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【個別】ダリオ・ドゥーガルド

6章 手荒い歓迎

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《ダリオ! 君は私情を挟みすぎだ! 王室スタッフって……どれだけ話を盛るんだ!》

 おかげでこっちは色々調整するのに大変だったんだぞ、というバーンハード王子の声がスマホ越しに聞こえてきた。

「それを何とかするのが王子の役目だろ」

 素気なくそう言って、ダリオさんはスマホから耳を離した。

 ――ダリオさんが私や叔父夫婦の前で衝撃発言をしてから、早一週間が過ぎようとしていた。

 瞬く間にヴァンリーブ王国へ出国する手続きは進んでいった。
 ……私は手続きをした覚えが全くない。なお、私たち親子を出国させる手続きが相当面倒くさかったようで、ダリオさんにはめちゃくちゃ文句を言われた。早く手続きするよう圧力をかけろとか何とか要望おどしを押しつけられたグレイさんからもグズグズ言われ…………パスポートを持っていないと、手続きが複雑化するものなのだろうか。
 何はともあれ、全てダリオさんが手続きをしてくれたのだ。どこまで世話焼きな人なんだろうと思う。

(意外すぎ)

 ちなみに、本当は母も一緒の飛行機に搭乗する予定だったのだが――大事があったらいけないとのことで病院スタッフと共に三日前、一足先にヴァンリーブ王国へ立っている。

 見送りに行った際に母から言われたのが、

 ――すごいじゃない、マドカ。ヴァンリーブ王室スタッフとして引き抜かれたんでしょう? そのおかげでお母さんもヴァンリーブへ行けるなんて……本当にありがとう!

 という言葉だった。

 ――うん、そうなんだよねー。私の語学力がこんなに役立つ日が来ることがあろうとは思わなかったよー。

 遠い目をしつつ、私は母の発言に対して口裏を合わせた。




 冒頭の、バーンハード王子から怒りの電話が来るのも納得のぶっとび設定である。
 バーンハード王子は、私を王室スタッフとして雇用すると見せかけるため、母が入院する予定の病院への箝口令やその他もろもろの手続きに、ひどく追われたらしい。


 そして本日。


 ようやく私とダリオさんもカムジェッタ国からヴァンリーブ王国へ出国する手続きが全て完了し、空港へとやって来ていた。

 なにげに私、初海外でかなりドキドキだったり。

 空港には、私たちの見送りにアマネ様やグレイさんたちが集まってくれていた。

「気をつけて」

 アマネ様は端的にあいさつをしてきた。

「お見送りして下さって、ありがとうございます」
「ああ……」
「マドカちゃーん」

 うるうるした目でグレイさんが私を見つめてくるが、あえてそちらを見ずスルーする。
 早く帰ってきて~という彼を、セルジュ様とモルテザー様が苦笑気味で押しとどめている。
 そんな面々の後ろには、ベルナルト皇子の姿もあった。
 きっとグレイさんあたりに連れられてきたのだろう。渋々来た、というのを表情全面に出している。

「……ダリオ、くれぐれも彼女に負担がないような事情聴取を――」
「わーかってる。アマネ、オマエ……マジで頭打ったか? そんなに気にするなんて」
「いや、そうじゃないけど……」

 アマネ様は口ではそう言うものの、ものすごく心配そうな顔をしている。

「マドカさんのご家族は見送りに来ていないのですか?」
「やっぱモルテザーは目敏いよな。極秘で発つから、遠慮してもらった」
「ああ、なるほど」

 私はやいのやいのと盛り上がる彼らを尻目に、搭乗予定の自家用ジェットを見て唾を飲み込んだ。

(初飛行機が自家用ジェット……)

 ダリオさんが所有しているという自家用ジェットは、普通の飛行機に比べて小さい。
 ……中学の頃、社会科見学の授業で取材用ヘリコプターに乗ったことがある。
 あの時は酷い目にあった。ヘリコプターの騒音と、揺れ。
 船酔いに近いものを感じ、終始ぐったりして外を眺める余裕もなかった。
 そのため、自家用ジェットを見て真っ先に思い浮かんだのは当時のめちゃくちゃきつい記憶だった。
 小型だから、あれくらいの揺れは覚悟しなければならないだろう。

 ……と、ベルナルト皇子と視線がかち合う。ふいっと目を逸らされて終了、と思いきや――。

「お前……ダリオに感謝しておけよ」
「え?」
「お前の母君の治療費は――――」
「ベルナルト!」

 強引にダリオさんは私とベルナルト皇子の間にカットインしてきた。ベルナルト皇子はハッとして唇を引き結ぶ。
 そこへSPがやって来て「ダリオ様、そろそろ離陸致します。ご搭乗願えますでしょうか」と告げた。
 わかった、と首肯した彼は見送りに来てくれた面々をぐるりと見渡す。

「じゃあな」
「気をつけて」
 温かな言葉を贈ってくれたアマネ様の後ろで、ベルナルト皇子が鼻を鳴らした。

「オマエの顔を見なくて済むと思うとせいせいする」
「ああ!? それはオレのセリフだ!」
「まあまあ、送り出す時くらい喧嘩しないで下さい」

 ダリオさんとベルナルト皇子による安定の言い合いをモルテザー様がいなし、横にいたセルジュ様は一言「……騒がしい」と嘆息し……。

「……最近、ヴァンリーブ王国内で頻繁にテロが起きてるみたいだから……気をつけてね」

 サラッと不穏な忠告をしてくる。

 え、と固まっている私に対してグレイさんも、うんうんと頷いた。

「確かに……。カムジェッタでもちょこちょこ話題になってるよね~。ヴァンリーブでのテロ行為。ま、ダリオが一緒なら大丈夫でしょ♡ マドカちゃん! 身に危険が迫ったら、ダリオを盾にしてでも生き延びるんだよ? ちゃんとカムジェッタに戻ってきて、また一緒にワイワイしようね♡」
「……ご遠慮します」

 ひどい! という抗議をグレイさんから背中に浴びながら、私は極秘搭乗口へと向かうダリオさんの後を追う。




 ――こうして、私とダリオさんはヴァンリーブ王国へ旅立ったのだった。





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「すごい……すごすぎます! まるでリムジンが飛んでるみたい……っ」

 自家用ジェット機内で、私は感嘆の声を上げる。

「海外行くの初めてですけど、まさか初めての海外への旅がこんな素敵な自家用ジェットなんて……」

 イメージしていた取材用ヘリコプターの乗り心地とは全然違った。
 まさに“快適な空の旅”という言葉がぴったりと当てはまるような心地よさだ。揺れも全然感じない。
 しかも、料理人も搭乗しているという完璧ぶり。
 私は目の前にずらりと並ぶヴァンリーブ料理を、ひたすら片っ端から食べていた。

「んー、おいしいです! 空飛ぶレストランって感じですね」

 幸せいっぱいな気分で料理を味わう私と、それをゆったりとしたソファでしげしげと眺めているダリオさん。
 ……何だか、ダリオさんの肩が震えているのは気のせいだろうか。

「…………ぶっ」

 堪えきれずに噴き出しました、という感じでダリオさんは大笑いしだした。
 何故彼が笑っているのか理解できず、私はキョトンと瞬きした。
 ダリオさんは笑いすぎて涙目になっている。

「いきなりどうしたんですか?」
「いや――豪華だうんぬんは言われたことあるが――『リムジンが飛んでる』だの『空飛ぶレストラン』だの……そんな感想もらったのは初めてだ」
「あ…………」

 頬が熱くなる。
 子供っぽいはしゃぎっぷりを見せてしまった。
 しかし、初めて体験する海外旅行がこんな豪華なものだったら、誰だってはしゃいでしまうはずだ。うん、きっとそう。
 私は自分にそう言い聞かせ、黙々と料理を食べ続けた。



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 極秘裏に、ヴァンリーブ王国の首都にある小さな空港へとダリオさんの自家用ジェット機は降り立った。
 大きな空港だと目立つだろうということで、自家用ジェット機や軍部の飛行機などしか着陸しない空港を選んだらしい。
 もちろん、ダリオさんや私が乗っているということは警察内部の人間の一部とヴァンリーブ王室しか知らされていない。

「ほら」

 ダリオさんは先に自家用ジェット機から降り、私に手を伸ばした。
 そんな、エスコートみたいなことをされたことがない私は戸惑いながらもその手を取る。
 無事地面に足がつくと同時に離れる手と手。
 もどかしいような、気恥ずかしいような、変な気分になってしまった。
 しかし、ダリオさんは全く意に介していないようだ。
 彼がスマホを手に取った――と、そこへ。

「ダリオ・ドゥーガルド警部!」
「お迎えに参りました」
「あ? ……到着が早いな。今日は一日天気は晴れか?」
「はっ」

 彼らは何かをダリオさんへ見せる。そして、何かしらの暗号めいたことを口にした。
 きっと、ダリオさんが言ったことは警察官内の合い言葉だったのだろう。
 ダリオさんは警察官たちの行動・言動に納得したのか、軽く頷いた。

 警察官たちに促されるまま、ダリオさんと私、SPたちは空港の前に用意された車へと足を向ける。

 空港内には一部規制が敷かれていたため、誰にも見られることなく目的地に辿り着くことができた。

 空港前には警官たちが長官に言われて手配したという車が二台あった。
 一台は警察本部へダリオさんを運ぶためのもの。そして、もう一台は私の事情聴取を担当する市警察署へ運ぶものだという。
 私は言われるがまま車へ乗り込もうとした…………が。

「待て」

 グイッとダリオさんに腕を引かれ、寸でのところで車へ乗ることができなかった。

「何するんですか」
「…………オマエら、何者だ」

 警察官たちを見やり、ダリオさんは何の躊躇いもなく拳銃を向けた。

「ドゥーガルド警部?」
「ダリオ様……?」
「SP! ボケッとしてねーで、ソイツらを取り押さえろ! ソイツら警官じゃねえぞ!」
「くっ……」

 警察官たちは顔を歪め、いきなり踵を返して全速力で走り出した。
 ダリオさんは銃を発砲する。銃弾は彼らの太ももに命中したようで、二人ともその場に崩れ落ちた。

 発砲音を聞いた瞬間、強い痛みが脳内を駆け巡り、思わず座り込んでしまう。

「! 何してんだ!」

 ダリオさんはそんな私を抱え込んで駆け出した。その後に、足を負傷した男たちを抱え上げたSPも続く。

 ……ちょっと前に体験したばかりのパターンだ。

(もしかして……)

 地面の下から轟くような音がしたと思ったら、熱い風が頬を切る。

「………………」

 私は、自分が乗る予定だった車が完膚なきまで粉々に爆破されたのを見つめていた。

 ――世界一豊かだと謳われるヴァンリーブ王国。

 そんな王国に初めて足を踏み入れた私への歓迎は、いささか手荒すぎるものだった――……。



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『おかしいと思ったんです』

 ダリオさんは吐き捨てるように言った。

『あんな下っ端警官がオレを迎えに来たことなんて一度もなかったですし。それに……保護対象である倉間マドカと別の車に乗せようとしていたところからして怪しかった』

 私とダリオさんは、空港で起こった爆破事件について報告するために揃って警察本部を訪れていた。

『良かったよ、無事で。報告を受けた時、思わず取り乱しそうになった』

 穏やかな口調と物腰の男性――ヴァンリーブ王国警察内にて最も地位が高い“長官”の座にある初老の男性は微笑んだ。

『……無事なのは当たり前です。まだ死ねませんから。コイツにもテロ組織の情報を証言してもらわねばなりませんし』
『ああ、そのとおりだ』

 ダリオさんは先程遭遇したばかりの爆破事件について、事細かに長官へ報告している。
 爆弾を仕込んだ車を用意したと思われる二人組の男は、本物の警察官を襲って拷問し、警察内部の情報を手に入れたらしい。
 その上で、特殊メイクを施してダリオさんと私の前に現れたようだった。
 このことから、合い言葉や警察証明書以外にも何か対策を講じなければならない……云々ということをダリオさんと長官は話していた。

『警察内部にもテロリストと繋がっている輩がいると思われます。引き続き、内部の動きを監視致します』
『頼むよ。国王様にも申し上げて、何とか対応策を考えるようにする。来週おこなわれる議会でも議案として提案するから』

 ……国王様に提言する、議会で提案する……。

 そんなことができる地位にある人と普通に話せているダリオさんは、本当にすごいと思う。
 いや、カムジェッタでも各国の王子やら次期首相たちと対等に話していたけれど。

(ていうか、それだけダリオさんも偉い人だということなんだよね。二人で喋ってるときは、その事実を忘れそうになるけど)

「そう言えば、バーンハード王子が移送してきた――カムジェッタにて緊急逮捕した男だが――」
「ああ、あの小太りの……」
「先ほど、牢内で自殺したらしい」

 思わず息を呑んだ。

「最期まで、何も吐かなかったそうだ」
「……獄死させるなんて……見張りは何をやってたんだよ……」

 ダリオさんは唇を引き結び、ぎゅっと拳を握りしめた。



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 翌日から、私はヴァンリーブ王国市警察署内で保護されることとなった。
 本当はすぐに母へ会いに行きたかったけれど、母は検査ざんまいらしく。落ち着いてから会いに行くことにした。
 ……様々な言語を聞かされながら容疑者リストにある写真を確認させられる日々。
 そんな生活も、気づけば2週間が経っていた。

 私に割り当てられているのは、何とも質素な部屋。
 独房と言っても過言じゃないのではないだろうか。
 暮らすのに支障はないが、こんな部屋に割り当てられるなんて……。まるで犯人扱いである。


『すごいね、マドカさんって』
『クリス、別にそこまですごくないよ。ただ、ヴァンリーブ語を喋れるってだけでしょ?』
『でもさ、ルイス。他の主要国の言語全部喋れるってダリオが言ってた。すごくない?』
『……まあ、ね』

 この二人組、私に昼ご飯を届けにきてくれたはずにも関わらず二人で勝手に盛り上がっている。
 彼らはダリオさんと同じく警備部に所属するクリストファーさんとルイスさんだ。
 私の食事を運んできてくれるのは、ほとんどこの二人である。

『あのう……』
『何?』
『そろそろ、ご飯をもらいたんですが……』
『ああ、ごめんね。はいどうぞ』

 クリストファーさんは申し訳なさそうな顔をして、スープとパン、サラダにソーセージとゆで卵がのったトレイを差し出してくる。
 ……冷え冷えだ。

 かれこれ三十分間も二人で喋っていたのだから当然だろう。
 ……この部屋にはレンジがないので温め直すこともできないのが切ない。

「倉間」

 周囲に溶け込む暗い色合いの髪と瞳。
 いつ何時も崩さないポーカーフェイス。
 不満たらたらな顔をして昼ご飯を食べていた私のもとへ、ノアさん――もとい、ダリオさんがやって来た。

『ノア中佐、お疲れ様です』

 クリストファーさんたちは声を揃えて敬礼する。

『お疲れ』
『今日も倉間マドカの護衛ですか? 大変ですね、軍部所属なのに』

 ルイスさんが同情の眼差しをダリオさんノアさんへ向けた。

『ああ。ダリオ警部の指示だから仕方ない』
『ダリオも軍部に護衛を頼むだなんて……ぶっ飛んでますよね』

 飄々とした顔で言うダリオさんノアさんに対し、クリストファーさんが肩をすくめてみせた。

『倉間は例の特殊犯罪組織に属する者を目撃しているからな。軍部も保護するべき人物として認識している』

 すまし顔でダリオさんノアさんは受け答えをしている。
 ノアさんがダリオさんだということを知ってしまっている私にとっては違和感たっぷりだ。

 ……ダリオさんがノアさんの姿でここへやって来るのには理由がある。

 警察の上層部が、ダリオさんが私を護衛するのを反対したためである。
「次期長官とも言われている人物が、ただの外国人――しかも一般人――を護衛するのを容認することはできかねる」と言われたらしい。
 ダリオさんは、私の護衛をどんなに粘っても自分じゃできないと悟るや否や…………“ノアさん”とここにいる2人の警官――クリストファーさんとルイスさん――を私の護衛に指名した。
 警察内部に特殊犯罪組織の構成員・情報提供者が紛れ込んでいる可能性があるため信頼できる人物に倉間マドカの護衛を任せたい、と他の人の意見を考慮することなく断行したらしい。

『ちょっと倉間と出てくる』
『かしこまりました。ダリオには……』
『既に許可をもらっている』

 了解です、とクリストファーさんは頷いた。

『いってらっしゃい。……よしクリス、僕らはマドカさんがここに戻ってくるまで休憩しとこう』
『そんなのできないよ、ルイス。事務仕事が溜まってるし』

 ルイスさんは露骨に嫌そうな顔をして、肩を落とす。
 そんな彼らを置いて、私とダリオさんは部屋を出た。



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「えーっと……………………『魚のゴミ溜め煮』!?」

 市場に出ているお店の軒先に掲げられているボードを読んだ私は、思わず二歩後ずさった。

「んなわけあるか。『魚のごった煮』だ」
「あ、ああ……そうですよね! びっくりしました」
「オマエ、本当に会話だけなんだな」
「そうです、各国の言語で会話できることだけが取り柄です」
「自慢げに言うな」
「公用語であるカムジェッタ語も不自由なダリオさ――ノアさんには言われたくありません」

 いけない。思わず“ダリオさん”と呼んでしまうところだった。
 ダリオさんノアさんは眉根を寄せる。

「オマエ…………それがあの部屋から連れ出してやったオレに対する態度かよ」
「う……っ」
「別に、今すぐUターンして戻っても良いんだぜ?」
「…………鬼」

 もっとオレに感謝しろ、とおきまりのダリオさんノアさんの言葉。私はそっぽを向いて口をへの字に曲げた。

「ま、せっかくヴァンリーブへ来たんだ。いつでも自由に観光しろよ……とは言えないが、オレがいるときくらいは好きに回れよ」
「……意外といいところあるんですね」
「意外と、は余計だろ」

 カムジェッタ国にはないお菓子や洋服。そして、本……。
 街中を漂う香りもメイクも、色んなものが刺激的だ。まるでキラキラした宝石みたいに見えて、ワクワクする。

「こうして歩いていると、特殊犯罪組織の構成員が潜んでいる国とは到底思えませんね。すっごく素敵」
「ああ……」


 ……と、そこへ着信音が鳴り響いた。


 ダリオさんは両ポケットに手を突っ込み、スマホと携帯のどちらも取り出した。

 彼はスマホが鳴っているのを確認し、喉元に手を当てて変声機を取り去るとダリオさんの声で応答した。

「どうした。…………わかった。すぐさま急行する。GPS情報を送ってくれ」

 電話を切ると、ダリオさんはこちらに目をやった。

「ちょっと付き合え」
「え!? ちょっと待って下さい。あのソフトクリームを……」
「あとで買ってやるから!」

 ダリオさんは私の襟首を掴むと、そのまま私をズルズルと引きずりながら歩き出した。



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 スマホ画面を見ながら歩き続けるダリオさん。
 疑問符を頭の中にいっぱい詰め込んで、後に続く私。

(いきなり何? ていうか、もう路地裏とか勘弁してほしいんですけど……)

「……いた」
「!」

 ダリオさんは特殊マスクをバリッと剥がす。そして、どこからともなく取り出したサングラスを装着した。

「……強盗犯みたいですね」
「オマエ…………マジで一度しめるぞ」

 言いつつ、ダリオさんは私の肩を抱いた。

「!?」
「いいから黙ってろ」

(だ、黙ってろと言われても……!)

 私はダリオさんに引きずられながら、路地裏を出た。

 目の前にあるのは、ホテルだ。

 ……ホテル。
 うん、ホテル。
 …………。
 ………………。

 普通のホテルではなく……あれだ。

 ブティックホテルラブホテルというやつだ 。

 ダリオさんは迷うことなくそのブティックホテルラブホテルに足を踏み入れた。

「は!?」
「だから、黙ってろって言ってんだろ!」
「……失礼しました」

 ダリオさんに小声ですごまれ、その気迫に負けてしまった。


 部屋に入った途端、ダリオさんは何やらマッチ箱サイズの機械を取り出し、イヤホンで何かを聴き始める。

「ダリオさん……何してるんですか?」
「見てわかるだろ、盗聴だ」

 サラッととんでもないことを言ってのけるダリオさんに、私はのけぞった。

「とととと盗聴!?」
「ちっ……どの部屋だ……?」

 ダリオさんが操作している盗聴器は、私がカムジェッタ・ホテルで使っていたインカムみたいにチャンネルを切り替えることができるようだ。
 ダリオさんは眉間に皺を寄せ、カチカチとチャンネルを変えていき、お目当てのチャンネルに辿り着いたのか、黙り込んだ。

「あの――はい、すみませんでした。黙りますのでそんな睨まないでください」

 話しかけようとするも、ギッと睨みつけられてしまった。




 十数分くらいそうしていただろうか。




 ダリオさんは満足げに口角を上げ、鼻を鳴らした。

「バカだな、マジで。盗聴器が仕込まれていることも気づかないなんて、素人か」

 ダリオさんはホテルに備え付けの電話の受話器を持ち上げ、フロントに繋がる番号をプッシュする。

『調べはついた。部屋から出る気配は? ……そうか。10分後に突入するから508号室の施錠を解いておけ。ああ……捜査協力費用については後日振り込む』

 受話器を置いたダリオさんは私に目を向け……ようやく事情を明かしてくれた。

 ――追っていた薬の密売人が女性と一緒にこのホテルに入ったという情報を得たため、こうしてホテルへ滑り込んだらしい。
 密売人は基本的に女性へ薬を売る際にブティックホテルを利用するようだったので、
 行動範囲と思われるブティックホテルに協力を仰ぎ……あらかじめ盗聴器を仕込んでおいたのだという。
 防犯カメラはすぐ見破られる可能性があるし、細工をされてしまったら元も子もない。そのため、盗聴器にしたのだと彼は言った。
 密売現場を取り押さえることができなければ、密売人を捕まえることはできないことから、法律上はグレーゾーンな盗聴器を使った捜査を試みたそうだ。
 いや、あなたは警備課の人間なのでは……という疑問が浮かぶも、彼の立ち位置はすごく曖昧で……私にはよくわからないのでツッコミを呑み込んだ。

「とりあえず、犯人を確保してくるから大人しく待ってろ」

 そう言って、ダリオさんは部屋を後にした。
 ……ゴテゴテした装飾の部屋だ。
 タバコ臭いし、いかにも……な派手さを感じる。
 ふと目を転じれば、硝子張りになったバスルームとトイレが目に入った。

「……あーびっくりした……」

 ダリオさんが狂ったかと思った。こんなところに連れ込んでいかがわしいことをするのかと……。

(とは思わないけど。ダリオさんって、無理強いしなさそうだし…………って、何考えてるの、私!)

 ぶんぶんと首を振っていたら、小さくサイレンの音が聞こえてきた。
 外の光が入ってこないよう、きっちりと閉めてあるブラインドの隙間を指で開くと、ホテル前にパトカーが停まっているのが目に入った。
 パトカーから降り立つ警官。ホテル内から、ダリオさんと密売人と購入者らしき女性が出てきた。
 無事、密売人と薬物購入者を現行犯逮捕できたようだ。

 私がこっそり覗いていることに気が付いたのだろうか。
 ダリオさんがこちらを振り仰ぐ。
 彼は自信に満ちた笑みを浮かべ、こちらに向かって拳をかざす。
 私は反射的に、彼と同じく拳を上にかざした。




「…………まさかダリオさんと、ブティックホテルに入ることになるなんて……」
「あ?」
「いえ、何でもアリマセン」
「さーて、無事密売人もしょっ引いたし……付き合わせた詫びになんか奢ってやる。行くぜ」
「え~私、さっき食べ損ねたソフトクリームが良い~」
「安心しろ。今から行く店にもソフトクリームはあるから」
「やった!」



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 ダリオさんは連れて来てくれたのは、こじんまりとしたカフェ・レストランだった。

『いらっしゃいませ~』
『ん? ああ、ダリオくん!』

 行きつけのカフェ・レストランなのだろう。
 ダリオさんは馴れた様子で店長さんらしき人と挨拶を交わしてから、一目に付きにくい場所に位置するテラス席の一角を陣取った。

 そして注文をし終わった早々……。

「オマエ、良い意味でも悪い意味でもタイミング良いよな」
「なんですか、それ」
「オレ一人でさっきのホテルに潜入したら、絶対怪しまれただろうからさ。マジでオマエがいてくれてタイミング良かった。まあ……何と言うか……トラブルに巻き込まれやすい体質だな」
「そんな体質、嫌なんですけど」

 私はむっと眉間に皺を寄せたが、カフェの店員さんが「お待たせしました~」と持ってきたものを見た瞬間、一気にテンションが上がった。

「うわ~! うわ~……っ。ダリオさん、本当にこれ……奢りですか?」
「ああ、遠慮せず食え――って、言い終わる前に食うな!」
「お・い・し・い♪」

 頬に手を当てて、口の中いっぱいに広がる甘いパフェの味を堪能する。
 絶妙な甘さの爽やかな生クリームとフルーツ、そしてコーヒーテイストのクッキー。
 その全てが口の中で合わさり、一斉に音楽を奏で始める。

「幸せです……」
「良かったな」

 言いつつ、ダリオさんはコーヒーを口にした。

「ダリオさんは食べないんですか? パフェ、おいしいですよ」
「ん? ああ。そんな巨大パフェ、男は食べね――――」
『ダリオくん、珍しいね。いつもパフェ頼むのに。はい、これサービス』
『な…………っ。店長!』

 店長さんは笑いながら、テーブルの真ん中にバスケットを置いた。中には砂糖菓子でデコレーションされたカラフルなクッキーが詰め込んである。

『初めて女の子連れてきた記念に』
『オイ!』

 ぽかんとしている私に向かって、店長さんはウインクしてくる。

『ダリオくんは中学生のときからここに通ってくれてるんだよ。なのに、いつも来る時は1人でね~。おじさん、ずっと心配してたんだ。警部になっちゃって、このまま女っ気ない人生を貫く気だろうかねえ……って』
『んな心配勝手にするな! ていうか、コイツは女として認識してない!』
『!? ダリオさん、私一応女ですけど!』
『あ!? そんなことわかってる!』
『じゃあ女として認識してないってどういうことですか! 男って言いたいんですか!?』
『そうじゃねえよ。…………あーくそっ』

 ダリオさんは髪を掻き毟り、嘆息した。
 私はふくれっ面で彼を睨みつける。

『仲良しだね~。癒されるよ』
『どこが(ですか)!』
『まあまあ。そんなカッカせずに食べてよ。ダリオくんにもパフェサービスするから。ね?』
『………………マジで?』
『うん、マジ』
『わかった。今日のところは倉間と喧嘩しないでおく』
『よし、ちょっと待ってて。スタッフに持って来させるよ』
『サンキュー、店長!』

 コロッと態度を変えるダリオさんに、私は肩すかしを食らったような気分になる。

「パフェでつられるって……」
「しょうがねえだろ。本当は食べたかったんだから。でも、給料日前で金が……あ」

 しまった、という顔をするダリオさん。
 本当のことを言ったら私が気にするだろうと思って……何も言わずにコーヒーで済まそうとしていたのだろう。
 不器用すぎて、全く他人から気づかれることがないような彼の優しさに、じわじわと心が温まる。

「誤解すんなよ。別に金に困ってるんじゃなくてだな……。ただ、余分な金は引き出さないようにしているだけで……」

 必死に取り繕う様が何とも面白くて、私は思わず笑ってしまった。
 不服そうにしていたダリオさんだったが、店長さんが持ってきたパフェを見て私同様に表情を緩める。

 テーブルに零れ落ちてくる木漏れ日。
 表通りを行き交う人々の幸せそうな笑い声。
 柔らかな風が、テラス席の白いパラソルを揺らしながら私の頬を撫でていく。

「行き交う人たち皆、幸せそうな顔してますね」
「だろ? ……オレ、このカフェの料理も気に入ってるけど……一番気に入ってるのは、この席から見える景色なんだ」

 ダリオさんは、人々の笑顔を愛しげに見つめながら言った。

 ――この国が好きだ。

 ダリオさんの表情からは、そんな思いを読み取ることができる。

「大好きなんですね、ヴァンリーブ王国のこと」

 素直に答えてもらえるとは思っていないが、そっと呟いてみた。
 すると、ダリオさんは素直に頷いた。

「……ダリオさんが警察官になったのって、この国の人たちを守りたかったから……とか?」

 興味が湧いて訊いてみた。

「元々は、政治に関わる職業に就きたかったんだけどな。オレ、頭の出来が良くないアホだったからさ。自分は政治家に向いてないって10代前半で悟った。けど――」

 ダリオさんは言葉を切り、空を仰いだ。

「どうしても国のために働きたくて。政治に携われなくてもいい。……ダイレクトに、この手でヴァンリーブ王国を守ることができればって思って、警察官の道を選んだんだ」

 熱い言葉。
 キラキラ輝く瞳は希望と未来に充ち満ちた子供のようで。

「だからこそ――オレの命はこの国のものだ。それ以上でも、それ以下でもない。…………そう思って、仕事をしてる」
「え?」
「オレが死んだとして、国民が困ると思うか? ……そうじゃない。そんなことない。良い政治をおこなう者・国の治安をきちんと守る者がいれば、国は回る。だからオレは、この国を守れるなら、命だって惜しくない」

 突き抜けた考えだ。
 本気で命を賭ける人なんて――……。

(ううん。ダリオさんは冗談でなんか言ってない。本気で、言ってる)

 通りを行き交う人々を見つめるひたむきな双眸。
 タイガーアイの強い眼差しが神々しく、気高さを感じた。
 ……ごくりと唾を嚥下する。

 ダリオさんの思想は真っ直ぐだ。それはヴァンリーブ王国の警察官としてとても立派で、素晴らしいものだと言えるだろう。
 でも、国のために自分の命があると思っているということは。

(この人は国のために命をなげうつときが来るってことだ)

 どくん、と嫌な音を立てて頭の中に閉じ込めている何かが出て来そうになる。





 ――マドカ。――――は、この――――を守りたい。この国を守れるなら、命だって惜しくない。



 ――頼む、――――の元へ……。早く…………っ。





 ――ダメ。オモイダシテハ、イケナイ。





 怪訝そうな顔をして、ダリオさんが私の顔を覗き込んでいた。

「どうした? 急に黙り込んで……」
「……いえ……刹那的な考えだなあと思っただけです」

 頭が……ガンガンする。



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 ――夕方。

『ああ、ノア。ダリオを見なかったか?』

 室長――ダリオさんが所属する警備課警備部の室長――が困り顔で訊ねてきた。
 ヴァンリーブ警察署へ戻る前にノアさんへと姿を変えたダリオさんノアさんはすまし顔で答える。

『知りませんが……どうかされましたか?』
『いや~、さっき連絡ついたと思ったら担当事件の解決だけしてサッサと携帯の電源切っちゃったみたいでさ。困ってるんだ』
『ダリオ警部は昨日から長期休暇に入ると聞きましたが』
『ああ。でもな、ダリオが休暇に入ることをバーンハード様が知っていて……一週間後に王城で開催されるバーンハード王子の誕生パーティーへ参加させろという命令が来たんだ』

 ダリオさんノアさんの目が据わった。

『君、ダリオと仲が良いと軍部の人間から聞いたが……ダリオがどこで休暇取るかとか知らないかい?』
『さあ……存じ上げません。そもそも、休暇中であればパーティーなどに参加する気はサラサラないかと思いますが』

 ダリオさんは室長からの質問を華麗に一刀両断した。

『きっと、バーンハード王子は護衛を頼みたいだけのはず。代わりの者を立てては?』
『ああ。……バーンハード王子がその案で妥協してくれればいいんだが。……ダリオ、本当にどこにいるのやら……』

 意気消沈した様子で室長は去って行く。

(室長さん、あなたの目の前にダリオさんはいますよ!)



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『マドカさん、お帰りなさい!』
『ノア中佐、室長が聞きたいことがあるようで――』

 クリストファーさんとルイスさんがわっと駆け寄って来た。

『ダリオ警部の件ならもう聞いた』
『そうだったんですね。……というか』

 ルイスさんはダリオさんノアさんに向かって首を傾げる。

『ダリオの奴、ノアさん待ってるんじゃないですか?』
『え……?』
『ダリオ、言ってましたよ。ノアと休暇が一緒になったから、二人でバカンス行ってくるって』

 クリストファーさんがルイスさんの言葉を補完した。
 ダリオさんノアさんは小さく『そういうことにしてたっけな……』とぼやく。

『その間は僕たちにマドカさんの警護は任せて下さい! ちゃんとお守り致します!』

 ぐっと胸を張って胸板を叩くクリストファーさん。
 しかし、ひょろっとしている彼がその仕草をしても何だか不安になるのは私だけではないはずだ。

『……ダリオやノア中佐に比べたら頼りないかもしれないけど、きちんと守る。…………多分』
『こら、ルイス!』
『は、はあ――――』

 不安要素しかないんですけど。
 と、ダリオさんノアさんがハッとした表情をして『いや、待て』と制止をかける。

『倉間も連れて行く』
『は?』
 ダリオさんノアさん以外の全員の声が重なった。

『ダリオ警部にも言われてたんだ。倉間にも気晴らしが必要だろうって。休暇と言っても一週間そこらだし、倉間も連れて行く』
『えええええええ!? そ、それってOKなんですか!? 室長許さなそ――』
『知らん。強行突破だ』

 素っ頓狂な声を上げたクリストファーさんに、ダリオさんノアさんはしれっと言い放った。

『ノア中佐のそういうところ、ダリオそっくりですね……』

 ルイスさんはこめかみ辺りを押さえて溜め息を吐く。



 そりゃあ本人ですからね! ……と、私は心の中で叫んだ。


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