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序章 総ての始まり

第1話 下手くそな似顔絵描き

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「ふざけんな! こんな俺とは似ても似つかない絵に金なんか払えるか!」
「あっ……」

 ウチの渡した絵が、目の前でお客さんに破り捨てられる。お客さんは肩を怒らせながら、どこかに去っていってしまった。

「……はぁ」

 破かれた絵の残骸を拾い集め、一人溜息を吐く。……また、やってしまった。
 ウチの名前はまどか美沙緒みさお。今年美大に入学したばかりの十九歳。
 美大に入ったのは昔から絵が好きで、絵を描く事を仕事にしたかったから。教授達や入学してから出来た学友達からの評判は、そこそこいいと自負している。

 でもそれは、「人物画を除いて」――だ。

 例えば、静物画や風景画なら問題ない。見た通りのものを、そのまま絵に起こせる。
 けれど……それが人物画になった途端、駄目になる。ちゃんとモデルを見ながら描いてる筈なのに、出来上がってみるとモデルとは似ても似つかないものになっているのだ。
 優しそうな人を描けば、真逆の怖そうな顔に。美人を描けば、酷く醜い顔に。
 こんな調子だから、ウチの腕前を知ってる人は誰もウチの人物画のモデルにはなってくれない。モデルがいないという事は、練習も出来ないという訳で。
 だから大学が終わるとこうして駅前で、小遣い稼ぎも兼ねた料金後払いの似顔絵描きをやらせて貰ってるんだけど……。いっつもこの調子で、一銭もお金が入らない、という訳だ。
 人物画を諦めてしまえば、楽になるのかもしれない。現に現代に名を知られる有名な画家達だって、全部の種類の絵で評価されていた訳じゃない。
 でもウチは、苦手な分野だからって逃げたくない。どんな絵でも、胸を張って描けるようになりたいんだ。
 ……とは言え。「駅前に下手くそな似顔絵描きがいる」って最近では噂になってるらしくて、ウチに似顔絵を描かせてくれる人も随分と減っちゃったんだけど……。

「あーあ……そろそろ別の場所に移った方がいいのかなぁ……」
「もしもし? あーあー……そこの、黒い毛虫みたいなお嬢さん?」

 止まらない溜息と共に今後の身の振り方を考えていると、不意にそんな声がした。誰がそんな呼ばれ方をしてるか気になって、ウチは顔を上げて辺りを見回す。
 するといつの間にか、ニコニコとこちらを見下ろすイケメンが目の前に立っていた。ちょっとチャラくて軽薄そうだけど、そういうところがまたモテるんだろうなって感じのスーツのイケメン。
 ひとまずそれは無視してよく周りを見てみるけど、毛虫っぽい人なんていない。そう思ってると、イケメンがウチを見ながらこう言ってきた。

「君だよ君、僕の目の前の君」
「ハァ!?」

 ちょっと待って。毛虫ってウチに言ったの!?
 そりゃ確かにウチは髪の毛真っ黒で剛毛で、美容院代勿体無くて自分で髪切ってるからちょっと不揃いでバサバサしてるけど、だからって毛虫はなくない!?

「アッハッハ、そんな怖い顔しないでよ」
「誰のせいやと思ってるんですか!」
「君でしょ? 最近ここに陣取ってる下手くそな似顔絵描きって」

 あまりにも失礼な言い種に思いっきり睨み付けるけど、イケメンはそれを涼しい顔で受け流して更に失礼な事を言う。き、気にしてるのによりによって本人の目の前で!

「そうですけど、今日はもう帰るところです! さようなら!」
「まぁまぁそう言わずに一枚描いてよ。噂の絵がどれだけ下手くそか見てみたいんだ」

 こっちがつれない反応をしてみせても、イケメンにそれを気にした様子は微塵もない。こ、この人、どこまで失礼な訳!?
 ウチの腕前を承知で描いて欲しいっていうのは希少な申し出だけど、ウチだって描く相手は選びたい。こんな失礼極まりない男なんて、描いてやるもんか!
 そう、ウチが口を開こうとしたその時。

「ハイ。お代はこの通り、先払いするから」

 そう言ってイケメンが差し出してきたものは……せんえんさつ。

 ……。

 …………。

 ………………。

「……ウチがいいって言うまで、動かないで下さいね」
「ハイハイ、了解」

 千円を受け取り、スケッチブックと鉛筆を手にするウチ。し、しょうがないじゃん! 寮暮らしの大学生に千円は大金なの!
 正直ムカつく相手ではあるけど、描くと決めたからには真剣に描く! 絶対ギャフンと言わせてみせるんだから!
 そうして、集中する事約十分。

「よし! 出来……た……」

 完成した似顔絵を見てウチは――固まった。

「な、何これ……」

 その似顔絵には、顔がなかった。目も、鼻も、口も。完全なのっぺらぼうが、そこには存在していた。
 え……何でこうなるの? と言うか、いくら何でもこれはヤバすぎない?

「どれどれ? 見せてよ」
「あっ……」

 呆然とするウチの手から、イケメンがサッとスケッチブックを奪う。ヤバい、いくら何でもこれは絶対怒らせる――!

「……へぇ」

 けれどイケメンは、絵を見ると面白そうに笑った。そしてスケッチブックから絵を剥がし、残りのスケッチブックをウチに返却する。

「あ、あの……」
「これ、気に入ったよ。貰ってく。それと……」

 狼狽えるウチに、イケメンはニュッと顔を近付ける。それは本当に、本当に愉快そうな笑みで。

「……場所を変えるなら、商店街をお勧めするよ」
「えっ、あのっ、それどういう……」

 ウチが言葉の意味を問い質すより前に、イケメンはウチから顔を離し、のっぺらぼうの似顔絵を持って歩いていってしまった。ウチはまた呆然としながら、それを見送るしかなかった。

「な……何なん、一体……」

 ウチの呟きに答えてくれる人は、誰もいなかった。
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