倫理的恋愛未満

第四話

03

　結局眠れないまま翌日登校してみれば、教室で幸知よりも早く久賀野がもう席についていた。暇そうにスマホをいじっている彼の隣に遠慮がちに座ったものの、見れば久賀野の傷が増えていることに幸知は絶句する。また喧嘩をしたのか、大きな絆創膏で、頬がうまっている。少しはみ出しているのは擦り傷のような大きな傷だ、集団で殴られたのか、一対一で喧嘩したにしては怪我が多い。左手首から手の甲に至ってはくるぐると固く白い包帯が巻かれている。かろうじて骨折してはいようだけれども、それを見た幸知の心は衝撃を受ける。

（このままもっとひどい怪我をして、死んでしまったりはしないのだろうか）

　久賀野は過去に荒れていたという話は少しだけ聞いたことがあった。それが原因で留年したと。このままでは退学になってしまうかもしれない。

（久賀野がいなくなる、それは、ちょっと嫌だな……）

　幸知の心の中では久賀野は大切な友達とも言えるのかもしれない、無意識のうちに彼の存在は大きくなっている。幸知が他人に心を寄せるのは、今まで生きてきて数えるくらいしかないことだった。

「久賀野くん」
「何」
「その、怪我大丈夫なの」
「俺の心配より自分の心配しろよ、寝てないだろ？　顔真っ青」
「僕は、その、よくあることだから」
「よくあることで倒れられてもなあ、打ちどころ悪かったら危ないんじゃね？」
「それは久賀野くんだって……！」
「喧嘩をするなっての？　そんなの言われなくたってわかってるよ」

　ぷい、と久賀野は不機嫌そうに顔を背けた。幸知はそれから先の言葉が見つからない。

（喧嘩をしないでとか、もう少し怪我には気をつけてとか、言いたい言葉は色々と心にあるのに）

　そのうちに同級生は登校し始めて、幸知と久賀野の会話はそれっきり。その日は朝の集会があるから放送従ってそれぞれ体育館に向かって行く。久賀野が怠そうに立ち上がって体育館履きを持って移動する。幸知もその後を追って教室を出て行った。そばを歩くも視線を合わせない久賀野とは、何も会話をすることはないままで。
　集会は特に緊張感もそれほどなく、校長の話もこれと言って覚えていなければ今後に差し障るという内容でもなかった。ためにはなるのだろうけれど、興味はない。立ちっぱなしの生徒たちは少し疲れた顔をして、溜息が時折聞こえて来る。そんな中一人幸知は、次第にひどくなる吐き気をこらえている。

（危ない、貧血だ……ここで倒れたらきっと怪我する、もう耳鳴りで話もよくわからないし目の前がちらついてきて意識が飛びそうだ。どうしよう、誰かに知らせないと）

　気分の悪さをこらえながらちらりと後ろを振り返れば、怪我をした手をポケットに入れてつまらなそうな顔をした久賀野と目が合う。彼は保健委員だ、しかし校長以外に沈黙している体育館内で不調を伝えるにはどうしたらいいのか。

（おねがい、たすけて……）

　すでに幸知は平衡感覚を失っていて、自分がふらりと横に揺れたのにも気が付かなかった。頭が重くそのままかしぐ、その時力強い腕が崩れ落ちる寸前の幸知を支えた。

「すみません、貧血です」

　幸知の言葉ではない、意識朦朧とした幸知を支えた久賀野の周りの教師に向けた言葉だった。慌てて駆け寄ってきた養護教諭の声はもうよく聞こえないほどの幸知の身体を抱えて座らせる。こんなこと以前もあったなと、ぼんやりと思いながら幸知の意識は遠のいていった。

（そうしていつも、彼は僕を助けてくれるんだ）