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夏休みが近づいていた。この頃の薬師寺優巳(やくしじまさみ)は一層部活に集中している。所属しているバスケットボール部の他校との練習試合に一年生ながら出場し、見事得点を決めたのだ。その成果は確実に評価されていて部活内での評判もよかった。だから今、部活が楽しくて仕方がない。
一方、新島陽(にいじまはる)は元気がなかった。日々落ち込みがちで食欲のないのは相変わらず。夏を迎え体力はさらに落ち、保健室で過ごす日が増えていた。陽の家庭での状況を考慮し、保護者には出来るだけ言わないと言うことで現在の保健室は陽の避難所に成り果てている。
「陽くん、気分はどう?」
「少し……落ち着きました。でもまだ起き上がると眩暈がして」
「よくないねえ、もうちょっと寝てていいよ」
「でも、補習授業に来たのにずっと寝てていいのかな。そろそろ先生に悪いから戻ります」
「体調が悪いのは仕方ないよ、先生にも一応事情話しておいてあげるから寝てなさい」
土曜日の補習授業。陽は定期テストの成績があまり良くなかったと補習授業に出席するために学校に来た。しかしあまりの体調不良のため授業を抜けて保健室までやって来たのだ。
「課題が忙しかったの?」
「終わらなくて……昨日徹夜しちゃって」
「徹夜? それは良くないなあ。無理が祟ったんだね、夜は寝ないと」
「でも僕馬鹿だから課題なかなか終わらないんです。勉強しててもすぐに疲れちゃうから集中できなくって」
「疲れがたまっているんだよ、昨日食事は? 食べた?」
「疲れて気持ち悪くて、食べられなかった……」
その言葉に養護教諭、西谷早馬は困った顔をする。寝不足と栄養不足の重なった体調不良、陽が食事を食べないのもここ最近だけのことじゃない。入学時から三か月、無理をしすぎたその身体は短期間でかなり痩せてしまった。体育の授業はさすがに危ないから見学にさせているが、それ以外も最近では辛そうなところがある。授業中に教室で倒れたこともあった。
「……もうすぐ夏休みだから、少しゆっくり休んで体調回復すると良いね」
「はい」
「食べられない日が続いたらまた病院行ってね、さすがに痩せすぎだから」
「……はい」
最近の陽はさらに食事を積極的に食べないようにしているようなところがある。全てに諦めてしまった顔をしてさらに痩せてこれ以上身体を痛めつけ一体どうしようと言うのか。
「陽くん、あまり無理しないでね」
「……でも僕はそれくらい頑張らないと周りについて行けないから。出来が悪くて、恥ずかしい」
「出来が悪くなんてないよ、君は一生懸命頑張っているじゃないか」
「……そうかな」
「陽くん……?」
陽はすっかりふさぎ込んでしまっているようだった。一体何があったのか、以前のいつもにこにこと元気の良かった彼は一体どこに行ってしまったのか。陽はそれきり黙って目を閉じて眠ってしまったようだった。陽の近況について聞きたい。彼に一番近いのは……優巳だ。
「えっ、陽、保健室に行ってるんですか?」
「朝から気分が悪いって真っ青な顔でふらふらしながらやって来てね、大分辛そうだったよ」
「それって大丈夫なんですか」
「あまり大丈夫ではないね」
西谷は部活動で体育館にいる優巳のところに行った。試合を終えた優巳は汗を拭きながらやって来て、西谷の言葉に悩んだ顔をする。
「ねえ、陽くん最近元気ないみたいだけど何かあったの?」
「ああ……ちょっと成績のことで家できつく言われたみたいで」
「随分と落ち込んでいるよね」
「この頃あまり笑わないんです、陽。以前はいつもにこにこしていたのに」
「身体も心配だけど精神的にも心配だな。落ち込んでいると余計食欲も落ちてしまうし」
「俺、今日一緒に帰ります。昼過ぎに迎えに行くのでそれまで陽をお願い出来ますか?」
***
西谷が保健室に戻ると陽はまだ眠っていた。しかし額に大量の冷や汗をかき血の気のない顔をして眉をぎゅっと寄せている。なんだか気分が悪そうだ。
「陽くん! どうした、気分が悪いの?」
「せ、んせい……ごめんなさい、僕、きもち、わるくて……」
「吐きそう?」
必死にうなずく陽、もう言葉が出ない。慌てた西谷は洗面器を持って陽のもとに駆け寄った。起き上がった陽はそのまま洗面器に向かって嘔吐する。苦し気に何度かえずき、ビシャビシャと吐瀉物が広がって行く。しかしそのなかに食べ物の残りはなかった。
「ケホッ、ゴホ! ハァ……ハァ……ッ」
「苦しかったね、うがいしようか?」
うなずいた陽は西谷の持ってきた水で数回口をゆすぎ、そのまま再びベッドに倒れこんだ。西谷は後片付けをしながら苦し気に上下する陽の背中をさする。汗が酷い、よほど気分が悪かったようだ。
「ねえ陽くん。もしかしてご飯、食べてない?」
「……昨日、お昼に小さいパンを少し食べたんですけど、結局夜に吐いちゃってそれからは何も」
「もっと食べないと、身体に良くないよ」
「……あまり食べたくないから、良いんです。無理して食べても、結局吐くし」
「陽くん……」
酷い拒食状態に陥っている。明らかに食事量は足りていないのにも関わらずそれでも食べたくないと言う。陽の心の闇が見える、西谷は戸惑いそんな陽に何て言ってやったら良いのか迷っていた。
「あの、失礼します」
そこに優巳がやって来た。部活で使った道具を持ってさらに教室に行って陽の荷物もとって来たらしい。陽は優巳に気づいて横になりながら少し笑った。
「陽、大丈夫か?」
「ちょっといま吐いちゃってね、もう少し休んでから帰りなさい」
「陽……」
優巳はそっと陽に寄り添った。優巳との絆だけが今の陽にとっては唯一の救いで頼りだった。優巳がいるからまだかろうじて心を保っていられるのだろう。優巳がいなければこのままでは陽の心は壊れてしまう、そして、西谷の心配は現実になろうとしている。このままではいけない、どうにかして陽の心を救わなければ……。
***
「歩けるか? 俺につかまっても良いぞ」
「そこまで辛くないよ、一人で歩ける」
帰り道、心配な優巳は陽の身体を支えようとする。陽はふらつきながらも何とか一人で歩いていた。
夏の昼下がり、夏休みになったら毎日は会えない。優巳は毎日部活があって、陽はどこにも行く場所はなかった。その距離がまた、陽をもっと孤独にする。
「ねえ、優巳。今度の休みはいつ?」
「明日の日曜は部活はないけど」
「ちょっと出かけるのに付き合ってくれない?」
「良いけどどこに行くんだ?」
「うん、ちょっと……」
***
翌朝、駅が近い陽の自宅前で待ち合わせる。優巳は涼し気な半袖のシャツ姿の優巳に対して今日も陽は長袖のシャツを着ていた。さすがに少し暑そうだ。
「陽、暑いだろ、袖めくったらいいんじゃないか?」
「いいよ、大丈夫」
「陽……長袖でごまかしてもお前が痩せすぎているのくらいわかるよ」
「……はは、ばれちゃったね」
やって来た快速電車に乗った。行き先は少し遠い、県外に出るのなんて滅多にないことだ。陽の手には一枚の年賀状が握られている。
「陽、今日は一体どこに行くんだ?」
「お父さんに会いたいと思って」
陽が持っているのは実父からの年賀状だった。引越ししたことと、再婚したこと。それだけが簡潔に書かれている。年賀状は数年前のものの様で少し古びていた。
「向こうは会っても気づかないと思うよ。最後に会ったのは小学校入学前だから。話がしたいわけじゃない、せめて遠くから元気かどうか確認出来たらなって」
「どんな人だったか覚えているのか?」
「とっても優しい人だった。仕事に忙しくて滅多に家には帰って来なかったけど……帰って来た時にはいつも遊んでくれて」
もしも、陽が母ではなく父に引き取られていたら今のような孤独な目には遭っていなかったかもしれない。しかしどんな事情があったのかわからないが、陽は母に引き取られてしまった。それが陽の初めての不幸だった。
「顔も鮮明に思い出せるよ。でもきっと老けちゃったんだろうな。もう十年以上前のことだから」
「元気だと良いな」
「うん」
快速電車は乗換駅に到着する。二人は待ち合わせをしていた各駅停車に乗り換えて、それからさらに沿線を走る。海の見える住宅街だった。
「陽、俺さ、一度お前と海に行きたいって思ってたんだ。プールは行ったことあるけど海はないだろ? 今年の夏、行こうぜ」
「うん、いいね」
「お前泳げるようになったか?」
「泳げるよ、息継ぎは出来ないけど……」
「それはあまり泳げるって言わない」
終点駅に着いたのは昼前のことだった。駅前には大きなショッピングモールがある、綺麗に整備された若い夫婦に好まれそうなニュータウンだ。暮らす分には不便はないだろう。
「地図から見るとここから十分程度歩くみたい。住宅街の真ん中のあたり……」
「歩けるか?」
「大丈夫」
年賀状の住所を頼りに二人は住宅街を歩いた。近くには大きめの公園があって、小さな子供たちが遊んでいる。二人もかつてそんな子供だった。毎日陽が暮れるまで遊んで、二人だけの秘密はいっぱい持っていた。
「なんだか懐かしいね、優巳」
「俺らも年取ったよなあ」
「そうだね、もうブランコなんて怖くて高く漕げない」
「怖さ知らずなところも子供ならではだもんな」
やがて歩いた先には白い屋根の家がある。地図によると、ここが……。
「表札、あるかな」
「舞原って書いてある」
「……お父さんの名字だ」
陽はじっと家の様子を眺めていた。二階建ての新築住宅、庭が広くそこには幼児用のビニールプールと赤い補助輪のついた自転車があった。どうやら小さな子供がいるらしい。
「優巳、来て」
慌てた陽が電信柱の陰に隠れる。何かと思えば家の中から人が出て来た。小さな人影が走り出す。
「パパ―! 公園でボール遊びしよう!」
「道路に飛び出すなよ、自転車に乗って行くか?」
「乗る! 押して」
ちいさな女児と四十代半ばくらいの男性が通り過ぎた。陽の目はその男性にくぎ付けになる。
「優巳、お父さんだ……」
陽の父は話通り優しそうな人だった。子供の自転車を笑顔で押している。自転車の補助輪がガタガタと鳴り、女児の笑い声とともに住宅街に響く。
「お昼過ぎには帰ってきてね! お昼ご飯はおそうめん食べるよー!」
自宅から手を振っているのは若い母親。たぶん彼女が父の再婚相手なのだろう。
じっとその様子を見ていた陽の目から涙が少しずつあふれだした。二人をそのまま見送って、やがて涙は決壊する。
「陽……」
「……み、優巳、僕には妹が出来ていたよ。お父さんは元気そうで奥さんも優しそうな人。幸せそうに暮らしている」
「……」
「僕と別れてお父さんは幸せになったんだ。新しい家族とあんなに笑って、……どうしてこんなに違ってしまったんだろう。今の僕はあんな顔では笑えないよ」
「陽、来い」
優巳は泣きじゃくる陽を抱きしめる。止まない嗚咽をこらえながら陽はしばらくその場から動くことが出来なかった。
***
それから二人は海沿いに歩いて途中コンビニでジュースとパンを買った。そしてパンを食べながら、陽が疲れるとしばらく休んでそして歩く。海は人影まばらで本格的な海水浴シーズンはこれからなのだろう。
「本当にお父さんと話しないで良かったのか?」
「そんなの、向こうだって困るよ。僕は幸せな家族を困らせたいわけじゃない。ただお父さんが幸せなのを確認出来たらそれでよかったんだ。お父さんとの思い出は小さな頃の僕の心にいまでもある」
「……お前も、これからだよ。大丈夫だ、俺が幸せにしてやる」
「優巳とずっと一緒にいられたら楽しいだろうなあ」
「いるよ、これからもずっと一緒だ」
「うん……」
海は満ち引きを繰り返している。波の音と潮風に吹かれて静かな夏を感じながら、二人はその日夕方までその街で過ごした。
***
「遅くなっちゃったな、大丈夫か?」
「大丈夫、優巳、今日はありがとう」
陽の自宅マンション前、もうすっかり日は暮れてしまっていた。少し疲れた表情をした陽は優巳に礼を言う。今日一日の思い出は多分良い意味でも悪い意味でも忘れることはないだろう。
「明日は学校だな、もうすぐ夏休みだし休みになったらゆっくりしような」
「優巳は部活で忙しいでしょう?」
「休みだってあるよ。暇な日はまた俺の家に遊びに来いよ」
「うん、行く」
そして二人は自宅に帰ることにした。また、明日。優巳は何度も振り返って、陽はそんな優巳に向かって手を振り続けていた。
「……ただいま」
エレベーターで自宅階に上がり玄関のドアを開けるとそこには怒りに強張った表情の母がいた。黙って陽をにらみつけ、そしてその頬を容赦なく叩く。
「こんな時間までどこに行っていたのよ!」
「あ……ご、ごめんなさい」
「高校生のくせにこんな時間まで遊び歩いて! 少しは自分をわきまえなさいよ!」
「れ、連絡もしないですみませんでした……これからは、き、気を付けます」
「本当に反省しているの? 二度目はないわよ、今度遅くなったら鍵開けないから!」
「はい、ごめんなさい……ごめんなさい……っ!」
母はどこに行っていたかも聞かず一方的に怒りを向けてそのままリビングに入って行ってしまった。陽はひりひりと痛む頬をさすり、再び涙を流す。そしてそのまま自室に入った。自室は暗く、カーテンを開けっぱなしの窓からは星も見えなかった。
消えてしまおうかな、そんな風に考えた。このまま陽を許してくれる人の元へ消えてしまおう。ここにはもういたくない。ポケットにスマホを入れて陽はそのまま再び静かに家を出る。もう帰らない、どこにも行く当てはなかったがこんな家にはもう帰って来たくなかった。
***
しかし陽の居場所はいくら歩いてもどこにも見つからなかった。深夜の公園でベンチに腰掛ける。これからどうしよう、何も考えなしに家を出てきてしまったものの、ポケットには小銭すらない。スマホしか持って来ていなかった。
陽は優巳のことを考える。こんな時間に呼び出したら迷惑なのはわかっていたが、今頼れるのは優巳しかいない。しかし……。
「スマホ、電源切れてる……」
いつの間にか充電がなくなってしまっていた。さすがに深夜に優巳の家に行くほど非常識ではない。陽は本当に一人になった。今夜はたった一人ここで夜を明かすしかない。
ベンチに腰かけていると涙がまた浮かんできた。真っ暗な空の下はあまりにも孤独すぎた。自分を忘れて幸せな実父と訳も聞かず怒鳴り散らす母。陽を理解してくれる両親はいなかった。高校を卒業したら家を出ようかな、でも物覚えも悪いこんな自分がすぐに働けるとも思えなかった。この呪縛はいつになったら解けるのだろう、いつになったら陽は許してもらえるのだろうか。
空からは雨が降り出してきた。ぽつりぽつりと、すぐに雨は強くなりどしゃぶりになった。陽は雨を避けようもなくただずぶ濡れになっている。夏とは言え夜はまだ涼しく雨で急激に身体は冷える。身体は冷えて強張り、雨で息が出来ない。次第に気が遠くなり陽は雨の中ベンチから地面に音を立てて倒れこんだ。
翌朝、雨も止んだ頃自転車で見回りの警察官が倒れている陽を発見する。陽はそのまま病院に運ばれて長い期間の過度の栄養不足に伴う栄養失調で入院することになった。
一方、新島陽(にいじまはる)は元気がなかった。日々落ち込みがちで食欲のないのは相変わらず。夏を迎え体力はさらに落ち、保健室で過ごす日が増えていた。陽の家庭での状況を考慮し、保護者には出来るだけ言わないと言うことで現在の保健室は陽の避難所に成り果てている。
「陽くん、気分はどう?」
「少し……落ち着きました。でもまだ起き上がると眩暈がして」
「よくないねえ、もうちょっと寝てていいよ」
「でも、補習授業に来たのにずっと寝てていいのかな。そろそろ先生に悪いから戻ります」
「体調が悪いのは仕方ないよ、先生にも一応事情話しておいてあげるから寝てなさい」
土曜日の補習授業。陽は定期テストの成績があまり良くなかったと補習授業に出席するために学校に来た。しかしあまりの体調不良のため授業を抜けて保健室までやって来たのだ。
「課題が忙しかったの?」
「終わらなくて……昨日徹夜しちゃって」
「徹夜? それは良くないなあ。無理が祟ったんだね、夜は寝ないと」
「でも僕馬鹿だから課題なかなか終わらないんです。勉強しててもすぐに疲れちゃうから集中できなくって」
「疲れがたまっているんだよ、昨日食事は? 食べた?」
「疲れて気持ち悪くて、食べられなかった……」
その言葉に養護教諭、西谷早馬は困った顔をする。寝不足と栄養不足の重なった体調不良、陽が食事を食べないのもここ最近だけのことじゃない。入学時から三か月、無理をしすぎたその身体は短期間でかなり痩せてしまった。体育の授業はさすがに危ないから見学にさせているが、それ以外も最近では辛そうなところがある。授業中に教室で倒れたこともあった。
「……もうすぐ夏休みだから、少しゆっくり休んで体調回復すると良いね」
「はい」
「食べられない日が続いたらまた病院行ってね、さすがに痩せすぎだから」
「……はい」
最近の陽はさらに食事を積極的に食べないようにしているようなところがある。全てに諦めてしまった顔をしてさらに痩せてこれ以上身体を痛めつけ一体どうしようと言うのか。
「陽くん、あまり無理しないでね」
「……でも僕はそれくらい頑張らないと周りについて行けないから。出来が悪くて、恥ずかしい」
「出来が悪くなんてないよ、君は一生懸命頑張っているじゃないか」
「……そうかな」
「陽くん……?」
陽はすっかりふさぎ込んでしまっているようだった。一体何があったのか、以前のいつもにこにこと元気の良かった彼は一体どこに行ってしまったのか。陽はそれきり黙って目を閉じて眠ってしまったようだった。陽の近況について聞きたい。彼に一番近いのは……優巳だ。
「えっ、陽、保健室に行ってるんですか?」
「朝から気分が悪いって真っ青な顔でふらふらしながらやって来てね、大分辛そうだったよ」
「それって大丈夫なんですか」
「あまり大丈夫ではないね」
西谷は部活動で体育館にいる優巳のところに行った。試合を終えた優巳は汗を拭きながらやって来て、西谷の言葉に悩んだ顔をする。
「ねえ、陽くん最近元気ないみたいだけど何かあったの?」
「ああ……ちょっと成績のことで家できつく言われたみたいで」
「随分と落ち込んでいるよね」
「この頃あまり笑わないんです、陽。以前はいつもにこにこしていたのに」
「身体も心配だけど精神的にも心配だな。落ち込んでいると余計食欲も落ちてしまうし」
「俺、今日一緒に帰ります。昼過ぎに迎えに行くのでそれまで陽をお願い出来ますか?」
***
西谷が保健室に戻ると陽はまだ眠っていた。しかし額に大量の冷や汗をかき血の気のない顔をして眉をぎゅっと寄せている。なんだか気分が悪そうだ。
「陽くん! どうした、気分が悪いの?」
「せ、んせい……ごめんなさい、僕、きもち、わるくて……」
「吐きそう?」
必死にうなずく陽、もう言葉が出ない。慌てた西谷は洗面器を持って陽のもとに駆け寄った。起き上がった陽はそのまま洗面器に向かって嘔吐する。苦し気に何度かえずき、ビシャビシャと吐瀉物が広がって行く。しかしそのなかに食べ物の残りはなかった。
「ケホッ、ゴホ! ハァ……ハァ……ッ」
「苦しかったね、うがいしようか?」
うなずいた陽は西谷の持ってきた水で数回口をゆすぎ、そのまま再びベッドに倒れこんだ。西谷は後片付けをしながら苦し気に上下する陽の背中をさする。汗が酷い、よほど気分が悪かったようだ。
「ねえ陽くん。もしかしてご飯、食べてない?」
「……昨日、お昼に小さいパンを少し食べたんですけど、結局夜に吐いちゃってそれからは何も」
「もっと食べないと、身体に良くないよ」
「……あまり食べたくないから、良いんです。無理して食べても、結局吐くし」
「陽くん……」
酷い拒食状態に陥っている。明らかに食事量は足りていないのにも関わらずそれでも食べたくないと言う。陽の心の闇が見える、西谷は戸惑いそんな陽に何て言ってやったら良いのか迷っていた。
「あの、失礼します」
そこに優巳がやって来た。部活で使った道具を持ってさらに教室に行って陽の荷物もとって来たらしい。陽は優巳に気づいて横になりながら少し笑った。
「陽、大丈夫か?」
「ちょっといま吐いちゃってね、もう少し休んでから帰りなさい」
「陽……」
優巳はそっと陽に寄り添った。優巳との絆だけが今の陽にとっては唯一の救いで頼りだった。優巳がいるからまだかろうじて心を保っていられるのだろう。優巳がいなければこのままでは陽の心は壊れてしまう、そして、西谷の心配は現実になろうとしている。このままではいけない、どうにかして陽の心を救わなければ……。
***
「歩けるか? 俺につかまっても良いぞ」
「そこまで辛くないよ、一人で歩ける」
帰り道、心配な優巳は陽の身体を支えようとする。陽はふらつきながらも何とか一人で歩いていた。
夏の昼下がり、夏休みになったら毎日は会えない。優巳は毎日部活があって、陽はどこにも行く場所はなかった。その距離がまた、陽をもっと孤独にする。
「ねえ、優巳。今度の休みはいつ?」
「明日の日曜は部活はないけど」
「ちょっと出かけるのに付き合ってくれない?」
「良いけどどこに行くんだ?」
「うん、ちょっと……」
***
翌朝、駅が近い陽の自宅前で待ち合わせる。優巳は涼し気な半袖のシャツ姿の優巳に対して今日も陽は長袖のシャツを着ていた。さすがに少し暑そうだ。
「陽、暑いだろ、袖めくったらいいんじゃないか?」
「いいよ、大丈夫」
「陽……長袖でごまかしてもお前が痩せすぎているのくらいわかるよ」
「……はは、ばれちゃったね」
やって来た快速電車に乗った。行き先は少し遠い、県外に出るのなんて滅多にないことだ。陽の手には一枚の年賀状が握られている。
「陽、今日は一体どこに行くんだ?」
「お父さんに会いたいと思って」
陽が持っているのは実父からの年賀状だった。引越ししたことと、再婚したこと。それだけが簡潔に書かれている。年賀状は数年前のものの様で少し古びていた。
「向こうは会っても気づかないと思うよ。最後に会ったのは小学校入学前だから。話がしたいわけじゃない、せめて遠くから元気かどうか確認出来たらなって」
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「顔も鮮明に思い出せるよ。でもきっと老けちゃったんだろうな。もう十年以上前のことだから」
「元気だと良いな」
「うん」
快速電車は乗換駅に到着する。二人は待ち合わせをしていた各駅停車に乗り換えて、それからさらに沿線を走る。海の見える住宅街だった。
「陽、俺さ、一度お前と海に行きたいって思ってたんだ。プールは行ったことあるけど海はないだろ? 今年の夏、行こうぜ」
「うん、いいね」
「お前泳げるようになったか?」
「泳げるよ、息継ぎは出来ないけど……」
「それはあまり泳げるって言わない」
終点駅に着いたのは昼前のことだった。駅前には大きなショッピングモールがある、綺麗に整備された若い夫婦に好まれそうなニュータウンだ。暮らす分には不便はないだろう。
「地図から見るとここから十分程度歩くみたい。住宅街の真ん中のあたり……」
「歩けるか?」
「大丈夫」
年賀状の住所を頼りに二人は住宅街を歩いた。近くには大きめの公園があって、小さな子供たちが遊んでいる。二人もかつてそんな子供だった。毎日陽が暮れるまで遊んで、二人だけの秘密はいっぱい持っていた。
「なんだか懐かしいね、優巳」
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「そうだね、もうブランコなんて怖くて高く漕げない」
「怖さ知らずなところも子供ならではだもんな」
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「表札、あるかな」
「舞原って書いてある」
「……お父さんの名字だ」
陽はじっと家の様子を眺めていた。二階建ての新築住宅、庭が広くそこには幼児用のビニールプールと赤い補助輪のついた自転車があった。どうやら小さな子供がいるらしい。
「優巳、来て」
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「パパ―! 公園でボール遊びしよう!」
「道路に飛び出すなよ、自転車に乗って行くか?」
「乗る! 押して」
ちいさな女児と四十代半ばくらいの男性が通り過ぎた。陽の目はその男性にくぎ付けになる。
「優巳、お父さんだ……」
陽の父は話通り優しそうな人だった。子供の自転車を笑顔で押している。自転車の補助輪がガタガタと鳴り、女児の笑い声とともに住宅街に響く。
「お昼過ぎには帰ってきてね! お昼ご飯はおそうめん食べるよー!」
自宅から手を振っているのは若い母親。たぶん彼女が父の再婚相手なのだろう。
じっとその様子を見ていた陽の目から涙が少しずつあふれだした。二人をそのまま見送って、やがて涙は決壊する。
「陽……」
「……み、優巳、僕には妹が出来ていたよ。お父さんは元気そうで奥さんも優しそうな人。幸せそうに暮らしている」
「……」
「僕と別れてお父さんは幸せになったんだ。新しい家族とあんなに笑って、……どうしてこんなに違ってしまったんだろう。今の僕はあんな顔では笑えないよ」
「陽、来い」
優巳は泣きじゃくる陽を抱きしめる。止まない嗚咽をこらえながら陽はしばらくその場から動くことが出来なかった。
***
それから二人は海沿いに歩いて途中コンビニでジュースとパンを買った。そしてパンを食べながら、陽が疲れるとしばらく休んでそして歩く。海は人影まばらで本格的な海水浴シーズンはこれからなのだろう。
「本当にお父さんと話しないで良かったのか?」
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「……お前も、これからだよ。大丈夫だ、俺が幸せにしてやる」
「優巳とずっと一緒にいられたら楽しいだろうなあ」
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「うん……」
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「うん、行く」
そして二人は自宅に帰ることにした。また、明日。優巳は何度も振り返って、陽はそんな優巳に向かって手を振り続けていた。
「……ただいま」
エレベーターで自宅階に上がり玄関のドアを開けるとそこには怒りに強張った表情の母がいた。黙って陽をにらみつけ、そしてその頬を容赦なく叩く。
「こんな時間までどこに行っていたのよ!」
「あ……ご、ごめんなさい」
「高校生のくせにこんな時間まで遊び歩いて! 少しは自分をわきまえなさいよ!」
「れ、連絡もしないですみませんでした……これからは、き、気を付けます」
「本当に反省しているの? 二度目はないわよ、今度遅くなったら鍵開けないから!」
「はい、ごめんなさい……ごめんなさい……っ!」
母はどこに行っていたかも聞かず一方的に怒りを向けてそのままリビングに入って行ってしまった。陽はひりひりと痛む頬をさすり、再び涙を流す。そしてそのまま自室に入った。自室は暗く、カーテンを開けっぱなしの窓からは星も見えなかった。
消えてしまおうかな、そんな風に考えた。このまま陽を許してくれる人の元へ消えてしまおう。ここにはもういたくない。ポケットにスマホを入れて陽はそのまま再び静かに家を出る。もう帰らない、どこにも行く当てはなかったがこんな家にはもう帰って来たくなかった。
***
しかし陽の居場所はいくら歩いてもどこにも見つからなかった。深夜の公園でベンチに腰掛ける。これからどうしよう、何も考えなしに家を出てきてしまったものの、ポケットには小銭すらない。スマホしか持って来ていなかった。
陽は優巳のことを考える。こんな時間に呼び出したら迷惑なのはわかっていたが、今頼れるのは優巳しかいない。しかし……。
「スマホ、電源切れてる……」
いつの間にか充電がなくなってしまっていた。さすがに深夜に優巳の家に行くほど非常識ではない。陽は本当に一人になった。今夜はたった一人ここで夜を明かすしかない。
ベンチに腰かけていると涙がまた浮かんできた。真っ暗な空の下はあまりにも孤独すぎた。自分を忘れて幸せな実父と訳も聞かず怒鳴り散らす母。陽を理解してくれる両親はいなかった。高校を卒業したら家を出ようかな、でも物覚えも悪いこんな自分がすぐに働けるとも思えなかった。この呪縛はいつになったら解けるのだろう、いつになったら陽は許してもらえるのだろうか。
空からは雨が降り出してきた。ぽつりぽつりと、すぐに雨は強くなりどしゃぶりになった。陽は雨を避けようもなくただずぶ濡れになっている。夏とは言え夜はまだ涼しく雨で急激に身体は冷える。身体は冷えて強張り、雨で息が出来ない。次第に気が遠くなり陽は雨の中ベンチから地面に音を立てて倒れこんだ。
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オレはデニス=アッカー伯爵令息(18才)。成績が悪くて跡継ぎから外された一人息子だ。跡継ぎに養子に来た義弟アルフ(15才)を、グレていじめる令息…の予定だったが、ここが物語の中で、義弟いじめの途中に事故で亡くなる事を思いだした。死にたくないので、優しい兄を目指してるのに、義弟はなかなか義兄上大好き!と言ってくれません。反抗期?思春期かな?
そして今日も何故かオレの服が脱げそうです?
そんなある日、義弟の親友と出会って…。
【幼馴染DK】至って、普通。
りつ
BL
天才型×平凡くん。「別れよっか、僕達」――才能溢れる幼馴染みに、平凡な自分では釣り合わない。そう思って別れを切り出したのだけれど……?ハッピーバカップルラブコメ短編です。
弟は僕の名前を知らないらしい。
いちの瀬
BL
ずっと、居ないものとして扱われてきた。
父にも、母にも、弟にさえも。
そう思っていたけど、まず弟は僕の存在を知らなかったみたいだ。
シリアスかと思いきやガチガチのただのほのぼの男子高校生の戯れです。
BLなのかもわからないような男子高校生のふざけあいが苦手な方はご遠慮ください。
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