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1章・家族の絆

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 屋敷に来てから三日経った。

 カイエン達に屋敷の一室を宛がわれ、今後の処置がされるまでの間、待機する事となったのである。

 通常であれば、左遷という形で再びあの村へと戻され、完全な絶縁状態となるであろう。
 親の示した婚姻を拒否したのであれば、通常、そのくらいの罰が一般的である。

 しかし、今回の場合、少々勝手が違い、ガリエンド家とラクラロール家は両方とも王国にとって重要な地位に就く家柄であった。
 その二つの名家が婚姻によって結ばれるとあれば、裏で国王や重鎮も噛んでいる可能性があり得た。
 つまり、メンツの為にただの左遷では済まない可能性が高いのだ。

 現に、カイエンの処置についての議論が伸びて三日も掛かってしまっているのである。

 また、逃げ出さないようにメイド達が目を光らせていて、外出も貴族区内だけしか出来ない軟禁にも近い状態であった。

 やることも無く、カイエンは部屋の中でリーリルとサニヤに本を読んでいる。
 その姿は三日前の怪我で、片目は腫れて開いてないし、頬や唇も大きく腫れ上がり、ガーゼで手当てされている痛々しい姿だ。

 サニヤは椅子に座るリーリルの膝の上に座らされて、ツンと唇を尖らせながら不服そうな顔でカイエンの音読を聞いていた。

 ニコニコ笑顔のリーリルが時々、サニヤの頭を撫でようとするが、サニヤはその手を払う。

 しかし、サニヤの決してリーリルの膝から下りずにカイエンの音読を聞いている姿を、カイエンもリーリルも微笑ましく思っていた。

 サニヤは全くつまらなそうにリーリルの膝の上で足をぱたぱたと動かしている。

 カイエンの読んでいる本は動物を擬人化させて教訓めいた内容を伝える本だ。

「さあ、この意地悪な狼君はどうなってしまうでしょうか?」

 いよいよ物語はクライマックスへと入ろうと言う時、コンコンと扉がノックされた。

 カイエンが本を閉じて机に置くと、サニヤはムッとした顔を強めてカイエンを見た。
 何だかんだで続きが気になっていたのである。

「すまない、サニヤ」
「別に」

 プクッと頬を膨らませてリーリルの体にもたれていた。

 カイエンはそんなサニヤを見て、言葉と裏腹に気にしてる態度に苦笑しながら「どうぞ」と訪問者を迎え入れる。
 
「失礼します。兄上」

 扉を開けて入ってきたのは、ルーガである。
 相変わらず、怒っているのでは無いかと思うほど、眉間にしわ寄せて眼を見開き、歯を食い縛っていた。

 サニヤがルーガの姿を見るなり、憤怒の表情で八重歯を剥き出しにし、「何しに来た!」と怒鳴る。

 今にも跳ね上がってルーガへ襲い掛かりそうなサニヤの気勢に、リーリルはサニヤの体を抱いて離れないようにしていた。

「またお父様をいじめに来たんだな! 違うなら謝れ! 謝れ!」

 ルーガへ怒鳴りつけるサニヤ。
 リーリルは困った顔で「止めなさい」と言うが、サニヤは黙る様子が見えなかった。

 すると、ルーガは背中に付けているマントを外し、床へ敷くと、そこへひざまずく。

「兄上。先日は申し訳ないです。夫人様にも侮辱に等しき言葉をかけました。誠にすいません」

 頭をかしずいた。

 これはこの国における貴族式の最上級の謝罪である。

 この国におけるマントはそもそも、貴族等の王に認められた者しか着用出来ぬものであり、それを地に置き足の下へする事で、名誉を地に落としてでも謝るという誠意の示し方であった。

「あ、謝ってすむ問題じゃない! ふざけるな!」

 先ほどは謝れと言いながら、今度は謝って済む問題では無いという。
 サニヤはもはや、意地を張って、ルーガを許すつもりなど無かったのだ。

「ところで兄上。お話しをしたいので、場所を移しましょう」
「ん。分かりました」

 カイエンはルーガに連れられて部屋を出て行く。

 サニヤが、逃げるなと叫んでいたので、部屋を出るとすぐにカイエンが「娘がすいません」とルーガに謝った。

「いえ。構いません」

 ルーガは誰も使っていない他の客室へ入る。

「それで、何の話ですか? まさか、私を殺すつもりでは無いですよね」

 カイエンが珍しく冗談を言って、はははと笑った。

 一方、ルーガは振り返ると、いつも以上に気難しい顔である。

 グッと歯を噛み締め、眼に力を込めてカイエンを見つめた。
 両手にも力を込めているのかブルブル震えている。

 明らかにいつもと違う。
 剣呑な雰囲気を放っていた。

「まさかとは思いますが……本当に殺すつもりですか……?」

 カイエンの言葉に答えず、ルーガはずんずんと近付くと、カイエンの肩をガシッと掴む。

 大きく力強い手だ。

 目をカッと見開き、口を開けた。

「兄上よ」
「なんですか?」
「兄上の娘を私に預けて下さりませぬか!」

 ルーガは意を決したように言う。

 カイエンは口を半開きに、少しばかり意味が分からずに呆然とした。

「えっと、今、なんて?」
「あの娘を私に預からせて頂きたい」
「なぜ?」
「あの娘は強くなります。良い将になります」

 ルーガは語った。
 サニヤの一撃で痺れた手のことを。
 眼力のみでルーガの胆を冷やさせた殺意の眼の事を。

 あまり多弁では無い筈のルーガが、口からつば飛ばし、恋する乙女の如くサニヤがどれだけ見所がある人かを語ったのだ。
 いや、恐らくルーガはサニヤへ恋している。惚れ込んでいる。
 ルーガが恋愛感情は全く無いが、強者に対する惜しみない恋慕を抱いているのだ。
 
「あの娘ならば、五年と言わず、二、三年で俺より強くなる。頼む兄上、俺にあの娘御を預けてくれ!」

 もはや口調も正す余裕が無いように、カイエンへ詰め寄ってくるのだ。
 カイエンはルーガがよそよそしくない口調なのを始めて聞いた。
 まさかこのようなタイミングで、ルーガのこのような姿を見ることになるとは思わなかった。

「まず、その、離して下さい」
「む……。すいませぬ。私としたことが……」

 ルーガが手を離すと、カイエンの足がトンと床につく。
 いつの間にか持ち上げられていたようだ。
 握られていた肩も、気付けば痛んでいた。

 ルーガの鬼気迫る気迫に、カイエンは持ち上げられていたのに気付きすらしなかったのである。

「兄上。それで、答えはいかがでしょう」

 カイエンは戸惑いながらも首を左右に振り、拒否の意を示した。

 ルーガはカッと目を見開き「何故ですか!」と怒鳴る。

 憤怒したのだ。
 
 なぜ才能ある者をあたらに才能から遠ざける必要があるのか分からないのである。

「良いですか。サニヤは女の子です。私はあの子を普通の女の子として、人を愛し、子を成して、そして平穏に老いて欲しいのです」

 カイエンがルーガとは対照的に静かに穏やかに言い、ルーガはカイエンのその態度こそが意志の強さを示していると感じた。

 ルーガがいつもの表情で首を左右に降りながら「残念です」と言う。

「どんな形であれ、娘を評価してくれて父としては嬉しかったです。ありがとうございます」

 それでは、また。とカイエンはドアノブに手を掛けて部屋を出ようとする。

 そんなカイエンの背中へルーガは「何かあれば私をお頼り下さい。今はラムラッドの領主です」と言うので、カイエンはふり向いて「近いうちに」と答えて部屋を出た。

 今、王城で行われている会議が終われば、カイエンは恐らく何らかの処罰を受けるであろう。
 その際にルーガへ頼れと言うのである。
 少なくとも心強い味方であることは間違いないだろう。

 そもそも、なぜルーガはカイエンへここまで便宜を図るか?
 ルーガは実のところ、カイエンの事を嫌っては居ない。むしろ好いている。
 ルーガは強者が好きであり、カイエンの決して屈せずに強い信念を固持する所が強者であると思っていた。
 三日前にカイエンを打ちのめしたのも、カイエンを処罰させたくない一心である。最後は怒りにカッとなって殺してしまいそうになったが。

 それからカイエンに登城の達しが下ったのはさらに二日後の事であった。

「お前の妻子も連れて登城せよ」とニルエドはカイエンに言ったのである。

 一体、王城でどのような会議が行われたのか分からないが、やはり村娘と拾い子の為にラクラロール家との婚姻を破棄する事が問題になったから、リーリルとサニヤを登城させるよう命令を下されたのであろう。

 ラサニッタ以下数名のメイド達によって、リーリルとサニヤの着付けが行われた。
  
 リーリルもサニヤもまだ三十歳に至ってないため、派手なデザインのドレスは着られない。
 体のラインがくっきりと出るスッとしたワンピースドレスを着ることとなった。

 サニヤはヒラヒラのレースを幾重にも編み込んだドレスを想像していたのに、思いの外シンプルなデザインにつまらなそうにする。

 一方リーリルは、肩やら腰やらに羽根みたいなレースを編んだ服なんて派手で趣味では無かったので、ホッと胸を撫で下ろしていた。
 特にこのドレス、純白なものとなるとかつてリーリルが幼い頃に着ていた蚕の糸で編んだワンピースを彷彿とさせるのだ。

「では、着付けさせて頂きます」

 リーリルは「着付けだなんて」と戸惑う。
 スカート部分から両手を入れて着衣すれば終わりじゃないのかと思ったのだ。

「リーリル様には馴染みございませんでしょうが」

 ラサニッタは奇妙な革の何かをリーリルに見せる。

 大きく湾曲した形で、両端を丈夫そうな紐で繋いでいる形だ。
 リーリルの見たことが無い奇妙な物体である。

「コルセットというものでございます。ウェストを締めて美しい外見にするものなのです。奥方様には……必要無さそうですが、正装ですゆえ」

 温室でぬくぬくと育った貴族の娘と違い、リーリルは締まった体をしている。
 屋敷は村から高台にあり、その坂道を重い野菜なんか持って歩くし、両親の家では農作業なんかもやっていた。
 掃除や洗濯の家事だって、丁寧にやれば重労働である。
 だから、貴族のように醜くたるんだ体をコルセットで無理矢理引き締める必要が無かったのだ。

「あの、でしたら、お腹に子供も居ますので……その、あまりお腹を締めるのは遠慮したいのですが……」

 リーリルの言葉を聞いたラサニッタは満面の笑みを浮かべると「そうでした。そうでした! カイエン様のお子様を身籠もられてましたね!」と言うのだ。

 ラサニッタの反応は大きい。

 そして、例の如く胸をトントンと叩いて「いけないわ。私としたことが」と気分を落ち着けた。

 リーリルは、いかにも冷たい表情の彼女が、思いの外に感情豊かだと思う。

 リーリルだけでなく、他のメイド達もそんなラサニッタへクスクスと笑っていて、何とも和やかな空気であった。

 このようにメイド達はガリエンド家にとって招かれざる客であるリーリルとサニヤをしっかりと客人として扱ってくれる。

「何か装飾品を一品お持ちしますが、何がようございますか?」

 三十歳に満たない女性は一品二品程度の装飾品を着ける事を許されていた。
 例えばブローチや髪飾り。
 指輪等の小物は二つ程度を着ける事が出来た。

「それでは……手袋を」

 ラサニッタは首を傾げて「手袋ですか?」と聞く。
 到底、装飾品には分類されない物だ。
 なぜそんな物を要求するのか分からない。

 リーリルは自分の手をからかわれた事をいまだに気にしている。
 カサカサとささくれ立った指をカイエンが庇ってくれたとはいえ、やはりカイエンの妻としてふさわしくないと思ったのだ。

「それでは、手袋の他に装飾品をお持ちします。何が良いでしょうか?」
「えっと、それでは白百合のアクセサリーはありますか?」
「もちろんでございます。リーリル様」

 白百合はリーリルが好きな花だ。
 まだ十一歳位の頃に、カイエンから白百合みたいに綺麗な髪だと言われたからである。

「サニヤは何が良い?」とリーリルが聞けば「同じので良い」と素っ気なく答えた。

 素っ気ない態度のサニヤだが、サニヤも白百合が好きだ。
 リーリルが好きな花だからだ。
 散歩の時、リーリルと一緒に白百合をよく見たものである。
 サニヤにとっては、リーリルやカイエンの事を拒否してなかった頃の思い出の花だった。

 メイドは「こちらを」と白百合のブローチを持ってくる。

「白いドレスに色が合わさって、白百合のブローチは良くないと思いますが、良いですか?」
「はい。むしろ、目立たない方がいいですから」

 リーリルは自嘲気に笑った。

 サニヤはそんなリーリルの一歩引いた態度にムッとしている。
 リーリルはカイエンに見合わない女だと思っていたが、サニヤはリーリルが素晴らしい女性だと思う。
 なのにリーリルは自分の事を低く見るのがサニヤは不満なのである。

「サニヤ様。帽子を脱ぎましょう」

 ブローチを着け終わったサニヤの頭へ、メイドの一人が手を伸ばした。

 サニヤはハッとして「やめて!」とその手を払う。

 角を見られる訳にはいかないのだから当然の反応であった。

 しかし、これに困るのはメイド達だ。
 王城内において被り物を外すのは常識。
 特に、手製の貧相なほっかむりなど言語道断であろう。

「サニヤは頭に傷がありまして……。すいませんが許されないでしょうか?」

 リーリルはサニヤの角の事を知っているため、助け舟を出したのであるが、さすがに王城では免除もされまい。

「では、頭に包帯を巻きましょう」

 ラサニッタが提案した。

 包帯ならば、帽子と違ってさすがに取れと言われる事は無いだろう。
 
 それならば問題は無いはずである。
 怪我をしていると適当に言えば、さすがに包帯を取れという冷血な事は無いのだ。

「分かりました。ですが、この子の頭に包帯を巻くのは私がやりますので、皆さん、部屋から出て行って頂いても良いですか?」

 リーリルはメイド達へ言い、ラサニッタが「かしこまりました」とメイド達を連れて部屋から出て行く。
 ラサニッタは貴族に仕えるメイドとして、命令に詮索をするような事はしない。
 サニヤの頭に隠したい事があるのだと察し、追求しないのもメイドの勤めであった。
 
 二人だけになると、リーリルはサニヤのほっかむりを取る。

 額と頭の間、黒い前髪の間から突っ張った皮に包まれた二本の角が出ている。

「巻くね」

 サニヤをイスに座らせて、リーリルはサニヤの頭へ包帯を巻いていった。

 二人とも無言で、包帯のシュルシュルとした音と窓の外から聞こえる鳥の声、廊下を行き交うメイドの足音しか聞こえない。

「ねえ。お母様」

 ふと、足をパタパタとさせていたサニヤはリーリルへ話し掛ける。

「んー? なぁに?」

 微笑みながら優しい口調でサニヤに応えた。

「私、お母様の子供だよね?」

 不安げに聞くサニヤの問いに、リーリルはクスッと笑う。

「ラサニッタさんの事? 気にしなくて良いわ。間違いなく、サニヤはあの人と私の子供よ」

 ラサニッタが、リーリルのお腹の子供を大層喜んだ事をサニヤは気にしたのだ。
 
 私だって二人の子供なのに! と。

 だけど、サニヤはいつもいつだって、カイエンとリーリルへの嫌悪感を二人に気取られて、捨てられてしまわないかを恐れている。
 
 不安で不安で毎日を過ごしていた。

「本当に? 本当にそう思ってる?」
「そうよ。いつだって思ってるわ」

 リーリルがニコニコとサニヤの頭を撫でると、サニヤは少し頬を赤く染めながらツンと唇を尖らせて「止めてよ。恥ずかしい」と言うのである。

 リーリルはそんなサニヤの態度にますます笑うと「さ、巻けたわ。行きましょ」とサニヤの手を取った。

 サニヤがストンと椅子から下り、リーリルと一緒に部屋から出る。

 廊下には既にカイエンが待っていた。
 金糸で装飾された青い服と純白のマントを着ている。

「二人ともよく似合っているね」
「あなたも、素敵よ」

 クスクスと笑う二人。
 
「サニヤもお姫様だな」

 カイエンがサニヤの頭を撫でると、サニヤはぷいっと顔を背けて「お姫様じゃないもん」と言う。

 自分はカイエンの娘じゃないからお姫様じゃないという皮肉である。
 ついさっき、リーリルに自分はカイエンとリーリルの子供かと不安げに聞いたにも関わらずこの態度だ。
 子供心は複雑である。
 
 だが、カイエンはサニヤがフリフリのドレスを着られなかったからふて腐れてるのだと思い、苦笑いを浮かべた。

「今度、お姫様みたいな服を買ってあげるよ」

 そう言う事じゃ無いんだけどなぁとサニヤは頬を膨らませていたが、カイエンは知るよしもなく「さて、行こうか」とサニヤとリーリルへ言うのであった。


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