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第一章【桜、新緑を越えて】
君との出会い⑤
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あいにくの雨模様の中、傘を差して例の神社へと向かう。左手に下げたビニール袋の中身が足に触れてたまに冷たい。
昨日は夜遅くまで両親と、遠くに住む年の離れた姉まで加わって話をした。
やっぱり真詞は渡辺の実子ではなかった。更に言えば、姉もそうだった。両親はずっと子供が欲しかったけど、残念ながら授からなかったそうだ。
「真詞。お前が不思議な目をしているのは知ってたよ。でも、引き取るからには全力で向き合うと決めていた。誰が何と言おうと、俺たちは家族だ。でも、そうだな。もっと色々な可能性を考えていたけど、お前たちは本当に素直な子に育ってくれて、逆に助けられてる」
真剣に話してくれていると分かったから、真詞の心の分厚い何かは渦を作ることはなかった。
神社に着くと、慣れた様子で隅っこに歩いて行く。砂利すらない場所は雨でぬかるんでいる。暫くそこに立ち尽くしていると、フワフワが現れて声をかける。
「ありがとう、ありがとう」
何に対するお礼なのか分からないけど真詞は頷く。
そうすれば、桜吹雪の後には小さな祠と平らな石と、髪が長くて背の高い男がいる。
「来たんだ?」
慣れた様子で巡が言う。
ここへ来るのも、もう片手じゃ足りなくなっている。
「来た。あんた、本当にいつもここにいるんだな」
「あはは! そんなの今さらだろ? オレはずっとここにいるよ。もういつからなんて分からないくらいずっといる」
「そうなんだ」
真詞は続けようとした言葉を飲み込んだ。本当は「それってやっぱり寂しいんじゃないの?」と聞きたかった。でも彼は平然としているから、言ってはいけない気がした。その代わりに左手のビニール袋を差し出す。
「なに?」
「まぐろ」
「まぐろ?」
受け取った巡は袋を開けて「わあ!」と感嘆の声を上げた。中にはスーパーで買った鉄火巻きと握りのパックが一つずつ入っている。
「買ってきてくれたの?」
「食べたいって言ってただろ」
ぶっきらぼうに伝える。
本当は言いたいことがあるのに、出てくる言葉はこんなものばかりだ。
「ありがとう聖! すごく嬉しいよ!」
チラッと見た巡の顔には満面の笑みが乗っていて、頬が熱くなるのを感じた。心臓はなんだか忙しないし、なのに彼から目を離せなかった。
「その、お礼……」
「お礼?」
「……昨日の、お礼」
「んー? ああ、もしかして家族と仲直りできたの?」
「ぅ……」
微かに頷く。どんどん恥ずかしくなってきていた。ただでさえ何だか無性に耐え難いのに。このままでは絶対にからかわれる! そう思って必死に何かを言い返そうとした。
「よかったね」
「ぅ、え……?」
「ねぇ、聖。家族が好き?」
「そんなの、わざわざ聞くなよ!」
「好きなんだ?」
「わ、かんない」
「そう。オレは今の聖は好きだよ」
勢いよく顔を上げた。今、何と言われたのだろうか。彼は真詞に好きだと言わなかっただろうか。何も言えないまま必死に巡の顔を見つめると、随分と穏やかな顔で微笑まれる。
「これ、美味しくいただくね」
「……どっちから食べる?」
「鉄火巻きからにしようかな。何で?」
「……母さんが、いつも握りから食べるんだ」
「……そっか。そっかぁ。なら、そうする」
「あ、でも、好きな物なら……後の方がいいかも」
「大丈夫! オレ、好きな物は先に食べる派なんだよね」
「そう?」
「聖」
「え、あ、何?」
「ありがとう」
どこからともなく強い風が吹いて桜の花びらが舞い上がる。真詞と巡の間をサワサワと通り過ぎるたくさんの白い花。その隙間から、嬉しそうな、悲しそうな顔が覗いていた。
喧騒が戻ってくる。正面を見ると大きなホワイトボードと、同じ生地の服を着た男女の背中。
もうすぐ高校最初のホームルームが始まる。知り合いなんそんなにいないから、小さなざわめきはあってもまだまだ教室内は静かだ。
あの日、帰る前に、とうとう真詞は本名を教えた。教えてしまって大丈夫なのかどうかよりも、彼に自分の名前を呼んでみて欲しかった。
「真詞(まこと)。真実の詞(ことば)……。いい名前だね」
その言葉に胸が温かくなったことを今でも覚えている。感動と興奮。巡に名前を呼んでもらえる自分がなんだかすごいと思った。今思えば、あれが真詞の初恋だったのかもしれない。
でも、それを最後に巡に会うことはなかった。
何度も会いに行ったけどフワフワが現れることはなかったし、祠も石も桜も影も形もなかった。
その内に真詞が引っ越しをすることになってとうとう一度は会うことを諦めた。
通り一遍の説明を終えた担任が席を外したのをいいことに、クラスメイトたちが探り探り会話を始める。
真詞にも近くの席に座る数名が話しかけてくれた。よく褒められる整った顔と注意されない程度に洒落た髪型。自分が人目を惹くタイプであることは自覚している。
こっそり練習した角度で口を笑顔の形にして人懐っこさをプラスすれば、大体のことは何とかなる。――そうやって真詞は生きて来た。
この地に引っ越してきてまだ一週間。比較的に大きなベッドタウン。県内では上の方の進学校。順風満帆な高校生活が始まろうとしていた。
昨日は夜遅くまで両親と、遠くに住む年の離れた姉まで加わって話をした。
やっぱり真詞は渡辺の実子ではなかった。更に言えば、姉もそうだった。両親はずっと子供が欲しかったけど、残念ながら授からなかったそうだ。
「真詞。お前が不思議な目をしているのは知ってたよ。でも、引き取るからには全力で向き合うと決めていた。誰が何と言おうと、俺たちは家族だ。でも、そうだな。もっと色々な可能性を考えていたけど、お前たちは本当に素直な子に育ってくれて、逆に助けられてる」
真剣に話してくれていると分かったから、真詞の心の分厚い何かは渦を作ることはなかった。
神社に着くと、慣れた様子で隅っこに歩いて行く。砂利すらない場所は雨でぬかるんでいる。暫くそこに立ち尽くしていると、フワフワが現れて声をかける。
「ありがとう、ありがとう」
何に対するお礼なのか分からないけど真詞は頷く。
そうすれば、桜吹雪の後には小さな祠と平らな石と、髪が長くて背の高い男がいる。
「来たんだ?」
慣れた様子で巡が言う。
ここへ来るのも、もう片手じゃ足りなくなっている。
「来た。あんた、本当にいつもここにいるんだな」
「あはは! そんなの今さらだろ? オレはずっとここにいるよ。もういつからなんて分からないくらいずっといる」
「そうなんだ」
真詞は続けようとした言葉を飲み込んだ。本当は「それってやっぱり寂しいんじゃないの?」と聞きたかった。でも彼は平然としているから、言ってはいけない気がした。その代わりに左手のビニール袋を差し出す。
「なに?」
「まぐろ」
「まぐろ?」
受け取った巡は袋を開けて「わあ!」と感嘆の声を上げた。中にはスーパーで買った鉄火巻きと握りのパックが一つずつ入っている。
「買ってきてくれたの?」
「食べたいって言ってただろ」
ぶっきらぼうに伝える。
本当は言いたいことがあるのに、出てくる言葉はこんなものばかりだ。
「ありがとう聖! すごく嬉しいよ!」
チラッと見た巡の顔には満面の笑みが乗っていて、頬が熱くなるのを感じた。心臓はなんだか忙しないし、なのに彼から目を離せなかった。
「その、お礼……」
「お礼?」
「……昨日の、お礼」
「んー? ああ、もしかして家族と仲直りできたの?」
「ぅ……」
微かに頷く。どんどん恥ずかしくなってきていた。ただでさえ何だか無性に耐え難いのに。このままでは絶対にからかわれる! そう思って必死に何かを言い返そうとした。
「よかったね」
「ぅ、え……?」
「ねぇ、聖。家族が好き?」
「そんなの、わざわざ聞くなよ!」
「好きなんだ?」
「わ、かんない」
「そう。オレは今の聖は好きだよ」
勢いよく顔を上げた。今、何と言われたのだろうか。彼は真詞に好きだと言わなかっただろうか。何も言えないまま必死に巡の顔を見つめると、随分と穏やかな顔で微笑まれる。
「これ、美味しくいただくね」
「……どっちから食べる?」
「鉄火巻きからにしようかな。何で?」
「……母さんが、いつも握りから食べるんだ」
「……そっか。そっかぁ。なら、そうする」
「あ、でも、好きな物なら……後の方がいいかも」
「大丈夫! オレ、好きな物は先に食べる派なんだよね」
「そう?」
「聖」
「え、あ、何?」
「ありがとう」
どこからともなく強い風が吹いて桜の花びらが舞い上がる。真詞と巡の間をサワサワと通り過ぎるたくさんの白い花。その隙間から、嬉しそうな、悲しそうな顔が覗いていた。
喧騒が戻ってくる。正面を見ると大きなホワイトボードと、同じ生地の服を着た男女の背中。
もうすぐ高校最初のホームルームが始まる。知り合いなんそんなにいないから、小さなざわめきはあってもまだまだ教室内は静かだ。
あの日、帰る前に、とうとう真詞は本名を教えた。教えてしまって大丈夫なのかどうかよりも、彼に自分の名前を呼んでみて欲しかった。
「真詞(まこと)。真実の詞(ことば)……。いい名前だね」
その言葉に胸が温かくなったことを今でも覚えている。感動と興奮。巡に名前を呼んでもらえる自分がなんだかすごいと思った。今思えば、あれが真詞の初恋だったのかもしれない。
でも、それを最後に巡に会うことはなかった。
何度も会いに行ったけどフワフワが現れることはなかったし、祠も石も桜も影も形もなかった。
その内に真詞が引っ越しをすることになってとうとう一度は会うことを諦めた。
通り一遍の説明を終えた担任が席を外したのをいいことに、クラスメイトたちが探り探り会話を始める。
真詞にも近くの席に座る数名が話しかけてくれた。よく褒められる整った顔と注意されない程度に洒落た髪型。自分が人目を惹くタイプであることは自覚している。
こっそり練習した角度で口を笑顔の形にして人懐っこさをプラスすれば、大体のことは何とかなる。――そうやって真詞は生きて来た。
この地に引っ越してきてまだ一週間。比較的に大きなベッドタウン。県内では上の方の進学校。順風満帆な高校生活が始まろうとしていた。
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