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失踪
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「モデルですか……」
「もともと雲雀先生がそう言っていとがこの家に来るきっかけを作ったようなものだからね」
「はあ」
「どうした、気が乗らない?」
「その、下はどうするんですか」
「下って?」
いとから『その件』について聞いた潤一郎は雲雀の昼寝している居間に乗り込んだ。
「なんだい、潤一郎。昼間とはいえさわぐんじゃあないよ」
「いとから聞きましたよ、先生! 本当ですか、いとに女性ものの下着だけ着せて一日中カメラで撮り続けたって」
「本当だが」
「そ、そんなことしたらいとが……」
まだ幼く不安を抱きながら見知らぬ家で心を打ち解けてもいないのに、そんなことをしたらかわいそうじゃないか、そう潤一郎が言うと雲雀は鼻で笑う。
「芸術だよ、潤一郎」
「猥褻物は作らないって昔から言ってるのに?」
「時に芸術とは様々な形があってだな」
「通報されますよ……」
「過激なものは着せなかった、そんなこと言ったら裸婦モデルの立場がないじゃないか」
「いとはまだ子供です!」
雲雀はこたえていないようだった。確かにそう言った芸術作品は多いし、お互い同意の上なら法律に引っかからない程度で作品にしても良いだろう。しかしいとは行く場所も無く帰る家もない。その不安の中で雲雀と出会い吉祥寺の屋敷に連れて行かれて言うことを聞かなかったら追い出されるとか、そんな恐怖がないわけないだろう。
「ボクだって子供だったけどね」
「なんの話ですか」
「十七で日本を出てから生きるためには、なんだってやったと言うことだよ」
***
「芸術か……」
「なんですか、先生?」
「いや、なんでもないよ。その角度、もうしばらくそうしていて」
この家のアトリエに人を招いたのは初めてかもしれないと、潤一郎は白い着物を着せたいとの姿をキャンバスに描いて行く。丁寧に、その雰囲気を壊すことはないように。いとは美しい、これじゃあ雲雀も『あんなこと』をしたくなるだろう。
芸術とは心の中でくすぶっている情熱を表現することだ。こんなに美しく見えるいとを誰かに見せてやりたい、だって自分だけのものにしておくのは勿体無いから。
雲雀と潤一郎は芸術に関する意識の違いがある。雲雀はあくまで自分のために創作活動をして、潤一郎は誰かのために絵を描くようになった。単なるこだわりの話だが、それでも芸術は芸術で、それを捨てたらお互い生きているとは言えない。一生を捧げるものが存在しなければ、人は弱く儚いものになってしまう。もうすぐ枯れる花も手入れをしたら美しくなる、枯れてしまうその前に。
「先生、私の絵を描いてどうするんですか?」
「ああ、それを考えていなかったね。そうだなあ、この絵が良いものになったらどこかで飾ってもらおうか」
「ええ、私の絵ですよ」
「うん、だからさ」
その時アトリエのドアの隙間から視線を感じた。小さな音をきしませて、その目はじっとこちらを見ている。
「雲雀先生、そんな覗きかたするくらいなら入ってくればいいじゃないですか」
「……」
「拗ねてるんですか?」
しばらくののち、雲雀がひょいと顔を出した。いとの着物に眉を顰める。
「潤一郎、着せるならせめて襦袢にしないか」
「だから嫌ですって、下着姿なんてかわいそうでしょう」
「いとの色気は透けてからこそ」
「透けちゃ駄目でしょう、せめて成人するまでは」
どうしても譲らない雲雀に潤一郎は苦笑する。雲雀は潤一郎の描いていたキャンバスに手を伸ばした。
「ちょっと先生、動かさないでくださいよ」
「……」
「だからなんなんです? さっきからもう黙ってしまって。俺の作品を見るくらいならご自分の創作活動にあててくださいよ。描きたいもの、あるんでしょう」
「……潤一郎、少し見ない間に絵が変わったな」
「そうですか? 未だに代表作と言えるものを世に出す事が出来ないんですけどね」
「この絵がきっと君の代表作になるよ、水無月静潤」
キャンバスを潤一郎に渡して、雲雀はアトリエを出て行った。その頃にはもうすっかり夕方で、夕焼け空が血のように赤い。
いとは着替えて夕食の支度をすると言って台所に向かう。潤一郎は汚れた衣服を洗いがてら風呂の掃除に。二人がそれぞれの仕事を終えて居間に集まるまでの少しの時間に雲雀群童は何も言わずに姿を消した。居間の床には彼がよく聴いていたクラシックのレコード盤が割られて床に散らばって。
「もともと雲雀先生がそう言っていとがこの家に来るきっかけを作ったようなものだからね」
「はあ」
「どうした、気が乗らない?」
「その、下はどうするんですか」
「下って?」
いとから『その件』について聞いた潤一郎は雲雀の昼寝している居間に乗り込んだ。
「なんだい、潤一郎。昼間とはいえさわぐんじゃあないよ」
「いとから聞きましたよ、先生! 本当ですか、いとに女性ものの下着だけ着せて一日中カメラで撮り続けたって」
「本当だが」
「そ、そんなことしたらいとが……」
まだ幼く不安を抱きながら見知らぬ家で心を打ち解けてもいないのに、そんなことをしたらかわいそうじゃないか、そう潤一郎が言うと雲雀は鼻で笑う。
「芸術だよ、潤一郎」
「猥褻物は作らないって昔から言ってるのに?」
「時に芸術とは様々な形があってだな」
「通報されますよ……」
「過激なものは着せなかった、そんなこと言ったら裸婦モデルの立場がないじゃないか」
「いとはまだ子供です!」
雲雀はこたえていないようだった。確かにそう言った芸術作品は多いし、お互い同意の上なら法律に引っかからない程度で作品にしても良いだろう。しかしいとは行く場所も無く帰る家もない。その不安の中で雲雀と出会い吉祥寺の屋敷に連れて行かれて言うことを聞かなかったら追い出されるとか、そんな恐怖がないわけないだろう。
「ボクだって子供だったけどね」
「なんの話ですか」
「十七で日本を出てから生きるためには、なんだってやったと言うことだよ」
***
「芸術か……」
「なんですか、先生?」
「いや、なんでもないよ。その角度、もうしばらくそうしていて」
この家のアトリエに人を招いたのは初めてかもしれないと、潤一郎は白い着物を着せたいとの姿をキャンバスに描いて行く。丁寧に、その雰囲気を壊すことはないように。いとは美しい、これじゃあ雲雀も『あんなこと』をしたくなるだろう。
芸術とは心の中でくすぶっている情熱を表現することだ。こんなに美しく見えるいとを誰かに見せてやりたい、だって自分だけのものにしておくのは勿体無いから。
雲雀と潤一郎は芸術に関する意識の違いがある。雲雀はあくまで自分のために創作活動をして、潤一郎は誰かのために絵を描くようになった。単なるこだわりの話だが、それでも芸術は芸術で、それを捨てたらお互い生きているとは言えない。一生を捧げるものが存在しなければ、人は弱く儚いものになってしまう。もうすぐ枯れる花も手入れをしたら美しくなる、枯れてしまうその前に。
「先生、私の絵を描いてどうするんですか?」
「ああ、それを考えていなかったね。そうだなあ、この絵が良いものになったらどこかで飾ってもらおうか」
「ええ、私の絵ですよ」
「うん、だからさ」
その時アトリエのドアの隙間から視線を感じた。小さな音をきしませて、その目はじっとこちらを見ている。
「雲雀先生、そんな覗きかたするくらいなら入ってくればいいじゃないですか」
「……」
「拗ねてるんですか?」
しばらくののち、雲雀がひょいと顔を出した。いとの着物に眉を顰める。
「潤一郎、着せるならせめて襦袢にしないか」
「だから嫌ですって、下着姿なんてかわいそうでしょう」
「いとの色気は透けてからこそ」
「透けちゃ駄目でしょう、せめて成人するまでは」
どうしても譲らない雲雀に潤一郎は苦笑する。雲雀は潤一郎の描いていたキャンバスに手を伸ばした。
「ちょっと先生、動かさないでくださいよ」
「……」
「だからなんなんです? さっきからもう黙ってしまって。俺の作品を見るくらいならご自分の創作活動にあててくださいよ。描きたいもの、あるんでしょう」
「……潤一郎、少し見ない間に絵が変わったな」
「そうですか? 未だに代表作と言えるものを世に出す事が出来ないんですけどね」
「この絵がきっと君の代表作になるよ、水無月静潤」
キャンバスを潤一郎に渡して、雲雀はアトリエを出て行った。その頃にはもうすっかり夕方で、夕焼け空が血のように赤い。
いとは着替えて夕食の支度をすると言って台所に向かう。潤一郎は汚れた衣服を洗いがてら風呂の掃除に。二人がそれぞれの仕事を終えて居間に集まるまでの少しの時間に雲雀群童は何も言わずに姿を消した。居間の床には彼がよく聴いていたクラシックのレコード盤が割られて床に散らばって。
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