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この土地に来て今までと違うことが一つあった。
それは近くにスマホを充電できる店とFree Wi-Fiが使える場所がないということだ。電車に乗れば、数駅先に大きめの町があったが、往復の電車賃がもったいないこともあり、一度行っただけだった。
一箇所に定住するようになって、それほどスマホが必要でなくなり、玲衣がピアノを弾いている姿を動画に収めたのを最後に、スマホのバッテリーはなくなってしまった。
スマホをいじっていた時間は、ピアノを弾いて過ごすようになった。
ゆっくりとした時間が流れていった。
そうして、この青い屋根の家に住み着くようになって、二週間ほどが過ぎた。昼間はまだまだ暑いが、早朝や夕方、庭で鳴く虫の声や、浜辺に吹く潮風の冷たさに、秋の気配を感じるようになった。
その朝、いつも以上に煌にピッタリとくっついて寝ている玲衣の身体が異常に熱かった。見ると赤い顔を苦しそうに歪ませている。
「玲衣、大丈夫か?」
問いかけても玲衣の返事はない。
ここ数日、明け方の冷え込みが一段と激しくなった。もともと玲衣は細身だったが、半袖のシャツから伸びる玲衣の腕は以前より細くなったような気がした。
二ヶ月にわたる逃走生活の疲れや、栄養価の低い偏った食事で少しずつ体力が削られていたのかも知れない。
「玲衣、待ってろよ、すぐに薬買って来てやるから」
煌は町のドラッグストアに走った。
棚に並んだ風邪薬の中から熱に効きそうなものを探す。
「あった……」
伸ばそうとした煌の手が、値札を見た瞬間、止まった。
ポケットの中の小銭を数えると、十円足りなかった。
二人の全所持金はすでに五百円を切っていた。今から町中の自販機の下を覗いて回っても、コインが落ちている可能性は低かった。
すでにこの二週間で拾い尽くしていたからだ。
チラリとレジの方に目をやると、エプロン姿の店員が暇そうに窓の外を眺めている。
煌は風邪薬の箱を掴むとズボンのポケットに入れ、そのまま店を出た。
万引きなんて、煌にとってたいしたことではなかった。過去に何度もしたことがある。この二ヶ月間もやろうと思えばいつでもやれた。
ただ、玲衣が嫌がると思ってやらなかっただけだ。だから罪悪感など微塵もなかった。
家に戻って玲衣に薬を飲ませると、今度はスーパーでレトルトのお粥やプリンなど、他にも消化に良くて栄養がありそうな食べ物を万引きした。
「玲衣、ほら食べな」
玲衣の口元にプリンを運んでやると、玲衣はうっすらと目を開けた。
小さな口にプリンを流し込む。
「甘くて美味しい……」
玲衣は弱々しい笑みを浮かべた。
玲衣の熱はすぐには下がらなかった。
次の日も、煌はスーパーで万引きしたものを玲衣に食べさせた。
煌が甲斐甲斐しく看病すること三日間、四日目の朝、玲衣の体温はようやく平熱に戻った。
食後の薬をバナナジュースで流し込みながら、玲衣は尋ねた。
「これ買うお金、どうしたの?」
「拾ったんだ。また、財布を」
とっさに出てきた嘘を、玲衣は信じた。
熱は下がったものの、玲衣の体調はあまり良くないようで、食料調達は煌がひとりでするようになった。
「またお財布拾ったの?」
連日続く豪華な食事に、玲衣は不思議そうな顔をした。
昨日煌は、玲衣に長袖の服まで買ってきた。
「そうだよ、ほら」
煌は黒い財布を見せた。
昨日、駅で拾ったのは本当だった。
ベンチに座っていた男性が立ち上がった時、パンツの後ろポケットから財布がこぼれ落ちたのだ。それを煌は拾った。
男性はまだすぐそこにいた。声をかければ振り向いただろう。
煌はそのまま黙って財布を持ち去った。
「駅で何してたの?」
そこを聞かれるとは思っていなかったので、煌はとっさに言葉に詰まる。
駅にいたのは、何か金になることはないかと探していたのだ。例えば置き引きとか……。
「煌、僕に隠していることあるでしょ」
「そんなもんねぇよ」
玲衣の目が見られなかった。
「僕……足手まとい……だよね……。ひとりで逃げたくなった?」
「そんなことあるはずないだろう!」
大声になった。渋々、煌が黒財布を拾った経緯を白状すると、玲衣はさらに聞いてきた。
「それだけ? 他には?」
玲衣は頭がいい。きっと薄々万引きのことも気づいている。
玲衣に嫌われてもいい、だって玲衣が大事だった。
軽蔑されてもいい、玲衣ともっと一緒にいたかった。
煌の告白を玲衣は黙って聞いていた。
そうして、一度大きく深呼吸をすると目を閉じた。
それは近くにスマホを充電できる店とFree Wi-Fiが使える場所がないということだ。電車に乗れば、数駅先に大きめの町があったが、往復の電車賃がもったいないこともあり、一度行っただけだった。
一箇所に定住するようになって、それほどスマホが必要でなくなり、玲衣がピアノを弾いている姿を動画に収めたのを最後に、スマホのバッテリーはなくなってしまった。
スマホをいじっていた時間は、ピアノを弾いて過ごすようになった。
ゆっくりとした時間が流れていった。
そうして、この青い屋根の家に住み着くようになって、二週間ほどが過ぎた。昼間はまだまだ暑いが、早朝や夕方、庭で鳴く虫の声や、浜辺に吹く潮風の冷たさに、秋の気配を感じるようになった。
その朝、いつも以上に煌にピッタリとくっついて寝ている玲衣の身体が異常に熱かった。見ると赤い顔を苦しそうに歪ませている。
「玲衣、大丈夫か?」
問いかけても玲衣の返事はない。
ここ数日、明け方の冷え込みが一段と激しくなった。もともと玲衣は細身だったが、半袖のシャツから伸びる玲衣の腕は以前より細くなったような気がした。
二ヶ月にわたる逃走生活の疲れや、栄養価の低い偏った食事で少しずつ体力が削られていたのかも知れない。
「玲衣、待ってろよ、すぐに薬買って来てやるから」
煌は町のドラッグストアに走った。
棚に並んだ風邪薬の中から熱に効きそうなものを探す。
「あった……」
伸ばそうとした煌の手が、値札を見た瞬間、止まった。
ポケットの中の小銭を数えると、十円足りなかった。
二人の全所持金はすでに五百円を切っていた。今から町中の自販機の下を覗いて回っても、コインが落ちている可能性は低かった。
すでにこの二週間で拾い尽くしていたからだ。
チラリとレジの方に目をやると、エプロン姿の店員が暇そうに窓の外を眺めている。
煌は風邪薬の箱を掴むとズボンのポケットに入れ、そのまま店を出た。
万引きなんて、煌にとってたいしたことではなかった。過去に何度もしたことがある。この二ヶ月間もやろうと思えばいつでもやれた。
ただ、玲衣が嫌がると思ってやらなかっただけだ。だから罪悪感など微塵もなかった。
家に戻って玲衣に薬を飲ませると、今度はスーパーでレトルトのお粥やプリンなど、他にも消化に良くて栄養がありそうな食べ物を万引きした。
「玲衣、ほら食べな」
玲衣の口元にプリンを運んでやると、玲衣はうっすらと目を開けた。
小さな口にプリンを流し込む。
「甘くて美味しい……」
玲衣は弱々しい笑みを浮かべた。
玲衣の熱はすぐには下がらなかった。
次の日も、煌はスーパーで万引きしたものを玲衣に食べさせた。
煌が甲斐甲斐しく看病すること三日間、四日目の朝、玲衣の体温はようやく平熱に戻った。
食後の薬をバナナジュースで流し込みながら、玲衣は尋ねた。
「これ買うお金、どうしたの?」
「拾ったんだ。また、財布を」
とっさに出てきた嘘を、玲衣は信じた。
熱は下がったものの、玲衣の体調はあまり良くないようで、食料調達は煌がひとりでするようになった。
「またお財布拾ったの?」
連日続く豪華な食事に、玲衣は不思議そうな顔をした。
昨日煌は、玲衣に長袖の服まで買ってきた。
「そうだよ、ほら」
煌は黒い財布を見せた。
昨日、駅で拾ったのは本当だった。
ベンチに座っていた男性が立ち上がった時、パンツの後ろポケットから財布がこぼれ落ちたのだ。それを煌は拾った。
男性はまだすぐそこにいた。声をかければ振り向いただろう。
煌はそのまま黙って財布を持ち去った。
「駅で何してたの?」
そこを聞かれるとは思っていなかったので、煌はとっさに言葉に詰まる。
駅にいたのは、何か金になることはないかと探していたのだ。例えば置き引きとか……。
「煌、僕に隠していることあるでしょ」
「そんなもんねぇよ」
玲衣の目が見られなかった。
「僕……足手まとい……だよね……。ひとりで逃げたくなった?」
「そんなことあるはずないだろう!」
大声になった。渋々、煌が黒財布を拾った経緯を白状すると、玲衣はさらに聞いてきた。
「それだけ? 他には?」
玲衣は頭がいい。きっと薄々万引きのことも気づいている。
玲衣に嫌われてもいい、だって玲衣が大事だった。
軽蔑されてもいい、玲衣ともっと一緒にいたかった。
煌の告白を玲衣は黙って聞いていた。
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