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4章・大鷲は嵐に乗って大空へ

雌伏

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 ハーズルージュへの道自体はさほど困難なものではなかった。
 ルカオットが王族だとは誰にもバレて居らず、誰も彼もが泥棒小僧だとばかり信じ切っていたのだ。

 こんな歳で泥棒をせねばならない少年を不憫に思い、カイエンは生来のお人好しからハーズルージュまで泥棒小僧を連れて行こうという筋書きであったため、誰もルカオットをマルダーク王家の子など思いもしなかったのである。

 一つだけ問題があるとすれば、シュエンが予想以上に信じてしまったという所であろう。

 彼は反権力的な人間なため、子供ながらに貴族の家宝を泥棒をしたという話を信じ込んで、いたく気に入ってしまったのだ。
 なので、ハーズルージュへの道中も、隙あらばルカオットを連れ出して猛獣や魔物を狩ってみせようとしたり、常に自分がどれだけの悪だったかという武勇伝を語ったものである。

 しかし、ルカオットは反権力どころか王族という権力そのものなのであるからして、カイエンはいつルカオットが泥棒小僧じゃないとシュエンにバレるのか気が気じゃ無い。
 だが、ルカオットも割とシュエンの狩りを気に入ったようで、凄い凄いと褒め讃えたため、シュエンは得意になるばかりでルカオットの事に疑問の一つも抱かなかった。

「お前も俺みたいになりたいか」と聞くと、ルカオットは「いえ、そこまでは」と断る。
 シュエンは声を大きく笑って、男はそのくらい言えた方が男らしいと言うくらいには気に入っていたのだ。

 気に入れば気に入っただけ、真実がバレた時にどうなるか恐ろしいものではあるが、しかし、これがシュエンという男を頼もしくさせてくれたのである。
 と、いうのも、一度だけ、とある村にてカイエン達に同行する少年はマルダーク王家の者では無いのかと疑った敵兵達が居たのだ。

 王都の反乱軍から早馬で各地へ、人相書きでも配られているのかも知れない。
 なんにせよ、カイエン達は逃走し、怪しいと踏んだ兵達が追ってきたのであるが、川にかかる橋を渡った時、シュエンは斧を担いで、この初冬の寒風吹く時期に川へと飛び込んだのである。
 そして、何と、たった一人で橋桁を破壊して、追っ手が川を渡れないようにしたのだ。

 ちなみに、シュエンは泳げないので、水練を積んでいた自警団上がりの兵達で必死にシュエンの体にロープを張って援助したのであるが。
 なんにせよ、実質的にシュエン一人で追っ手をまくことに成功したのであった。

 寒さに震える手足を気合で抑えて、どうだ小僧とルカオットを見れば、ルカオットも凄いですと言うので、シュエンはどんなものだと得意になる。
 常日頃において、シュエンほどカイエンの悩みの種になる男は居ないものであるが、こういう事態に置いては、まったく頼もしい男であり、カイエンの心配は杞憂かと言うほどに、何の問題もなくハーズルージュへと帰る事が出来たのだ。

 さて、カイエンの留守を預かっていたロイバックは、予定よりずっと早い主人の帰国に驚いて出迎えて来る。
 そんなロイバックへカイエンは、後で話があるから将兵を全員、兵舎の軍議室へ集めるよう伝えた。

 旅の疲れを癒やした方が良いのではとロイバックが聞くものの、カイエンは重大な話だと言い、急いで集めさせるように言ったのであった。

 そうして、カイエン軍において、騎士格以上の人々が軍議室へと集まる。もっとも、シュエンは呼んでいなかったので、シュエンだけ居なかったのであるが。
 彼らを集めさせた理由は当然、反乱と王都陥落、そしてマルダーク王家の生き残りを保護した話だ。
 だが、その話をする前に、カイエンはラキーニを皆に紹介する事にした。

 最初、ラキーニが軍議室へ入ってきた時、たかが一兵卒が何の用だと、皆して白い目をするので、ラキーニは気圧されてもじもじとしてしまうのだ。
 そんなラキーニをカイエンは、新しい軍師に迎えると言ったので、誰もが驚いた。
 
「ハリバー。後継者を探していたでしょう。彼はちょうど良い」

 ハリバーは元々老齢であったが、この八年でだいぶ老けこみ、手足は柳のように細いし、目も落ち窪み、歯も大分抜け落ちている。
 しかし、そのひょうきんさは昔と変わらず、ヒョヒョヒョと笑いながらラキーニへ近づいた。
 そして、軍略の基本を質問する。
 つまりは、兵運用の話だ。
 それら全てにラキーニは答えられなかった。

 次いで、川や池、谷や丘、森に茂みなどのどこに陣を敷くのが良いか聞き、やはりラキーニは分かりませんと答えた。

 さすがに軍略を学んだ事がある者なら誰でも知っている質問ばかりなのに、ラキーニは答えられなかったため、誰も彼もが呆れた声を出すのである。

 なぜカイエンはラキーニを軍師にしたいと言うのかをハリバーが聞いてくるので、カイエンはラキーニが思慮深く、また、中々に洞察力と見識、それと発想も良いのだと答えた。

「若造よぃ。見識があるなら、その知識は何で身につけた?」
「本を読みました。行商人が町の本を持ってきたら、小遣いをはたいて買いました。歴史書や法学書、読めるものは何でも読みました」
「村の出身なのにかい? それに、自警団上がりの兵になるつもりだったなら勉強する必要もないだろう。それとも、軍師に取り立てられるのを事前に察してとでも?」
「いいえ。ただ、会いたい人に会うために、勉強をする必要があると思ったからです」 
「会いたい人? それは誰だ」

 ラキーニは顔を少し赤らめて、「いえ、それは……」と口ごもるのである。
 ラキーニが会いたい人とはサニヤの事だ。
 村しか知らなかった小さな時の彼は、町というものはハイカラでミーハーなナウいヤングが集まる場所だと思っていたし、何よりもサニヤはきっと貴族としてお姫様みたいになっていると思ったのだ。
 なので、田舎者の彼がサニヤに会うためには、教養と知識を付けなくちゃいけないと思ったのである。

 ハリバーは分かったと言って、そんなラキーニの肩に手を置き、「私の弟子になってくれ」とニッコリ笑ったのである。

 ハリバーの意外な言葉に「い、良いのですか?」とラキーニは驚いた。

「うん。お前、良いぞ。馬鹿なのが良い。馬鹿なのが気に入った」

 一体全体、馬鹿な事の何が良いのか分からないが、ハリバーはカイエン軍でも奇人扱いなので、もはや彼の判断にケチ付ける人は居なかった。
 なんにせよ、ラキーニは軍師となったのであるが、それは今回の軍議に置ける本題では無い。

 ふとロイバックは、ラキーニの影に少年が隠れているのに気付き「カイエン様。その子は?」と聞いた。

 カイエンは頷くと、ルカオットを皆の前に立たせる。
 反乱が起こり、王都は陥落した、そして、彼がマルダーク王家の第八王子である事を伝えたのである。

 その話を聞いた殆どの人が、何かの冗談では無いかと半信半疑だ。
 一方、ハリバーは、なるほどだからシュエンを呼んでいないんだなと理解したし、ロイバックは若き日のマルダーク王を知っていたため、その面影から間違いなくマルダーク王家の子だと理解した。

 ハリバーが、それでその子をどうするのかをカイエンに聞く。
 軍師の立場としては、王都を落とせるような戦力を保有する反乱軍に無駄な抵抗はしない方が良く、ルカオットを手土産に反乱軍へ降るべきだと主張した。

 確かにそれが合理的な判断であろうが、カイエンは首を左右に振る。

「ま、カイエン様なら首を左右に振るでしょうな」とひょうきんに笑った。
 まったくハリバーは掴めぬ老人である。
 カイエンがルカオットを見捨てないと分かっていて、わざと手土産にすれば良いと言ったのだ。
 なぜ分かってたのにわざわざそんな事を進言したのか、常人には理解出来ない理由でもあるのだろう。

 そんなハリバーは早速、ラキーニへどうするべきかと聞いた。

 ラキーニはいきなり話を振られてしどろもどろになりながら、ひとまずは、ルカオット様の存在は秘密にすべきですと唱える。
 
 反乱軍は王都を陥落させる戦力を保有し、さらに勝ち馬に乗ろうという諸侯も味方に付けているのに対し、カイエン軍はあまりに矮小。
 王の復帰を宣言するにはまだ早いというのだ。
 また、ハーズルージュ内から他国へ情報が漏れないよう、この場の人達のみで口に戸するべきだとも主張した。

 それにハリバーは頷き、私も彼に賛成ですと述べ、「ルカオット様の味方になってくれる勢力と同盟を結び、反乱軍に備えるべきです」と述べたのである。

 それでは、ルカオットの味方になってくれそうな者は誰が居そうか。
 辺境の地に居るカイエン達に、マルダーク国の勢力図は分からない。

 しかし、ルカオットが口を開き「南政婦のキュレインが、王国に付いていました」と言ったのである。
 元々、王都が陥落した時に、王都の王侯貴族は南政婦を頼ろうとしたのだ。
 しかし、反乱軍の包囲は厚く、東方へ逃れていくうちにカイエンに助けて貰ったのである。
 しかし、まだ十程の少年にも関わず、場の空気に押し黙ることもせずに発言するのは、いやはやさすがに王家の血だと思わせるものだ。

 これほどハッキリと話せるならば子供扱いする必要もなく、カイエン達はルカオットが知っている事を聞くことにした。

 とはいえ、彼は王位が低く、まだ子供だったため、反乱の全容を知らなかったが、少なくとも南政婦キュレインは王国側であることと、そして、反乱の主体は防府太尉に任命される筈だったサリオン・ガリエンドだという事は知っていた。

 反乱の主体はサリオン。
 カイエンはその事実を聞き、呆然としてしまった。

 兄上が……反乱を? と。

――その軍議が終わってすぐ、ハーズルージュから一人の伝令がキュレイン・オーカムの元へ向かった事は誰も知る由もない事だ。

 この時代を生きる人達にとってハーズルージュは辺境の地であり、誰も気に留めてすら居ない場所である。
 そのような町が、反乱軍と戦い続けているキュレインと関連付けられるわけがなかったのだ。

 その頃、南政婦キュレインは反乱軍の苛烈な攻撃を、自身の領土であるエームの町を中心に四方へ要塞と壕を築き、良く堪えていたのであるが、王都陥落によってマルダーク王家の行方も知れぬために、降参も視野に入れたのである。

 そんな中、見慣れぬ騎兵が一騎、交渉の使者とやって来た。
 反乱軍の包囲を、使者であるから通せと言ってエームの町へ向かう兵。
 それこそカイエンの使者であったが、反乱軍は諸侯が雑多に集まっていた為、まさかその使者がキュレインの味方だとは思っても居なかったのだ。

 当然、キュレインも、包囲している敵軍の兵が降伏勧告に来たのだろうと思っていた。

 キュレインは齢四十の女性である。
 オーカム家は男児に恵まれず、婿養子を長女のキュレインとの結婚という形で家督を継がせようとしたのであるが、結婚後にキュレインは家督をついだ旦那から実権を奪い、そればかりか、マルダーク王から南政婦の爵位まで授与してしまった女だ。

 息子と娘が合わせて四人。
 三人の旦那を持つ彼女は、若い頃には人形姫と呼ばれる程に華奢で小さな体であったが、今ではまんまるに太って、鋭い眼を光らせていた。

 使者の兵曰く、俺の母親よりも怖い雰囲気の女だったそうだ。

 そして、彼女は見た目通りの豪胆さで、使者に会うやいなや、市民から旦那、息子に娘、全員を見逃してくれるなら降伏してやっても良いなんて言うのである。

 これほどの不利にも関わらず、今なお、ここまで上から目線の要求を行えるとは、いやはや、女だてらに領主となった者は違うものであろう。

 しかし、この使者は敵軍の使者では無い。
 それを聞いたキュレインは眉をひそめ、ではどこの者かと聞けば、カイエンの使者であるといった。

 キュレインもカイエンの勇名は聞き及んで居たが、カイエンが今どこで何をしているのかまでは知らぬ。
 そんなカイエンが自分に一体何のようだと聞けば、使者は「マルダーク王の第八王子、ルカオット様を保護しております」と言ったのである。

 これにキュレインは驚きを隠せなかった。
 幾度も幾度も、本当か。本当かと聞くのである。

 もちろん嘘などあるわけもなく、使者が同盟を切り出せば、キュレインは同じマルダーク王に仕える臣下、いずくんぞ拒否しようかと、同盟を快く結んだのだ。

 キュレインは「もうじき降雪の時期になる。そしたら包囲している敵も退こう。そして、雪解けになったら我が軍は東方の町々へ進軍する。カイエン辺境伯は西へ進軍するよう頼もう」と言う。
 キュレインとカイエンで、王都の東に居る反乱軍派の領主を一息に呑み込みながら合流して、王都を制圧している反乱軍に対して、対反乱軍戦線を構築しようと言うので、使者はカイエン様にそのように伝えますと帰って行った。

 こうして、戦意を取り戻したキュレインは降雪までよく耐え抜き、雪が降ると包囲していた反乱軍も一時撤退したのである。

 雪解けまで三ヶ月。
 カイエンが歴史の表舞台に現れるカウントダウンであった。
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