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ねずみ浄土
弐話 狐之神使 稲荷
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「何故じゃ、何故お主が死なねばならぬ!!」
「いいんだ……お前さえ……いてくれるのなら」
「やめるのじゃ……やめろぉぉおおお――!!」
「うわあぁぁぁああ!!」
大量の寝汗とともに飛び起きる。
布団はぐちゃぐちゃに乱れ、枕はいつの間にか本棚の上に放り投げられていた。
近頃はやけに鮮明で、やけに繊細な夢を見る。
それも決して良い夢とは言い難い――とても切なく、とても辛いもの。普段であれば夢ならすぐに忘れるはずが、何故かこの夢だけはずっと、ずっと覚えている。彼らが感じている、その気持ちをずっとずっと覚えている。
「はあ……はあ……」
だからといって、寝不足になっている訳ではない。ただこの胸を締め付けるような切なさが、日に日に強くなっていることは分かっている。
「えー殺生石が割れたあの日からですね、各地で不審な出来事が増えたような気がするんですよね」
つけっぱなしだったテレビ。
そこでは情報番組が放映されており、番組の内容からして珍しく怪奇現象について話題になっていた。
このタレントの言うように、SNSでは専ら怪奇現象の話題が尽きない。だが、それも嘘か真か定かではないがその多さに単純に信じてしまう人が増えている。
「これも殺生石に封印されていた、九尾の狐の仕業でしょうかね?」
「そんなわけあるか!!」
どういうわけか、湧き上がる気持ちを抑えきれずに、テレビに向かって大声を出していた。
ふと我に返っても、この沸々とこみ上げるこの気持ちは、怒りそのものだった。
どうしちゃったんだ、僕は……。
もう一度眠ろうと布団に入っても、どうやら完全に目覚めたようで眠りにつくことができない。
大きく深呼吸してから布団から出ると、踏み出した足で何かを潰してしまった。それを手に取ってみれば、そこには自身の名前が書かれた高校の名札があった。
【御先 慎太郎】
もう何日、学校に行っていないのだろうか? 不登校になった理由は無いけれど、逆も然りで今の僕には行く理由が見当たらない。
何をしたいのか、何をするべきなのか――答えが分からない悩みに悩むのは、意味が無いことくらい分かっている。
分かっていても自分でもどうにもできない。
考えても仕様がない――あそこにいこう。
肌寒さが身にしみる秋の夜風に、月の光に舞う紅葉。過ぎゆく季節の儚さは情景となり、全身に何かを語りかけてくるようだ。
「ハァ……ハァ……」
辿り着いたのは、伏見神社。誰も訪れることのない、寂れた小さなこの神社には木彫りの像が置かれているが、きっともうここには神様なんていないのかもしれない。
それでも何故かこの寂れた神社を見ていると、居ても立っても居られなくなる。
いつでも出来るように、立て掛けてある竹箒で神道埋める紅葉を払い除けていく。
「ハァ……ハァ……」
何だ? さっきから何か聞こえる。いや聞こえると言うより、何故だかあの夢を見ている時のような、心の高まりを覚える。
それが何かも分からないままに、僕は竹箒を放り投げて、一心不乱にその声のする方へ走っていた。
もう、あんな思いをするのは嫌だ。
あんな……思い?
伸びた草を掻き分けて、声のする方へどんどん近付いていく。その度に強くなる鼓動が苦しくて苦しくて――嬉しくて。
気持ちが入り乱れて、ややこしくて、それでも今はこの不思議な気持ちに身を委ねていた。
そして、草を掻き分けた先にいたのは――。
「ハァ……ハァ……」
「白い……狐?」
怪我をしているけれど、白銀の毛並みを持つ美しい白狐だった。
見ていらないほどの怪我だというのに、はち切れんばかりの心臓が煩くてたまらない。しかし、息も絶え絶えな白狐を放おっておく訳にはいかない。
気を失っているのか、抵抗されることなく白狐を抱えて、急いで家に走る。
待ってて、きっと君を助けてみせるから。
「……なるほど」
慎太郎の走る、その後ろ姿を――黒い瞳が見つめていた。
「ふう……今のは中々に美味じゃな」
「ほんと? それなら作った甲斐があるよ!」
以前とは打って変わって少し賑やかになる家。それもそのはず、両親のいない慎太郎は今の今まで家に一人で過ごして――。
「って、違あぁぁぁあうぅぅう!!」
「へ?」
突然声を張り上げる白狐に対し、首を傾げる慎太郎。
あれからというもの、慎太郎の献身的な看護によって白狐は意識を取り戻し、最初こそ警戒されていたものの、その優しい性格に気が付いたのか、白狐は心を許すようになっていった。
そして、言葉を話すように――。
「いやいや、普通はならぬじゃろうて!」
「じゃあ普通じゃないんだね、よかった」
その言葉に固まる白狐が食べ終えた皿を、シンクの水で一度洗ってから洗剤をつけ、泡立てたスポンジで優しく丁寧に洗う。
もちろん、自分の皿はすでに洗い終えていて、水切りの最中だ。
「よかったとは……? ま、まあ普通ではないが、何故お主はそれで納得出来るのじゃ……」
「きっと、本来なら驚いているんだろうけど、すんなりと受け入れている僕がいるんだ」
その不思議な気持ちは慎太郎だけでなく、白狐もまたそれを理解していないだけで、このふんわりとした空気の中にある居心地の良さを感じていた。
それはまるで初めて出会うのに、長年付き添った間柄によく似た、うまく言い表せないもの。
そんな時、あいも変わらずつけっぱなしのテレビではニュース番組が放映されていた。
「また、窃盗事件です。京都市伏見区で――」
「ふむ、この薄い箱に入っている人間が言うには、盗っ人が蔓延っているようじゃな」
白狐が言うように、慎太郎の住んでいる付近で窃盗が多数発生している。小さなものから大きなものまで、何の証拠も出さずに沢山のものが盗まれている。
証拠ないのに窃盗だと言えるのは、無くなったものが他人の家にあり、またその家の他の物が無くなっており、それがまた他人の家にあるという奇怪な事実によるもの。
犯人が何を考えているのかは分からないが、以前からある怪奇現象の噂に拍車がかかっている。
「何だか変だよね。それに、怪奇現象だって言う人もいっぱいいてさ」
「ふむ、怪奇現象……か」
「どうしたの?」
慎太郎が白狐に聞いても、険しい顔のまま黙り込んでしまった。あまりに集中しているようで、邪魔はしないほうが良さそうだ。
ちょうど洗濯機のタイマーが鳴ったことで、慎太郎はその場をあとにし、テレビに映る現場の端にいる存在に、二人は気が付くことは無かった。
「偉大なる蛇神が、全てお救いしてくださるでしょう」
「私の、お父さんの形見も戻ってきますか?」
深く深くローブを被った男の周りに、沢山の人が集まっている。その中で小さな女の子がローブの男を見上げながら、涙ながらに訴える。
ローブの男は女の子の頭を撫でながら、微笑みかける。
「ええ……きっと、戻ってきますよ」
「う、うん……」
ローブの男は、確かに微笑んでいたが……女の子にはそうは見えなかった。口元は笑っていても、真っ黒な瞳に微笑みは見えなかった。
夕飯を食べ終えた後、まったりとした時間に紅茶を啜っていると、白狐は真剣な面持ちで「話がある」と一言、語り出した。
「お主は、神を信じるかのう?」
「どうかな……僕はいないと思うし、いるとも思う。ただ、どっちにしてもきっと、神様って大変なんだなって」
すると、白狐は驚いた顔をしたあとにクスクスと笑い出した。
何が面白いのか分からないが、神様っていうのは沢山の人の願いを聞き入れないといけない。自分で努力することもなく、簡単に叶えてもらおうとするその身勝手な願いを。
「お主の言いたいこともよく分かる。じゃが人は時に、何かに縋らなければ生きていけぬ者もおるのじゃ」
その心の拠り所になるのも、神の一つの在り方なのじゃ。
白狐のその言葉に、返せる言葉はなかった。
僕は両親を交通事故で失った。その時のどうにも出来ない感情を、何も言わずに聞いてくれたのは伏見神社にいる、あの木彫りの像だった。
あれから僕は、拠り所を求めて頻繁に伏見神社へと赴くようになった。
僕もそのうちの、一人だったんだ。
「そして儂は神――名を宇迦之御魂神、その神使じゃ。まあ、カミノイイナリとも呼ばれるがのう」
「君が、神の……」
そんな到底信じることの出来ない話でも、これもまたすんなりと受け入れる事が出来た。
むしろ、そっちの方が驚きだ。
「して、この窃盗という怪奇現象は、紛うことなき同胞の仕業じゃ」
「同胞ってことは、神使が犯人ってこと?」
「うむ……と言っても、崇拝するのは儂とは別の神じゃがのう。まあ、あまり神と呼びたくはないが」
そう言いながら白狐は突然、深く頭を下げた。急なことに戸惑い、オロオロしてから頭をあげさせようとすると――。
「儂はお主を巻き込みたくは無い。じゃが儂の力では到底及ばなかった」
「もしかして、あのときの怪我って……」
慎太郎が伏見神社の奥の草を掻き分けて白狐を見つけたとき、全身傷だらけで血まみれだった。その状態から今の元気な姿に戻れたのは、慎太郎の力のお陰だと言う。
慎太郎は特に何かに秀でている訳ではない。看護だって勉強したことも無ければ、経験さえ無かった。その為、白狐が回復したのは持ち合わせた回復力のお陰だとずっと思っていた。
だが神使である白狐に、人の治療は効くだろうか?
その答えは否。
「我らは全て、人々の信仰によって成り立っておる。お主は、無意識に儂らの神を信仰していた――だからこそ、儂は死期を乗り越えられたのじゃ」
「僕が……信仰していた?」
「じゃが、それだけではあまりに足りぬ」
たった一人の、曖昧な信仰心だけではどうにもならない。だが、ある事実によってそれは補うことが出来たのだった。
「お主……人にしては随分と、神気を持ち合わせておる。それも、今の儂と同等にのう」
神気は文字の如く、神の気である。これを持ち合わせれば人であっても神に触れることが出来るようになる。
ただ、神気は誰でも持ち合わせてはいるが計れないほどの極微量らしい。
だが、慎太郎の神気は神使である白狐並み強さを持っているらしい。
「だからこそ、お主に力を貸して欲しいのじゃ。此度だけで良いのじゃ。この通り、頼む」
僕はずっと、誰からも必要とされることは無いと思っていた。だから、正直何をしてもどうでも良かったし、何をしても面白くなかった。
――生きる意味が無かった。
そんな僕に、君は生きる意味をくれているようで……それがとてもとても、とても嬉しかった。
だから、答えはもう決まっている。
「僕は――何をすればいいかな?」
「お主……礼を言うぞ、ありがとう。そう言えば名を聞くのを忘れたようじゃな。」
儂の名は稲荷。神使、稲荷じゃ。
僕は、慎太郎。御先 慎太郎だよ。
「そうか……慎太郎か。うむ、良き名じゃ」
今日まで色が無かったただの世界が、ようやく鮮やかに色付いた瞬間だった。
「いいんだ……お前さえ……いてくれるのなら」
「やめるのじゃ……やめろぉぉおおお――!!」
「うわあぁぁぁああ!!」
大量の寝汗とともに飛び起きる。
布団はぐちゃぐちゃに乱れ、枕はいつの間にか本棚の上に放り投げられていた。
近頃はやけに鮮明で、やけに繊細な夢を見る。
それも決して良い夢とは言い難い――とても切なく、とても辛いもの。普段であれば夢ならすぐに忘れるはずが、何故かこの夢だけはずっと、ずっと覚えている。彼らが感じている、その気持ちをずっとずっと覚えている。
「はあ……はあ……」
だからといって、寝不足になっている訳ではない。ただこの胸を締め付けるような切なさが、日に日に強くなっていることは分かっている。
「えー殺生石が割れたあの日からですね、各地で不審な出来事が増えたような気がするんですよね」
つけっぱなしだったテレビ。
そこでは情報番組が放映されており、番組の内容からして珍しく怪奇現象について話題になっていた。
このタレントの言うように、SNSでは専ら怪奇現象の話題が尽きない。だが、それも嘘か真か定かではないがその多さに単純に信じてしまう人が増えている。
「これも殺生石に封印されていた、九尾の狐の仕業でしょうかね?」
「そんなわけあるか!!」
どういうわけか、湧き上がる気持ちを抑えきれずに、テレビに向かって大声を出していた。
ふと我に返っても、この沸々とこみ上げるこの気持ちは、怒りそのものだった。
どうしちゃったんだ、僕は……。
もう一度眠ろうと布団に入っても、どうやら完全に目覚めたようで眠りにつくことができない。
大きく深呼吸してから布団から出ると、踏み出した足で何かを潰してしまった。それを手に取ってみれば、そこには自身の名前が書かれた高校の名札があった。
【御先 慎太郎】
もう何日、学校に行っていないのだろうか? 不登校になった理由は無いけれど、逆も然りで今の僕には行く理由が見当たらない。
何をしたいのか、何をするべきなのか――答えが分からない悩みに悩むのは、意味が無いことくらい分かっている。
分かっていても自分でもどうにもできない。
考えても仕様がない――あそこにいこう。
肌寒さが身にしみる秋の夜風に、月の光に舞う紅葉。過ぎゆく季節の儚さは情景となり、全身に何かを語りかけてくるようだ。
「ハァ……ハァ……」
辿り着いたのは、伏見神社。誰も訪れることのない、寂れた小さなこの神社には木彫りの像が置かれているが、きっともうここには神様なんていないのかもしれない。
それでも何故かこの寂れた神社を見ていると、居ても立っても居られなくなる。
いつでも出来るように、立て掛けてある竹箒で神道埋める紅葉を払い除けていく。
「ハァ……ハァ……」
何だ? さっきから何か聞こえる。いや聞こえると言うより、何故だかあの夢を見ている時のような、心の高まりを覚える。
それが何かも分からないままに、僕は竹箒を放り投げて、一心不乱にその声のする方へ走っていた。
もう、あんな思いをするのは嫌だ。
あんな……思い?
伸びた草を掻き分けて、声のする方へどんどん近付いていく。その度に強くなる鼓動が苦しくて苦しくて――嬉しくて。
気持ちが入り乱れて、ややこしくて、それでも今はこの不思議な気持ちに身を委ねていた。
そして、草を掻き分けた先にいたのは――。
「ハァ……ハァ……」
「白い……狐?」
怪我をしているけれど、白銀の毛並みを持つ美しい白狐だった。
見ていらないほどの怪我だというのに、はち切れんばかりの心臓が煩くてたまらない。しかし、息も絶え絶えな白狐を放おっておく訳にはいかない。
気を失っているのか、抵抗されることなく白狐を抱えて、急いで家に走る。
待ってて、きっと君を助けてみせるから。
「……なるほど」
慎太郎の走る、その後ろ姿を――黒い瞳が見つめていた。
「ふう……今のは中々に美味じゃな」
「ほんと? それなら作った甲斐があるよ!」
以前とは打って変わって少し賑やかになる家。それもそのはず、両親のいない慎太郎は今の今まで家に一人で過ごして――。
「って、違あぁぁぁあうぅぅう!!」
「へ?」
突然声を張り上げる白狐に対し、首を傾げる慎太郎。
あれからというもの、慎太郎の献身的な看護によって白狐は意識を取り戻し、最初こそ警戒されていたものの、その優しい性格に気が付いたのか、白狐は心を許すようになっていった。
そして、言葉を話すように――。
「いやいや、普通はならぬじゃろうて!」
「じゃあ普通じゃないんだね、よかった」
その言葉に固まる白狐が食べ終えた皿を、シンクの水で一度洗ってから洗剤をつけ、泡立てたスポンジで優しく丁寧に洗う。
もちろん、自分の皿はすでに洗い終えていて、水切りの最中だ。
「よかったとは……? ま、まあ普通ではないが、何故お主はそれで納得出来るのじゃ……」
「きっと、本来なら驚いているんだろうけど、すんなりと受け入れている僕がいるんだ」
その不思議な気持ちは慎太郎だけでなく、白狐もまたそれを理解していないだけで、このふんわりとした空気の中にある居心地の良さを感じていた。
それはまるで初めて出会うのに、長年付き添った間柄によく似た、うまく言い表せないもの。
そんな時、あいも変わらずつけっぱなしのテレビではニュース番組が放映されていた。
「また、窃盗事件です。京都市伏見区で――」
「ふむ、この薄い箱に入っている人間が言うには、盗っ人が蔓延っているようじゃな」
白狐が言うように、慎太郎の住んでいる付近で窃盗が多数発生している。小さなものから大きなものまで、何の証拠も出さずに沢山のものが盗まれている。
証拠ないのに窃盗だと言えるのは、無くなったものが他人の家にあり、またその家の他の物が無くなっており、それがまた他人の家にあるという奇怪な事実によるもの。
犯人が何を考えているのかは分からないが、以前からある怪奇現象の噂に拍車がかかっている。
「何だか変だよね。それに、怪奇現象だって言う人もいっぱいいてさ」
「ふむ、怪奇現象……か」
「どうしたの?」
慎太郎が白狐に聞いても、険しい顔のまま黙り込んでしまった。あまりに集中しているようで、邪魔はしないほうが良さそうだ。
ちょうど洗濯機のタイマーが鳴ったことで、慎太郎はその場をあとにし、テレビに映る現場の端にいる存在に、二人は気が付くことは無かった。
「偉大なる蛇神が、全てお救いしてくださるでしょう」
「私の、お父さんの形見も戻ってきますか?」
深く深くローブを被った男の周りに、沢山の人が集まっている。その中で小さな女の子がローブの男を見上げながら、涙ながらに訴える。
ローブの男は女の子の頭を撫でながら、微笑みかける。
「ええ……きっと、戻ってきますよ」
「う、うん……」
ローブの男は、確かに微笑んでいたが……女の子にはそうは見えなかった。口元は笑っていても、真っ黒な瞳に微笑みは見えなかった。
夕飯を食べ終えた後、まったりとした時間に紅茶を啜っていると、白狐は真剣な面持ちで「話がある」と一言、語り出した。
「お主は、神を信じるかのう?」
「どうかな……僕はいないと思うし、いるとも思う。ただ、どっちにしてもきっと、神様って大変なんだなって」
すると、白狐は驚いた顔をしたあとにクスクスと笑い出した。
何が面白いのか分からないが、神様っていうのは沢山の人の願いを聞き入れないといけない。自分で努力することもなく、簡単に叶えてもらおうとするその身勝手な願いを。
「お主の言いたいこともよく分かる。じゃが人は時に、何かに縋らなければ生きていけぬ者もおるのじゃ」
その心の拠り所になるのも、神の一つの在り方なのじゃ。
白狐のその言葉に、返せる言葉はなかった。
僕は両親を交通事故で失った。その時のどうにも出来ない感情を、何も言わずに聞いてくれたのは伏見神社にいる、あの木彫りの像だった。
あれから僕は、拠り所を求めて頻繁に伏見神社へと赴くようになった。
僕もそのうちの、一人だったんだ。
「そして儂は神――名を宇迦之御魂神、その神使じゃ。まあ、カミノイイナリとも呼ばれるがのう」
「君が、神の……」
そんな到底信じることの出来ない話でも、これもまたすんなりと受け入れる事が出来た。
むしろ、そっちの方が驚きだ。
「して、この窃盗という怪奇現象は、紛うことなき同胞の仕業じゃ」
「同胞ってことは、神使が犯人ってこと?」
「うむ……と言っても、崇拝するのは儂とは別の神じゃがのう。まあ、あまり神と呼びたくはないが」
そう言いながら白狐は突然、深く頭を下げた。急なことに戸惑い、オロオロしてから頭をあげさせようとすると――。
「儂はお主を巻き込みたくは無い。じゃが儂の力では到底及ばなかった」
「もしかして、あのときの怪我って……」
慎太郎が伏見神社の奥の草を掻き分けて白狐を見つけたとき、全身傷だらけで血まみれだった。その状態から今の元気な姿に戻れたのは、慎太郎の力のお陰だと言う。
慎太郎は特に何かに秀でている訳ではない。看護だって勉強したことも無ければ、経験さえ無かった。その為、白狐が回復したのは持ち合わせた回復力のお陰だとずっと思っていた。
だが神使である白狐に、人の治療は効くだろうか?
その答えは否。
「我らは全て、人々の信仰によって成り立っておる。お主は、無意識に儂らの神を信仰していた――だからこそ、儂は死期を乗り越えられたのじゃ」
「僕が……信仰していた?」
「じゃが、それだけではあまりに足りぬ」
たった一人の、曖昧な信仰心だけではどうにもならない。だが、ある事実によってそれは補うことが出来たのだった。
「お主……人にしては随分と、神気を持ち合わせておる。それも、今の儂と同等にのう」
神気は文字の如く、神の気である。これを持ち合わせれば人であっても神に触れることが出来るようになる。
ただ、神気は誰でも持ち合わせてはいるが計れないほどの極微量らしい。
だが、慎太郎の神気は神使である白狐並み強さを持っているらしい。
「だからこそ、お主に力を貸して欲しいのじゃ。此度だけで良いのじゃ。この通り、頼む」
僕はずっと、誰からも必要とされることは無いと思っていた。だから、正直何をしてもどうでも良かったし、何をしても面白くなかった。
――生きる意味が無かった。
そんな僕に、君は生きる意味をくれているようで……それがとてもとても、とても嬉しかった。
だから、答えはもう決まっている。
「僕は――何をすればいいかな?」
「お主……礼を言うぞ、ありがとう。そう言えば名を聞くのを忘れたようじゃな。」
儂の名は稲荷。神使、稲荷じゃ。
僕は、慎太郎。御先 慎太郎だよ。
「そうか……慎太郎か。うむ、良き名じゃ」
今日まで色が無かったただの世界が、ようやく鮮やかに色付いた瞬間だった。
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