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【共通】プロローグ

6.

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 真後ろからした声に思わず振り返ると、目にも止まらぬ速さで誰かが私とアマネ様たちの間を駆け抜けていく。

 そして、少し遅れて長身の男性がやって来た。

「こんの……! オイ、すぐに追いかけろ」

 どうやら私たちの間を駆け抜けていった人を追いかけていたらしい長身の男性は、周囲にいたSP――のようで、そうでないような――軍人みたいな服装をした男性たちに指示を飛ばす。

「かしこまりました!」

 男性たちは長身の男性の指示に従い、すぐさま私たちの間を駆け抜けていった人を追う。

「……くっそ、マジかよ……。ようやく捕まえたと思ったのに……」

 くしゃっと髪を掻き混ぜながら、男性は呟いた。
 すらりとした手足に小さな顔。そんな顔を彩る切れ長の双眸はタイガーアイのような色をしている。
 そして、ちょっとくせのあるサラサラの髪は金褐色だった。

(なんか……めっちゃ怖そう。てか、SP?)

 チラチラ彼に視線を送っていると、男性と視線がかち合ってしまった。
 男性は腕組みをし、ギロリとこちらを睨んできた。

「あ? 何だよ、見んな」

(こ、怖っ!)

「はあ……」

 どうやら、相当先程の人物に逃げられたのが堪えているようだ。
 男性の溜め息は場の空気を一気に冷やすほど重く、深い。

「ダリオ……」

 アマネ様は長身の男性をそう呼んだ。
 ダリオさん、というのだろうか……彼はアマネ様の声に反応し、肩を竦めてみせる。

「探す手間が省けたな。アマネ、オマエのことも探してたんだ」

 そして、彼はアマネ様の横にいるグレイさんに目を転じた。

「ああ、グレゴリウスもいたのか。オマエも、皆待ってんぞ」
「ちょっとちょっと、何そのおざなりな言い方。『久しぶり~♪』って言葉くらいかけられないの?」

「ダリオ、もしかして……また?」
「ああ、逃げられた。こういうパーティーは嫌いなんだとほざいてな」
「あー……お疲れ」
「全くだ」
「ね、ねえ、二人とも。……ボクの存在無視しないでくれる!?」

(ベルナルト様やアマネ様もかっこいいと思ったけど……この人も、違う部類の美形……)

 美形オーラ、恐るべし。目映いばかりである。

「ねえねえ、マドカちゃん。ボクのことも見てよ~」

 グレイさんはそう言って、抱きついてくる。
 その拍子に、じんと足が痛んだ。

「……っ」

 どうにか何でもないように取り繕うも、内心痛くて堪らない。

「――オイ」

 ダリオさんはクイッと顎で出入り口の方を指し示した。

「オマエ、このホテルのスタッフだろ。ガーレ――支配人には伝えておいてやる。さっさと足、テーピングしに行け」

 どうやら、ダリオさんは私が足を痛めていることに気づいたようだ。その洞察力、恐れ入る。

「ですが、今抜けるわけには――……」
「そんな足引きずったまま会場にいられるのは迷惑だ。パーティーの場にぽんこつスタッフなんて要らねえんだよ」

 たしかに。
 ダリオさんの言っていることは尤もだ。
 だが、その言い方はどうかと思う。
 私が不服に思っていることを察知したのか、ダリオさんは眉間に皺を寄せて威嚇してきた。

「何か文句でもあるか? ないな。去れ」
「しかし……」
「オレがこうと言ったらこうなんだよ! 『どんくさい女』が!」
「な……っ!」

 『どんくさい女』!?

 きっと彼は、私がヴァンリーブ語を知らないと思って言ったんだろう。『どんくさい女』とは、数あるヴァンリーブ語の悪態の中でも最悪の部類に入る言葉である。
 私はグッと奥歯を食いしばり耐えた……つもりだったが。

『…………器の小さい男…………』

 …………本音が洩れてしまった。

 言葉を吐き出したことで、少しだけ気が晴れる。
 私はペコリとお辞儀すると、さっさとその場から去ろうとした……が。

「おい、オマエ。ちょっと待て」

 ダリオさんから鋭い制止の声がかかった。
 振り向いた先にあった彼の目は、怒りに燃えていた。

「今、『器の小せぇ男』とか言っただろ! 聞こえてんだよ」

 燃えるように苛烈な双眸が私に降り注ぎ、体温が上昇した。ドキドキして……なんて可愛らしい体温の上昇ではない。
 やばいことを言ってしまったという焦りから来る体温の上昇だ。

「オマエ、ヴァンリーブ語できるのか。……よりにもよって最悪な悪態吐きやがって。良い度胸だ。ヴァンリーブの男に向かってその言葉、タブーだって知っての暴言だな?」
「…………」

(どれだけ地獄耳なの!? ていうか自分も悪態吐いたくせに……ムカつく……!)

「落ち着け、ダリオ。聞き違いじゃないのか? 俺は聞こえなかった」
「ボクも聞こえなかったよ、ダリオ。ていうか、この子はそんなこと言う子じゃ……」

 アマネ様とグレイさんが庇ってくれるが、ダリオさんは憮然とした面持ちで心底見下した目を私に向けてくる。

「いーや、言った。間違いない」
「…………ま……た」
「あ?」

 うつむき加減で呟いた私に対して、ダリオさんが顔を近づけて威嚇してくる。
 私は思いきり顔を上げた。

「 『 言 い ま し た 』 って言ったんです!」

 もう、言ってしまったことは仕方ない。素直に言ったことを認めよう。

「失礼な口を聞いたことは……申し訳ございません。でも、あなただって最悪な暴言吐いたじゃないですか。ヴァンリーブ語がわからないスタッフだったら、悪態を吐いても良いというお考えなのですか? ホテルスタッフにはどんな態度を取っても、何をしても許されると?」

 堰を切ったように言葉が溢れ出す。もうここまで言ったら、後には退けない。
 私はしっかりと、真正面からダリオさんを見据えた。

「ぐっ……」

 ダリオさんは怯んだ。何も言い返してこない。

「……正論だな」
「……うん、正論だね……」

 アマネ様とグレイさんは苦笑をこぼしながらボソリと呟いた。
 ダリオさんは、ワナワナと唇を震わせて端正な顔を歪める。

「オマエ、このオレにそこまで言うなんて……何様だ!?」
「『どんくさい女』です」

 私はダリオさんが言った悪態をそのまま返す。

「……上等だ」

 バチバチと火花でも飛び散るのではと思うくらい、私とダリオさんは睨み合った。
 磨かれたタイガーアイのような瞳の中に、私が映っている。
 せっかく綺麗な顔をしているのに、こんな性格なんて本当に残念で仕方ない。

 ……と、会場に流れる音楽が変わった。
 完全に日が暮れたこと、そしてパーティーの目玉であるスピーチの時間が迫っていることを知らせる合図だ。

『ああ、ダリオくん』

 ダリオさんはヴァンリーブ語で話しかけてきた男性へ振り向き、目元を緩める。

『お久しぶりです』
『いやあ、君が来ると聞いたときはびっくりしたよ。ヴァンリーブ王国警察トップ直々の推薦なんだって?』
『まだ警部の身でありながら、国家警察の代表を一任されるなんて素晴らしいことだ。ゆくゆくはトップ就任間違いなしかな?』
『いや、そんなことは――……』

(ヴァンリーブ王国警察の代表としてここに……って。それってすごいことなんじゃ……)

 ということは、ダリオさんはSPとしてこの場にいるとかじゃなくて、パーティーの出席者としてここにいるというわけで。
 頭の中で様々な情報が飛び交う。
 ふと視線を感じ、チラリとダリオさんを横目見ると……。
『ふふん』と腕を組んでドヤ顔していた。

 ――張り倒したい。

 そう思ったが、実際行動に起こすことはできない。私は拳をどうにかおさめた。
 ダリオさんと話していた男性は、いつの間にか他のお客様へ話かけていて。
 ヴァンリーブ王国警察と言えば、軍部と警察組織を兼ね備えた、世界でも有数のエリートの集まりと言われている。
 この国・カムジェッタに何かあった時は手を貸してくれるという契約も結んでくれている、とてつもなく大切な存在。
 ダリオさんはその代表として、この場にいる。
 ということは、間違いなく――……。

(謝った方が良いパターン)

 カムジェッタ・ホテルのスタッフとして、罵声を浴びせられようが何をされようがスマートに対応するのが正しい判断だった。
 私は一個人としてこの会場にいるわけではない。いつもの給料の三倍増しで、カムジェッタ・ホテルの顔として参加しているのだ。
 ヴァンリーブ王国は強い力を持っている大国。
 その国の警察組織の重要人物であるダリオさんの采配一つで、私をクビにすることなんて容易くできるはずだ。
 最悪、クローバー・ホテルのスタッフ職も失うかもしれない。
 自分がしたことを思い返し、今更ながら体中が震え出した。
 改めて謝罪の言葉を口にしようとするも、唇まで震えて声が出ない。

 ――と。

 私の横にいたアマネ様が身じろいだ。
 彼は私の背中を励ますように叩くと、言葉を発する。

「ダリオ。俺は一部始終見てた。たしかに彼女はホテルスタッフとして対応がまずかったかもしれないが……ダリオも悪い。ダリオの方が、間違いなく悪い。だから……ここは俺に免じて、許してやって欲しい」
「いや待て待て待て。何かオレが全面的に悪いみたいな流れになってねえか?」
「実際、ダリオが悪いでしょ! マドカちゃんに謝ってよ!」

 グレイさんは唇を尖らせてアマネ様を援護する。

 ダリオさんは私へ向き直ると、ビシッと指差してきた。

「オイ、オマエのその怖い者知らずさに免じて、今回だけは許してやる。オレに感謝しろ!」

(……どうしてこう、この人は私の神経を逆なでするような言葉ばかり放つんだろう)

 謝罪するのは嫌だったので、何も言わずに深々と頭だけ下げた。

(本当はダリオさんに頭を下げるのなんてまっぴらだけど……大事になったらまずいし)

『……悪かった』
「え? 今、なんて――」
「なんでもねえよ!」

(ヴァンリーブ語で『悪かった』と聞こえたような……気のせい……?)

「フンッ。興ざめだ。“アイツ”も戻ってこねえし、もう帰る」
「え!? ダメだよ、ヴァンリーブ警察代表で来てるんでしょ? しかも、王室の人間を護衛するのも兼ねて――」

 グレイさんは慌ててダリオさんの袖を引っ張る。
 アマネ様は我関せずと言うような態度でそっぽを向いていた。

 そこへ――……。

「あ、いた」

 ぼやっとした声がしたと思ったら、スタスタとこちらに向かって一人の男性が歩いてきた。
 その顔にはすごーく見覚えがある。

 彼は――私がカムジェッタ・ホテルで働き出した初日。グレイさんのセクハラ攻撃から助けてくれた男性――セルジュ様だ!

「セルジュ~。もう助けて~、ダリオがさぁ~」
「……ああ、うん」

 セルジュ様は抱き着いてくるグレイさんをめんどくさそうな顔をして引きはがす。

「グレゴリウス、愚痴は後でたっぷり聞きますから……」
「げ……モルテザー……っ」

 どこからともなく現れたのは、先ほど腰を抜かした私に手を差し伸べて下さった、イムリバ王国のモルテザー様だった。

 ダリオさんはモルテザー様の登場にあからさまに嫌そうな顔をする。

「お前は本当にどこでもトラブルを起こすんだな。ヴァンリーブ王国警察も落ちぶれたものだ」

 ……この冷たい言葉。先ほど聞いたばかりの、この声色。

 振り返ると、やはり。
 ベルナルト皇子が立っていた。

「あ? んだと?」
「バーンハード王子もお戻りになっている。さっさと持ち場に戻れ。“警部さん”」

 警部さん、という言葉にものすごい悪意を内包させているように聞こえたのは、気のせいだろうか。ダリオさんの表情が引き攣っているところを見るに気のせいではなさそうだ。
 モルテザー様はそんな二人のやり取りにあからさまに溜め息を吐いた。

「ベルナルト、そうダリオを刺激しないで下さい。……ダリオ、貴方が傍にいないならスピーチはしないとバーンハード王子が頑なに言い張ってるんです。来ていただけますか?」
「なんでオレが――」
「スピーチのトップバッターはヴァンリーブ王国なんです。これ以上駄々をこねられると、セルジュの国がトップバッターに変更させられてしまいかねず……」
「……僕、まだスピーチ内容覚えてないから……。変更されたら困る」
「……悪い、セルジュ。すぐに持ち場へ戻る」

 あのクソ野郎が……っ! とダリオさんが悪態を吐いた。……先ほど、彼が追いかけていた人物に対してだろうか。

 ほら、皆さんも行きますよ……とモルテザー様はダリオさん達の背中を押しながら、先ほど助けて頂いた時と変わらないニコニコとした笑顔を私へ向けた。

「大変でしたね。さっきはベルナルトに暴言を吐かれ、今度はダリオですか……つくづく、運が悪いお嬢さんだ」
「は!? ベルナルトに暴言を吐かれただと!?」
「ええ、そうですよ。ベルナルトも貴方と同じように、そこのお嬢さんに向かって失礼なことを言ったんです」
オレコイツこいつを一緒にするな」

 ダリオさんとベルナルト皇子の声が重なった。

「あ~もういいから、いいから。行くよ、ダリオとベルナルト~。またね、マドカちゃん♪」

 グレイさんはダリオさんの背中をモルテザー様と一緒に押し始める。
 そして、私にウインクしてきた。
 私は小さく会釈する……と同時に、バチッとダリオさんと目線がぶつかってしまった。
 彼はこちらに向かって、再びビシッと指差してくる。

「これに懲りたら、口答えするときは人を選ぶことだな!」

 かなり余計な一言を残し、彼は去っていった。

「…………」

 開いた口がふさがらないというか何と言うか。

 ――とりあえず、本気でムカつく。

 瞬間、メイン会場の照明が落ちた。

「……!」

 ――しまった! スピーチの時間だ!

 私は慌てて壁際へ寄る。
 スピーチタイムに入ったらすぐさま裏に引っ込もうと思っていたのに……予定が狂ってしまった。
 照明が消えているときに扉を開けてしまうと、裏の光が漏れてしまうため照明が落ちているときにサービススタッフが裏へ下がることは禁じられていた。

 ――すぐ終わるだろうし……それまでの我慢……。

 そんなことを思っていると、パーティー会場の雛壇に一斉にスポットライトが集まった。
 ステージ脇にいる進行役の男性が笑顔でマイクを握る。

「さて……ここで、本日は全世界親交式典がおこなわれた記念に、各国の国王ならび王子から一言ずつお言葉を頂こうと思います」

 わっと拍手が上がる。
 ……壇上から目が離せない。
 何度も目を擦り、壇上の傍らに控える人々の顔をしっかり見んと目を細める。

 ――あの……見知った顔ぶればかりのような気がするんですけど……。
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