倫理的恋愛未満

雨水林檎

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第三話

03

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 雨がひと降りしてやんだら、空は明るくなり夕焼けが見えた。しかしまだじっとりと残っていた湿気のせいか幸知の体調に異変が現れる。

(息苦しいな……)

「……ケホッ、ゴホンコホッ……ゴホッ、ゴホンコホン!」
「なんだよ、さっきから咳とまらないなあ」
「入院してから、雨の日は咳がよく出るんだ。うるさくてごめん」
「いや、別に怒ってるわけじゃないねーけど」

 夕焼けとは裏腹に教室は薄暗くなってきた。放送では最終下校を伝え、部活動で残っていた生徒もぞろぞろと昇降口から出て行く。

「俺らも帰るか」
「う、うん……ゴフッ、ぁ……コホッ!」
「送ってく、鞄寄越せ」
「えっ」

(だって、久賀野の家は僕の家と正反対だ。この時間じゃ帰る頃にはすっかり夜になっている)

「ゲホッ、い、いいよ、一人で帰れ……ッゴフッゲフッ!」
「無理すんなー、どうせ今夜は帰っても寝るだけだ。母ちゃんは飲み会だって言ってたし」
「でも」
「俺がそうしたいから、いいの」

 そう言って久賀野は幸知の鞄を持ち、さらにその肩を支えながら廊下を歩いて行く。途中各教室を見回っている用務員に挨拶をして二人も昇降口を後にした。鍵を持った教師が玄関を閉めると大声で、残った生徒をせかしている。
 校庭の砂は雨上がりの水たまりが出来ていて、うっかり踏みつけた波紋とともに空の暗赤と光る月を映していた。夜が訪れる、幸知の気分が落ち込む孤独の夜が。

「まるごと高級住宅街だよなあー。俺中学に上がるときにこの街に引っ越したから、同じ街でもこっち側は来たことないのよ」

 学校を通り駅を過ぎ、幸知の自宅近辺に来た頃にはもう夜も暮れていた。小学生や中学生はもう家に帰りついた頃、そのせいか所々から夕食の匂いがする。

(食べ物の匂いが気持ち悪い。息苦しいし、足元がふらふらする……)

「幸知? どうした」
「な、何でもない……大丈夫」
「ふらふらしてんなあ、歩くの辛くなってきたか?」
「少し休めば、あの、もうここでいいから」
「遠慮すんな、家の前まで行くよ。おっ、豪邸だなあの家」
「……あの家に、住んでいるの」

 住宅街の中でひときわ目立つ大きな家、大手建築会社お抱えの当時人気だった建築デザイナーに頼んだ家だ。白い二階建てに、庭がある。門の表札は青のカラーリングに橘野と書いてあった。

「うわ、まじかあ……」
「二階が僕の部屋、本当だったら寄って行ってもらいたいけれど、親の許可がないと知り合いでも家に入れちゃいけなくって」
「ああ、気にすんな―。今度は俺んちに来いよな、小さな木造アパートだけどさ」
「うん、ごめん……あの、送ってくれてありがとう」

 幸知の家の前で二人は別れた。何度も久賀野は振り返って手を振るから、幸知は思わず苦笑する。そうして家の中に入れば真っ暗な室内ではいつものローテーションが待っていた。鞄を置き洗濯物を取り込んで、幸知はシャワーを浴びるために風呂場に行く。
 ワイシャツを脱いで下着姿になって、体重計に乗れば数値は最低記録を更新していた。身長は伸びているのに体重は減り続けている。その矛盾に少し笑いながら、幸知は浴室の鏡を今日も見た。

「痩せてる……?」

(こんなこと、続けていても何も良いことではないのに)

 そうしてまた、シャワーヘッドを鏡に向ける。幸知の頬には知らない間に涙が一筋流れて消えた。
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