御簾越しの君

八月 美咲

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   色づいた木々で燃えるような秋の山道を、佐理は一人で伊勢に向かった。

 一歩歩く毎に一歩中将から遠ざかる。開きそうになる心の蓋を無理やり押さえつけた。

 そうしないと先へ進めなかった。

 燃える山々よ。どうか私の心も一緒に燃やし尽くしてくれ。天に立ちのぼるような炎で焼き尽くし、白い灰にした後は、風で全てさらっていってくれ。

 佐理は無言で佐理を見守る山々に向かって、そう心の中で呼びかけた。

 伊勢は遠い。

 きっと伊勢にたどり着く頃には佐理の心の中から中将はきれいに消えてなくなってくれている。そう願って。



 その頃瀬央家では、男装した高子を見て両親はあんぐり口を開けていた。

「これはまた、なんと凛々しいことよ」

「どこぞの貴公子に見えるわ」

 佐理が女で高子が男に生まれてきてくれていたら瀬央氏は安泰だったろうに。

 今まで何度も思ったそんな言葉を二人は飲み込み、ただただ目の前の高子に呆気に取られるばかりだった。

「じゃぁ、行ってくる」

「高子、本当に大丈夫かい?」

「大丈夫、今度は私がお兄様を助ける番だから」

 そう言って高子は中将の待つ部屋へと入って行った。

 案の定中将は、佐理からの別れの文が届けられたその日、まだ日が明るいうちに瀬央家にやって来た。

 父と小君が中将の屋敷に着いた時は留守だったというから、文を読んですぐに駆けつけたのだろう。

「近衛中将様、お初にお目にかかります。高子の兄、瀬央佐理でございます」

 高子は深々と頭を下げ、しばらくそのまま停止し、そしてゆっくりと顔を上げた。

 高子は初めて見る中将に思わず目を細める。

 それほど中将は高貴で上品で洗練されていて、その姿はまさに光り輝くようだった。

 お兄様は、こんなお方を魅了しているのだ。

 美しく聡明な佐理を普段から尊敬している高子だったが、改めて佐理の凄さを思い知らされる。

「中将様には申し訳ないのですが、最後にお贈りした文は高子の本心であり、それは今でも変わりはありません」

「高子殿と会って話をさせてはいただけませんか?」

 内心はきっと嵐の海のように猛っているだろうに、中将は冷静さを失うことなく、慇懃に高子に尋ねてくる。
 
 高子はその中将の静かだが、奥に燃えるような情熱を秘めた瞳をじっと見つめながらこう答えた。

「高子は遠い所へやり、もうここにはおりません。だからどうぞもう高子のことはお諦めください」

 再び深く一礼する。高子が身体を起こした時、中将はすでに立ち上がっていた。

「ありがとう、佐理殿」

 そうして部屋を出て行こうとしたが、何を思ったのか中将は不意に高子を振り返った。

「佐理殿がこんなに凛々しい貴公子だったとは知りませんでした。男子の装束がよくお似合いです」

 気品に満ちた顔が弛み、驚くほど優しい笑顔になる。

 高子がその笑顔に見惚れているうちに、中将は風のように立ち去ってしまった。

 中将がいなくなると、家の奥から様子をうかがっていた両親が飛び出して来た。

「よくあれで中将様は納得されたな」

「お父様、お母様」

 真剣な面持ちの高子はどこからどう見ても立派な男子に見えた。

「中将様のお兄様への想いが本物なら、中将様はお兄様を探し当てると思います。お兄様は中将様のように頭脳明晰な方は今まで見たことがないとおっしゃっていました。きっと私の“遠く”という言葉だけで、瀬央の遠縁の者の所だとピンときたと思います。遠縁と言っても何人かおりますが、中将様はお兄様を探すために財と人を惜しみなく使われることでしょう。私は思うのです。そこまで深くお兄様を愛されている中将様がお兄様が男だというだけでその愛を一瞬で消し去ってしまうでしょうか。私は今日初めて中将様をこの目で見ましたが、中将様はそんな薄っぺらな方ではないと思います」

 さっきの高子の中将への態度といい、今のこの堂々とした高子の物言いといい、両親は再び佐理が女で高子が男に生まれて来てくれていたらどんなに良かっただろうかと思わずにはおれなかった。



 佐理は腰掛けるのにちょうどいい高さの岩に座ると、わらじの紐を緩めた。

 鬱血した足からはうっすらと血が滲んでいる。普段こんなに長い距離を歩くことがないので、この先のことが心配になってくる。

 伊勢まで四日間の旅を想定していたが、この調子だと六日はかかるかも知れない。我ながら情けないと佐理は空を仰いだ。

 木々の間から赤みを帯びた空がのぞいていた。どこかで鳶(とんび)が弧を描くような鳴き声を響かせている。

 汗ばんだ身体に涼しげに吹きつけていた風が、今は冷たく夜の香りを含みだした。

 急がないと日が暮れてしまう。山賊が出る夜の山は危険だ。

 今夜はこの先にある寺院の軒先を宿にする予定にしているが間に合うだろうか。山の闇に捕まってしまうと一歩も先へ進めなくなる。

 そうなる前にどうにかそこまで辿り着かねば。

 佐理は歯を食いしばってわらじの紐を結び直すと再び歩き始めた。

 しかし佐理の努力の甲斐もなく、夜の闇は思った以上に早く佐理を追いかけてきた。

 が、幸いなことに今夜は満月で、月明かりの下をゆっくりだがどうにか先に進むことができた。

 それは動物たちが寝静まった山に確かに聞こえてきた。

 土を蹴る馬の蹄(ひづめ)の音から、それが集団であることが分かった。男たちの声が夜の静寂に包まれた山間に木霊する。

 やばい、山賊だ。

 佐理は身を低くして山道を急いだ。

 しかし、落ちぶれ下流とはいえ、佐理もしょせん京の貴族の男、山で生きる荒くれたちに佐理は簡単に見つかってしまった。

「男でも高く売れる、生捕りにしろ」

 まるで狩を楽しむかのように山賊たちは笑い声を上げながら逃げる佐理を追い詰める。

 佐理は木の根に足を取られ地面に身体を投げ出した。

 もうダメだ。

 佐理は目を固く閉じ、腹をくくった。絶体絶命だった。

 その時、ヒュヒュと空気を切り裂く鋭い音が響き、男たちが動物のような叫び声を上げた。中には馬から落ちる者もいた。

 佐理の耳元で馬が大きくいなないたかと思うと、佐理の身体がふわりと宙に浮いた。

 次の瞬間、佐理は真っ白な馬の上にいた。真っ白な馬の上で目の覚めるような朱色の装束に身を包んだ男に佐理は抱きかかえられていた。

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