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サクリファイス・レノ
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雨に濡れっぱなしも気の毒なので、レノは診療所の待合室に彼を入れてあげることにした。バスタオルでは拭い切れないほどにずぶ濡れで、診療所にある一番大きな青い病衣着を彼に渡す。それでも彼が着れば袖は短いし、丈も短い。
「不格好で申し訳ありませんが、あなたは大きいから他に服がないので」
「ああ、悪い、しばらく借りるよ」
「この濡れてしまった服は洗濯しますね」
「申し訳ない」
脱走したテロリストにしては礼儀正しかった。両脚を揃えて椅子に座り、背中を丸めてじっとしている。脱いだ服の中には武器と言えるものは無く、そう言った界隈の人間ではない様子が見て取れた。しかし、ならば彼はいったい何者なのか?
「あの、本当に何も覚えてないんです? 名前も、どこから来たのかも」
「……わからない、気がついたらここにいた」
「ここは北南海都市東カリクにある東カリク診療所。僕は診療所長のミァン・レノ・シープスです」
そうレノが名を名乗ると彼は少し戸惑った顔をする。町の名に聞き覚えでもあったのだろうか? しかし……。
「君は男性だったのか、すまないてっきり女性なのかと」
「……よく言われます」
東カリクは首都から電車を乗り継いで半日以上かかり、新聞も一日遅れでテレビも映らない町だ。田舎であるのには間違いなかった。
しかし都会だってかつてはこの町のようにあたり一面の花畑もおかしくはなかった、この国は慌てて進化し過ぎたのかもしれない。都会は開発によって花畑は消え、一面のコンクリートになった。進化という破壊、残ったのはいまさら昔はよかったなんていうべきじゃない評論家ばかりで。
その時、静かな部屋に小さな音が鳴った。レノがふと彼の表情を伺うと、彼は少し恥ずかしそうな顔をする。
「あれ、あなたもしかしてお腹空きました?」
「ああ、……申し訳ない」
彼がどこから来たのかは知らないが、この辺りには食料品の店どころか飲食店すらない。自給自足に足りなければバスで一時間かかる中心街まで行かねばならないし、何もないから旅人すらもそう簡単に訪れない。それでは彼は……とはやはり考えてしまうが、彼は何度も申し訳ないと謝っている。今のところ、悪い人間でもなさそうだ。
「わからないところはたくさんありますが、とりあえず一緒にご飯にしましょう。僕もお腹が空きました」
***
診療所の二階はレノの部屋だった。小さなキッチンにリビングと仕切られた寝室、一人で暮らして行くには十分の住居スペースで。一人用のテーブルにパイプ椅子を持って来て、レノと男は二人向き合って朝食を食べている。
「この赤い実はなんていうんだ?」
「キキの実ですか? この地方でしかならない木の実ですよ。患者さんにいっぱいとれたからっていただいたんです。こうしてオムレツに入れてもいいし、ジャムにしても美味しいんだそうです」
食卓に並んでいる朝食の材料は、皆近所の住人から分けてもらったものが多かった。もともと都会からやって来たレノは、当初近所付き合いなんて面倒だとは思っていたが、こうして好意的な関係になれるのならばこの小さな町でも捨てたものじゃない。道で出会っただけで名前を呼んで挨拶する関係、少なくとも都会よりは体温を感じる。
「……こうして温かいものを食べたのは、随分久しぶりな気がする」
「ああ、それはよかった。おかわりありますよ、よろしかったら」
「いいのか?」
「ええ、あなたは身体も大きいしお腹もすくでしょう」
おかわりをして彼はまだ食べ続けている。その食べっぷりからして随分と長い間空腹だったのかもしれない。この町の住人ではない以上、きっとひどく遠い場所からやって来たのか。
「ねえ、なんてお呼びしたら良いですか」
「俺のことか?」
「あだ名とかも思い出せません?」
「全く、何も」
「そうですねえ……うん、じゃあ、グローザ」
「グローザ?」
「幼い頃、兄がよく読んでくれた絵本の熊さんの名前です。黒い毛並みであなたみたいにとっても大きい、ご飯もたくさん食べるんですよ。思い出すまでは、それでいかがですか?」
「不格好で申し訳ありませんが、あなたは大きいから他に服がないので」
「ああ、悪い、しばらく借りるよ」
「この濡れてしまった服は洗濯しますね」
「申し訳ない」
脱走したテロリストにしては礼儀正しかった。両脚を揃えて椅子に座り、背中を丸めてじっとしている。脱いだ服の中には武器と言えるものは無く、そう言った界隈の人間ではない様子が見て取れた。しかし、ならば彼はいったい何者なのか?
「あの、本当に何も覚えてないんです? 名前も、どこから来たのかも」
「……わからない、気がついたらここにいた」
「ここは北南海都市東カリクにある東カリク診療所。僕は診療所長のミァン・レノ・シープスです」
そうレノが名を名乗ると彼は少し戸惑った顔をする。町の名に聞き覚えでもあったのだろうか? しかし……。
「君は男性だったのか、すまないてっきり女性なのかと」
「……よく言われます」
東カリクは首都から電車を乗り継いで半日以上かかり、新聞も一日遅れでテレビも映らない町だ。田舎であるのには間違いなかった。
しかし都会だってかつてはこの町のようにあたり一面の花畑もおかしくはなかった、この国は慌てて進化し過ぎたのかもしれない。都会は開発によって花畑は消え、一面のコンクリートになった。進化という破壊、残ったのはいまさら昔はよかったなんていうべきじゃない評論家ばかりで。
その時、静かな部屋に小さな音が鳴った。レノがふと彼の表情を伺うと、彼は少し恥ずかしそうな顔をする。
「あれ、あなたもしかしてお腹空きました?」
「ああ、……申し訳ない」
彼がどこから来たのかは知らないが、この辺りには食料品の店どころか飲食店すらない。自給自足に足りなければバスで一時間かかる中心街まで行かねばならないし、何もないから旅人すらもそう簡単に訪れない。それでは彼は……とはやはり考えてしまうが、彼は何度も申し訳ないと謝っている。今のところ、悪い人間でもなさそうだ。
「わからないところはたくさんありますが、とりあえず一緒にご飯にしましょう。僕もお腹が空きました」
***
診療所の二階はレノの部屋だった。小さなキッチンにリビングと仕切られた寝室、一人で暮らして行くには十分の住居スペースで。一人用のテーブルにパイプ椅子を持って来て、レノと男は二人向き合って朝食を食べている。
「この赤い実はなんていうんだ?」
「キキの実ですか? この地方でしかならない木の実ですよ。患者さんにいっぱいとれたからっていただいたんです。こうしてオムレツに入れてもいいし、ジャムにしても美味しいんだそうです」
食卓に並んでいる朝食の材料は、皆近所の住人から分けてもらったものが多かった。もともと都会からやって来たレノは、当初近所付き合いなんて面倒だとは思っていたが、こうして好意的な関係になれるのならばこの小さな町でも捨てたものじゃない。道で出会っただけで名前を呼んで挨拶する関係、少なくとも都会よりは体温を感じる。
「……こうして温かいものを食べたのは、随分久しぶりな気がする」
「ああ、それはよかった。おかわりありますよ、よろしかったら」
「いいのか?」
「ええ、あなたは身体も大きいしお腹もすくでしょう」
おかわりをして彼はまだ食べ続けている。その食べっぷりからして随分と長い間空腹だったのかもしれない。この町の住人ではない以上、きっとひどく遠い場所からやって来たのか。
「ねえ、なんてお呼びしたら良いですか」
「俺のことか?」
「あだ名とかも思い出せません?」
「全く、何も」
「そうですねえ……うん、じゃあ、グローザ」
「グローザ?」
「幼い頃、兄がよく読んでくれた絵本の熊さんの名前です。黒い毛並みであなたみたいにとっても大きい、ご飯もたくさん食べるんですよ。思い出すまでは、それでいかがですか?」
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