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不安定
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今年の夏は朝からもう暑くてセミの鳴き声を繰り返す。
この夏空が他人の家の窓から見える空模様だとしても、どこか何か、懐かしい。
「ちょっと、二人ともゲーム終わったなら片付けないと……もうすぐ昼食ですよ」
「だって砂和さん、青海が勝手にセーブしやがった。なんなのこいつ、せっかく前のデータ残しておこうと思ったのに」
「小さいことでグダグダ言うなよ無垢。ほら、飯だからさっさとゲームしまって来い」
「青海、命令すんな、お前も手伝え!」
相変わらず向島砂和の家でのんびりと夏休みを送っている。日々遊んでばかりいる無垢を叱ろうと思って宿題を見たら既に終わってしまったと。確かにこの学校のレベルの問題では、無垢には手応えすらないのだろう。だからもっと進学校に行けばよかったのに。しかし無垢は休みの日さえも砂和を目で追って離さない。ふうん……本人が良ければ良いけれど、そう言う理由での学校選びもあるだろうな。それもまた、青春の一つ。
無垢の背中を共に目で追うと、台所でどこか疲れた様子で料理をしている砂和の背中が。時折汗をぬぐいながらうつむいて……。
「おい、無垢。砂和なんかあったのか?」
「別にいつもと変わらない気がするけど」
「そうか? なんだかやけに顔色悪くないか」
「え?」
瞬間、揺らいでその脚が崩れ落ちる寸前に慌てて駆け寄り受け止めた。青ざめてぐったりとした砂和を抱き上げる。
「おい、無垢! 布団用意しとけ、布団!」
「あっ、え、ああ……」
「早く!」
***
「……そんなに目を尖らせて怒らなくっても良いじゃないですか」
「ああ? だから俺はお前の自己管理の甘さを注意してんの! 危ないだろうが、無理して急に倒れたら!」
「お医者さんはただの風邪だって」
「だからってここまで熱出るまで放っておくなよ」
「夏バテだとばかり思ってたんです、少し喉は痛かったんですけど咳も出ないし鼻の通りも変わりなくって」
「お前はとことん自分の不調がわからないんだな、もう今日はそのまま寝ていろよ。家事は俺がどうにかする」
倒れた砂和の頬に触れたらやけに熱く、それきり起き上がるのも辛いと言うから近所のクリニックまで連れて行った。医者はただの夏風邪だとは言うけれど、熱は上がっているし顔色は良くならないしで帰って来てからは強制的に布団の中へ。砂和が作りかけだった昼食の牛丼は完成させて無垢と二人で食べて、今夜の夕食に悩んでいるところ。無垢はリビングのソファに腰掛けて、膝を抱えて小さくなっている。
「無垢ー、夜になんか食いたいもんあるか?」
「いらない、なにもいらない……」
「なんだその顔、そんなに俺の作る料理がまずそうだってかー」
「違う、なぁ……砂和さん大丈夫?」
「あー、熱下がんないとなぁ……」
その言葉で今度は無垢の顔が青ざめた。少し震えているその指先、けれど俺とはとことん目を合わせずに。
「まあ一応医者が風邪だって言うし、今夜一晩様子見てりゃ大丈夫だよ。薬ももらったんだから」
「だって、なにがあるかなんてわかんねえじゃん」
いつもの無垢に比べるとやけに言っていることが幼い。迷子の相手をしているのか、俺は。そう思うほどに無垢は砂和のことしか考えていない。
***
「失敗したなあとは思ってます、無垢の目の前では強くありたかったんですよね」
「なんで?」
「不安定になってるでしょう? 無垢。私のせいです」
「だってもう高校生だぞ、あいつ」
「私にとっては子供だし、無垢にとっては私は親みたいなものですよ。私が揺れると無垢が落ち込む、昔からそうです」
砂和の部屋に飲み物と冷却枕の代わりを持って。
しかし無垢は十六歳にしては幼いな。でも考えてみたら半年前は中学生。義務教育として守られる立場から一方で未だ踏み出さないでいる。それは今後無垢にとっても不幸せなことだろう。その辺、どうしてやったら良いものか。
「青海先生、ドアの隙間から無垢がのぞいてます」
「え、まじで?」
「あ、今帰った。あの、すみませんが無垢をお願いします、私は、大丈夫なので……」
早い呼吸を続けながら、砂和は何度も無垢を頼むと。多少、過保護な気もするが、熱の下がる様子のない砂和の額を撫でで、まかせろと部屋を後にすれば、砂和の部屋のドアの前で無垢が今にも泣きそうな顔をして立っていた。
「おい、盗み聞きするなー」
「な、なあ……砂和さんは?」
「寝てるよ、でもお前が覗き見するからおちおち眠れもしないって」
「……」
「冗談だよばか、熱が下がれば元気になるから」
「本当? なぁ本当に?」
子供が懸命に探るように、震える手が俺の手に触れる。随分と汗ばんで、冷たい手……言いたいことも言えずにただ考えすぎていて。
「本当! とりあえず飯食うぞ。もう一度聞く、何食いたい?」
「なんでも良い……」
「それ言われると困るんだけどなあ、じゃあ昼の残りの米があるからお前はたまごご飯でも食ってろ。味噌汁は作ってやる」
無垢はああ、だかうん、だか言って下を向きながらソファに腰掛ける。夕暮れの中、その背中があまりにも寂しそうで。ああ、これが無垢か、いつも俺には反抗ばかりしているくせに砂和には見せている本当のところ。しかしこうすっかり変わってしまうとなんだか気が抜けてしまうな。
「無垢、家の手伝いをしろ。洗濯物取り込んで、畳んでしまう! 味噌汁ができる前に片付けてしまえよ、はい始め!」
「……」
無言のまま、無垢はベランダに出て慣れない手つきで洗濯物を取り込む。砂和がいつもやっているのだろう、全くあいつは甘やかして。
その間俺は鍋を出して使いっぱなしの皿を洗いつつ夕食の準備を始める。冷蔵庫の中はきちんと片付けられていて、開けていない豆腐とわかめを見つけた。出汁はきちんと煮干しでとっているらしい、砂和の作る料理がどこか母親の料理と似ている気がするのはこのせいか。この分だとぬか床もそのうち手を出しそうだ、その証拠に浅漬けの用意はしてあった。それは独身二十六歳の家の冷蔵庫にしてはあまりに家庭的な……。
「青海、洗濯物終わった」
「じゃあ無垢、今度は洗い終わった皿を拭いて食器棚にしまえ」
「食器棚のどこにしまうのかわからない」
「入るところにしまえば良いだろ、食器棚の扉が締まりゃ良いんだよ」
無垢は戸惑いつつも黙って皿をふきんで拭いて行く。すっかり大人しくなってしまった無垢の頭を撫でればいい加減反抗するかと思ったものの、無垢は黙って撫でられている。
「なんだよ、お前なあ。何落ち込んでるんだ、無垢のくせに!」
「うるさい……」
「砂和の苦労がわかったか? これからはお前もこう手伝いをな……って、おい」
撫でられているうちに黙って無垢は泣き出してしまった。手のひらで涙を拭って、やがて小さな嗚咽を漏らす。そのまま涙は止まらず、無垢はふきんを放ってそのまま自分の部屋に駆け込んで行った。
***
「砂和ー、起きてるか? おーい」
無垢が部屋にこもってしまい食事に出来ないので、砂和の様子を見るために部屋のドアをノックする。しかしそこは物音一つせず沈黙の部屋……眠っているのか?
「おい、入るぞ」
ドアを開けて見えたのは無防備に投げ出された白い腕と蓋が外れて中身がこぼれたミネラルウォーターのペットボトル。それとともに床に倒れているのはやけに赤い顔した砂和が。
「砂和……? なあ大丈夫か」
抱き上げてその熱さに触れて、驚き慌てて無垢を呼ぶ。
「おい、聞こえてるんだろ、無垢! 急いで何か飲み物とタオル持って来い!」
隣の部屋の無垢が慌ててリビングの方へ駆けて行く足音を聞きながら、砂和の服の中に体温計を。真新しい体温計はすぐに音が鳴り、壊れているんじゃないかと思うような数値を見て、枕元にあった薬の袋から解熱剤を取り出した。
「砂和、起きろ! 薬飲むぞ」
「……う」
目を開けはしたものの、ぼんやりと状況がわかっていない顔をして砂和は俺の顔を見る。その上半身を抱き上げてその頬を軽く叩いて声をかけていると、そこへ慌てた無垢が新しいミネラルウォーターとバスタオルを持って来た。
「砂和、ほら口開けろよ。無垢、ペットボトルの蓋開けろ」
「あ、開いた……!」
状況が良くわかっていない砂和の口の中に解熱剤を一錠。そのくちびるに無垢から受けとったペットボトルを添え傾けたら、黙ってゆっくりと飲み込んだ。
薬を飲み終わった砂和は再び目を閉じて、俺に身体を預けてため息をつく。汗ではりついた額の前髪を拭ってやり、ベッドの冷却枕を整えてそっとその身体を再び横たえた。
***
あとで落ち着いたら砂和の着替えをさせようと服の用意だけをして、床にこぼれた水を拭いて無垢とともに静かに砂和の部屋を後にする。それでも未だに無垢の表情は曇ったままだから、その頭をくしゃくしゃと撫でた。
「もう、大丈夫だっての、そんな顔するな」
無垢は未だに赤い目をしていて、すっかりいつもの勢いは見られない。すっかり夜空が見える窓のカーテンを閉めて、ようやく夕食の準備をした。
「ほら、無垢飯食え。味噌汁熱いぞ、気をつけてな」
「……いただきます」
さて、どうしたものか……。
無垢はこのまま食事が終わったら寝かせるとしても、砂和の具合も気になるから俺は今夜はあまり眠れそうにないな。無事に薬が効いたら良いが、あのまま熱が下がらないとしたら明日にでもまた病院に連れて行かないと。
「青海」
「なんだよ、ああ、飯食い終わったか? 食器は水につけとけな。あとでまとめて洗うから」
「わかった……その、……色々とありがとう」
「あ? ああ、お前も礼を言うんだなぁ、そう言うの良いと思うぞ」
「砂和さんにしつけられたからな」
「はは、良い親子でなにより。ほら、さっさと風呂入って寝てしまえよ! 夜更かししないように」
無垢は少し元気になって、そのまま一人風呂場に向かって行った。俺は洗い物を済ませて食器をしまい、部屋を片付け終えたあと静かに砂和の部屋に向かった。
「砂和ー。砂和、生きてるか? ……って、あ」
「青海先生……」
薄暗い部屋の中で砂和がベッドの上で起き上がっている。そばに寄ってその頬に触れるとまだ熱く熱が下がったようには思えない。
「なんだよお前、まだ寝てろ」
「熱、下がりましたよ。多少楽にはなりましたから」
「どこがー、これ変わってねえよ。起き上がるな、もう一回さっさと横になれ」
多少不服そうな砂和をベッドに横たわらせて、服の中に体温計を。気だるそうな顔をして砂和は静かに目を閉じる。それからすぐに電子音が鳴り、再び服の中に手を入れて体温計を取り出した。
「ほーら、やっぱり下がってない」
「少しは下がりました……」
「微妙にだろう? もう、おとなしくしてろよな」
「……あの、無垢はどうしました?」
「飯も食ったし、手伝いもした。心配ないよ」
「そうですか、お世話かけました」
いつだって砂和と無垢は繋がっている。お互いに離れては生きて行けない関係と言うのか、血の繋がりだけが家族ではないと。この二人の、二人だけの絆と言うものが、全ての縁を切ってしまった俺にはあまりに遠すぎて眩しい。
「痛っ、な、何するんですか青海先生……デコピン?」
「なんかムカついたから」
「え?」
「砂和のくせに、生意気だぞ」
「はぁ……?」
戸惑った顔に強引に頭から布団を掛けて、砂和の部屋を後にする。多少なりとも元気はあるようなのでこのまま寝かせておいて大丈夫だろう。俺は無性に酒を飲みたくなったので勝手に冷蔵庫を漁ると奥の方に缶酎ハイを見つけた。あいつにとってはジュースだろうが、今日の俺にとっては薬みたいなものだ。どこか無性に寂しくて、心が救いを求めている。やけにメンタルの上がり下がり激しいな、と自分でも思う。なんでもないような日常というのは大切にすべきものなのだろう。
「……あいつ、こんな甘いやつも飲むのか」
焼酎からワインまで勧めて断ったことのない砂和の選ぶものが、夏限定のラムネ味の酎ハイだとか。エアコンを効かせた部屋でつまみに無垢のお菓子を頂戴して、窓の外の月を見ながら一人酒を飲む。多分これは悪酔いするな、とそんな予感を抱えながら……。
この夏空が他人の家の窓から見える空模様だとしても、どこか何か、懐かしい。
「ちょっと、二人ともゲーム終わったなら片付けないと……もうすぐ昼食ですよ」
「だって砂和さん、青海が勝手にセーブしやがった。なんなのこいつ、せっかく前のデータ残しておこうと思ったのに」
「小さいことでグダグダ言うなよ無垢。ほら、飯だからさっさとゲームしまって来い」
「青海、命令すんな、お前も手伝え!」
相変わらず向島砂和の家でのんびりと夏休みを送っている。日々遊んでばかりいる無垢を叱ろうと思って宿題を見たら既に終わってしまったと。確かにこの学校のレベルの問題では、無垢には手応えすらないのだろう。だからもっと進学校に行けばよかったのに。しかし無垢は休みの日さえも砂和を目で追って離さない。ふうん……本人が良ければ良いけれど、そう言う理由での学校選びもあるだろうな。それもまた、青春の一つ。
無垢の背中を共に目で追うと、台所でどこか疲れた様子で料理をしている砂和の背中が。時折汗をぬぐいながらうつむいて……。
「おい、無垢。砂和なんかあったのか?」
「別にいつもと変わらない気がするけど」
「そうか? なんだかやけに顔色悪くないか」
「え?」
瞬間、揺らいでその脚が崩れ落ちる寸前に慌てて駆け寄り受け止めた。青ざめてぐったりとした砂和を抱き上げる。
「おい、無垢! 布団用意しとけ、布団!」
「あっ、え、ああ……」
「早く!」
***
「……そんなに目を尖らせて怒らなくっても良いじゃないですか」
「ああ? だから俺はお前の自己管理の甘さを注意してんの! 危ないだろうが、無理して急に倒れたら!」
「お医者さんはただの風邪だって」
「だからってここまで熱出るまで放っておくなよ」
「夏バテだとばかり思ってたんです、少し喉は痛かったんですけど咳も出ないし鼻の通りも変わりなくって」
「お前はとことん自分の不調がわからないんだな、もう今日はそのまま寝ていろよ。家事は俺がどうにかする」
倒れた砂和の頬に触れたらやけに熱く、それきり起き上がるのも辛いと言うから近所のクリニックまで連れて行った。医者はただの夏風邪だとは言うけれど、熱は上がっているし顔色は良くならないしで帰って来てからは強制的に布団の中へ。砂和が作りかけだった昼食の牛丼は完成させて無垢と二人で食べて、今夜の夕食に悩んでいるところ。無垢はリビングのソファに腰掛けて、膝を抱えて小さくなっている。
「無垢ー、夜になんか食いたいもんあるか?」
「いらない、なにもいらない……」
「なんだその顔、そんなに俺の作る料理がまずそうだってかー」
「違う、なぁ……砂和さん大丈夫?」
「あー、熱下がんないとなぁ……」
その言葉で今度は無垢の顔が青ざめた。少し震えているその指先、けれど俺とはとことん目を合わせずに。
「まあ一応医者が風邪だって言うし、今夜一晩様子見てりゃ大丈夫だよ。薬ももらったんだから」
「だって、なにがあるかなんてわかんねえじゃん」
いつもの無垢に比べるとやけに言っていることが幼い。迷子の相手をしているのか、俺は。そう思うほどに無垢は砂和のことしか考えていない。
***
「失敗したなあとは思ってます、無垢の目の前では強くありたかったんですよね」
「なんで?」
「不安定になってるでしょう? 無垢。私のせいです」
「だってもう高校生だぞ、あいつ」
「私にとっては子供だし、無垢にとっては私は親みたいなものですよ。私が揺れると無垢が落ち込む、昔からそうです」
砂和の部屋に飲み物と冷却枕の代わりを持って。
しかし無垢は十六歳にしては幼いな。でも考えてみたら半年前は中学生。義務教育として守られる立場から一方で未だ踏み出さないでいる。それは今後無垢にとっても不幸せなことだろう。その辺、どうしてやったら良いものか。
「青海先生、ドアの隙間から無垢がのぞいてます」
「え、まじで?」
「あ、今帰った。あの、すみませんが無垢をお願いします、私は、大丈夫なので……」
早い呼吸を続けながら、砂和は何度も無垢を頼むと。多少、過保護な気もするが、熱の下がる様子のない砂和の額を撫でで、まかせろと部屋を後にすれば、砂和の部屋のドアの前で無垢が今にも泣きそうな顔をして立っていた。
「おい、盗み聞きするなー」
「な、なあ……砂和さんは?」
「寝てるよ、でもお前が覗き見するからおちおち眠れもしないって」
「……」
「冗談だよばか、熱が下がれば元気になるから」
「本当? なぁ本当に?」
子供が懸命に探るように、震える手が俺の手に触れる。随分と汗ばんで、冷たい手……言いたいことも言えずにただ考えすぎていて。
「本当! とりあえず飯食うぞ。もう一度聞く、何食いたい?」
「なんでも良い……」
「それ言われると困るんだけどなあ、じゃあ昼の残りの米があるからお前はたまごご飯でも食ってろ。味噌汁は作ってやる」
無垢はああ、だかうん、だか言って下を向きながらソファに腰掛ける。夕暮れの中、その背中があまりにも寂しそうで。ああ、これが無垢か、いつも俺には反抗ばかりしているくせに砂和には見せている本当のところ。しかしこうすっかり変わってしまうとなんだか気が抜けてしまうな。
「無垢、家の手伝いをしろ。洗濯物取り込んで、畳んでしまう! 味噌汁ができる前に片付けてしまえよ、はい始め!」
「……」
無言のまま、無垢はベランダに出て慣れない手つきで洗濯物を取り込む。砂和がいつもやっているのだろう、全くあいつは甘やかして。
その間俺は鍋を出して使いっぱなしの皿を洗いつつ夕食の準備を始める。冷蔵庫の中はきちんと片付けられていて、開けていない豆腐とわかめを見つけた。出汁はきちんと煮干しでとっているらしい、砂和の作る料理がどこか母親の料理と似ている気がするのはこのせいか。この分だとぬか床もそのうち手を出しそうだ、その証拠に浅漬けの用意はしてあった。それは独身二十六歳の家の冷蔵庫にしてはあまりに家庭的な……。
「青海、洗濯物終わった」
「じゃあ無垢、今度は洗い終わった皿を拭いて食器棚にしまえ」
「食器棚のどこにしまうのかわからない」
「入るところにしまえば良いだろ、食器棚の扉が締まりゃ良いんだよ」
無垢は戸惑いつつも黙って皿をふきんで拭いて行く。すっかり大人しくなってしまった無垢の頭を撫でればいい加減反抗するかと思ったものの、無垢は黙って撫でられている。
「なんだよ、お前なあ。何落ち込んでるんだ、無垢のくせに!」
「うるさい……」
「砂和の苦労がわかったか? これからはお前もこう手伝いをな……って、おい」
撫でられているうちに黙って無垢は泣き出してしまった。手のひらで涙を拭って、やがて小さな嗚咽を漏らす。そのまま涙は止まらず、無垢はふきんを放ってそのまま自分の部屋に駆け込んで行った。
***
「砂和ー、起きてるか? おーい」
無垢が部屋にこもってしまい食事に出来ないので、砂和の様子を見るために部屋のドアをノックする。しかしそこは物音一つせず沈黙の部屋……眠っているのか?
「おい、入るぞ」
ドアを開けて見えたのは無防備に投げ出された白い腕と蓋が外れて中身がこぼれたミネラルウォーターのペットボトル。それとともに床に倒れているのはやけに赤い顔した砂和が。
「砂和……? なあ大丈夫か」
抱き上げてその熱さに触れて、驚き慌てて無垢を呼ぶ。
「おい、聞こえてるんだろ、無垢! 急いで何か飲み物とタオル持って来い!」
隣の部屋の無垢が慌ててリビングの方へ駆けて行く足音を聞きながら、砂和の服の中に体温計を。真新しい体温計はすぐに音が鳴り、壊れているんじゃないかと思うような数値を見て、枕元にあった薬の袋から解熱剤を取り出した。
「砂和、起きろ! 薬飲むぞ」
「……う」
目を開けはしたものの、ぼんやりと状況がわかっていない顔をして砂和は俺の顔を見る。その上半身を抱き上げてその頬を軽く叩いて声をかけていると、そこへ慌てた無垢が新しいミネラルウォーターとバスタオルを持って来た。
「砂和、ほら口開けろよ。無垢、ペットボトルの蓋開けろ」
「あ、開いた……!」
状況が良くわかっていない砂和の口の中に解熱剤を一錠。そのくちびるに無垢から受けとったペットボトルを添え傾けたら、黙ってゆっくりと飲み込んだ。
薬を飲み終わった砂和は再び目を閉じて、俺に身体を預けてため息をつく。汗ではりついた額の前髪を拭ってやり、ベッドの冷却枕を整えてそっとその身体を再び横たえた。
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あとで落ち着いたら砂和の着替えをさせようと服の用意だけをして、床にこぼれた水を拭いて無垢とともに静かに砂和の部屋を後にする。それでも未だに無垢の表情は曇ったままだから、その頭をくしゃくしゃと撫でた。
「もう、大丈夫だっての、そんな顔するな」
無垢は未だに赤い目をしていて、すっかりいつもの勢いは見られない。すっかり夜空が見える窓のカーテンを閉めて、ようやく夕食の準備をした。
「ほら、無垢飯食え。味噌汁熱いぞ、気をつけてな」
「……いただきます」
さて、どうしたものか……。
無垢はこのまま食事が終わったら寝かせるとしても、砂和の具合も気になるから俺は今夜はあまり眠れそうにないな。無事に薬が効いたら良いが、あのまま熱が下がらないとしたら明日にでもまた病院に連れて行かないと。
「青海」
「なんだよ、ああ、飯食い終わったか? 食器は水につけとけな。あとでまとめて洗うから」
「わかった……その、……色々とありがとう」
「あ? ああ、お前も礼を言うんだなぁ、そう言うの良いと思うぞ」
「砂和さんにしつけられたからな」
「はは、良い親子でなにより。ほら、さっさと風呂入って寝てしまえよ! 夜更かししないように」
無垢は少し元気になって、そのまま一人風呂場に向かって行った。俺は洗い物を済ませて食器をしまい、部屋を片付け終えたあと静かに砂和の部屋に向かった。
「砂和ー。砂和、生きてるか? ……って、あ」
「青海先生……」
薄暗い部屋の中で砂和がベッドの上で起き上がっている。そばに寄ってその頬に触れるとまだ熱く熱が下がったようには思えない。
「なんだよお前、まだ寝てろ」
「熱、下がりましたよ。多少楽にはなりましたから」
「どこがー、これ変わってねえよ。起き上がるな、もう一回さっさと横になれ」
多少不服そうな砂和をベッドに横たわらせて、服の中に体温計を。気だるそうな顔をして砂和は静かに目を閉じる。それからすぐに電子音が鳴り、再び服の中に手を入れて体温計を取り出した。
「ほーら、やっぱり下がってない」
「少しは下がりました……」
「微妙にだろう? もう、おとなしくしてろよな」
「……あの、無垢はどうしました?」
「飯も食ったし、手伝いもした。心配ないよ」
「そうですか、お世話かけました」
いつだって砂和と無垢は繋がっている。お互いに離れては生きて行けない関係と言うのか、血の繋がりだけが家族ではないと。この二人の、二人だけの絆と言うものが、全ての縁を切ってしまった俺にはあまりに遠すぎて眩しい。
「痛っ、な、何するんですか青海先生……デコピン?」
「なんかムカついたから」
「え?」
「砂和のくせに、生意気だぞ」
「はぁ……?」
戸惑った顔に強引に頭から布団を掛けて、砂和の部屋を後にする。多少なりとも元気はあるようなのでこのまま寝かせておいて大丈夫だろう。俺は無性に酒を飲みたくなったので勝手に冷蔵庫を漁ると奥の方に缶酎ハイを見つけた。あいつにとってはジュースだろうが、今日の俺にとっては薬みたいなものだ。どこか無性に寂しくて、心が救いを求めている。やけにメンタルの上がり下がり激しいな、と自分でも思う。なんでもないような日常というのは大切にすべきものなのだろう。
「……あいつ、こんな甘いやつも飲むのか」
焼酎からワインまで勧めて断ったことのない砂和の選ぶものが、夏限定のラムネ味の酎ハイだとか。エアコンを効かせた部屋でつまみに無垢のお菓子を頂戴して、窓の外の月を見ながら一人酒を飲む。多分これは悪酔いするな、とそんな予感を抱えながら……。
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