純白のレゾン

雨水林檎

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対決

01

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「砂和もそんな顔しなくても良いだろ」
「困っているんですよ、本当に」

 昼休み、外に出る気にもなれなくて職員室にこもっている。私の弁当を代わりに食べている青海の隣で、肘をつきながら窓の外の青空をぼんやりと眺めていた。廊下は騒がしくて耳鳴りまでする、寝不足のせいもあるのだろうけれど私を悩ませるのはそれだけじゃなくて。

「真崎祥吾、とんでもねえな」
「全くですよ、どうして私が……」
「はははは、完全にロックオンされたな」
「笑い事じゃない!」

 能天気な青海が羨ましい。何を考えているんだ、真崎祥吾。悪ふざけにしては度をこえているし、本気だとしたら恐ろしい。

「まあ、あいつもいろいろ訳ありらしいからな」
「え?」
「家庭環境が、どうのって」

 ***

 午後の授業は空き時間で、生徒は皆授業中だから誰もいない廊下を一人で歩く。とりあえずこの時間で授業の教材を用意しなければ。朝から再びの資料室、ええっと必要な資料は、と……そんなことを考えながら資料室の鍵を開けて室内の明かりを点けた時だ。私の背後から突然声をかけてきたのは。

「向島先生」
「……真崎、どうして」

 今は授業中だと言うのに、真崎のその赤い髪が目に染みる。資料室の入り口で二人、しかし真崎はもう笑ってはいなかった。
 伸ばされた彼の右手に警戒して避ければ彼は少しだけ苦笑して腕を組む。

「もう、そんな警戒しないでよ。向島先生」
「じ、授業中なんだから教室に戻りなさい」
「勉強つまらないんですよねー、向島先生との個人授業ならする気になるのに」
「そんな、勉強はつまらないからやらないとかそう言うものじゃないだろう?」
「ふふっ、先生ってば真面目ですよね」

 相手にしないほうが良いかもしれない。もう、このまま職員室に帰ってしまおうか、しかし真崎は突然『その名前』を口にする。

「ねえ、小鳥遊無垢って先生とはどう言う関係なんですか?」
「なに……?」
「噂を耳にしたので。小鳥遊くんは先生にとっては非常に特別な生徒だって」
「無垢は……いや、小鳥遊は私の身内だよ。今はそれ以上は答えるつもりはない」
「ふうん、良いなあ、僕も向島先生の特別になりたい」

 無垢の存在を口にされてしまうと私は警戒するしかない、一体真崎は何を考えているのだ。

「先生の特別になるには小鳥遊くんと仲良くなれば良いのかな?」
「やめろ、無垢に関わるな」
「わ、先生こわーい」

 相手にしても無駄だ、もう無視をしてしまおう。視線を離して資料室のドアを閉めて真崎を追い出そうとした、その時背中に強い衝撃を受けて床に転がり、再び三度、蹴り飛ばされて本棚にぶつかった拍子に飛び出した数冊の本の下敷きに。それからも衝撃でバラバラと音を立てて本が何冊も落ちて来た。そして真崎は距離を詰める。

「……僕を見てよ、先生。そう言う態度取るなら小鳥遊がどうなっても知らないよ?」

 その目は今までの彼とは違って、あまりにどろどろとした感情が込められている。この目はなんでも壊してしまう目だ。私のことも、無垢のことも。これ以上の抵抗はやめた方が良いかもしれない。無垢に何かあったら、私は……。

「じゃあ、どうなるって? 俺のいないところで俺の話されるのすごいムカつくし迷惑なんだけど」

 かかとを踏まれた上履きが資料室のドアを蹴り飛ばして開けた。思わず真崎とともに声の方向を向く。そこにいたのは、不機嫌な顔をして真崎を睨みつける無垢だった。

「俺が小鳥遊無垢だけど、何の用?」
「無垢、何でこんなところに、教室に戻りなさい……!」
「砂和さんは黙ってて、あんたが二年の転校生ってやつ?」

 真崎と無垢が睨み合う。目をそらさない二人、無言の中、先に言葉を発したのは真崎だった。

「小鳥遊くん、僕のことよく知ってくれてるみたいで嬉しいなあ。ねえ僕も仲間に入れてよ、まさか向島先生を独り占めとかないよね?」
「ないのはお前の方だ、バーカ! それにしても何、その口の利き方ムカつくなあ」
「無垢、そんな刺激するような言い方は……」
「だから砂和さんは黙っててよ!」

 そして無垢は床に散らばった本を一冊手に持って振り上げる。

「それ以上砂和さんに何かしたらこれで殴る。これ背表紙とか分厚いから痛そうだな」
「君、意外と暴力的なんだね、これでも僕は平和主義なんだよ」
「ふうん、だから何? ストーカーまがいなことをして、これから何をしようかと思ったの」
「何だと思う?」
「聞いてんのはこっちだよ!」

 威嚇するような無垢に怯まない真崎。私だって暴力沙汰は決して望んではいないことだったが……。

「砂和さんは俺のものだ!」

 無垢の投げつけた本が床に当たり、私と真崎を引き離す。慌てて立ち上がった私を庇うように無垢はもう一冊本を持って真崎の寸前へ。

「君、本当に向島先生とどう言う関係なの?」
「恋人って言ったらどうする」
「面白いなぁ、小鳥遊くん冗談が上手だね」
「お前だって似たようなこと言ってたじゃん、特別ってのはそう言うことなんだよ。だからお前になんかぜーったいにわたすか」
「……なんだか僕、君のこと嫌いみたい」
「それはどうも、俺もお前なんか大っ嫌い!」

 取っ組み合いの喧嘩になる気配しかない。無垢を止めようと思ったが、もう二人の間に入る隙もなかった。お互いに殺気立って睨みあいは続く。再び無垢が本を振り上げて真崎に投げつけようとしたその時だった。

「はいはい、終わりーお前らその辺にしとけ」

 資料室に二人を割って入ってきたのは青海だった。無垢の持った本をつかんで離して、ため息をつく。

「探したぞ、お前ら授業中に勝手に喧嘩してるんじゃないよ、真崎も無垢も」
「だって、青海。こいつが……」
「無垢も気持ちはわかるが授業サボってこれはないだろ、こんなところでうろうろしてないで教室に戻りなさい。真崎はちょっと来い、話がある」

 ***

「どうでした、青海先生」
「いやー、あいつなかなかひかなくって。相当だな、執念深い」

 あれから真崎と青海が二人きりで相談室へ、その間に私は散らかしてしまった資料室の片付けをしていた。放課後になり職員室に戻ってきた青海は少しくたびれた顔をしている。

「初めての恋だって」
「何です、それは」
「砂和と会って今までの恋は偽物だと思うくらいに頭からお前の顔が離れなくなった、どうかこの距離をどうか縮めたい。真崎の言ったことまとめるこんな感じで、とにかく砂和が気になるんだって!」
「意味わからないですよ、とりあえず私に向かって勝手にそんな感情抱かれても困ります」
「ああ、その辺はさすがに一応伝えといたけど……どうだかなぁ」

 ここまでしてもいまいち通じていない真崎の様子に、私は戦慄して今後を憂いるしかない。そもそもこのままでは通常の仕事も出来ないし、彼の行為が加速すれば命の危険まで感じると言うのはきっと大げさなことではないだろう。
 それからモヤモヤしながらも、とにかくすすまなかった仕事をなんとか終えてみれば、随分と夜遅くなってしまった。だけどそもそも真崎が邪魔をしなければこんな遅い時間にはならなかったのに。

「砂和ァ、飯一緒に食ってくか? 無垢は先に一人でなんか食べてるんだろ」
「お酒は今日は飲みませんよ、まだ明日もありますし」
「何だよ、そんな言い方したら俺が飲兵衛みたいじゃないか」
「違います?」

 教員も少しずつ帰って行くなか、青海とともに私も学校を後にすることにした。コンビニ弁当でも良いかと思っていた夕食だったが、青海が最近お気に入りの店に行くことに。そうして校門の鍵を開けて外に出た、その瞬間だ。じゃらじゃらと鳴る音、鞄に無数のキーホルダー。足音とともに隣を歩いていた青海が叫ぶ。

「避けろ! 砂和!」
「え……っ、あ」

 どん、と響くような衝撃があった。そのまま地面に横倒し、目の前には折れたカッターの刃が刺さる。私の上には真崎が馬乗りになり感情を吐き出すかのよう何かを叫んでいる。青海はそんな真崎を蹴飛ばした。

「どけ、真崎! 砂和大丈夫か?」
「あ、……だ、大丈夫……です……」

 カッター本体は私が抱えていた仕事用の鞄に刺さっていた。これがもし身体に刺さっていたらと考えたらゾッとする。青海に蹴り飛ばされた真崎はと言うと地面に倒れ込み、嗚咽を漏らして泣いていた。

 ***

「砂和さん!」
「無垢、ただいま」
「おかえり……じゃなくって! 大丈夫なのかよ? さ、刺されたって」
「鞄にちょっとカッターが突き刺さったくらいで私は平気だよ。もう、青海先生そこまで無垢に話したんですか? 心配させるだけなのに……」
「だって危なかったのは事実だろうが」

 ***

 帰宅がだいぶ遅くなってしまった。結局私と青海は夕飯を食べ損ね、それでも真崎の両親に連絡を取ろうとしたがなかなか通じなかった。真崎本人に聞けば転校して来てから両親ともに連絡もなく、ほとんど家には帰って来ていないらしい。

「……向島先生なら僕の孤独を救ってくれると思った」
「私が?」
「優しい顔して、一目惚れだと思う。先生なら僕をきっと救い上げてくれるって」
「おいおい、それで砂和に執着したのか?」
「きっかけは、それから。本当に僕は恋していたんだ。誰にも渡したくないくらい」
「そんなことを理由にカッターナイフを持ち出すことはないだろう」
「まあ、……青海先生」

 絞り出すような彼の言葉を聞いてしまえば警察沙汰にはしたくなかった、それを青海に告げると甘いと言われたが、孤独の淵にあった一人の高校生はもしかしたらもう一人の私であり、無垢であったかもしれない。

「君が寂しかったのは理解出来るよ。誰もいない家は怖かったな」
「向島先生……」

 恋と言うよりも彼を攻め立てていたのは孤独だ。私と無垢が出会ったことで救われたように、真崎も誰かに救われたかった。ただその相手は多分、私じゃない。青海はため息をつきながら、真崎に視線を合わせて諭す。

「お前は本当にとんでもないことをやらかしたな……次はないぞ、真崎。とりあえず誰彼と執着する癖を直して校則守って迷惑かけた皆に謝れ。とんでもないことをしないで静かな生活を送っていれば、そのうち本当の友達も出来るだろう」

 ***

「真崎くんはもう本当に大丈夫だってば、無垢」
「そんなこと言える保証ないじゃんか。とにかく砂和さん俺と一緒にいて、青海に引き渡すまでは。念のための盾がわりに鞄に辞書でも入れておく?」
「そんなことをしたら荷物が重くて肩が痛くなるよ、昨日きちんと話はしたし彼はもうそんなに執着はして来ないと思うけど……」

 電車から降りてたくさんの生徒に混じりながら、無垢と一緒に駅の改札を出ると背の高い黒髪の生徒が私を追い抜きざまに頭を下げる。見覚えのない、でもどこかで見たような、そう思ってよくよく顔を見てみれば。

「おはようございます、向島先生」
「あ、……おはよう」

 真崎じゃないか、あの真っ赤な髪色をすっかり染めて。鞄にはキーホルダーの一つも付いていないし、ネクタイも正しくしめてポケットには手だって入れていない。

「ねえ砂和さん、今の誰?」
「真崎くんだよ」
「は? 嘘だろまじで!」

 思わず無垢は振り返っていた。見かけはすっかり変わった真崎祥吾。中身はどうかな、でもその顔つきは昨日までとはすっかり違ってそれは精悍なものだった。

「ほら、誰にだって良くも悪くも変わる可能性はあるってことだよ。無垢」

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