御簾越しの君

八月 美咲

文字の大きさ
上 下
12 / 41

12

しおりを挟む
 レオナードは一直線に馬車へと向かう。
 対してルシータは、えっぐ、えっぐとべそをかきながらも、火傷に効くアロエを探す。

 涙でぼやけた視界の端に、イガイガした長細い葉っぱを見つけて足を止めようとした。
 けれどルシータは今、レオナードに抱えあげられていて、つま先すらまともに地面についていない状態。それでは、叶うはずもない。

 しかも、ちょっと待ってと声を掛けたくても、今のルシータは、アスティリアの嘘泣きとは違う。本気の涙を流している。
 つまり声を出すために息を整えようとすれば、余計なものが鼻から出てしまう可能性が極めて高い。

 どんなにキャパオーバーになっても、ルシータだって女の子だ。
 しかも好きな人の腕の中にいる状態で、そんなもの誰が好き好んで見せたいと思うだろうか。

 だから結局、ルシータはアロエを採取できぬまま、有無を言わさず馬車に乗せられてしまった。と、同時にレオナード自身もしなやかに馬車に乗り込んだ。




「───……ルシータ、頼む。お願いだから泣き止んでくれ。何でもするから」

 乱暴ではないけれど、強引に馬車の座席に着席させられた途端、ほとほと困り果てたレオナードの声を聞いて、ルシータはなぜかここでプツンとキレた。

「何でもするって言うなら、熱湯なんか浴びないでよっ」

 いやもう、そんなことを言ったところで遅い。
 でもルシータは、あまりに動揺していて、もっとも望むことしか口に出来なかった。

「えー……それは、また難題だなぁ」

 過去を変えろと無茶ぶりされたレオナードは、眉を下げて苦笑する。

 でもそう言いながらも、手を伸ばしてルシータの涙を拭きとった。少し硬い親指の腹がルシータの目元をそっと撫でる。手の甲で、頬も撫でられた。

 涙で濡れた皮膚が、レオナードの指を的確に感じ取って、ルシータはぞくりと背中が震える。感情を高ぶらせているせいで熱い頬に、ほんのり冷えた彼の手はとても心地よかった。

 とはいえ、こんな時にあからさまに喜ぶことはできない。

 ルシータは馬車の座席にきちんと着席しているけれど、レオナードは向かいの席に座っていない。床に膝をついて、ルシータを覗き込んでいる。

 だから、その痛々しい顔が良く見える。
 額から頬にかけて赤くなっている。なのに、相も変わらず眩しい程に美しく整っている。

 彼をこんなふうにさせてしまったのは、自分のせいだ。
 ルシータは心の底から自分を責めた。今、世界中の人間から「人でなし」と罵られても甘んじて受け入れたいと思う程に。

 なのに、そのご尊顔の持ち主は、ルシータが憂えた顔をしているというのに、こんなことを言った。
 
「いやぁ、水も滴るイイ男だろ?惚れ直してくれたかい?」
「馬鹿っ」

 ルシータは食い気味に、レオナードを怒鳴りつけた。

 レオナードがイイ男なんて、そんなものわかりきったことだ。太陽が西に沈むのと同じくらい、当たり前のことだ。今更、水……いや、熱湯を被る必要なんてない。

 それにあまりに、その発言は場違いだ。その表情も。
 なんで、嬉しそうに笑っているのだろう。痛い思いをしたはずなのに。どうしてこの人は、なんでもなかったかのように振る舞えるのだろう。
 
 熱湯を浴びていない自分が、こんなにも辛くて悲しいと言うのに。これじゃあ、まるで逆ではないか。

「......レオナード」
「ん?なんだい、ルシータ」
「痛い?」
「ぜんぜん」
「そこ......ヒリヒリしてるでしょ?」
「ちっとも」
「......嘘つき」
「嘘じゃないさ。それより、君が無事で良かった」

 ───……ああ、そっか。彼は超が付く格上のお貴族様だった。だからもしかして、痛いとか辛いとか、声に出すことができないだけなのかもしれない。

 ルシータはそんなふうに間違った解釈をしてしまった。
 そして、そんな彼に自分ができることは一つしかないと、これまた、やや斜め上の結論に達した。

「私、アロエを取ってくるっ」
「は?ちょっ、だ、大丈夫だから、ルシータっ」

 馬車を飛び出そうと、ルシータが転がるように扉に手を掛けた途端、レオナードに強く腕を捕まれた。

 そしてそのまま、再び着席させられる。でも、今度はレオナードは床に膝をつくことはしなかった。覆い被さるように、ここにいる。

 レオナードは両の手を馬車の壁について、その腕の間にルシータを閉じ込めて、じっと見つめた。

「ここにいて。ルシータ」

 至近距離なんてもんじゃない。
 息がふれあうほどレオナードの顔が間近に迫れば、尊すぎるものを見た人間の心情として、目を逸らしてしまう。

 だからルシータは、レオナードが次に取る行動を予測することができなかった。 

「───......なっ」

 ルシータは小さく声をあげた。

 なんということだろうか。信じられないことに、レオナードは、今、たった今、ルシータの唇をペロリと舐めたのだ。

 なかなかのことをしてくれたのに、ルシータが甘受してしまったのは、彼の行動があまりにも早かったため、反応ができなかったから。

「ああ、やっぱり傷になってるね。痛い?」

 労りに満ちた眼差しをルシータに向けながら、レオナードはもう一度、そのサクラ色の唇をペロリと舐めた。

「なっ!!!!」

 今度は短い言葉にありったけの感情を凝縮して、ルシータが叫んだけれど、レオナードはどこ吹く風。

 むしろなんだか不機嫌と言うか、はっきり言って拗ねた表情に変わっていた。

「ねえ、ルシータ。僕、ちょっと怒っているんだけど」
「は......い?」

 レオナードの表情は矛盾していた。

 不機嫌そうに顔をしかめているくせに、真っ直ぐにルシータを見つめる瞳は潤み、欲情を孕んでいるかのように熱を帯びている。

 ルシータは、ものの見事に固まった。

 不幸中の幸いで、唇ペロリ事件は頭の隅に追いやることができた。けれど、今まさに別の危機的状況に陥っているような気がしてならなかった。
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

冴えないおじさんが雌になっちゃうお話。

丸井まー(旧:まー)
BL
馴染みの居酒屋で冴えないおじさんが雌オチしちゃうお話。 イケメン青年×オッサン。 リクエストをくださった棗様に捧げます! 【リクエスト】冴えないおじさんリーマンの雌オチ。 楽しいリクエストをありがとうございました! ※ムーンライトノベルズさんでも公開しております。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

悪役令息の七日間

リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。 気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】

処理中です...