だった。
祖国へ帰るため、大海原が広がる異世界を旅する大和型三隻と別世界の艦船達との異世界戦記。
※異世界転移が何番煎じか分からないですが、書きたいのでかいています!
面白いと思ったらブックマーク、感想、評価お願いします!!※
※戦艦など知らない人も楽しめるため、解説などを出し努力しております。是非是非「知識がなく、楽しんで読めるかな……」っと思ってる方も読んでみてください!※
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる