上 下
82 / 214
そして影は立ち伸びる

あの子たちが一体、この世界に何をしたっていうのよ!

しおりを挟む
――現在――

 日はすっかり沈み、夜空には美しく欠けた三日月が浮かんでいる。自分が出発した日の前の夜は満月だったのに、もうこんなに月日が流れたのか。時の流れを実感しながらも、サンは、ハクダにて日課のランニングを始めていた。

 足元にある数えきれないほどの廃棄物をかわしながら、サンは、走りを進めていく。

 ――俺は、何のために戦っているんだろう。

 サンはずっと、あの施設でカナハと話してからそればかりを考えていた。

 名目状自分は、カナハの大切なものを奪い取る立場にある。だが、カナハやトゲは決してサンにとってどこか道を外した人たちではなかった。戦乱中でスラム街に住むという辛い境遇の中、少しでも強く生きようとしている、あまりにも美しい人たちだった。

 しかし彼は知っている。カニバルにだってそんな人たちがいるということを。ジャカルやベアリオのように未来の平和を信じて戦う者がいるのだということを。

『お前はこの戦争の経緯を知らない! 歴史を知らない! 視野を広げれば容易くひっくり返る脆弱な正義が、信念であってなるものか!』

 ふとサンは、ゲッコウの言葉を思い出す。視野を広げれば容易くひっくり返る、ゲッコウはこのことを自分に言っていたのだろうか。サンは自身の頭で考える。レプタリアにもいいやつはいて、だからこそ、視野を広げれば自分が簡単にカニバルのために武器を取れなくなる。そういう意味でゲッコウは自分にそういうことを言ったのだろうか。でもだとしたら、歴史を知らないというのは何なのか。

 ぐるぐると混乱に混乱を重ねるサンの頭。適度な運動をこの身に施しているというのに、気分がちっともよくならない。

 そんな周囲も気分も暗闇の最中、サンはふと、開けた広場に見知った影を見つけた。

 ――ん? あれはまさか?

 それは、カナハだった。

 咄嗟にサンは物陰に隠れる。もちろんカナハだけであるならば、サンは決して身を隠す必要などない。ただ再び会話に興じればいいだけのことだ。

 しかし、今回ばかりはサンは、彼女から隠れなければならない理由があった。それは、彼女の話し相手が他ならぬアリゲイトだったからだ。

 ――うそ、マジかよ。本当にネクが言った通りだとは。

 サンは改めて、カナハの話し相手を盗み見るが、その容姿は、ネクやシェドから見せてもらった写真と相違ない。

 確かに、カナハとアリゲイトがいつごろあったのかはわかっていなかった。だから彼がここ数日の間に来ても何らおかしくはないのだが、まさか今日だとは。

 サンは息を潜めて彼らの会話に耳を傾ける。もちろんサンには盗聴趣味などはない。だから本来はサンはこんなことはしたくないが、そんな気分で貴重な情報を得るチャンスをすてるのはカニバル軍に申し訳ない。サンは、呼吸の音すらも惜しみ、会話の内野に聞き耳を立てた。

 カナハがアリゲイトに対し重々しく口を開く。

「ゲッコウが死んだんですってね」
「……なんだ、知っていたのか。ああ、そうさ。特に死体は見つからなかったが、あのシェドってやつと戦って敗北したんだと。とすると状況的にも死んだとみるのが確実だろう」

 カナハと目を合わせることなく、つぶやくようにそう声を発するアリゲイト。そんなアリゲイトに怒りをあらわにしてカナハは静かに言う。

「ねぇ、アリゲイト。あなたいつまでこんなことを続ける気なの? もう誰もこれ以上戦争が続くことを望んでないわ! 南の峠も奪われたんでしょ。早く降伏しましょう」
「おいおい、降伏してどうなるんだよ? あいつらはカニバル先代国王の意志を継いでるんだろ。俺たちは、支配されていいように使われるようになる。そんな日々をこの土地の皆に過ごさせるくらいなら、希望にかけて戦った方がマシだ」
「何がマシなの? その戦争の中で沢山の獣人が命を落とすのよ! 私たちのように親を失う子どもが増えていくの! ねぇ、ふざけないでよ。あの子たちが一体、この世界に何をしたっていうのよ!」

 ピリピリとあたりに響き渡る声。それは虚偽でもなんでもない本物の怒りを包括していた。なんだ、やっぱり、カナハはいい奴じゃないか。サンは、彼らの会話を聞きながら、それを確信する。

 返す言葉もないアリゲイトは、頬をポリポリと掻いていた。そしてそのまま、カナハとは対照的に冷めたような声で彼女に語る。

「べつに何もしてないけどよ。なあ、カナハ。今日お前のところに来たのはこんな問答をするためじゃない。いい加減、都市部に来ないか? 子どもも連れてきていい。だからこのハクダを捨てて、こっちに来い。ここは南の峠に近いから危険なんだ。カニバル軍はあまり民間人には手を出さないが、変な輩がいないとも限らない」
「いや、私はどこにも行かない」
「カナハ」

 カナハは、胸を張りさらに声を張り上げていく。きっとその姿が、客人に対してまとうベールを脱いだ、彼女の素の姿なのだろう。

「だって、ここは私たちの思い出の場所じゃない! アリゲイト! 私たちはここで平和を目指して戦った! みんなのために戦った! それなのにあなたは! ゲッコウは! マムスは! この地を去っていってしまった! それなのに……この地までなくなってしまったら……私たちの思い出は……消えてなくなっちゃうじゃない……」

 目に涙をいっぱいに浮かべ、どうにか最後まで言葉にするカナハ。アリゲイトは拳を握りしめ、ただじっと俯いている。彼女の言葉に彼も何か思うところがあるようだった。

 何も言葉を返さないアリゲイト。そんな彼に対して、カナハは、言葉を重ねる。

「……私、帰るわ。私はこの地を捨てる気はないもの。じゃあね、アリゲイト。……あなたは、死なないでね」

そして後ろを向き、去っていくカナハ。アリゲイトはそんな彼女に言葉をかけることはなく、ただその背中を黙って見送っていた。

 カナハの姿が消え、見えなくなった頃、アリゲイトはふーっと一つため息を吐き、不意に言葉を発する。

「振られた男の姿を盗み見るなんて随分と趣味が悪いじゃねぇか」

その瞬間、彼が勢いよく腕を振り抜く。そして、その瞬間、白い歯のような飛来物がシュタタタタと彼の隠れていた建物に突き刺さる。

 ――バレた? まずい、一度逃げてシェドたちを呼んでくるか? ……いや。

 サンは、覚悟を決めて物陰から出でて両方の目でアリゲイトを見据える。大きく鍛えられた体に、堅固な鱗。そして、気怠げながらもどこにも隙を感じさせない目。彼から滲み出る強者のオーラから、彼がゲッコウより強いということをサンはすぐに理解した。

「気づいてたんだな」
「ああ、だいぶ前になぁ。やっぱり若いやつだろうなと思ったんだ。あれじゃ気配は消しきれないぜ」
「なんでしぼらく放っておいたんだよ?」
「カナハにはなるべく戦いとは無縁の場所にいてほしいんだ。だからあいつが帰るまでお前に気づかないふりをした。なんの獣の風貌もしていない男、部下からは聞いたが、せっかくだし、名乗らせてやるよ。お前何者だ?」

 サンは、力強く目の前の男を見つめ、手にペンダントを当てながら言葉を投げる。

「俺は、カニバル軍シェド隊の、サンだ」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

千年巡礼

石田ノドカ
ファンタジー
 妖怪たちの住まう世界に、一人の少年が迷い込んだ。  見た事もない異形の蔓延る世界だったが、両親の顔を知らず、友人もいない少年にとって、そこは次第に唯一の楽しみへと変わっていった。  そんなある日のこと。  少年はそこで、友達の咲夜を護る為、命を落としてかけてしまう。  幸い、咲夜の特別な力によって一命は取り留めたが、その過程で半妖となってしまったことで、元居た世界へは帰れなくなってしまった。 『方法はないの?』  方法は一つだけ。  妖たちの宿敵である妖魔の長、『酒吞童子』を、これまでと同じ『封印』ではなく、滅することのみ。 『ぼく、こんどこそ、さくやさまをまもるヒーローになる!』  そんな宣言を、仲の良かった妖らは馬鹿にもしたが。  十年の修行の末——  青年となった少年は、妖たちの住まう国『桜花』を護るための部隊へ所属することとなる。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

弟子に”賢者の石”発明の手柄を奪われ追放された錬金術師、田舎で工房を開きスローライフする~今更石の使い方が分からないと言われても知らない~

今川幸乃
ファンタジー
オルメイア魔法王国の宮廷錬金術師アルスは国内への魔物の侵入を阻む”賢者の石”という世紀の発明を完成させるが、弟子のクルトにその手柄を奪われてしまう。 さらにクルトは第一王女のエレナと結託し、アルスに濡れ衣を着せて国外へ追放する。 アルスは田舎の山中で工房を開きひっそりとスローライフを始めようとするが、攻めてきた魔物の軍勢を撃退したことで彼の噂を聞きつけた第三王女や魔王の娘などが次々とやってくるのだった。 一方、クルトは”賢者の石”を奪ったものの正しく扱うことが出来ず次第に石は暴走し、王国には次々と異変が起こる。エレナやクルトはアルスを追放したことを後悔するが、その時にはすでに事態は取り返しのつかないことになりつつあった。 ※他サイト転載

転生先が同類ばっかりです!

羽田ソラ
ファンタジー
水元統吾、”元”日本人。 35歳で日本における生涯を閉じた彼を待っていたのは、テンプレ通りの異世界転生。 彼は生産のエキスパートになることを希望し、順風満帆の異世界ライフを送るべく旅立ったのだった。 ……でも世の中そううまくはいかない。 この世界、問題がとんでもなく深刻です。

LUF〜Connect Legend〜

ふずきまる
ファンタジー
神話 それは世界の歴史を作ってきた物語 その神々は世界を作ってきた その神々や英雄が今、現実の世界の能力として、パートナーとして扱われる 敵勢力との対戦、恋愛、そして異世界への転生… 全てはこの話に詰まっている

ドグラマ3

小松菜
ファンタジー
悪の秘密結社『ヤゴス』の三幹部は改造人間である。とある目的の為、冷凍睡眠により荒廃した未来の日本で目覚める事となる。 異世界と化した魔境日本で組織再興の為に活動を再開した三人は、今日もモンスターや勇者様一行と悲願達成の為に戦いを繰り広げるのだった。 *前作ドグラマ2の続編です。 毎日更新を目指しています。 ご指摘やご質問があればお気軽にどうぞ。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

異世界転移したロボ娘が、バッテリーが尽きるまでの一ヶ月で世界を救っちゃう物語

京衛武百十
ファンタジー
<メイトギア>と呼ばれる人型ホームヘルパーロボット<タリアP55SI>は、旧式化したことでオーナーが最新の後継機に買い換えたため、データのすべてを新しい機体に引継ぎ、役目を終え、再資源化を迎えるだけになっていた。 なのに、彼女が次に起動した時にいたのは、まったく記憶にない中世ヨーロッパを思わせる世界だった。 要人警護にも使われるタリアP55SIは、その世界において、ありとあらゆるものを凌駕するスーパーパワーの持ち主。<魔法>と呼ばれる超常の力さえ、それが発動する前に動けて、生物には非常に強力な影響を与えるスタンすらロボットであるがゆえに効果がなく、彼女の前にはただ面倒臭いだけの大道芸に過ぎなかった。 <ロボット>というものを知らないその世界の人々は彼女を<救世主>を崇め、自分達を脅かす<魔物の王>の討伐を願うのであった。

処理中です...