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1章・家族の絆

失敗

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 その晩、皆で食事をとった。

 サニヤが採ってきたベリーを使った料理だ。

 リーリルは大喜びで「美味しい美味しい」と残さず食べるので、サニヤはそんなリーリルの姿を見て満足そうである。

 どう? お母様の事は私が一番知ってるんだから!

「ごちそうさま。ありがとうね。サニヤ」
「別に気にしなくても良いよ。木の実とか欲しくなったらいつでも採ってくるから」

 そう言ってサニヤは席を立つと、カイエンが「次からは僕も一緒に連れてってくれないか? リーリルの好きなものを僕も採りたいんだ」と言った。

 サニヤを危険な外へ出させたくないが、その気持ちを否定しないように気を遣った言葉である。 

 しかし、サニヤは「私が食べたいから採ってくるんだもん」と舌をべっと出し、ダイニングを出て行った。

 サニヤはいつも、自分が食べ終わると部屋へ行ってしまう。
 まるで皆と居たくないというかのようにだ。
 しかし、今回はニヤニヤ顔を隠しきれていないのであった。
 
 二階の自分の部屋に戻ると、サニヤはベッドにぼふっと飛び込んだ。

 枕に顔をうずめると、えへへへと自然に笑みがこぼれる。

 どう?
 私だって役に立つんだから。
 ちゃーんとお母様の事を分かってるんだもん。
 お母様のお皿見た? いつもみたいに全部食べてたよ!

 リーリルのいつも使ってる木の実や草を覚えていて、おまけにリーリルも全部食べてくれた。
 間違いなく自分のお陰だ。
 ここまでリーリルの事を分かっている自分はリーリルの娘なんだという自信と誇りが湧いてきて、とてもとても嬉しいのである。

 ふと、サニヤの頭の中に、カイエンやリーリルと一緒に居ても良いんじゃ無いかという考えが浮かんだ。

 そもそも、カイエンやリーリルの本当の子供じゃないから、否定されるのが怖くて一緒に居られなかったのがあったのだ。
 しかし今はリーリルが喜ぶ大活躍をしたのだから、両親から否定などされないのでは無いかと思うのである。

「仕方ないなぁ。今日だけは一緒に居てあげようかな」

 えへへと笑うと、ベッドから降りて部屋を出た。
 階段を降りてエントランスから廊下へ。

 足取りは軽く、心は晴れやか。

 今ならちょっとだけお母様に甘えても良いかな。と、考えていた。
 
 すると、リビングから声が聞こえてくる。

 サルハとラーツェの声で「大丈夫ですか?」とか、カイエンの声で「無理をするな」とか言う声だ。
 その不穏な声に、もしやリーリルに何かあったのかと思ったサニヤは急いでリビングの扉を開けた。

 そこには、青い顔をしてソファーに座るリーリルと、吐瀉物の処理をしているラーツェとバンドラが居る。

 そして、全員がサニヤに気付き、しまったと言うかのように顔をしかめるのだ。

「……何それ」

 サニヤはその吐瀉物を見ていた。

 どう見てもリーリルが吐いたそれは、間違いなく今晩の夕食だったものであろう。

 どうして?
 なんで吐いたの?
 だって、お母様がいつも食べてた調味料を使ったのに……!
 
 美味しい美味しいって全部食べたじゃん!

 サニヤは、リーリルのその言葉が嘘だったのだと気づいた。

 つわりに、昔食べてたからとか、好物だからなんてのは関係無いのである。
 その上でリーリルはサニヤの気持ちを想って、美味しい美味しいと食べたのだ。

 サニヤはまるでリーリルに拒絶されたかのような気持ちになり、胃がキュッと締まった。
 あるいは脳みそがぐわんぐんと大きく揺れ、口からその脳みそが全部融け出てしまうんじゃ無いかという程に気分が悪くなる。

 サニヤはリーリルの為を思ってベリーやハーブを採ってきたのだ。
 なのに、その行為がリーリルを苦しめたと言うなら「最初から『ごめんねサニヤちゃん、やっぱり食べられないわ』とでも言ってくれたら良いのに!」と思うのだ。
 リーリルを苦しめたく無かったのに、リーリルは嘘をついてまで全部食べて、それで苦しんでいるのがサニヤにはたまらなく嫌だったのである。

 サニヤは裏切られたと思う。
 リーリルを苦しめた自分の行為を悪いことだったなんて思いたくなかった。

 いや、実際、悪いことなんてしてない。
 誰も何も悪いことをしてなんていない。
 ただ、ちょっとだけ間が悪かっただけなのだ。
 サニヤはリーリルの事を思いやり、リーリルもサニヤの事を思いやっただけなのだ。
 だから、誰も悪くないのである。

 しかし、それをこのまだ六歳の少女が理解する事が出来ようか?
 リーリルが苦しんだなら、それは誰かのせいだと思うのだ。
 誰のせい? 決まってる、ベリーやハーブを持ってきて、心優しいお母様が食べなくちゃいけない状況を作った私だ!

 しかし、サニヤは自分の善意を否定などしたくない。
 否定など出来なかった。

 違う! 悪いのはお母様だ!
 だって私はただお母様の為にやっただけじゃん!
 美味しい美味しいって嘘をついて、吐いちゃったのはお母様じゃない!
 裏切ったのはお母様の方だ!

 しかし、すぐにその考えも打ち消した。
 なぜならば、リーリルの事が好きだからだ。
 あるいは、リーリルがサニヤの為に食べられない料理を全部食べてくれたからだ。

 すると、その意識は料理を作ったラーツェへ向いた。

「ラーツェが料理を失敗したんだ!」

 自然とそう口から飛び出す。

 すると、ラーツェは頭を下げ「すいません。塩の分量を間違えたのです。私の責任です」と答えた。

 当然、嘘だ。
 サニヤだってラーツェの料理を食べて、なにも悪くない料理だった事くらいよく分かってる。
 
 しかし、責任をおっ被せたかった。
 自分とリーリルの全ての責任を誰かにおっ被せたくて、それは誰でも良かった。

「サニヤちゃん、誰も悪くないの。だから落ち着いて」とリーリルがなだめるが、サニヤの耳には入らない。

「私がせっかく採ってきたのに! ラーツェが全部無駄にしたんだ! 謝れ! 謝れ!」

 そう怒鳴ると、ラーツェは「申し訳ございません」と床に膝をついた。

 しかし、その態度がサニヤの神経を逆なでしたのである。

「ふざけるな! そんな……そんなので許せない! あんたは……うらやましいんでしょ! だからわざとやったんだ! そうだ! うらやましかったらだ! だって……あんたは親に売られたんだもんね!」

 カイエンが「サニヤ!」と怒鳴った。
 サニヤはカイエンの怒鳴り声にビクッと体を震わせる。

 その瞬間、バチンと頬を叩かれた。
 
 突然の事で何が起こったか分からないサニヤが、じんじんと広がる頬の痛みを感じながら前を見る。

 サニヤを叩いたのはカイエンでは無かった。
 そこには、いつの間にかリーリルが立っていたのである。

 ビンタをしたのであろう姿勢。
 そして、自分の右頬に広がる痛み。

 サニヤはリーリルに叩かれたのだと分かった。

「お母様が……叩いたの?」
「ええ。叩いたわ。ラーツェに謝りなさい」
「なんで……叩いたの……」
「ラーツェに酷いことを言ったからよ。謝りなさい」

 リーリルに怒られる事は初めての事だった。
 いつもニコニコと優しく、サニヤが何をしても困ったように眉を寄せるだけで笑いは崩さないリーリルが、ぎゅっと唇を結んで笑みを見せずに怒っているのだ。

「お母様は……私の味方じゃないの?」
「私はいつだってサニヤの味方よ。だけどラーツェの敵じゃ無いわ」
「なに……それ。意味が分かんない……」
「意味が分からなくても結構。謝りなさい。あなたは酷いことを言ったのよ」

 サニヤは唇を震わせ、涙が出てきた。

 こんなはずじゃ無かったのに。
 ほんの少し前までこんな事になるなんて想像すらしていなかった。
 もっと皆が幸せになれるのだと思っていたのに。

 確かに酷いことを言っちゃったけど……仕方ないでしょ!
 仕方ないんだ! 仕方無かったんだ!

「リーリル様。私は気にしてませんので――」
「ラーツェは黙ってなさい」

 ラーツェがサニヤを庇おうとするもリーリルはぴしゃりとはねのける。
 もはやラーツェがどうこうではないのだ。
 娘が他人の触れてはならないところに触れて、その人をなじろうとする行為が母親として許せないのである。

 しかし、サニヤにはそう思えなかった。

 手でスカートをぎゅっと握ると「私が……お母様とお父様の子供じゃないから、仕方ないよね」と絞り出すように言う。 

 カイエンが「そう言う事じゃ無い」と言うも、サニヤは踵を返し、リビングから出て行く。

「待ちなさい!」とリーリルが言い、カイエンやラーツェ、サルハが追いかけた。

 玄関の開く音。

 サニヤは屋敷の外へ出たのだ。

 カイエンが扉を開けると外はもう既に真っ暗である。

「ラーツェ! カンテラをすぐ!」

 ラーツェはすぐにカンテラを持ってきて、三人は灯りをともすと屋敷の外へ。

 しかし、サニヤはもうどこかへ行ったのか、影は見えなかった。

 これはいよいよまずいことであろう。

 カイエンはひとまず、ラーツェにリーリルを守らせて自分とサルハで捜索する事を考えた。
 バンドラも屋敷内で待機だ。
 そう、戦うすべを持たない男が出歩くのでさえ危険な場所なのである。

 カイエンがラーツェに屋敷を守るよう言おうとした時「奥方様!」とバンドラの声がリビングからした。

 カイエン達が急いで戻ると、リーリルはソファーに座って苦しそうにしていたのである。

「リーリル。大丈夫か」

 カイエンが近づいて肩を抱き寄せると、浅い呼吸で「あの子は?」と聞く。

「大丈夫。自分の部屋に行ったよ」

 カイエンがリーリルに嘘をつくと、リーリルは力無く笑った。

「必ず見つけて」

 そう言うと、口元を抑えて苦しそうに息をしたあと、ぐったりとしてしまう。

 心労がリーリルの身重な体に大きな負担となってしまったのだ。
 サニヤがどうしてこんな事になってしまったんだと思っていたように、リーリルだってどうしたら良かったのだろうと思うのである。
 母として、もっと上手く出来たんじゃ無いだろうかと思ったのだ。
 
 だが、それはカイエンとて同じである。
 自分だってサニヤに何かしてやれたんじゃ無いだろうかと思うのだ。
 サニヤの心の苦しみをもっとやわらげてあげることだって出来たんじゃ無いかと思う。

「必ず見つけるよ」

 カイエンはリーリルから離れ、ラーツェとバンドラへ屋敷を守るように伝えた。

 そして、「サルハ。手分けして探すぞ」と屋敷を出る。

「カイエン様、お一人で大丈夫なのですか?」とサルハが心配げに聞くので「心配無用」と答えた。

「サニヤが見付かるまで、絶対に諦めないでくれ」

 そう言ったカイエンは夜の街へと繰り出す。

 夜のハーズルージュは昼間に見る景色とは色を変えていた。
 行き交う人々は非常に多く、誰もが酒に酔っている。
 道端で寝転がっていびきをかいている人がいれば、平然とその人の懐から財布を奪って仲間たちへ飲みに行こうぜと言っていた。
 この町の夜の姿は予想以上に酷かったのである。

 時々怒声が聞こえれば、取っ組み合いのケンカがそこかしこで起こっていた。
 中には脇腹から血を流しながら壁伝いに歩いている人なんかも居るのだ。

「よお兄ちゃん」

 突然、腕を掴まれた。

「アピエンあるよ。アピエン。買ってこないかい?」

 歯の抜けた汚らしい男がカイエンの顔を覗き込んで涎を垂らしながら笑う。

「ラザリー辺境伯から直々に頂いた高純度のアピエンだよ。混ざりけなしの本物よ」

 アピエンとは酩酊感の伴う感覚の鈍化を起こす薬品だ。
 軍隊はこれを戦地で重い負傷を治療する際の鎮痛剤として使用したり、酷い重傷で死にゆく者へ投与して死の恐怖や痛みを和らげるのである。
 そのあまりに強い作用に依存する使用者が多いため、一般的には使用が禁止されているのだ。

 本当にラザリー辺境伯から横流しされたのか、あるいは粗悪な品を横流しと偽っているのか。
 なんにせよ、使用禁止の薬物を販売しているのは間違いない。

 いや、だが、今はそんなことを取り締まっている場合では無いのだ 。

「すいませんが、ここら辺で浅黒い肌の女の子を見ませんでしたか」
「いや? 見てねえなぁ」

 ならば用は無い。
「分かりました。ありがとうございます」と答え、カイエンは彼から離れる。

「おい! 良いのかよぉ。アピエンいらねえのか?」と言う男の声を聞こえるが、アピエンになんて興味など無いのだ。

 カイエンはその後も、道行く人達へサニヤの事を聞いたが、その行方はようとして知れなかった。
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