純白のレゾン

雨水林檎

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いらっしゃいませ

01

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 今日の夕食は冷たいそうめんとそばをめんつゆで。おかずの天ぷらはとうになくなってしまった。無垢と二人では、何かと残り物は出るのに、今日はこの分では足りないかもしれない。

「青海、一度箸でとったそうめん戻すなよ! 汚い!」
「とり過ぎたから仕方ねえだろ、勿体無い」
「自分で責任もって食えっての!」
「次はそばの気分だった」

 青海が『お泊まり』をしに来た。教師も夏休みに入りその週末にアポなしで大荷物を抱えて。なんでも、自宅の二十年もののエアコンが壊れたらしい。結果、猛暑猛暑と騒いでいる今年の夏に、青海は家にいられなくなった。

「あー、やだなあ! 家に青海のいる生活なんて」
「無垢さっきからうるせえな! 家主の砂和が良いって言ってるから良いんだよ。この俺が熱中症になってそのまま新聞のおくやみ欄に載ったらどうする?」
「誰も悲しまない」
「無垢ぅ……!」

 騒がしい食卓だなあ、と思う。無垢も無垢で嫌なら相手をしなければ良いのに、と青海のめんつゆに浸されたそうめんを食べながら、一人外を見る。夕焼けを自宅で見るのは久しぶりだ。夏休み、どこにも行く予定はないが、先週まで遊び歩いていた無垢が珍しくどこにも出かけず家にいる。まるで私の夏休みに合わせるように。しかし、私の夏休み期間は、青海の夏休み期間でもあるのだが……。

「で、いつまでここにいるつもりなんだよ、青海」
「俺の夏休みが終わるまで」
「は……?」
「だって家にいたら暑いだろ! 学校があけば職員室は涼しいしな」
「お前がいたら俺と砂和さんどこにも出かけられないじゃん……」
「あ、お気遣いなく、お留守番はまかせろ。どれだって、最近買ったゲーム機は?」
「えっ、嘘だろ触るなよ! セーブデータきちんと分けてるのに」
「ゲームなんて何年ぶりだか、電源はどこだ?」
「触るなって!」

 無垢は慌ててゲームを片付けだした。一度それで遊んでみたかったらしい青海は追いかける。いや、それ以前に今は食事の時間だから……そう言いたくても意外とあの二人が仲良しで。教師と生徒、年齢的にはだいぶ離れているが。

「砂和さん、青海嫌だ! 捨てて来て!」
「うーん、青海先生重そうだからゴミ捨て場まで持っていけるかなぁ」
「お前ら俺を捨てる前提で話をするなよ。くそ、技かけてやる、柔道部顧問なめんな!」

 そして青海は無垢を押し倒し手を伸ばして、おもむろに柔道の技をかけようとする。無垢は素早く青海を避けた、しかしその拍子にテーブルの椅子が転がって、蓋を開けっぱなしのめんつゆのボトルも倒れる。

「あーあ、もう、二人とも……!」

 元気なのは何より、だけど家を破壊しないでほしい。このままでは階下から苦情が……ああ。

 ***

「青海に布団と部屋とられた……」
「でもリビングで寝られる方が迷惑だよ、青海先生寝たら昼まで起きなさそうだし」
「もう、本当に邪魔だなあいつ」
「大人しく宿題でもやるんだな、国語と数学は本物の教師がいるからね」
「特にわかんねーとこないもん、ちょろい」
「でも青海先生は頭良いんだよ、今度学歴聞いてごらん」
「興味ない」

 無垢の部屋で青海が寝るというので私の部屋では無垢と二人で眠ることになった。ベッドと床で、無垢は落ち着かないのかベッドの上で何度も寝返りを繰り返す。

「暑い? 室温下げようか、無垢」
「いや、そういうのじゃなくてさ……その、そっち行ってもいい?」

 私の答えを待つ前に無垢は一緒の布団に入ってきた。タオルケットに潜り込み、肌と肌が触れ合う。

「砂和さんの肌冷たいよね、夏でも昔から」
「そうかな?」
「平熱も低いんだろ、その辺ずっと変わらないんだな……」

 何か寂しいことでもあったのか、くっついてきたその頭を撫でて幼い子供を寝かしつけるように背中をとんとんと。そうするともう五分もたたないうちに無垢はすっかり寝てしまった。私は少し喉が渇いてしまったので、そっと布団から抜け出す。午前一時、リビングの明かりをつけると、そこには黙ってソファで携帯電話を見ている青海がいた。

「何してるんです、青海先生。無垢の部屋は眠れませんか?」
「ちょっと昔の夢を見て目が覚めただけだ、また寝るよ」

 しかしそれからしばらくしても、青海は眠る様子がない。やはり眠れないのだろうか、そっとのぞけば彼の携帯電話の待ち受けにしてある見覚えある幼い少女と目が合った。

「娘さん、大きくなったんでしょうね」
「ああ、確か今年高校生になったはずなんだよなぁ。無垢と同い年だよ」
「お若い時に結婚されたんですね」
「学生結婚で、まあすぐに離婚したんだけど」

 青海の若い頃はなんとなく想像は出来る。子供をきっと可愛がったのだろう、子供には優しい父親。けれどそれだけではうまくいかないことはある。

「会いたいですか?」
「まあな、でも俺が顔だしてこれ以上あいつらを不幸にはしたくない。人づてだけど十年くらい前に再婚したって、多分それからは静かに暮らしてるんだろう」
「……青海先生だって幸せになって良いんですよ」

 携帯電話を見ている青海がその瞬間に私を見た。目と目があって、しばらくの沈黙が。そして彼の方から目を離した、少し寂しげな表情で。

「若気の至りじゃないが、二人の人生を狂わせたのは俺だし……お前もわかるだろう? 子供がいくら望もうが、親は思い通りにならない。一方的に手を離されて俺を恨んでいないわけはないよ」
「青海先生……」

 青海の傷に触れてしまった気がした。いつも誰かしらと騒ぎまわって明るく接してはいるものの青海もまた孤独を知っている。もしかしたら私よりももっと孤独というものに通じているのかもしれない。

「お酒でも飲みましょうか」
「はは、それも悪くないが今夜飲んだら俺泣きそうだからなあ」
「割と良く泣いているから大丈夫ですよ、青海先生」
「……そりゃどうも」

 冷蔵庫の中には缶ビールが。いつぞやの青海が置いていったものだった。食器棚からグラスを二つだして、そこへ静かに注いで行く。

「あいにく何もつまみになるものはありませんが」
「いや、かまわない」

 注ぎ終えて、そっとグラスをあげて乾杯を。青海はそのまま一気に飲んで、長く息を吐く。

「明日、いや今日か……何して過ごすかなあ」
「無垢が遊んで欲しそうでしたよ」
「そうか、じゃあプロレス技でも教えこんでやるか」
「……家が壊れます」

 月明かりの下の青海の顔はいつも違って優しくて。多分これが彼の父親としての顔。向島の両親と出会う前、実の父親を知らない私にもかつてこんな存在がいたのだろう。

 そんな夢を見るように、夏の夜は過ぎて行く……。
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