御簾越しの君

八月 美咲

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   その文が高子の元に届いた時、佐理の両親は腰を抜かすほど驚いた。

 白いナツツバキの花が添えられ、上品な香が焚きしめられた文は、上流貴族の藤原氏、今の右大臣の息子である近衛中将(このえのちゅうじょう)からのものだった。

 歳は佐理の二つ上の十九歳で、そのイケメンぶりは日本という国で書かれた恋愛小説『源氏物語』のリアル光の君と名高いほどだった。佐理たちからしたら雲の上の殿上人だ。

 その近衛中将が高子に文を送ってきたのだから一大事である。

「ほ、ほ、本当に恋文ですか?」

 母は未だに信じられないといった様子だった。

「この高級な香の香りといい、ナツツバキの花といい、そうでしょう」

 父と母、そして当の本人である高子もどうしたらいいか分からず、文を手にした佐理をただ遠巻きに見ている有様だった。

「お、お兄様、高子の代わりに文を読んでくださいませ」

「いいのかい?」

 高子は振り子人形のように頷いた。皆が見守る中、佐理は文を開く。

――麗しき 姫の噂を 庭に吹く風囁きて 我が心は 揺れにけり

「お兄様、それはどういう意味?」

 和歌に全く通じていない高子が訊いてくる。

「どうやら中将はどこかで高子が美人だと噂を聞いたみたいで、高子に興味があるようだよ」

「高子は美人というより、凛々しいという感じだが、いったいどこでそんなことを」

 父と母は不思議そうな顔をしている。

「見る人が見れば、いやいや、高子は美人だよ」

 佐理はコホンと咳払いをする。

「それで高子、文の返事はどうする?」

 両親は高子が男嫌いであることを十分承知だが、何しろ相手は今をときめく近衛中将だ。

 二人とも何気ないふうにしているが、『これを逃すのはもったい』という内心が見え見えだった。高子もそれを知ってか、でもどうしたらいいか分からず困り果て、持ち前の凛々しさが頭を垂れていた。

「お断りしよう」

 高子に助け舟を出したのは佐理だった。本来なら瀬央氏の嫡男である自分がしっかりしていれば、父も母も、そして妹の高子をも、こんなに困らせることはないのだ。

 佐理の言葉に高子は萎れた花が水を与えられたように凛々しさを取り戻し、それとは反対に両親はこの瞬間に数年分老け込んだように萎れてしまった。

「でも佐理、高子のような落ちぶれ下流貴族の娘が近衛中将を振るなどと、そんな恐れ多いことをして大丈夫かしら?」

 母の不安はもっともだった。

「そこは私がなんとかします」

「お兄様がお歌の返事をしてくれるの? だったら安心ね。お兄様は和歌の名手だもの」

 確かに佐理の和歌の才能は素晴らしかったが、佐理が振った男たちとの前例がある。それでも和歌のセンスの欠片もない高子が返事をするより一千倍マシだろう。

 不安と残念さを隠しきれない両親をよそに、高子はもうすっかり他人事だった。

 佐理は心の中で自分の不甲斐なさを両親に詫びた。



――君の輝き 風をもあやまちし噂流すかな 君は我にあたらしき方なり
(あなたの輝きには風さえも間違った噂を流してしまうようですね。あなたは私にはもったいないお方です)

 佐理は近衛中将への返事をしたためると、小君と名乗る少年に手渡した。

 なんと近衛中将は自分との文のやり取りに使ってくださいと、少年を寄越して来たのだった。もちろん小君の駄賃は中将持ちだ。

 下働きの者を雇う余裕さえない瀬央氏にとってはありがたいことだった。

 小君は大人の狩衣とほとんど同じ仕立ての絹の衣を身にまとい、それは佐理たちの着ているものよりずっと高価に見えた。

 中将は遣いの少年にこんな高価なものを着せることができるのだ。瀬央の家との格の違いを見せつけられたようで、佐理は心の中でやはりこの話はお断りをしてよかったと思った。

 が、そんな佐理とは裏腹に、佐理の両親は残念そうな顔をして断りの文を運んでいく小君の背中を見送っていた。

 

 これで中将も高子のことを諦めるだろうと思いきや、なんと小君は中将の返事を持って帰ってきた。

 もしかして怒りの文か? 

 再び両親と高子が恐々と見守る中、佐理は中将からの文を開いた。

――まばゆきは 君のそのやさしさなり その前に 我が光など翳りぬ
(あなたは身分が違うとおっしゃいますが、眩しいのはあなたのその慎ましさです。その前では私の光など翳ってしまいます)

 これには一同驚いた。

「なんというお方だ。殿上人でも雲の上の存在だというのに、こんな落ちぶれ貴族にこんなもったいないお言葉を」

 両親は神か仏を拝むように中将の文を前に手を合わせた。

 佐理はさらに断りの和歌を贈ったが、中将は諦めなかった。

 それどころか雅な髪飾りや扇、佐理たちが食べたこともない高価な菓子などを贈ってきた。

 佐理はそれらを送り返そうかとも思ったが、それはあまりにも中将に失礼だと思われたし、高子や両親が喜んでいる姿を見ると、そんなこともできないでいた。

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