ある少年の体調不良について

雨水林檎

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 新島陽(にいじまはる)の風邪が治るまでには一週間以上かかった。それは無理をして休息を取らなかったことが主な原因だがそれ以来、数週間以上たっても陽の食欲は戻らなかった。痩せた体重も痩せたまま、むしろ以前よりも減り続けていた。

「今日も何も食べないで行くの?」
「学校で食べる、コンビニ寄って行くから」

 早朝、登校しようと準備をしている陽に向かって母は聞いた。陽以外の家族は席について朝食をとっている。朝食をいらないと言ったのは陽のほう。朝は食欲がなく無駄に食事を作らせるのははばかられる為、母を気遣っての言葉だったがその顔色は日に日に悪くなって行く。自分で適当に食べると言ったが実際は何も食べていない。

「本当に食べているのよね? お昼も購買、あるんでしょう?」
「あるよ、食べてるから大丈夫」
「変に食べないで体調崩されても困るわよ、会社休めないんだから」
「わかってる、僕は大丈夫。心配しないで」
「ならいいけど……」

 母が心配しているのは陽の身体ではなく自分の仕事のほうだ。商社の営業で働いている母は時には残業があるほど忙しい。昔から何かと休みを取るのも大変らしく、陽の学校行事は皆欠席だった。それは最初は寂しかったけれどもう陽には慣れてしまったことで、むしろいまは母を刺激しないように休まないで良いよう自分の不調すら黙っているくらいだった。下手に休んで怒鳴られるのはもううんざりだ。
 しかし、この頃は昼も食欲がなくて何も食べたくない日が多かった。風邪はもう治ったはずなのに、どこか身体が怠くて食欲がない。そのため、少々無理して小さなおにぎりを一個だけ食べるようにしていた。成長期の身体にそれだけでは到底栄養が足りているとは言えない。

「あ、まただ……こわい」

 学校に向かう坂を上っていると突然目の前が真っ暗になり血の気がざっと引いて行く。そのまま倒れてしまいそうで慌ててそばにある塀に寄りかかって回復するのを待つ。この頃はそんな時が多かった。
 ひどい時では学校で歩いているだけでも突然目の前が真っ暗になる。そんな時の陽は顔面蒼白になっているようで親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)はそれを酷く気にしていた。大丈夫、しかしその言葉も強がりと取られてしまう。周りに非常に気を遣う性格の陽を知っているから、余計に陽の笑顔すら無理をしているのではないかと疑ってかかるのだ。そんな優巳が陽にとって救いだった。

「今日もおにぎりだけか?」
「もう、平気だって言ってるのに」
「明らかに足りてないから言ってるんだよ。また痩せたんじゃないのか?」
「別に服がぶかぶかになってるとか、そう言うわけじゃないし……体重計は乗ってないけど、大丈夫だよ」
「服が緩くなるなんて相当だ。そこまでいったらさすがに体調も悪くなるだろう。そうなる前にさ……」
「心配しすぎだよ、大丈夫だって! 僕は元気だもん」
「夕飯はちゃんと食うんだぞ、おかわりもして」
「おかわり……は無理かもしれないけど食べてるから心配しないで」
「……」

 いまいち納得できていない優巳を笑顔でかわし、陽は放課後の勉強準備をする。成績があまり良くない陽は部活には入らずに放課後は図書室で自習をすることを日課にしていた。それだけでは足りずに残った分は深夜遅くまで。それでも授業について行くのがやっとだから勉強面に関してはなかなか過酷な日々を送っている。一方で優巳は勉強は授業を聞いているだけで理解してしまうから、部活に専念できている。陽は優巳がうらやましい、生まれつきの頭の良さはどうしたってかなわない。
 放課後になり、今日も陽は図書室で勉強をしていた。他にも何人かの生徒が自習をしているその場所からはバスケ部の練習風景が見える。時折優巳が走っている姿が見えて、陽は少し嬉しかった。
 優巳は長い友達だ。小学校の低学年からずっと毎日一緒に遊んで育ってきた。そんな優巳は最近部活で活躍することが多くなってきたらしい。いわゆる一年生エース。今度試合に出るかもしれない、そんな話を聞いたらますます優巳は陽から遠いものになってしまう。でも陽にとって優巳は誇りだ。自慢の親友が活躍していると嬉しい。今度の練習試合も今から見に行く予定だった。

「待ったか、陽」
「お疲れ、優巳」

 部活帰りに約束して、陽と優巳は落ち合った。最終下校時刻も近く、校内はもう人影まばら。その時一人の女子生徒が優巳に向かって手を振った。優巳も知っている子のようで黙って手を振り返す。

「友達?」
「バスケ部のマネージャーだよ」
「かわいい子だね」
「そうか? あまり話もしないし興味ないな」

 優巳は興味なくても向こうは興味を持っているようだった。その証拠に振り返ってじっとこちらを見つめている。陽は少し彼女が気になってしまった。嫉妬と言うのか、何と言うかあまり良い感情ではない。優巳を取られてしまうのが怖い、そんな感情だった。

「……あ」
「陽?」
「ご、ごめん、ちょっと待って」

 まただ、また目の前が暗くなった。ふらふらとして平衡感覚が少しおかしい。今にも転びそうで歩くのが危なくて陽はその場に立ちどまった。陽の顔を見た優巳が眉を顰める。

「真っ青な顔してるぞ、座るか?」
「い、いや……すぐ治る……大丈夫、だから」
「大丈夫じゃないだろ、冷や汗かいてる。座って、休んどけ」

 陽は動悸とともに酷い吐き気に襲われていた。血の気が引く程度のことは多かったがここまでひどい吐き気を催すのは初めてだった。強い耳鳴りまでしてきた。身動きできずその場に座り込み、陽はもう立ち上がることが出来ない。

「陽」
「き、きもちわるい……」
「吐きそうなのか?」
「うう、が、我慢できるから……少し、待って」
「我慢しなくていい、トイレに行こう」
「あるけない……」
「背中に来い、ほら」

 陽は優巳に背負われて一番近くにあるトイレに駆け込んだ。そして個室のドアを開けて優巳は陽を背中から降ろす。陽は我慢しきれず、そのまま便器に向かって嘔吐する。少量の食べかすと水分の混じった吐瀉物が水っぽい音を立てて吐き戻された。一回では吐ききれず数回、しかし陽が必死に嘔吐を繰り返してもまだ吐き気が治まらない。

「ぅえ……ッ、げえ……えッ、ケホッゴホッ……き、もちわるいー……うう……」
「吐けないか?」
「でない、でも、吐きそう……うぇ……ッ、くるしい……」
「陽、ちょっと口開けとけ」

 そう言って優巳は陽の口の中に指を入れて刺激する。その刺激で陽は声を上げて嘔吐した。大量の水分がゴポッと音を立てて陽の胃から吐き戻される。バシャバシャと水面を揺らして便器内に吐瀉物が広がって行った。

「ハァッ、あ、ゲホッゲホッ! ッ、ハァハァッ、ハー……ッ……、も、もうだいじょうぶ、ごめん……」
「すっきりしたか?」
「うん……」

 陽の状態が落ち着いたころにはもう校舎内はすっかり真っ暗だった。鍵の閉まっていない裏門から出て、ゆっくりと坂を下って行く。優巳は陽の手を離さなかった。ギュッと大事そうに手を繋いでその背中を抱き寄せて歩く。陽の顔は青ざめてはいたがすっきりとした表情をしていて先程までの不調が嘘のようだった。しかし、優巳は考え込んでいる様子で、しかめた眉をそのままに陽の隣を歩いている。

「陽、一回ちゃんと病院行けよ。貧血が進んでるんじゃないのか?」
「そんな、大げさ、ちょっと疲れてたからそのせいだと思うよ」
「最近顔色悪い日があまりに多いんだ、勉強もそこそこにもっと休んだほうが良いぜ」
「……優巳がうらやましいな、勉強も運動も出来るんだから」
「健康ならどっちも出来るんだよ。お前も良く寝て良く食って、勉強だのなんだのはそれからだ」
「うん、今晩は食べられそう。吐いちゃったせいかそのぶんお腹もすっきりしてるし」
「食えよ、ちゃんと。夜更かしもするな」
「うん、ありがと……優巳」

 ***

「陽、もういいの?」
「ご、ごめんなさい、食べられない……お、美味しかったんだけど、な」

 陽のその日の夕食はハンバーグだった。食欲もすっかり戻ったと思ったのに、一口食べたら胸がむかむかとして箸を進めることが出来なくなってしまった。サラダも白米もまだ手つかずで残っている。母親は陽が食べないとわかった瞬間にあからさまに不機嫌になった。わざわざ作ったのに、勿体ないと。義父と有樹がいなかったらきっと怒鳴られていた。

「ごめんなさい、お母さん。後片付けはちゃんと自分でするから」
「お母さん仕事終わってから疲れてるのに作ったのよ?」
「ごめんなさい、残して、ごめんなさい……」

 陽がうつむいている間に義父と有樹は食事を終えて食卓を後にしていた。二人の皿にも食べ残しがある。それを見て母はあからさまに不機嫌になり、二人の目がないのを良いことに陽の頬を叩いた。陽は衝撃で椅子から転げ落ちる。母はそのまま乱暴にシンクに汚れた皿を音を立てて放り投げた。そんなことをしたら大切にしていた皿が割れてしまう。

「お、お母さん……! 片付けは僕がするから! お願い、乱暴なことしないで……」
「当たり前でしょう? もう食事なんて作るのやめようかしら」
「……」

 母はそのままダイニングを後にした。最後に残されたのは陽たったひとり。再び襲って来た眩暈を我慢して陽は食器を洗い始める。身体が重くふらついて、立って作業をするのが辛い。なんとか皿を洗い終えて片付けたのち、再びの吐き気で結局食べた少量の夕食も陽はトイレで嘔吐してしまう。まだ残る吐き気と苦し気な荒い呼吸、トイレの壁に寄りかかりながら陽の目の前はちらついて、しばらく立ち上がることすら出来なかった。

 ***

 翌朝、深夜まで寝付けずあまり眠れたとは言えないままさらにいつもより二時間も早く目が覚めてしまった。睡眠時間は短く、身体が重い。昨日あれだけ吐いたせいだろう、身体に力が入らなかった。起きたばかりでもう疲れている。それでも起きてしまったのは仕方がないので今日の授業の予習を少ししてから着替えて学校に行く準備をする。
 体操着を忘れないようにしないと……今日は体育の授業があった。今日はマラソンの練習で少し長距離を走る。もうすぐマラソン大会が近いのだ。マラソン、今の自分が走れるのだろうか。しかし熱があるわけじゃないし日常生活は無理をしなければなんとか送ることが出来る。
 食欲がないのが問題だが、もう風邪をひいているわけでもないから今後多少痩せてしまっても大丈夫だろう。昨日はたまたま疲れていたのだ。そう自分に言い聞かせて、制服のベルトを締める。

「あれ……おかしいな」

 やけにベルトが緩い。以前よりもスカスカとしていてこのままではスラックスが落ちてしまう。服が緩くなるなんて相当だ、そんな優巳の言葉を思い出し思わず首を振る。大丈夫、最近食べてなかったし少し痩せてしまっただけだ。ちょっとベルトが緩くなったくらい大したことない。大したことなんてあるはずない。
 その時部屋の隅に風邪をひいたときに買った栄養ドリンクを見つけた。これを飲んだら食べられなくても身体の多少の栄養になるかもしれない。一本開けてグイッと一飲みする。味は好きなものではなかったが配合されているカフェインが効いたのか眠気がさっぱりとしていつもより元気になった気がした。これなら寝不足も気にならない。もっと早く栄養ドリンクを飲んでおけばよかった。
 陽はその日、すっきりした気分で登校することが出来た。しかし栄養ドリンクの効果なんて些細なもの、午後の授業を受ける頃にはすっかり効き目なんてなくなっていた。

「はぁ……」
「どうしたの陽、溜息多いなぁ」
「あ、ううん。ちょっと眠いなって」

 体育の授業で着替えているとそばにいた同級生に溜息を聞かれてしまった。寝不足が今頃になって響いてきたのだ。身体が重く怠くてたまらない。そのせいで昼は何も食べられず、吐いたことも考えると昨日からほとんど身体になにも入れていないことになる。マラソンの練習、無事走れるだろうか。そんな心配を抱えながらワイシャツを脱ぐと隣にいた優巳に腹部を触られた。

「わっ、な……なに? やめてよ」
「お前……こんなにあばら浮いていたか? 痩せたろ、骨浮きすぎだぞ」

 そう言ってあばら骨を数えるように優巳は再び陽の腹部に触れる。

「や、やめて! くすぐったいよ!」
「いや、笑い事じゃなくて……」
「優巳、やだって」

 そんな二人の様子をじゃれあいだと思ったのか同級生がからかった。その隙に陽は素早く体操着を着てジャージを着こむ。

「もう、触らないで。行くよ、優巳」
「陽……」
「僕はそんなに痩せてないから!」

 優巳の心配を振り払うように陽は校庭に向かって急いだ。体操着を着てさらにジャージを着てもその背中は以前よりはっきり痩せている。どれだけ長い付き合いだと思っているのか。付き合いの長い優巳にはそんな陽の変化はわかっていた。食事を全然とらなくなった陽、今日は顔色の悪さに加えて目の下の隈もくっきりとしていてその身体が心配だった。昨日あんなに吐いて、今日は寝不足だとも言っていた。体育の授業で無理して倒れたりしないと良いが……しかし、その優巳の心配は現実となる。
 マラソンの練習は校庭を十周。途中で歩くことは許されず列を守って走り切らねばならない。部活動をしていたら大した運動ではないが、陽は日ごろからそこまで走りこんではいなかった。準備運動をして、走り始める。校庭を五周したころから優巳が隣を走る陽の様子がおかしいのに気がついた。酷く苦しげな顔をして呼吸が辛そうだ。そして肩を落として周りからペースが遅れがちになる。歩くことは許されないからどうにかして走り切らねばならない。しかし陽の身体にとうとう限界が来たのかがくりと脚が重くなり、その場に転ぶようにして倒れた。練習は急遽中断し、転んだ陽の周りを皆が囲む。

「何だよ陽、転んでんじゃねーよ。どんくさいなあ」
「まだ半分走ったところだぞー、陽?」

 地面に倒れたまま、陽が動かない。転んだだけならすぐに起き上がるだろう。慌てた優巳は陽を抱き起こす。その身体には力が入っておらず、全身砂まみれに擦り傷だらけ。受け身もとらずに倒れこんだのかすっかり汚れてしまっている。

「陽? おい、陽!」

 がくり、と首がうなだれた。顔色は真っ青、陽は完全に意識を失っていた。

「せ、先生! 陽が……!」

 同級生は途端に慌てだす。皆に身体を揺すられたり頬を叩かれるが陽は一向に目を覚まさない。ぐったりとして動かない陽は急いでそのまま抱えられ、保健室に運ばれることになった。

「走ってる途中に貧血を起こしたんだね、随分と顔色悪いしちょっと無茶したなあ」

 保健室で陽の手当てをしたのは西谷早馬(にしやそうま)、珍しく男性の養護教諭だった。

「も、もう大丈夫ですから……」
「まだ顔色悪いから休んでいきなさい。顔面蒼白、真っ青だよ、今日はもう放課後まで寝ていたほうが良い」
「そんな、もう戻ります」

 意識を取り戻した陽はいつの間にか保健室に運ばれて手当をされていることに驚いていた。走っている途中で突然目の前が暗くなりそれから覚えていなかった。気がついたら傷だらけで保健室で寝かされていたのだ。

「俺はさぼりは許さないけど、君はまだ寝ていたほうが良いな。無理してまた倒れたら困るしね」
「もう辛くないです……」
「じゃあ起き上がれる?」
「え?」

 その言葉に身体を起こした陽は強い眩暈に一瞬意識を失う。気がついたらベッド上で西谷に抱きかかえられていた。

「ほら、危ない。ところで授業中に倒れたのは初めて?」
「走ってて倒れたのは初めてです……」
「最近体調良くなかったりした? やけに疲れやすいとか……ちょっと失礼」

 西谷はそう言って陽の下まぶたをめくる。その白さに貧血ひどいね、と言った。

「貧血……」
「自覚症状あったと思うんだけどな、ここまでひどいと身体辛かったでしょ?」
「ちょっと、疲れたのか気持ち悪くなっちゃって昨日吐きました。歩いていて目の前が真っ暗になることは何度か……」
「そういう時は早めに休まなきゃだめだよ。きちんと食事は食べてる?」
「最近、あまり食欲なくて」
「痩せた?」
「たぶん……」
「ちょっと体重測ってみようか」

 そう言って西谷は陽を抱きかかえたまま体重計のところまで行く。優しく床に降ろされ、陽はそっと体重計に乗れば身体測定の時より七キロも瘦せてしまっていた。その期間たった二か月弱、その結果に思わず陽は黙り込む。西谷は痩せすぎだよ、と深刻な顔をした。

「君の身長でこれだけしか体重がないなんて、問題だよ。出来るだけ早く病院に行ったほうが良い」
「そ、そんな、病院は……」
「食欲ないんだよね? 家では食事できているの?」
「……」
「貧血も酷そうだしちょっとお家の人に相談かな」
「い、家はやめてください! 僕、大丈夫です!」
「でもねえ、成長期にこんな身体して……また倒れたりしたら危ないんだよ」
「家は困るんです、ほ、保護者には連絡しないで……おねがい……」
「何か事情がありそうだね、聞いても良い?」

 陽は西谷に打ち明けた。母親が苦手なこと、連絡が行けば最悪乱暴されかねないと。西谷は困った表情をして陽を見る。倒れて傷だらけで顔色も悪く、食欲もなく痩せすぎている。しかし身体も心配だが自宅のその居心地の悪さも問題だ。西谷は今にも泣きだしそうな陽にポンとその頭を撫でる。

「もう、わかった。とりあえず今日は言わないよ。でもそれ以上痩せないように気を付けてね。あまりに痩せすぎると骨折するリスクだってあるんだ。そうしたらもっと大ごとになってしまう。体育はしばらくの間見学にしてもらうように頼むから、マラソン大会なんてもってのほかだよ。無理して走ったら何があるかわからない、また倒れることもあるかもしれないからね。しばらくは安静にして栄養のあるものをよく食べて」
「はい」
「少し眠りなさい、あとで起こしてあげるから」

 ***

 誰かの声で目を覚ました。陽の枕元には優巳が座っている。その手には陽の荷物を持って。

「まさみ……?」
「おはよう、授業終わったから帰ろう」
「もう放課後?」
「ああ、部活も終わった。起き上がれるか?」
「ん……起きる」

 眠ったおかげか体力は大分回復していた。少しふわふわとした眩暈はしたが、起き上がっても問題ない。しかし、陽はまだ倒れた時のジャージ姿だった。

「着替えるの手伝ってやるよ」
「ありがと、優巳……」

 ゆっくりと優巳は陽の体操着を脱がして行く。上半身が裸になったとき、黙ってその身体に触れた。くっきりと浮いた鎖骨、数えられるあばら骨。薄い肩……。

「な、何……あまり見ないで、優巳」
「こんなに痩せて、大丈夫なのかよ」
「そんな、大して痩せてないから。僕もう元気だよ、心配しないで」
「俺がお前の親だったら、こんな身体になる前に病院連れて行ってた」
「もう、病院なんて……ありがと、優巳。僕は大丈夫」

 ワイシャツのボタンを一つ一つ丁寧にはめて、優巳は陽にジャケットを羽織らせる。顔には数か所擦り傷はあったが、砂だらけだった身体は綺麗になった。

「帰れそう?」
「先生」

 仕事を終えた西谷がカーテンを開けて声をかける。陽はにこりと笑顔で大丈夫です、と言った。西谷は複雑な表情をしたが、柔らかな笑顔で気を付けてね、と返す。

「優巳くんだっけ? 陽くんのこと頼んだよ」
「はい、ちゃんと家まで送って帰ります」
 
 そして優巳は陽の身体を支えながら立ち上がらせるとその肩を抱いて陽の分の荷物を持ちゆっくりと昇降口に向かって歩いて行く。西谷はじっとそんな二人の背中を見送っていた。

「ゆっくりでいいよ、陽。無理するな」
「もう、そんな病人扱い辞めてよ。本当にもう元気なんだから」
「危なっかしい、お前が倒れた瞬間を忘れられない」
「優巳……」

 優巳は、優しい。幼い頃からの友人でもあるし陽の一番の理解者だ。優巳がいてくれてよかった、そんな思いを抱きながら学校からの坂を下り、陽のマンション前までやって来た。

「あ、荷物ありがとうね」
「持てるか?」
「うん」

 夕陽が暮れるのが遅くなった。薄明りの中で優巳は名残惜しそうな表情で陽を見る。このまま家に帰すのが心配だと言うように、なかなか帰ろうとしなかった。

「また、明日ね」
「無理するなよ、朝、辛かったら連絡しろ。迎えに来るから」
「大丈夫だよ、今日は夕飯食べてゆっくり寝るから」
「……ああ、じゃあまたな」
「うん、おやすみ優巳」

 そうして二人は別れてそれぞれの家路についた。陽がマンションの鍵を開けるともう母が帰って来ていた。忙しそうに夕飯の準備をしている。

「お母さん、おかえりなさい」

 ふと陽が食卓を見ると食事が三人分しかなかった。母は冷たい言葉とともに陽をにらみつけた。

「あんたのぶんはないわよ。どうせ作っても全部残すんでしょう? もったいないから作るのやめたわ。何か食べたかったら自分で用意しなさい」
「えっ……あ、はい……」

 陽は呆然としながら、じっと食卓を見てそのまま自分の部屋に戻った。

「夕飯、なくなっちゃった……」

 倒れたせいで相変わらず食欲はなかったがそれでも多少の空腹感は感じていたのだ。しかしそれと同時に少しどこかで安心していた。もう無理して食事を食べないでも済む。母の不機嫌な顔を必死に伺わなくても済むから。
 これ以上痩せないようにね、そんな西谷の言葉を思い出しながら黙って陽は制服を脱ぐ。ベルトは相変わらず緩くて、調整をしないといけないな、と陽はぼんやり思った。
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