純白のレゾン

雨水林檎

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決壊

01

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「あの髪の色、染めてるだろ」

 早朝学校の廊下、背中から聞こえるのはヒソヒソ声の陰口。それな、特に知らないやつにはよく言われる。別に染めてようが染めてなかろうが俺は俺だし、校則違反だとか言われても、俺の髪で誰かに迷惑かけたことはないし。それ以前に俺の方が被害者だろ、生まれつきとは言えこんな見知らぬ親の形見みたいな。顔すら知らないやつの形見なんかいらない。

「ははっヤンキー?」
「今時いるかよ、ダセェ」

 うるせえな、本当に。
 振り向いて牽制をかけるように睨みつけた。戸惑った中途半端にイキっている男子生徒二人、薄笑いが凍りつく。

「ダセェのはどっちだか、先輩方自分の顔鏡で見たことある? それにさぁ今時腰パンっていうの、何? いつの時代? せめて高校生になったのなら制服くらいおしゃれに着こなして欲しいものですねえ」

 二人の顔は猿みたいに赤くなっている、あの校章の色は二年生だ。後輩の俺に馬鹿にされたのが悔しいのだろう。俺はわざとそれを煽るようにでかい声で校歌を歌いながら、スキップでもするくらいご機嫌な様子を見せてやり一人廊下を駆け抜けやった。

「スキップやめろー、うるさいぞ無垢」
「あ、青海おはよ」
「青海先生だ! 朝からなんだ、ご機嫌かよ」
「残念、すげーイライラしてる」
「モノに当たるなよー」
「うーるせ!」

 通りすがった職員室をのぞけば、砂和さんが真剣に仕事をしていた。昔、学生時代の試験勉強をしていた時の顔と変わらない。変わったのは、俺かな。喧嘩も強くなったし他人の前では泣かないと決めた。砂和さんみたいに大人になるにはもう少しかかるだろうけれど。
 昼休みになってクラスの連中と一緒に食事。今日の弁当も砂和さんの手作りで、昨日の残りと朝焼いてた玉子焼きが。器用になんでもこなすよな、授業の課題もわかりやすいし……。

「無垢、購買行かね?」
「良いよ、何買うの」
「喉乾いたからジュースかなぁ」

 昼休みの廊下は騒がしい。廊下を走る小学生みたいなやつから、窓の外を見て昼からたそがれてるやつ。俺は同級生みんなで最近流行ってる携帯ゲームの話をしながら購買へ着いた、その時だった。

「あ、あいつじゃね?」
「相変わらず目立つ髪の色だな」

 それ、俺のことか。視線を感じて振り返ったら今朝遊んでやった上級生だ。
 馬鹿にしたからまだ恨みでも持っているのか、俺をジロジロと見てヒソヒソ話。暇だよなあ……言うだけなら言わしておけば良いがどうやら向こうはそれでは気が済まないらしい。頭上を舞う、トイレの雑巾。交わしたものの、そんなものを投げるあいつらの根性が許せない。言いたいことがあるなら口で言えよ。
 上履きにその雑巾を乗せて、蹴り上げるようにお返し。ぎゃ、だか、うわ、だかと声をあげて見事に避けきれない二人の頭の上に雑巾は落下する。

「きったねぇの! こっち寄るなよセンパーイ」

 怒りで肩を震わせる二人に、そんな挨拶とともに手を振って俺は先を行く同級生の元に走る。やっと追いついて階段まできた、その時だ。

 ふわっと身体が浮いた。
 思いっきり背中を押されて、ずるりと足が滑りそのまま階下まで落下する。その衝撃は痛みよりも先に足首が変な方を向いた違和感が。俺は必死に頭だけはかばいながらそのまま何段も何段も転がり落ちていった。

 ***

「無垢が悪い」
「えー、なんでだよ!」
「彼らをおちょくる真似をしたんだろう? もちろん手を出した二人も悪いけど、行動を起こさせるきっかけを作ったらいけないよ」
「じゃあ俺の髪を黒染めしろとでもいうわけ?」
「そういうことじゃなくて……」

 ひと騒ぎののち、保健室にて。
 結局俺は軽く足をひねって、肩に擦り傷。頭は大丈夫だったけれどこれじゃあしばらく走るどころか歩くことも痛い。事態を知り慌てた顔をして来た砂和さんはことの経緯を聞いてため息をつきながら俺を叱る。陰口叩いて来たのは向こうなのに……。

「その髪は無垢の個性だからね、大切にするべきだと思うよ。多分彼らも羨ましかったんじゃないかな。綺麗な色してるから」
「えー、そんなの俺嬉しくない! 俺好きでこんな風に生まれたわけじゃないのに」
「私はその髪嫌いじゃないけどね。そうじゃなくって、悪口は言う方が馬鹿なんだよ。そんなものを相手にするんじゃない。こうして足をひねって痛い思いして、馬鹿馬鹿しいだろう? 感情は抑えて静かに流されて生きることの方が楽なんだよ。先生としてこんなこと言うのもなんだけどさ」

 砂和さんはそう言って俺の頭を撫でた。亜麻色の髪、知らない誰かの贈り物。過剰に目立つ個性なんかいらない。

 結局、その日夜に俺と砂和さんの家まで俺を突き落としたやつらの保護者が謝罪しに来た。俺の保護者が先生だと知って、今後の成績に影響が……とか思ったのかもしれない。砂和さんは滅相もないと言わんばかりに頭を下げ返す。足が痛くて夜遊びができない暇な俺は、砂和さんの部屋に勝手に入って読書でもしようと本棚を見ていた。
 しかしそれらは大学の教科書だか知らないが、小難しい本ばかり。もっと軽いエッセイでもないものか。そこで背表紙に何も書いていないファイルを見つけた。ぱらぱらとめくってみたらどうやらそれはアルバムらしい。昔の砂和さんいないかな、そう思ってじっくりを見てみれば……。

「え……」

 髪の長い薄汚れた子供。砂和さんじゃない、この髪の色は……。

 この写真はおそらく初めて俺が向島の両親と、向島の実家の門の前で撮られたものだ。そこに写る俺はあまりに幼く痩せ貧相で荒んだ顔して、人並みに世話をされて愛されて育った子供には見えない。しかし、問題なのはその一枚だけで、あとは過去見覚えのある俺だった。

 俺は、小鳥遊無垢は愛されないで育った子供だったのか……そう考えてみたらうっすらととある日の出来事を思い出す。

『お母さんはね、僕が嫌いだったんだよ』

 あの日砂和さんにそう言ったのは間違い無く俺だった。
 
「ひ、う……」

 知ってる、俺は知っていたんだ。砂和さんに出会うまでの永遠の孤独、あの頃薄暗い小さなアパートで人を愛し愛されることを知らずに、わずかな食料と飲み物で生きていただけの『小鳥遊無垢』を。

 溢れ出す過去に涙が止まらず、そのまま砂和さんの枕に顔を伏せる。保護者はまだでかい声で何か砂和さんに懇願している。あいつらの方が、俺より全然愛されていた。

『お願い、どうか僕を嫌わないで』

 かつて感じたその感情だけが音を立てて、いま俺の心をぐしゃぐしゃとかき乱している。
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