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8章・変わり行く時代

手紙

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 ラジートの日々は辛く苦しいものである。

 最初のうちは街中を走っていた訓練だが、やがて、町を覆う城壁の外の草原を走り、さらに時が経てば森や山を越えて走った。

 森や山を走れば当然、猛獣や魔物が出てくるので、ラジート達は腰に剣を提げて走るのだ。

 だが、全員がその剣の重さにヘトヘトとなった所で魔物と遭遇し、一人が重傷を負う事も遭った。

 剣を扱う術が無ければ死ぬかも知れない。

 これには、さすがのラジートもコレンスと競うほど暇は無く、仲間達と現れる魔物に対処する必要があった。

 しかし、ラジートは強かった。
 用意ドンの試合でも負け無しであったし、突然現れた魔物にもそれなりに戦う事が出来るのだ。

 ラジートが学んだ、姿勢や型を重視するキネットと、自由に敵を攻撃するサニヤの二つの戦い方が、騎士団の訓練で開花してきたので、彼はどんどん強くなるのだが、そんな彼へコレンスだけは食らい付いた。
 絶対にラジートにだけは負けたくないと血がにじむ努力を続け、時には木剣が持てなくなるまで木の幹へ打ち込みを続けたりもしていた。

 ラジートもコレンスだけには負けたくないので、常に己を鍛え続けたのである。

 まさに切磋琢磨だ。

 訓練で馬に乗って闘えば、やはり成績は伯仲。

 落馬や馬に蹴られて骨折する者も居たが、二人とも見事に手綱を使って槍を振るい合った。

 訓練の合間には座学もある。
 礼式、精神涵養(せいしんかんよう)、軍略、知略……。

 やはり、ラジートとコレンスは互いに負けたくないために、成績は全く同じだ。

 そんな二人の成績が離れたのは、ローリエット騎士団に入って一年後である。

 マルダーク王国南方で暴れていた山賊の根城を壊滅させる事になった時だ。

 おお、ついに夢見た実戦だ!

 ローリエット騎士団の皆々は沸きに沸いた。
 
 戦いが嫌いな男がいようか?
 誰しも、男ならば戦いに勝ちたいという思いはあるはずだ。
 あるいは、訓練で得た成果を示したいと思うものだ。

 しかし、彼らの姿をラジートだけは理解できなかった。
 なぜならば、ラジートの性癖はザインと同じく、戦いを好まなかったからである。

 このラジートの態度には、仲間達や教官のカッツィも首を傾げた。
 あれほどの武力があって、なんで戦いが嫌いなどと言うのであろう?

 しかし、幾ら戦いを嫌だと言ったところで、結局、ラジートは強かった。

 ローリエット騎士団は現地の兵達の後方に同行していたので、実際に戦いには参加する予定は無かったのであるが、山賊が待ち伏せで後方から攻撃してきたのだ。

 なので、ローリエット騎士団は混乱となった。
 武功に逸(はや)る猪武者や、普段はいきっていてもいざとなれば竦む者達……。 
 コレンスも、武功を挙げて、父の汚名を晴らす機会だと、カッツィの指示も聞かずに山賊へ突撃をかましたのである。

 しかし、突出したコレンスはたちまち山賊に囲まれてしまった。
 しかも、コレンスは山賊を斬り殺す事が出来なかったのだ。
 訓練で戦ったラジートよりも弱い相手だったなのに、コレンスはその隙だらけの敵の首筋を狙う事が出来ない。

 頭で殺そうと考えても、心が殺人を躊躇するのだ。

 結果、足を掴まれ、馬から引きずり下ろされた。
 
 目の前の山賊が斧を振り上げている。
 コレンスは殺されると思い、悲鳴を上げた。

 そこへ馬を駆けて来たのは、なんとラジートである。
 
 ラジートは持っていた槍を振るうと、たちまち三人の山賊を突き殺して、包囲されていたコレンスを助け出した。

 ラジートが手を差し出し、コレンスが憎しみも忘れて助かりたい一心でその手を握ったので、ラジートはコレンスを後ろへ乗せて、さあ皆の所へ戻ろうかとする。
 しかし、「おのれ、俺のダチ公どもを!」と山賊の一人が馬を駆けて来た。

 ラジートが槍を振ると、男はその槍の柄を見事に掴む。
 男は巨腕が特徴的で、その見た目に偽りなく、剛力でラジートの槍を引っ張った。

 なので、ラジートは槍をパッと手放し、腰の剣を抜いて男の胸を即座に刺したのである。

 男が「うっ」と呻くと、ラジートは男が死んだと倒れる姿を見なくても分かったので、そのまま馬首を転じて皆の元へと向かった。
 カッツィの所でコレンスを降ろし「オレが山賊を抑えます。そのうちに陣形を整えてください」と伝える。

 こうして、ラジートは恐慌に駆られる仲間の間を行き来し、見事に陣形再編の時間を稼いだのである。

 この功はラジートの成績を決定付けるのに十分であった。

 そして、命を助けられたコレンスもラジートを認めざる得なかったのである。
 
「一つだけ聞かせてくれ。なぜ、俺を助けたんだ」

 コレンスはラジートへそう聞くと、ラジートはその質問に「仲間だから」と、事も無げに答えたのである。

 つまるところ、ラジートはそうなのだ。
 守るために戦う。
 守るために殺す。
 
 彼にとって競うことや戦う、争うこと、全てが私利私欲に非ず。
 すべては守るために行われた事に過ぎなかった。

 ラジートがコレンスと争ったのも、父カイエンや母リーリルの名誉を守る為だ。
 しかし、コレンスを貶めるために争った訳では無いのだから、彼の窮地を助ける事に何の迷いがあろうか。

 だから、コレンスは今までの自分が酷く醜く思えて、深い謝罪と、そして、素直にラジートを認めた、

 それと同時に、ラジートを認めるからこそ、彼を越えたいと思ったのである。
 そんなコレンスを相手にするからこそラジートも彼のことを認めた。

 その日から、ラジートとコレンスは良き友人であり、良きライバルとなった。

 それからさらに二年も経てば、ローリエット騎士団は訓練よりも反乱軍残党の鎮圧や賊の討伐が多くなり、ラジートはコレンスと肩を並べて戦った。

 彼は二年間で、ラジートにとって頼れる戦友になっていたのである。

 そんなある日の事……。

「よお、また手紙を書いているのか」

 戦地の幕舎で、コレンスがラジートへ言う。

 戦地から戦地へ。
 残党鎮圧から残党鎮圧へ。
 もう何ヶ月も王都へ帰っていなかった。

 こうずっと戦地に居ると、心が潤いを無くして乾燥するのだ。
 日常から切り離された異常な世界で、乾燥してササクレだった人の心が魔物のように変わっていくのだ。
 
 ラジートは守る為に人を殺すことを厭わないが、それでも、戦地ばかりにいれば心が乾く。

 だから、手紙を書いた。
 毎日手紙を書いて、王都へ送った。

 相手はカイエンである。

 最初の一通はカイエンがラジートへ送ってきて、それにラジートが返信したことからこのやり取りは始まった。
 カイエンもローリエット騎士団に居た身。
 ラジートの心を心配して、彼へ手紙を寄越したのだ。

 カイエンは日常の様々な事を書いた。
 庭の木々が花を咲かせただとか。
 キネットが婿を紹介して欲しいと言っているが、良い婿が居ないとか。

 ――そして、サニヤに娘が生まれたとか。

 サニヤはラキーニとの間に娘を産んだことがカイエンの手紙に綴られていたのである。
 名前はリシー。

 仕事の忙しいサニヤとラジートに代わって、ザインが良く世話をする事が書かれていた。

 ラジートはこの内容に喜んだ。
 命を奪う戦場で、命が産まれた話は心が潤う。

「オレの姉上に娘が産まれたんだ。返信に悩んでいる」

 コレンスへ、そのように答えた。

 おめでとうございますでは他人行儀であるし、あまり馴れ馴れしくしようとして無礼な事も書けない。
 サニヤが怒りっぽい割に傷付きやすいと言うことをラジートは知っていたからだ。

「なんだい。姉に壁でも感じているのか?」
「尊敬はしているけど、気難しいからなぁ」

 迂闊な事を言うと何をされるやら。
 まったく恐ろしい。

「ラジートが恐れるのか。いくら戦いが強くても、姉には叶わないって事だな」
「いや、姉上はオレより強い」

 嘘だろう?

 コレンスは眼をまん丸にした。

「ラジートの父は宰相様だろう? 宰相様の娘様がそんな強いなんて聞いたこと無いぞ?
 と、いうか、娘様が居たって事も聞いたことが無い。そんなに強いなら、噂の一つくらい聞くと思うんだけど……」
「姉上は家出してたから」

 コレンスは顔をしかめて、家庭の闇に踏み込んでしまったと思う。
 しかも、宰相の家の闇にだ。
 なので、すまないと頭を下げた。

 いやいや、これにラジートは「そんな暗い話じゃ無いって」と訂正する。

「姉上はとんでもないお転婆なのだ」

 サニヤはまったくお転婆だ。
 ラジートの脳裏に、ラーツェとの隠匿生活が思い浮かぶ。

 家でごろごろしたいのに首根っこを掴まれて畑仕事をさせられたし、家で本を読みたいと言うザインとラジートを無理矢理引っ張って外へ連れ出した事も記憶にある。
 彼女は家でジッとしてられない女なのだ。

 そんな姉が一児を授かるとは、人生とは不思議なものだとラジートは思う。
 いやはや、ラキーニとサニヤが結婚すると聞いたときは、あの気弱なラキーニがサニヤに添えられるだろうかとラジートは不安になったものだ。

 しかし、よくやれているようで安心した。

「で、コレンスはオレに何か用か?」

 返信をしたためながらラジートが聞けば、コレンスはもう一通、手紙が届いてるとラジートの机の上に置く。

 さて誰の手紙であろうか。
 その封書にはヘデンと書かれていた。

 三年で随分と上手くなったもので、誰も最下層民だった子供の手紙だとは思うまい。
 現に、ラジートもヘデンの名前を読んだのに、ヘデンからの手紙だとすぐに分からなかった程である。

 封書から手紙を出してみれば、兄に言われて手紙を書いた旨。
 身分も違うし、ラジートは忙しいだろうに、迷惑だったら返信を寄越さなくて構わない旨が書いてあった。

 しかし、ラジートはすぐに返信の手紙を書く。

 ヘデンからの手紙がとても嬉しかったからである。

 喜びを抑えきれず、ラジートは筆を執ると、今ヘデンはどのような事をしているか、カーシュの仕事は順調か、孤児院の暮らしはどうであるかを書いた。

 ――ここは乾いた血で出来た荒野だ。今は少しでも平和に触れていたい。
 ヘデンの手紙は恵みの雨だ。オレの心を潤してくれる。良ければこれからも手紙を送ってくれ――

 そのように締めて、ラジートは手紙を送る。

 そして、それから、ヘデンはたくさんの手紙を送ってくれた。
 戦地の場所によっては、遠く離れて手紙が中々来ない事もあったが。
 しかし、王都に近い戦地では手紙が二、三日で来ることもあった。

 いずれの時も、ラジートは一日千秋の思いでヘデンからの手紙を待ち続けたのである。

 孤児院の仕事を手伝ったとか、料理を焦がしてしまったとか。
 そういった彼女の日常に触れると、心は人へ戻った。
 段々とうまくなっていく文字に触れると、健気に文字を書いている彼女の姿が見えた。

 ヘデンとそのようなやりとりを続けていたある時、ふと、ラジートは父への返信の方に一つの質問をする。

 それはカイエンがリーリルとの結婚をした理由である。
 もしや、カイエンが辛く苦しい時に寄り添ってくれたのがリーリルなのでは無いかと、ラジートは思ったのだ。
 そして、それと同様の手紙を姉サニヤにも送った。

 まず、サニヤの方からは比較的早めに返信が来る。
 そこには、ラキーニは自分の持ってないものを持っていて、それを使って私を支えてくれるからと書いてあった。

 そして、紙の端の端まで、彼がいかにクールで、優しく、聡明であるかが書いてあったのである。

 普段は優しいけど、難しい話をするラキーニの姿はとっても男なのだ。
 と、普段は字を書かないサニヤの汚い文字は、情熱的な旋律を奏でる音符のように綴られていた。

 あまりにも書きたい魅力が多すぎたようで、最後の方の文字はどんどん小さくなるほどだ。

 それを読むとラジートは微笑んだ。
 我が姉ながら、よくもまあここまで歯が浮く事を書くものであると思った。
 しかし、読んでて悪い気分にはなるまい。
 人が人を愛する姿にやっかむ人間はよほど性格がねじ曲がっているに違いないと、ラジートは思えた。

 とはいえ、今後も惚気話が延々と送られると辛いので、ありがとうございます。参考になりました。とだけ、業務的な内容で手紙を送るのである。

 しかし、サニヤから手紙は来たがカイエンからの返信は遅く、結局、カイエンから手紙が来たのはサニヤの手紙が来てから一週間後。

 ラジートが別の戦地へ移動してからであった。

 反乱軍残党の鎮圧から陣地に建てた幕舎へ戻ると、警備の兵が訪ねてきて、手紙を渡されたのである。
 おお! ついに父上から来たかとラジートは手紙を広げて読んだ。

 そこには、「その通り、苦しい時に寄り添ってくれたのがリーリルだったのだ」と書いてある。
 田舎の開拓村へ左遷され、サニヤを拾って困っていたカイエンを助けてくれたのがリーリルだったのだと書いてあった。

 やはりそうかとラジートは思う。
 しかし、嘘だ。

 カイエンはリーリルに肉体関係を迫られ、拒否しきれず抱いてしまったのでその責任をとったに過ぎない。
 ……が、その事実をなんで息子に言えようか? 言えるわけが無い。
 それはさすがに情けない。いくらカイエンが着飾らない性格とはいえ、人並みのプライドはあるのだ。
 
 カイエンが一体どういう気持ちでこのような嘘を息子へ送るのやら、手紙が随分と遅れた事を考えても、よほどの苦痛があったことであろう。
 それがどれほどの苦痛と羞恥(しゅうち)であったかは、我々の理解すべき範囲を超えている事だ。 
 それに、ラジートが喜んでいるのだから、嘘も方便というものである。

 ラジートは喜んで筆を執ると、父に返信をしたためた。

 そして、こう書いた。

――私も結婚したい女性を見つけました――
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