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終点
しおりを挟む麦藁で編んである帽子は、使い込まれていて 所々解れていた。
それを深々と被る少年は この日、死のうと思っていた。
西行きのバスに乗り込んだ彼は、いつもの鞄を手にしている。
鞄の中身は、鉛筆と消しゴム、財布と… それから道端に咲いていたタンポポが重なるように入っていて
田舎道のわだちにバスのタイヤが触れると、それらがカタカタと時折 音を立てた。
少年は、左側の窓から見える夕陽を眺めて思っていた。
「このまま、終わりまで行こう。終わりに着くまで夕陽が沈んでしまわなければいいのに…。」
そこから少年は、一度も夕陽から瞳を背けることはなかった。
どれくらいバスに揺られていただろう。 終点に来ていた。
運良く まだ陽は沈んでいない。
バスを降りるとそこは海。
少年は、自分の終わりに最も相応しい場所を探すため 橙色の砂浜を歩き始めた。
一秒ごとに、自影の背丈が伸びていく。成長する影を見ながら 「影にも終わりがある」と少年は思った。
次の瞬間、背中で聞き慣れない声がした。
それは、波音にも消されない力強い声だった。
「なぁ、少年よ。 影のように全てが順調に成長してくれればいいのになぁ。」
少年が驚いて振り返ると そこには、頭に布を巻き、手には大きな革の鞄を持ち、腹の出た…
まるで、海の男とも言えない風変わりな中年男が立っていた。
少年は、見ず知らずの不躾な男に言った。
「ダメです。影には終わりが来ます。この陽が落ちれば、影は跡形もなく消えるでしょう。だから影はダメなんです。」
男は、少年の話しがまるで聞こえていない様子で砂浜に何かを探しているようだ。
「この時期は、以外に多いんだ。」「何を探してると思うかね?」
そう話す男に少年は「は?」 なんなんだこのオッサン…と思っていた。
少年は、男の言うことがサッパリ分からず 聴き返そうとしたその時
男は被せるように こう言った。
「命 だよ。 高く売れるんでね。」 男は平然と言う。
「君も 見た所 そのクチだろう。」
「いいモノを見せてやろうか…。」
「冥土の土産にね。」男は横目で薄ら笑みを浮かべて見せた。
少年は、不思議と男の言うことに腹を立てなかった。
それどころか、その「命」を見てみたい気持ちにさえなっていた。
「お? あった あったぁ…。」
そう言うと男は、何もない所から何かを掴み取ったような仕草をした。
男の拳から夕陽のような光が漏れている。
少年が恐る恐る覗いてみると、拳を開いた真ん中に、直径1cmにも満たない小さな小さな夕陽のような石がコロコロと光っていた。
「いのち…」少年は呟いた。 そして続ける。
「生身だと大して高く売れないのに、こうして命という形になると、その価値は倍増するんだね。」
男は、少年を見つめている。 少年は止まらない。
「人は、死んだ時初めて称えられるんだ。時には度が過ぎることだってある。生きていた頃の何倍にも…。」
男は応えた。
「君は、称えられたいのかね?」
「分からない。ただ…。」
「ただ?」
「どちらが僕にとって… みんなにとって愛おしいのかを知りたいんだ。きっと…。」
少年の瞳には、夕陽が映っている。
男は言った。
「君は、生きていた頃の方に価値があると判断したから死を選ぶんではないのかね?」
「そうかもしれないな…。」
少年は「いのち」を愛おしそうに見つめている。
男は再び 薄ら笑みを浮かべ
「だがしかしだね、私は今の君を称えることが出来るがね。」
少年は顔を上げた。
「君の帽子、鉛筆、消しゴム、それからタンポポ… 何ら いつもと変わらない鞄の中身。」
「人は死のうと思った時、何もかもを捨てて来るだろう。」
「しかし君は 寧ろ、いつもと変わらなかった。まるで凪の海のように。」
「君は、君を捨てなかった。」
男はまるで、少年の全てを透かしているかのように言ってのけた。
けれども、その言葉は少年の耳元を素通りして行き
今の少年には、ただ目の前の夕陽が見えているだけ。
男は、降ろしていた革鞄を右手に持ち上げながら言った。
「いいことを教えてやろう。」
手のひらの「命」に視線を落としながら
「生きている者の命は何色だと思うかね?」
少年は、初めて男の瞳を見て言った。
「そうだな…ここにあるのが こんなにキレイで眩しいから…。」
「うん、きっとそうだ。生きている時に色なんてないんだ。」
すると男は突然笑い出した。
さすがに、これには少年もムッときたらしく再び歩き出し、男から離れていった。
「ホッ ハァッ ハァッ… ホッホッ… ハァ ハァ… こりゃ失礼。」
やっと男の笑い声が収まった時には もう 少年は、50m先を進んでいた。
男は、耳に響かせるような声で言った。
「その色は、朝焼け…。」
少年の足がピタッと止まった。 男は続ける。
「言っておくが、今ここにある命… こんなもんじゃぁない。」
「それは、綺麗を通り越して 美しい と言うのだ。」
「高値? ハッ 笑わせる。値は付けられん程だ。無論、売り物という或を超えてしまうからな。」
少年は、夜が降りてきた砂浜に立ち竦んでいる。
男の喋る声が、よく聞こえていた。
「それを知らないのは、人だけだと言うがね。なんとも愚かだとは思わんかね。」
少年の瞳からは、熱い涙が零れ出していた。
「少年よ、影はまた明日も生まれるだろうよ。」
堪えきれずに後ろを振り返ると、もうそこに男の姿はなく
波間に光る「命」たちだけが、悲しげに海を眺めているようだった。
おしまい
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