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2章・父の戦い
脅迫
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人々にサニヤの話を聞いて歩くカイエン。
誰も彼もが知らぬ存ぜぬと答えるのでカイエンは焦っていた。
「ああ、そのガキなら見たぜ」
遂にサニヤを見たという人が居たのである。
ようやく掴んだ手がかりにカイエンは喜び「どこですか!」と聞いた。
「こっちだ。案内するよ」
彼は路地裏へと進みだすので、カイエンも後に続いて路地裏へ歩いていった。
カイエンは路地裏へ入った瞬間、何とも言えない不穏な空気を感じる。
戦士の感とでも言うべきであろうか、その不穏な空気とは、すなわち殺気なのだ。
「本当にこんな所を女の子がいたんですか? あの子はカンテラも持ってませんよ?」
カイエンが言うと、男は足をピタリと止める。
「いやいや。居たよ。あっちの方にな、走って行ったんだよ」
通路の奥の方を指さした。
その直後、カイエンは路地裏を吹き抜ける風の音に混じって、自分の後ろから微かな足音がしたのを聞く。
素早く振り返る。
そこには木の棒を振り下ろそうとする別の男が居た!
素早く右後方へ下がりながら、体を半身ずらすと、ヒュンと木の棒が空を切り、まさか避けられると思っていなかった男はつんのめったのである。
カイエンはつんのめって体勢が崩れた男の腕と肩を掴んで投げ飛ばし、さらに木の棒まで奪うのだ。
戦場における徒手格闘術の一つであるが、こうも綺麗に技をかけられる人もそうそう居るまい。
残った男も、カイエンがただ綺麗なおべべを着ているだけの男では無いと気付いたようで戦意を喪失している。
カイエンはそんな男へ木の棒を向けた。
男は観念したように両手を挙げると、苦い笑みを浮かべて「ちょっとした冗談だよ。許しておくれよ」と言うのだ。
カイエンにとってそんな事、どうでも良い。
問題はサニヤなのだ。
そして、直観でしか無いが、恐らくこいつらはサニヤの行方を知っていると思う。
それどころか、今まで出会った人達全員が、恐らくはサニヤの行方に心当たりがあったのではないかと思う。
つまり、この街で誘拐を生業にする人を知っているのでは無いかという直観が、この男達の手際の良さから本能的に察したのだ。
「僕の娘の居場所はどこだ?」
「知らねえよ」
瞬間、男の腿を棒で激しく打つ。
男は悲鳴を上げて倒れた。
「剣であれば失血してる所だが、棒とは良いものだな?」
カイエンは脅しつけるように言う。
普段は心優しいカイエンであるが、娘のこととなれば容赦などしない。
人とて動物である。我が子を守ろうとする動物が最も恐ろしいのは自然の法則が如き自明の理。
それを男も感じたのであろうか、ブルリと体を震わせて「トマだよ! 多分あいつが攫ったんだ! ガキに手を出すのはあいつしか居ねえ」と叫んぶと、男は助かりたい一心でトマの事について話した。
トマとは肉屋の主だという。
主に子供を攫って、近隣の村へ奴隷として売る事でこの町では有名。
子供に手を出すのは親を敵に回すも同然なので誰もやらないが、やるならトマしか居ないだろうと言うのだ。
「ならば案内しろ。二人ともだ」
投げ飛ばした男にもそう言い、二人に案内をさせた。
二人ともカイエンの力に恐れて大人しく従う。
教養の無い人間を従えるには言葉や理屈ではなく力なのだとカイエンは知っていた。
本当はこんな手段を取りたくは無かったし、実直に話し合えばきっと分かり合えるとは思う。
しかし、今は綺麗事を言ってられる場合ではなく、愚か者には愚かな手段で従わせるしか出来ない。
「怪しい動きをすれば、二人のうちどちらかの腕を叩き折るからな」
しっかりと脅す。
カイエンは戦で出世した人であるため、その気迫は真に迫るものであった。
いや、脅しでは無く、実際に叩き折るつもりなのだ。
男達も本気なのだと気付いて冷や汗を垂らした。
こうなっては、もはや嘘や抵抗などしない。
大人しく二人はカイエンを肉屋まで案内した。
その肉屋は昼間にカイエン達が訪れた肉屋である。
あの酔っぱらいから、子供を見た場所だと言われたあそこだ。
その肉屋の前まで立ったカイエンが棒を捨てて剣を抜くので、男達はギョッとした顔でカイエンを見る。
「ご苦労。もう良いから、お前達はどこへなりとも行け」
カイエンの言葉に、今度はホッとした顔で逃げるように去っていく男達。
用済みだから斬られるのでは無いかと心配したのだろう。
もちろん、カイエンはそこまで非道な人間では無い。
ただし、娘を攫った相手にまで同じ態度とは限らないが。
カンテラを腰帯に提げ、入り口の扉に手を掛ける。
当然、鍵が掛かっていた。
裏路地に向かい、勝手口を開けようとしてみる。
こちらも当然、鍵が掛かっていた。
窓を見れば、鎧戸が付いているものの、劣化かイタズラかボロボロに壊れて穴が空いている。
少なくともカイエンならば通れそうだ。
窓はガラスではなく、薄い羊の皮を張ってある。
ガラスが高値で買えないが、虫が入ってこないようにするために窓を塞いでいるのだろう。
確かに羊の皮ならば太陽の明かりをうっすらと透過してくれる。
カイエンは羊の皮を剣で斬りつけて穴を空け、鎧戸の穴に体をねじり込んで肉屋へ入った。
ちょうど受付のカウンターである。
カウンターの上には、秤と、金を入れておくカゴが置いてあった。
カウンターの店側に扉があるので開けてみると、肉の解体場だ。
ブブブと蠅の飛び回る音が聞こえ、むせるような血の臭いが鼻をついた。
カイエンは少し、顔をしかめながら部屋を見渡す。
部屋の中央には解体用の大きな机。
その机には肉切り包丁が刺さっていた。
また、天井からは肉を吊り下げる為のフックもある。
そのどれもこれもが乾いた血で真っ黒に染まっていた。
それと上り階段がある。
上には肉屋の店主が居るのだろう。
サニヤも上に居るのだろうか?
しかし、階段を上がる前に地下貯蔵庫の扉が床にあるのが見えた。
人を隠すなら地下貯蔵庫の方が都合が良いだろう。
そう考えて扉を開けると地下へ続く階段があった。
長い階段では無い。
カンテラに照らされて床が見えていた。
ギシギシと軋む階段を下りて、その床に立つ。
異様な臭気。
血と脂の臭いだ。
周囲をカンテラで照らせば、豚や牛と思わしき肉塊がフックに吊されている。
死後硬直で堅くなった肉を柔らかくする枝肉というものだ。
カイエンはその枝肉の間を通りながら、サニヤが居ないか探す。
時々枝肉が揺れて、フックの鎖がキイキイと耳障りな音を発てる中、カイエンの足音がコツコツ鳴っていた。
見晴らしは非常に悪い。
サニヤが居るか呼び掛けたい所であるが、不用意な音は店主に気づかれる危険性が増すだけだ。
とにかくじっくりと探すしか無い。
もちろん、この肉屋にサニヤが攫われた証拠など無かったので、サニヤは居ない可能性もあった。
しかし、居なければ居ないで喜ばしい。
もしも攫われていたら、それこそ見逃しは許されないのである。
ゆえに入念に枝肉の間を確認しながら歩いていた。
すると、ガタっと壁板に何かがぶつかる音が聞こえる。
すぐ近くだ。
まるでカイエンの足音に驚いた何かが壁にぶつかったかのような音にも聞こえた。
枝肉を掻き分けて、音のした所へ行くと、そこには手足を縛られたサニヤが壁にもたれてカイエンを見ている。
どうやら、カイエンの足音に驚き、そして恐怖したサニヤが壁へぶつかったのが先の音のようであった。
縛られた足で必死に床を蹴るサニヤ。
口にはタオルが噛まれて声が出せないようにされている。
それでも、んーんーと喉から絞り出す声は大きい。
カイエンは「落ち着くんだ。僕だよ」とサニヤをなだめた。
すると、サニヤはカンテラの明かりに照らされたカイエンの顔に気付き、大人しくなった。
なのでカイエンは彼女の猿ぐつわを外す。
「お父様? なんでここに?」
心底意外そうな顔である。
元気そうで、どうやらどこも怪我はしてない様子だ。
「助けに来たんだよ。さぁ、ここを出よう」
サニヤが無事でホッとしたカイエンは、剣でサニヤを縛る縄を斬ろうとしたが、その時、サニヤがカイエンの後ろへ視線を移して「お父様!」と叫んだ。
ハッと背後を見れば、大柄な男が肉切り包丁をカイエンへ振る瞬間であった。
しまった。
キイキイと軋むフックの音で背後より忍び寄る男に気付かなかったのである。
そして、避ける事は出来ない。
避ければサニヤに肉切り包丁が当たる。
カイエンはサニヤを庇うように抱き締め、壁へと体を前進させた。
肉切り包丁が背中を抉り、熱いほどの痛みが走る。
しかし、体を前へやったお陰で致命傷にはなってない。
「お父様!」とサニヤが叫ぶのを聞きながら、足に力を入れて横へ跳ぶ。
ゴロゴロと転がりながら大柄な男から距離を取ると素早く起き上がり、サニヤを離すと剣を構えた。
男の姿がカンテラに照らされてよく見える。
髭の生えた顔。
やはりこの肉屋の主人だ。
主人は「放っておいてくれれば、殺さずに済んだのに」と呟いた。
しかし、我が子を放っておく親がどこにいようか?
あいにく、サニヤへ手を出した時点でこの男を放っておく事など絶対に出来ないのだ。
「私は新しくこのハーズルージュへ領主として赴任したカイエンです。降参するなら命まではとりません」
カイエンはあくまでも話し合いの姿勢をとる。
とはいえ、これは最終通告だ。
降参せねば、たたっ切るのみ。
「お前が死ねば話が早いだろ」
男はそう言って踏み込んできた。
最終通告は受け入れられない。
ならばカイエンも容赦はない。
カイエンは剣を振る。
しかし、男は肉切り包丁で剣を受けてさらに距離を詰めてきた。
カイエンの使っているのは一般的な歩兵が使用するショートソードで、このような枝肉が垂れ下がる空間では取り回しが利かず、どうしても軌道が読まれやすいのだ。
なので、素人の使う肉切り包丁にさえ受けられてしまったのである。
だが、カイエンは、剣を受け止めて油断した男の腹を思いっきり蹴り飛ばした。
完全に油断していた男はバランスを崩して後ろへ転がる。
「くそ!」と悪態をつきながら立ち上がる男。
その瞬間、カイエンは腰よりダガーを引き抜いて投げた。
ドッと鈍い音をたてて男の腹へダガーが刺さると、男は「ギャア」と短い悲鳴を上げてうずくまる。
カイエンはその隙を逃す気は無い。
とどめを刺すため、剣を握りしめて男へと近づいた。
「ダメ! お父様!」と、なんとサニヤがカイエンの服の裾を掴んで止める。
カイエンはなぜサニヤが引き止めるのか分からなくて戸惑った。
「なんでだ。サニヤを攫った人だぞ?」
「とにかくダメなの!」
男はダガーに苦しんでいるが、恰幅が良いため致命傷 にはなってないのでいつ立ち上がるか分からない。
早くとどめを刺さねば、また襲い来るかも知れないのにも関わらず、なぜサニヤは引き止めるのだろう。
「悪いがサニヤ。僕はこいつを許しておく訳にはいかない」
「ダメだってば!」
カイエンはサニヤに引き止められようと、この男を殺さねばならぬと思う。
それは感情的な部分もあったが、しかし、見せしめという意味でもあった。
一罰百戒。
この町の愚か者達に罪と罰を教えてやるには、誰かが見せしめとして犠牲にならねばならぬのだ。
カイエンがサニヤを無視して男へ近づこうとすると、キイと枝肉のフックが揺れる音がした。
他にも誰か居る……。
仲間が他にも居たのかと思い、その気配へカイエンが目線を向けると、サニヤと同じくらいの小さな女の子が枝肉の横に立っていた。
眠そうな目を擦らせながら「あれ? サニヤ?」と言っているのだ。
そして、視線をうずくまってる肉屋の主人に向けると「お父さんどーしたの? お腹痛いの?」と聞いた。
「な、なんでもないよ。お前は上に戻って寝てろ」と、主人は痛みを隠して言う。
腹に刺さったダガーも女の子に見せないようにしていた。
「なんでサニヤがここ居るの?」と、不思議そうに主人へ聞くと「ちょっとサニヤちゃんの親父さんに話があってな。さぁ、戻るんだ」と脂汗を垂らしながら答える。
女の子はカイエンを見て、納得したような顔をすると、頭をペコリと下げて階段の方へ歩いて行った。
大きなあくびをしながら「サニヤ。こんど遊ぼーね」と言う声が聞こえて来た後、彼女は地下貯蔵庫から出ていく。
カイエンはよく話が分からず、しかし、なんとなく察しはついた。
そして、サニヤと同じくらいの娘が居るにも関わらず、なぜ子供を攫うような真似をしたのかが気になる。
「少し、話しを聞いてやろう」
カイエンは男へと剣を向けたままそう言った。
誰も彼もが知らぬ存ぜぬと答えるのでカイエンは焦っていた。
「ああ、そのガキなら見たぜ」
遂にサニヤを見たという人が居たのである。
ようやく掴んだ手がかりにカイエンは喜び「どこですか!」と聞いた。
「こっちだ。案内するよ」
彼は路地裏へと進みだすので、カイエンも後に続いて路地裏へ歩いていった。
カイエンは路地裏へ入った瞬間、何とも言えない不穏な空気を感じる。
戦士の感とでも言うべきであろうか、その不穏な空気とは、すなわち殺気なのだ。
「本当にこんな所を女の子がいたんですか? あの子はカンテラも持ってませんよ?」
カイエンが言うと、男は足をピタリと止める。
「いやいや。居たよ。あっちの方にな、走って行ったんだよ」
通路の奥の方を指さした。
その直後、カイエンは路地裏を吹き抜ける風の音に混じって、自分の後ろから微かな足音がしたのを聞く。
素早く振り返る。
そこには木の棒を振り下ろそうとする別の男が居た!
素早く右後方へ下がりながら、体を半身ずらすと、ヒュンと木の棒が空を切り、まさか避けられると思っていなかった男はつんのめったのである。
カイエンはつんのめって体勢が崩れた男の腕と肩を掴んで投げ飛ばし、さらに木の棒まで奪うのだ。
戦場における徒手格闘術の一つであるが、こうも綺麗に技をかけられる人もそうそう居るまい。
残った男も、カイエンがただ綺麗なおべべを着ているだけの男では無いと気付いたようで戦意を喪失している。
カイエンはそんな男へ木の棒を向けた。
男は観念したように両手を挙げると、苦い笑みを浮かべて「ちょっとした冗談だよ。許しておくれよ」と言うのだ。
カイエンにとってそんな事、どうでも良い。
問題はサニヤなのだ。
そして、直観でしか無いが、恐らくこいつらはサニヤの行方を知っていると思う。
それどころか、今まで出会った人達全員が、恐らくはサニヤの行方に心当たりがあったのではないかと思う。
つまり、この街で誘拐を生業にする人を知っているのでは無いかという直観が、この男達の手際の良さから本能的に察したのだ。
「僕の娘の居場所はどこだ?」
「知らねえよ」
瞬間、男の腿を棒で激しく打つ。
男は悲鳴を上げて倒れた。
「剣であれば失血してる所だが、棒とは良いものだな?」
カイエンは脅しつけるように言う。
普段は心優しいカイエンであるが、娘のこととなれば容赦などしない。
人とて動物である。我が子を守ろうとする動物が最も恐ろしいのは自然の法則が如き自明の理。
それを男も感じたのであろうか、ブルリと体を震わせて「トマだよ! 多分あいつが攫ったんだ! ガキに手を出すのはあいつしか居ねえ」と叫んぶと、男は助かりたい一心でトマの事について話した。
トマとは肉屋の主だという。
主に子供を攫って、近隣の村へ奴隷として売る事でこの町では有名。
子供に手を出すのは親を敵に回すも同然なので誰もやらないが、やるならトマしか居ないだろうと言うのだ。
「ならば案内しろ。二人ともだ」
投げ飛ばした男にもそう言い、二人に案内をさせた。
二人ともカイエンの力に恐れて大人しく従う。
教養の無い人間を従えるには言葉や理屈ではなく力なのだとカイエンは知っていた。
本当はこんな手段を取りたくは無かったし、実直に話し合えばきっと分かり合えるとは思う。
しかし、今は綺麗事を言ってられる場合ではなく、愚か者には愚かな手段で従わせるしか出来ない。
「怪しい動きをすれば、二人のうちどちらかの腕を叩き折るからな」
しっかりと脅す。
カイエンは戦で出世した人であるため、その気迫は真に迫るものであった。
いや、脅しでは無く、実際に叩き折るつもりなのだ。
男達も本気なのだと気付いて冷や汗を垂らした。
こうなっては、もはや嘘や抵抗などしない。
大人しく二人はカイエンを肉屋まで案内した。
その肉屋は昼間にカイエン達が訪れた肉屋である。
あの酔っぱらいから、子供を見た場所だと言われたあそこだ。
その肉屋の前まで立ったカイエンが棒を捨てて剣を抜くので、男達はギョッとした顔でカイエンを見る。
「ご苦労。もう良いから、お前達はどこへなりとも行け」
カイエンの言葉に、今度はホッとした顔で逃げるように去っていく男達。
用済みだから斬られるのでは無いかと心配したのだろう。
もちろん、カイエンはそこまで非道な人間では無い。
ただし、娘を攫った相手にまで同じ態度とは限らないが。
カンテラを腰帯に提げ、入り口の扉に手を掛ける。
当然、鍵が掛かっていた。
裏路地に向かい、勝手口を開けようとしてみる。
こちらも当然、鍵が掛かっていた。
窓を見れば、鎧戸が付いているものの、劣化かイタズラかボロボロに壊れて穴が空いている。
少なくともカイエンならば通れそうだ。
窓はガラスではなく、薄い羊の皮を張ってある。
ガラスが高値で買えないが、虫が入ってこないようにするために窓を塞いでいるのだろう。
確かに羊の皮ならば太陽の明かりをうっすらと透過してくれる。
カイエンは羊の皮を剣で斬りつけて穴を空け、鎧戸の穴に体をねじり込んで肉屋へ入った。
ちょうど受付のカウンターである。
カウンターの上には、秤と、金を入れておくカゴが置いてあった。
カウンターの店側に扉があるので開けてみると、肉の解体場だ。
ブブブと蠅の飛び回る音が聞こえ、むせるような血の臭いが鼻をついた。
カイエンは少し、顔をしかめながら部屋を見渡す。
部屋の中央には解体用の大きな机。
その机には肉切り包丁が刺さっていた。
また、天井からは肉を吊り下げる為のフックもある。
そのどれもこれもが乾いた血で真っ黒に染まっていた。
それと上り階段がある。
上には肉屋の店主が居るのだろう。
サニヤも上に居るのだろうか?
しかし、階段を上がる前に地下貯蔵庫の扉が床にあるのが見えた。
人を隠すなら地下貯蔵庫の方が都合が良いだろう。
そう考えて扉を開けると地下へ続く階段があった。
長い階段では無い。
カンテラに照らされて床が見えていた。
ギシギシと軋む階段を下りて、その床に立つ。
異様な臭気。
血と脂の臭いだ。
周囲をカンテラで照らせば、豚や牛と思わしき肉塊がフックに吊されている。
死後硬直で堅くなった肉を柔らかくする枝肉というものだ。
カイエンはその枝肉の間を通りながら、サニヤが居ないか探す。
時々枝肉が揺れて、フックの鎖がキイキイと耳障りな音を発てる中、カイエンの足音がコツコツ鳴っていた。
見晴らしは非常に悪い。
サニヤが居るか呼び掛けたい所であるが、不用意な音は店主に気づかれる危険性が増すだけだ。
とにかくじっくりと探すしか無い。
もちろん、この肉屋にサニヤが攫われた証拠など無かったので、サニヤは居ない可能性もあった。
しかし、居なければ居ないで喜ばしい。
もしも攫われていたら、それこそ見逃しは許されないのである。
ゆえに入念に枝肉の間を確認しながら歩いていた。
すると、ガタっと壁板に何かがぶつかる音が聞こえる。
すぐ近くだ。
まるでカイエンの足音に驚いた何かが壁にぶつかったかのような音にも聞こえた。
枝肉を掻き分けて、音のした所へ行くと、そこには手足を縛られたサニヤが壁にもたれてカイエンを見ている。
どうやら、カイエンの足音に驚き、そして恐怖したサニヤが壁へぶつかったのが先の音のようであった。
縛られた足で必死に床を蹴るサニヤ。
口にはタオルが噛まれて声が出せないようにされている。
それでも、んーんーと喉から絞り出す声は大きい。
カイエンは「落ち着くんだ。僕だよ」とサニヤをなだめた。
すると、サニヤはカンテラの明かりに照らされたカイエンの顔に気付き、大人しくなった。
なのでカイエンは彼女の猿ぐつわを外す。
「お父様? なんでここに?」
心底意外そうな顔である。
元気そうで、どうやらどこも怪我はしてない様子だ。
「助けに来たんだよ。さぁ、ここを出よう」
サニヤが無事でホッとしたカイエンは、剣でサニヤを縛る縄を斬ろうとしたが、その時、サニヤがカイエンの後ろへ視線を移して「お父様!」と叫んだ。
ハッと背後を見れば、大柄な男が肉切り包丁をカイエンへ振る瞬間であった。
しまった。
キイキイと軋むフックの音で背後より忍び寄る男に気付かなかったのである。
そして、避ける事は出来ない。
避ければサニヤに肉切り包丁が当たる。
カイエンはサニヤを庇うように抱き締め、壁へと体を前進させた。
肉切り包丁が背中を抉り、熱いほどの痛みが走る。
しかし、体を前へやったお陰で致命傷にはなってない。
「お父様!」とサニヤが叫ぶのを聞きながら、足に力を入れて横へ跳ぶ。
ゴロゴロと転がりながら大柄な男から距離を取ると素早く起き上がり、サニヤを離すと剣を構えた。
男の姿がカンテラに照らされてよく見える。
髭の生えた顔。
やはりこの肉屋の主人だ。
主人は「放っておいてくれれば、殺さずに済んだのに」と呟いた。
しかし、我が子を放っておく親がどこにいようか?
あいにく、サニヤへ手を出した時点でこの男を放っておく事など絶対に出来ないのだ。
「私は新しくこのハーズルージュへ領主として赴任したカイエンです。降参するなら命まではとりません」
カイエンはあくまでも話し合いの姿勢をとる。
とはいえ、これは最終通告だ。
降参せねば、たたっ切るのみ。
「お前が死ねば話が早いだろ」
男はそう言って踏み込んできた。
最終通告は受け入れられない。
ならばカイエンも容赦はない。
カイエンは剣を振る。
しかし、男は肉切り包丁で剣を受けてさらに距離を詰めてきた。
カイエンの使っているのは一般的な歩兵が使用するショートソードで、このような枝肉が垂れ下がる空間では取り回しが利かず、どうしても軌道が読まれやすいのだ。
なので、素人の使う肉切り包丁にさえ受けられてしまったのである。
だが、カイエンは、剣を受け止めて油断した男の腹を思いっきり蹴り飛ばした。
完全に油断していた男はバランスを崩して後ろへ転がる。
「くそ!」と悪態をつきながら立ち上がる男。
その瞬間、カイエンは腰よりダガーを引き抜いて投げた。
ドッと鈍い音をたてて男の腹へダガーが刺さると、男は「ギャア」と短い悲鳴を上げてうずくまる。
カイエンはその隙を逃す気は無い。
とどめを刺すため、剣を握りしめて男へと近づいた。
「ダメ! お父様!」と、なんとサニヤがカイエンの服の裾を掴んで止める。
カイエンはなぜサニヤが引き止めるのか分からなくて戸惑った。
「なんでだ。サニヤを攫った人だぞ?」
「とにかくダメなの!」
男はダガーに苦しんでいるが、恰幅が良いため致命傷 にはなってないのでいつ立ち上がるか分からない。
早くとどめを刺さねば、また襲い来るかも知れないのにも関わらず、なぜサニヤは引き止めるのだろう。
「悪いがサニヤ。僕はこいつを許しておく訳にはいかない」
「ダメだってば!」
カイエンはサニヤに引き止められようと、この男を殺さねばならぬと思う。
それは感情的な部分もあったが、しかし、見せしめという意味でもあった。
一罰百戒。
この町の愚か者達に罪と罰を教えてやるには、誰かが見せしめとして犠牲にならねばならぬのだ。
カイエンがサニヤを無視して男へ近づこうとすると、キイと枝肉のフックが揺れる音がした。
他にも誰か居る……。
仲間が他にも居たのかと思い、その気配へカイエンが目線を向けると、サニヤと同じくらいの小さな女の子が枝肉の横に立っていた。
眠そうな目を擦らせながら「あれ? サニヤ?」と言っているのだ。
そして、視線をうずくまってる肉屋の主人に向けると「お父さんどーしたの? お腹痛いの?」と聞いた。
「な、なんでもないよ。お前は上に戻って寝てろ」と、主人は痛みを隠して言う。
腹に刺さったダガーも女の子に見せないようにしていた。
「なんでサニヤがここ居るの?」と、不思議そうに主人へ聞くと「ちょっとサニヤちゃんの親父さんに話があってな。さぁ、戻るんだ」と脂汗を垂らしながら答える。
女の子はカイエンを見て、納得したような顔をすると、頭をペコリと下げて階段の方へ歩いて行った。
大きなあくびをしながら「サニヤ。こんど遊ぼーね」と言う声が聞こえて来た後、彼女は地下貯蔵庫から出ていく。
カイエンはよく話が分からず、しかし、なんとなく察しはついた。
そして、サニヤと同じくらいの娘が居るにも関わらず、なぜ子供を攫うような真似をしたのかが気になる。
「少し、話しを聞いてやろう」
カイエンは男へと剣を向けたままそう言った。
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