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七章 的場萌花
一
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次の日、私はあくびをしながら廊下を歩いていた。
「あ……、眠い……」
昨日の私は精神的なダメージを強く受けてしまった。RPGで言うなら、ラスボスに木っ端みじんに叩き潰されライフポイントが残り一ポイントになったところを別の敵にとどめを刺されたような感じだ。その結果、昨日の私はまともに睡眠をとることができなかったのである。いや、それとも満身創痍の状態のために寝ても寝ても疲れが取れなくなってしまったのだろうか。とにかくひどく疲れを感じていた私は、ため息をつきながらいつもの席に座った。
「はああ……」
目の前には私をズタボロにした張本人、寒川琴乃がいつものように座っていた。
「おっ、おはよー、元気かー?」
「何が元気かーよ、見ればわかるでしょー」ぼっとしながら頭を上げ、不機嫌な私はそう返した。
琴乃をぼうっと見ていた。私は不機嫌だったけど、琴乃はいたって無表情でこちらを見ていたが、突然、目をそらした。
「まっ、昨日のことはゆっくり考えるんだな。私は私で楽しませてもらうことにするよ」そう言うと例の手帳を取り出しメモを取り始めた。
「ちょっとー! 何メモってんのよー!」
「百合絵の恋愛は蜜の味ー」
その言葉に私は呆れかえってしまったが、隠し事はできないし、勉強でも勝てないし、琴乃に対するアドバンテージはもはや何一つ残っていないと感じた私はもう何も言い返せなかった。
「んっ? あ、いたぞー」突然、琴乃が言った。
「百合絵、あいつが的場萌花だ」
「えっ!」
ガンを飛ばす琴乃の先を見るとそこには見慣れた舟渡と、その隣で彼の制服の袖をちょこんとつかみながら髪をふわふわさせながら歩く女子がいた。
「うわーっ! あいつかよ……。しかも胸でかっ……」
彼女は私のクラスメイトなのでどこかで見たり関わったりしたことがあるはずなのだけど……、常日頃琴乃以外のクラスメイトとはほとんど交流がなく、かつ顔覚えの悪い私にとっては初めて出会う人にしか見えなかった。
「……それでねっ、昨日の帰りにねっ、とうとう買っちゃった~」
「えっ、なになに、何買ったんだ?」
「うふふふっ……、タピオカ」
「なっ! 何あいつら! めちゃくちゃ楽しそうじゃん」私は的場とかいう女子のイチャイチャぶりと豊胸ぶりに驚くあまり唖然としてしまった。
「琴姉、あいつらいつもあんななの?」
「そうだよ」
「夏休み始まる前から?」
「うん」
「ああ……これはヤバイ。もう完璧夏休み中に関係築いてるわ……」
自分のスカスカな胸に手を当てながらもう勝ち目はないと悟った私だったが、やっぱりまだドキドキの発作は続いてしまっているようだった。
「OK.So…… Look at Paragraph No.11……. Oneday.Some passenger went to the station that new railway……」
この日もやっぱり、授業中にもかかわらずドキドキが続いていた。ドキドキの原因が琴乃にバレてしまったということもあって、私の授業態度は以前のだらけた状態へと逆戻りしてしまっていた。一応ノートは開いていたけど、筆記用具もろくに持たないし、今日の私はうわの空だった。
……はっ、やつらは⁉
しかし、ただうわのの空だったわけではなかった。今の私はやつのことだけではなく、「もう一人」のやつのことも気になって仕方がなかった。ちらっと斜め後ろを見ると、やつは明るい茶色のふわふわした横髪をシャーペンに軽く巻き付けて遊んでいた。
「うわ~」
髪の長い女子はみんな髪をいじくるのが好きなのだろうか……。あるいはただぶりっ子ぶっているだけなのか……。的場はツンとした表情でシャーペンをクルクル回していた。
「百合ちゃん。最近はどお~? ドキドキしちゃってる~?」
「えっ、あ、あははは……。まあまあかな」
ぐつぐつと音を立てる鍋をお玉でかき混ぜながら、私は言った。真妃はにっこりしながら私の隣でアスパラガスのベーコンの巻きを炒めていた。
「も~、まあまあだって~。うふふふふっ、百合ちゃん恥ずかしいの~」
「えっ、何よ、別にそんなわけじゃ……」
真妃は、素直に応援してくれているのかそれともただネタにして楽しんでいるのか知らないけど、私の舟渡との恋愛に対しては相変わらず前向きでいてくれるようだった。まだ彼女にはあのことを言っていない。そしてクラスメイトではないのでおそらくは知る由もなかった。
どうしよう……真妃は喜んでくれてるみたいだし……
舟渡はすでに強力な彼女持ちで、彼への恋愛感情は失恋に終わってしまう可能性があることを、私はなかなか切り出すことはできなかった。
「真妃! 百合絵! 火! 止めてっ!」
「ああっ!」
部長の一声で我に返った。目の前の鍋がものすごい量の煙を吐き出し、ボコボコと激しく音を立てていた。私は慌ててコンロの火を止めた。一安心した私だったが、まだ何かがおかしい……。何だか焦げ臭い……。
「きゃぁっ!」
真妃の叫び声が聞こえた。
「もー、真妃ちゃん気を付けてよー」部長の声が響いた。
「はーい。ごめんなさーい」
「あっ……」一目見た私はすぐに状況を理解した。真妃はまたドジっ子ぷりを発動してしまったようだった。
この日もやっぱり、舟渡は彼女と行動を共にしていた。
「ねえねえ~、さっきの指数関数の問題、ちょー難しかったんだけど~」
「ああー、あれかー。それならあとで教えてあげようか?」
「きゃ~っ! ありがと~、啓ちゃん」
かわい子ぶって舟渡に絡みつく的場を見て、やっぱり私は唖然としていた。
「げっ……、啓ちゃんだって……。あいつ、キモッ!」イチャつく二人をまじまじととらえていた視界が突然遮られた。
「こらっ、見すぎだ」琴乃は私の目を手で遮ってきっぱりと言った。
ちらっ。琴乃に注意される心配のない授業中。今回も見てしまった。やつはまたふわふわした髪をシャーペンに巻き付けていじくっている。
「うわ~、またやってるよ。何が楽しいんだか……」そう思っていた矢先、髪をいじくる的場の視線が、ちらっとこちらへと飛んだ。
「やばっ!」
ほとんど反射的に前を向きなおした。
やばいやばい……。あんなやつに目をつけられたらいろんな意味でおしまいだわ……
そう思っていたけれど、やっぱり自分の気持ちに変わりはなかった。舟渡へのほのかな思いとドキドキする感覚だけは相変わらず続いていた。
昼休み、私と琴乃はいつものように向かい合わせになりお弁当を食べていた。
「う~ん……」ウィンナーとふりかけご飯を口に頬張って、私はまた琴乃ではない人たちを見ていた。
「ちょっと百合絵」琴乃の声がした。
「また見てんのかよー」
慌てて琴乃の方を見た私はまた注意された。私の視線は、教室の隅で仲良く昼食を食べている舟渡と的場の方へまた飛んでしまっていた。
「わあっ、かわいいなー」
「でしょでしょー。これねー、海苔と鳥そぼろと玉子焼きで作ったのー、可愛いでしょー」
「うん、やっぱ萌花っていいセンスしてんなー」
「きゃはっ! ありがとー」
何なのよ! あんなお弁当、私だって作れるわよ!
不機嫌になって強がっていたけれど、二人向かい合ってお弁当を食べる姿を見るにつれ、だんだんとうらやましく感じてしまうのであった。
「ダメッ! 何考えてるのよ私!」
そう自分に言い聞かせた私だったが、私の胸は相変わらずドキドキしていた。
あっ! 見つかっちゃう!
心の内をまた琴乃に見透かされてしまう。そう感じた私はとっさに琴乃の方を見た。琴乃は無言で平常心のようだった。
安心した私だったが、何かに気づいた。
「というか……、琴姉もフツーに見てるじゃない!」
「えっ、あいつらのことかー? 別に見てないぞー」
「嘘だ~! 思いっきり視線飛んでたわよ」
「ホントだよー。後ろの黒板の掲示物を見てただけだぞー」琴乃は私の方を見て言い返した。
会話を再開した琴乃を横目に、私はまたやつらの方を見ようとした。その瞬間、目が合ってしまった。向こうも私たちの方を見ていたようである。
やばいっ!
危機感を感じた私はサッと目をそらした。
「も~、舟渡のやつ。なんで私のことばっか見てくんのよ~」そう思いながら琴乃の方へ視線を戻したが、やっぱり後ろの方を見ていた。
「いいなー……」
あっ! やっぱ見てんじゃ~ん。そう注意しようとした私だったが、ふと聞こえたつぶやきで言うにも言えなくなってしまった。
「はいはい、これ! ここにあるの長ーいのがアンデス山脈ですっ! クリームじゃないよー、アン! ですよー。このアンデス山脈はー、なんと北と中央と南にわかれてまーす!」
昼休み後の五時間目、私はいつも以上にドキドキしていた。
「しまった! 今日は地理教室の授業だった!」
これまでとは別のプレッシャーに襲われながら、ドキドキしきっていた私は、舟渡の視線の脅威と闘っていた。テレビのお笑い芸人のような口調の先生に、クラスからは時折笑い声があふれているけど、少なくとも私はそれどころではなかった。
どうしよう……。舟渡はこっち見てくるし……、その近くにはやつもいるし……。
席配置が最悪だった。私の右斜め後ろに舟渡の席があり、そのさらに一列後ろの右斜めの位置に的場の席があった。舟渡と的場の席は互いに相手を触れる程度の距離、案の定、的場は授業中も舟渡に触ったり話しかけたりしているようだった。これまで琴乃から舟渡に対する恋心を隠し通していた時からこの席配置だったけれど、その時と今とではまるで事情が違っていた。あの時は的場のことも舟渡との関係も知らなかったので、舟渡の周囲に誰が座っているかなんてまったく眼中になかった。しかし今では……。私の後方に迫る脅威は増殖してしまっていた。
突然私は例の気配を感じ、ドキドキしながら後ろを見た。
思った通り……。
今回もまた、舟渡と目が合ってしまった。
何見てるの! あんたの彼女は的場でしょ!
ドキドキする気持ちを抑えながら、こちらをぼっと見ている舟渡に向かって心の中で叫んだ。しかしそんな思いが伝わるはずもなかった。やっぱり舟渡はこちらを見つめ続けている。
だから、やめてってば! あんたの彼女は的場でしょ!
火照った私は必死になって、舟渡と的場の席へ交互に視線を送りながら心の中でそう叫んだ。
「お~い、そこの西谷さ~ん。私の話、聞いてますか~?」
突然の先生の声で我に返った。私はすぐに視線を前へ戻しうつむいた。
「クスクスッ……」クラスからささやき声が聞こえる。
「あ……、終わった……」恥ずかしさよりも絶望感の方が大きかった。火照り切った私は、肩をすぼめて小さくなってしまった。
地理の授業が終わった。が、私はまだ地理教室の机に突っ伏していた。
「おい、行くぞ」
琴乃の声だ。ぐったりした私は顔を上げられないでいた。
「おい、起きろ! 早く行くぞ!」そう言われながら私は肩をゆすられていた。
「わぁ~っ! ど、どうしよう~!」
私は泣きながら琴乃に飛びついた。
「な、何だよいったい?」
「あいつがぁ~! あいつがぁぁっ~!」
「何だよ~? あいつってどっちのあいつだよ~」
困り果てた琴乃の声がしたかと思うと突然、甘ったるい声が聞こえた。
「あら~っ、西谷さん。授業中はきちんと先生の話聞かなきゃダメでしょ~」
あいつが来てしまった。やつだ。恐れていたことがとうとう現実となってしまったのか。私はなお一層ドキドキしていた。
「なっ、的場……」突然の的場の声掛けに琴乃も驚いている。
「な、何だよ急に、なんか用かよ」やや語気を強めて琴乃は訊いた。
「いいえ……。何もないわよ~」的場はにこにこしながら、偉そうな顔つきでやっぱりふわふわしている髪をいじくっていた。
「じゃあね~」そう言うと、的場は軽く手を振ってそっぽを向いた。それに合わせて彼女のカバンにてんこ盛りにつけられたボンボンやお守りのようなアクセサリーもジャラジャラと一緒に揺れ動いた。
「あ……」
「百合絵……、これはちょっとまずいことになってしまったかもなー」
立ち去る的場の後ろ姿を見て呆然とする私に、琴乃はささやいた。
「あ……、眠い……」
昨日の私は精神的なダメージを強く受けてしまった。RPGで言うなら、ラスボスに木っ端みじんに叩き潰されライフポイントが残り一ポイントになったところを別の敵にとどめを刺されたような感じだ。その結果、昨日の私はまともに睡眠をとることができなかったのである。いや、それとも満身創痍の状態のために寝ても寝ても疲れが取れなくなってしまったのだろうか。とにかくひどく疲れを感じていた私は、ため息をつきながらいつもの席に座った。
「はああ……」
目の前には私をズタボロにした張本人、寒川琴乃がいつものように座っていた。
「おっ、おはよー、元気かー?」
「何が元気かーよ、見ればわかるでしょー」ぼっとしながら頭を上げ、不機嫌な私はそう返した。
琴乃をぼうっと見ていた。私は不機嫌だったけど、琴乃はいたって無表情でこちらを見ていたが、突然、目をそらした。
「まっ、昨日のことはゆっくり考えるんだな。私は私で楽しませてもらうことにするよ」そう言うと例の手帳を取り出しメモを取り始めた。
「ちょっとー! 何メモってんのよー!」
「百合絵の恋愛は蜜の味ー」
その言葉に私は呆れかえってしまったが、隠し事はできないし、勉強でも勝てないし、琴乃に対するアドバンテージはもはや何一つ残っていないと感じた私はもう何も言い返せなかった。
「んっ? あ、いたぞー」突然、琴乃が言った。
「百合絵、あいつが的場萌花だ」
「えっ!」
ガンを飛ばす琴乃の先を見るとそこには見慣れた舟渡と、その隣で彼の制服の袖をちょこんとつかみながら髪をふわふわさせながら歩く女子がいた。
「うわーっ! あいつかよ……。しかも胸でかっ……」
彼女は私のクラスメイトなのでどこかで見たり関わったりしたことがあるはずなのだけど……、常日頃琴乃以外のクラスメイトとはほとんど交流がなく、かつ顔覚えの悪い私にとっては初めて出会う人にしか見えなかった。
「……それでねっ、昨日の帰りにねっ、とうとう買っちゃった~」
「えっ、なになに、何買ったんだ?」
「うふふふっ……、タピオカ」
「なっ! 何あいつら! めちゃくちゃ楽しそうじゃん」私は的場とかいう女子のイチャイチャぶりと豊胸ぶりに驚くあまり唖然としてしまった。
「琴姉、あいつらいつもあんななの?」
「そうだよ」
「夏休み始まる前から?」
「うん」
「ああ……これはヤバイ。もう完璧夏休み中に関係築いてるわ……」
自分のスカスカな胸に手を当てながらもう勝ち目はないと悟った私だったが、やっぱりまだドキドキの発作は続いてしまっているようだった。
「OK.So…… Look at Paragraph No.11……. Oneday.Some passenger went to the station that new railway……」
この日もやっぱり、授業中にもかかわらずドキドキが続いていた。ドキドキの原因が琴乃にバレてしまったということもあって、私の授業態度は以前のだらけた状態へと逆戻りしてしまっていた。一応ノートは開いていたけど、筆記用具もろくに持たないし、今日の私はうわの空だった。
……はっ、やつらは⁉
しかし、ただうわのの空だったわけではなかった。今の私はやつのことだけではなく、「もう一人」のやつのことも気になって仕方がなかった。ちらっと斜め後ろを見ると、やつは明るい茶色のふわふわした横髪をシャーペンに軽く巻き付けて遊んでいた。
「うわ~」
髪の長い女子はみんな髪をいじくるのが好きなのだろうか……。あるいはただぶりっ子ぶっているだけなのか……。的場はツンとした表情でシャーペンをクルクル回していた。
「百合ちゃん。最近はどお~? ドキドキしちゃってる~?」
「えっ、あ、あははは……。まあまあかな」
ぐつぐつと音を立てる鍋をお玉でかき混ぜながら、私は言った。真妃はにっこりしながら私の隣でアスパラガスのベーコンの巻きを炒めていた。
「も~、まあまあだって~。うふふふふっ、百合ちゃん恥ずかしいの~」
「えっ、何よ、別にそんなわけじゃ……」
真妃は、素直に応援してくれているのかそれともただネタにして楽しんでいるのか知らないけど、私の舟渡との恋愛に対しては相変わらず前向きでいてくれるようだった。まだ彼女にはあのことを言っていない。そしてクラスメイトではないのでおそらくは知る由もなかった。
どうしよう……真妃は喜んでくれてるみたいだし……
舟渡はすでに強力な彼女持ちで、彼への恋愛感情は失恋に終わってしまう可能性があることを、私はなかなか切り出すことはできなかった。
「真妃! 百合絵! 火! 止めてっ!」
「ああっ!」
部長の一声で我に返った。目の前の鍋がものすごい量の煙を吐き出し、ボコボコと激しく音を立てていた。私は慌ててコンロの火を止めた。一安心した私だったが、まだ何かがおかしい……。何だか焦げ臭い……。
「きゃぁっ!」
真妃の叫び声が聞こえた。
「もー、真妃ちゃん気を付けてよー」部長の声が響いた。
「はーい。ごめんなさーい」
「あっ……」一目見た私はすぐに状況を理解した。真妃はまたドジっ子ぷりを発動してしまったようだった。
この日もやっぱり、舟渡は彼女と行動を共にしていた。
「ねえねえ~、さっきの指数関数の問題、ちょー難しかったんだけど~」
「ああー、あれかー。それならあとで教えてあげようか?」
「きゃ~っ! ありがと~、啓ちゃん」
かわい子ぶって舟渡に絡みつく的場を見て、やっぱり私は唖然としていた。
「げっ……、啓ちゃんだって……。あいつ、キモッ!」イチャつく二人をまじまじととらえていた視界が突然遮られた。
「こらっ、見すぎだ」琴乃は私の目を手で遮ってきっぱりと言った。
ちらっ。琴乃に注意される心配のない授業中。今回も見てしまった。やつはまたふわふわした髪をシャーペンに巻き付けていじくっている。
「うわ~、またやってるよ。何が楽しいんだか……」そう思っていた矢先、髪をいじくる的場の視線が、ちらっとこちらへと飛んだ。
「やばっ!」
ほとんど反射的に前を向きなおした。
やばいやばい……。あんなやつに目をつけられたらいろんな意味でおしまいだわ……
そう思っていたけれど、やっぱり自分の気持ちに変わりはなかった。舟渡へのほのかな思いとドキドキする感覚だけは相変わらず続いていた。
昼休み、私と琴乃はいつものように向かい合わせになりお弁当を食べていた。
「う~ん……」ウィンナーとふりかけご飯を口に頬張って、私はまた琴乃ではない人たちを見ていた。
「ちょっと百合絵」琴乃の声がした。
「また見てんのかよー」
慌てて琴乃の方を見た私はまた注意された。私の視線は、教室の隅で仲良く昼食を食べている舟渡と的場の方へまた飛んでしまっていた。
「わあっ、かわいいなー」
「でしょでしょー。これねー、海苔と鳥そぼろと玉子焼きで作ったのー、可愛いでしょー」
「うん、やっぱ萌花っていいセンスしてんなー」
「きゃはっ! ありがとー」
何なのよ! あんなお弁当、私だって作れるわよ!
不機嫌になって強がっていたけれど、二人向かい合ってお弁当を食べる姿を見るにつれ、だんだんとうらやましく感じてしまうのであった。
「ダメッ! 何考えてるのよ私!」
そう自分に言い聞かせた私だったが、私の胸は相変わらずドキドキしていた。
あっ! 見つかっちゃう!
心の内をまた琴乃に見透かされてしまう。そう感じた私はとっさに琴乃の方を見た。琴乃は無言で平常心のようだった。
安心した私だったが、何かに気づいた。
「というか……、琴姉もフツーに見てるじゃない!」
「えっ、あいつらのことかー? 別に見てないぞー」
「嘘だ~! 思いっきり視線飛んでたわよ」
「ホントだよー。後ろの黒板の掲示物を見てただけだぞー」琴乃は私の方を見て言い返した。
会話を再開した琴乃を横目に、私はまたやつらの方を見ようとした。その瞬間、目が合ってしまった。向こうも私たちの方を見ていたようである。
やばいっ!
危機感を感じた私はサッと目をそらした。
「も~、舟渡のやつ。なんで私のことばっか見てくんのよ~」そう思いながら琴乃の方へ視線を戻したが、やっぱり後ろの方を見ていた。
「いいなー……」
あっ! やっぱ見てんじゃ~ん。そう注意しようとした私だったが、ふと聞こえたつぶやきで言うにも言えなくなってしまった。
「はいはい、これ! ここにあるの長ーいのがアンデス山脈ですっ! クリームじゃないよー、アン! ですよー。このアンデス山脈はー、なんと北と中央と南にわかれてまーす!」
昼休み後の五時間目、私はいつも以上にドキドキしていた。
「しまった! 今日は地理教室の授業だった!」
これまでとは別のプレッシャーに襲われながら、ドキドキしきっていた私は、舟渡の視線の脅威と闘っていた。テレビのお笑い芸人のような口調の先生に、クラスからは時折笑い声があふれているけど、少なくとも私はそれどころではなかった。
どうしよう……。舟渡はこっち見てくるし……、その近くにはやつもいるし……。
席配置が最悪だった。私の右斜め後ろに舟渡の席があり、そのさらに一列後ろの右斜めの位置に的場の席があった。舟渡と的場の席は互いに相手を触れる程度の距離、案の定、的場は授業中も舟渡に触ったり話しかけたりしているようだった。これまで琴乃から舟渡に対する恋心を隠し通していた時からこの席配置だったけれど、その時と今とではまるで事情が違っていた。あの時は的場のことも舟渡との関係も知らなかったので、舟渡の周囲に誰が座っているかなんてまったく眼中になかった。しかし今では……。私の後方に迫る脅威は増殖してしまっていた。
突然私は例の気配を感じ、ドキドキしながら後ろを見た。
思った通り……。
今回もまた、舟渡と目が合ってしまった。
何見てるの! あんたの彼女は的場でしょ!
ドキドキする気持ちを抑えながら、こちらをぼっと見ている舟渡に向かって心の中で叫んだ。しかしそんな思いが伝わるはずもなかった。やっぱり舟渡はこちらを見つめ続けている。
だから、やめてってば! あんたの彼女は的場でしょ!
火照った私は必死になって、舟渡と的場の席へ交互に視線を送りながら心の中でそう叫んだ。
「お~い、そこの西谷さ~ん。私の話、聞いてますか~?」
突然の先生の声で我に返った。私はすぐに視線を前へ戻しうつむいた。
「クスクスッ……」クラスからささやき声が聞こえる。
「あ……、終わった……」恥ずかしさよりも絶望感の方が大きかった。火照り切った私は、肩をすぼめて小さくなってしまった。
地理の授業が終わった。が、私はまだ地理教室の机に突っ伏していた。
「おい、行くぞ」
琴乃の声だ。ぐったりした私は顔を上げられないでいた。
「おい、起きろ! 早く行くぞ!」そう言われながら私は肩をゆすられていた。
「わぁ~っ! ど、どうしよう~!」
私は泣きながら琴乃に飛びついた。
「な、何だよいったい?」
「あいつがぁ~! あいつがぁぁっ~!」
「何だよ~? あいつってどっちのあいつだよ~」
困り果てた琴乃の声がしたかと思うと突然、甘ったるい声が聞こえた。
「あら~っ、西谷さん。授業中はきちんと先生の話聞かなきゃダメでしょ~」
あいつが来てしまった。やつだ。恐れていたことがとうとう現実となってしまったのか。私はなお一層ドキドキしていた。
「なっ、的場……」突然の的場の声掛けに琴乃も驚いている。
「な、何だよ急に、なんか用かよ」やや語気を強めて琴乃は訊いた。
「いいえ……。何もないわよ~」的場はにこにこしながら、偉そうな顔つきでやっぱりふわふわしている髪をいじくっていた。
「じゃあね~」そう言うと、的場は軽く手を振ってそっぽを向いた。それに合わせて彼女のカバンにてんこ盛りにつけられたボンボンやお守りのようなアクセサリーもジャラジャラと一緒に揺れ動いた。
「あ……」
「百合絵……、これはちょっとまずいことになってしまったかもなー」
立ち去る的場の後ろ姿を見て呆然とする私に、琴乃はささやいた。
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