御簾越しの君

八月 美咲

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   回廊の先に広い庭があり、そこに射場が作られていた。

 見事な桜の木があり、その周りには射手姿の男たちが談笑していた。射場から数段の御階(みはし)を上った簀子縁に盃を持った男がおり、御簾の向こうにも誰かいるようだった。

 佐理はすばやく場内にいる男たちの顔を確認する。が、そこに佐理の中将の姿はなかった。

 月光の君が言った通り、それは親しい仲間内で酒を楽しみながら弓を射る遊興(ゆうきょう)だった。

 月光の君が皆を佐理に紹介する。

 そこにいたのは衛門督(えもんのかみ)や兵衛督(ひょうえのかみ)といったそうそうたるメンバーだった。

 月光の君もそうだが、今はまだ年若いので近衛中将の位についているが、将来はもっと上の上達部(かんだちめ)になっていく人物たちだ。同じ貴族でも佐理とは雲泥の差である。

 そんな彼らは自分達よりずっと官位の低い佐理にも紳士的に接してくれた。

 その態度は佐理の中将を思い出させた。本当の上流貴族とは心持ちも上流なのかもしれない。

 月光の君が佐理に酒を勧めてきたが佐理は丁重に断る。

「あの、私は何をお手伝いしたらいいんでしょう」

 早く蔵人頭に会いたかったが、来てすぐに月光の君を急かすのは憚(はばか)られた。

「君は何もしなくてもいい、ただそこにいてくれるだけで」

「え?」

「今日の賭弓の賞品は君だから」

 佐理は何を言われているのかよく理解できなかった。

「下世話な言い方をするもんじゃない、申し訳ない、中将の非礼を許しておくれ」

 月光の君をたしなめたのは、さっき紹介された衛門督だった。

「先日の瀬央殿の長恨歌は本当に素晴らしかった。瀬央殿は漢詩だけでなく和歌や笛の腕前もお見事と聞いてます。今日の賭弓の勝者にそれらのどれかを披露してもらえないかな?」

「そんな私ごときの……」

 恐縮する佐理を衛門督は目を細め、じっと見つめる。佐理の答えを待っているのだろうが、その真摯な瞳に佐理は身じろいだ。

 それに気づいた衛門督は前のめりになっていた上体をすぐに元に戻した。

「これはまた失礼なことをしてしまった。あまりにも瀬央殿が美しいのでつい見惚れてしまったよ。これでは中将のことは言えないな。それでどうだろう? 披露してもらえるかな?」

 こんなふうに頼まれたら嫌とは言えない。

「承知いたしました」

 二人のやり取りを見ていた他の男たちにも和やかな空気が流れる。

「そうだ、せっかくだから和歌か笛か舞か、勝者のリクエストに応えてよ」

 中将の案に皆、それはいい、と賛同する。

「分かりました」

「よっし! じゃ次は俺の番だ。見ててね、ばっちり真ん中を射て見せるから」

 月光の君は腕まくりとすると御階を駆け降りて行った。

 御簾の向こうに人の気配がするが、もしかして定子様がこの賭弓をご覧になっているのだろうか。

 見ててね、と月光の君が言ったのは佐理にではなく御簾の向こうの定子様に向かってだったのかも知れない。

 衛門督に勧められて、佐理は簀子縁に腰を下ろす。

 賭弓は賭弓でもそれはちょっとした流鏑馬だった。

 春雪で駆け抜けながら月光の君は、的のど真ん中とまではいかないが、ほぼそれに近い場所に命中させた。

 その後も、次々に男たちが馬に乗って的を射ていく。

 時間が経つにつれ、佐理はそわそわとし出した。

 最初は流鏑馬に集中していたが、だんだんとそれどころではなくなってくる。

 蔵人頭はどこにいるのだろう。月光の君は佐理を蔵人頭に会わせてくれると言ったが、そのことはすっかり忘れてしまっているのだろうか。

 そこへ一人の侍従らしき男がやって来て、何やら月光の君に耳打ちをした。

「さて、次は本日の大本命だ」

 そう言って月光の君は佐理の隣に腰を下ろすと囁いた。

「君のお待ちかね、蔵人頭だよ」

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