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六章 琴姉

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 キーンコーンカーンコーン。

 あー、やっと終わった。
 ようやく今日も折り返し地点に到達した。チャイムの音とともに教室はいつもの昼休みの賑わいを取り戻していった。

「よっ。隣いいか?」
「いいんじゃない、生田どっか行っちゃったし。」
「そっか。じゃっ、何賭けよっか?」
「う~ん、昨日は負けちゃったからな~。悪いけど今日はおかず一品で」
「まっ、いいか。いつも結果的にジュースおごってもらってることになっちゃってるからなー、今日は大目に見てやるか」
「あっ、それ、遠回しに賭け事弱いって言ってるんでしょ?」
「いや、別に。じゃあいつもみたいに缶ジュースにする? 今日は連勝記録更新できる自信あるけど?」
「け、結構です……」

 昼休みはお楽しみの時間。今日も私は隣の席の琴乃と一緒にお弁当の中身の当てっこゲームを楽しんでいた。まあ、楽しんではいたものの、ちゃっかり缶ジュースやおかずの一品などを賭けての勝負ということもあり、ほのかな緊張感も味わっていた。

「じゃあ、ヒント一。中華系で蒸し器で作るおかずだよ」
「ん? 何だよそれ。一気にめちゃくちゃ絞られるじゃねえか。あっ……、つーか分かっちまったわ。シュウマイだろ?」
「えっ……、なんで……」
「えっ……だって蒸し器で作る中華系のおかずって小籠包かシュウマイくらいしかなくね? 肉まんとかは弁当箱に入れないだろ、普通? ほら、中身見せろよ」
「ううっ……」

 しょんぼり落ち込みながら上蓋を持ち上げる。むなしくも中からはかわいらしいエビシュウマイたちがひょっこりと顔をだしていた。

「ふっ。……じゃあ次、こちらの番だ。悪いが、今日のはクソ難しいからな」
「ううっ……勝てる気がしない」

 今日もおそらく負けてしまう。そう悟ってすでに戦意喪失状態の私は無意識にぼうっとしてしまった。そのとき不意に、先日の記憶が蘇ってくるのだった。

 あの日から二週間ほど経っていた。私が琴乃の酷い態度に激怒し絶交してしまった日。その日を境に私は本当にクラスでボッチになってしまった。話しかけてくるのはあの嫌らしい辰巳たちばかり。ボッチ一日目にしてすでに嫌気を感じてしまっていた私はどうにかして琴乃と仲直りしたいと思っていた。しかし、そんなことはとても言えるはずもなかった。こちらにも少しだけプライドがあったのだ。理想は琴乃の方から謝罪してきてそれを機に仲直りをするという流れだったけど、まあそんな都合のよいことなど起こるはずもない。私は諦め半分でボッチの日々を過ごしていた。
 そしてちょうどこのころ私の学校では体育祭が開催された。なんかこういうイベントをきっかけに流れが変わってくれないかなと思ってはいたもののそんなバカなことが起こるはずもなかった。特に何か特別なことが起こるわけもなく、例年同様自分の運動音痴を全校生徒にさらけ出すだけの苦痛な時間となってしまい、結局は普段通り、大半が一人ぼっちで過ごす時間となってしまったのだった。そして誰かに話しかけられたことといえば……、のろま、とか、運動もダメとか人として終わってるわね、とかいう早矢香や辰巳たちからの非難罵声くらいしかなかったのだった。
 だけど、それは突然だった。私の願いが通じたのかはわからないけど、何と体育祭が終わった次の日の昼休みに琴乃の方から謝罪の言葉をかけてきてくれたのである。当然、その瞬間私の心の中は歓喜に沸いていたけれども、本心を悟られるのが何だか恥ずかしかった私は、仕方ない素振りで仲直りしてあげることにしたのだった。

「あっさり系のコンソメ味で、野菜と肉の二種類の素材が組み合わさったおかずだ。どうだ、ムズいだろ? ヒント一は以上だからな、これで答えられなければ今日も私の勝ちってことで」
「んん~っ……。あ~っ! もういい! わかんない!」
「ははっ、ありがとさん。それじゃ、百合絵のシュウマイ一個もらうからな」
「ううっ……」

 琴乃の箸がひょいとこちらへ伸びる。そして、私のエビシュウマイちゃんを一つ誘拐してしまった。

「ちなみに答えは牛スジ肉のアスパラガス巻きな。普通はベーコン使うんだと思うんだけどな~。第二ヒントでアスパラガスって言ってひっかけてみようと思ってたんだけど、あーあ、つまんねえな~」
「もうっ! わかるわけないじゃないそんなの!」

 不満になりながら食べる昼ごはん。今日もほとんどまともに味を楽しむことなどできなかった。いつもいつも負けてばかり。なぜ私はこうも勝負ごとに弱いのだろうか。
 ぶつぶつと心の中で文句を言いながら、私の視線は無意識に隣の賑やかなお弁当の中身の方へ向けられていた。

「何だよその目? ……ったく、わかったよー、この小さいやつやるから、ほら。さすがに六連敗っていうのはかわいそうだからなー」
「わ~い、サンキューッ!」

 少しだけにぎやかになった目の前のお弁当の中身を見てたちまち上機嫌になってしまった。認めたくはないけど、やっぱり私は辰巳たちが言ってた通り食い意地だけは優秀なのかもしれない。エビシュウマイの優しい味わいを感じながらそんなことを思ってしまうのだった。

「あっ、あいつら、今日はいるのか?」
「あっ、そうみたいね。おーい!」
 中腰になって彼女たちに向かって大きく手を振る。もちろん、彼女もはにかみながら小さく手を振り返してくれている。隣の彼も自信満々に親指を立てた拳を突き出しながらニタニタ顔をしている。
 ウェーブがかかった金色のショートヘアーの女子と黒い短髪のヲタクっぽい男子のカップルは、今日も仲睦まじい様子で隣同士並びながらお弁当を広げていた。そう、彼女たちは私と琴乃の中で今一番の注目の的となっている超個性的カップル、真妃と秦野だ。

「いや~、今日もアツアツだこと~。それにしても真妃ちゃんやっぱすごいわ、あんな生粋の鉄道ヲタクだった秦野をあそこまでメロメロにしちゃうだなんて」
「ちっ……、まっ、一応実力はあるみたいだな」
「……あっ、ちょっと琴姉、なんで握りこぶし震えてるのよ? またブチッとか言わないでちょうだいよね」
「ああ……、それくらい、わかってるさ」
 バンッ!

 うわっ! 怖っ!
 机に拳骨を一発ぶちまけた琴乃を見て少しだけ身震いを感じた私は、慌てて彼女たちの方に視線をそらした。気づくとこげ茶色のセミロングに前髪をそろえた女子の姿も目に映った。

「あ~綾子も一緒か~。てことは秦野、ハーレムじゃん。うわっ、すごっ」

 真妃も綾子も私の家庭科部での友達。そんな彼女たちに囲まれて楽しそうに雑談に花を咲かせる秦野のことが異様にうらやましく思えてしまうのだった。私も彼女たちに交じれば解決することかもしれないけれど、真妃たちのせっかくの楽しい時間を邪魔してしまうのも気が引けるし、それにこちらには懸念材料――琴乃が一緒だった。琴乃を彼女たちに近づけると何をしでかすかわからない。うかうかと近づけることなど到底できなかったのだ。

「あーあ、いいな~」
 ふと、心の中のつぶやきが漏れてしまった。

「ん?」
「いや、真妃ちゃんたち。楽しそうだな~って思って」
「はぁ? 百合絵だって昔、的場と付き合っててめちゃくちゃラブラブだったじゃん」
「え~! ちょっと、何言ってるのよ。あの時はただ一緒に勉強教えてもらってただけ! 彼女ああ見えて結構勉強家なんだからね」
「ふぅ~ん」
「というか的場さんって女子でしょ。なんで女子の私が彼女と付き合わなくちゃいけないのよ。そんなことしちゃったら、まさしく百合になっちゃうじゃない。何だか知らないけど、ただでさえ隣のA組で百合の百合ちゃんとか変な噂広まっちゃってるんだから。」
「えっ? 百合の百合ちゃんって……ハハハッ! マジかよ、おまえ最高っ!」
「最高じゃなーい! もー、いい加減にしてよね! こっちは本当に困ってるんだから」
「ハハハっ、じゃあ頑張って女友達じゃなくて男友達を作るとこから始めるんだな」
「まあ……、そうね」

 琴乃の言う通り、確かに私には異性の友達などいなかった。強いてよく話す男子と言えば目線の先に映る秦野と隣の席の生田と、そしてC組の舟渡がいたけれども、皆『彼氏』というレベルには到底達しそうにない人たちだった。三人とも一年の時に同じクラスだったのだけど、秦野は相変わらずの鉄道ヲタクで正直気持ち悪いし、生田は塩対応で空気のような存在だし、舟渡はどこか懐かしい感じがするけれども顔がそれほどタイプではなかった。

「……あ~あ、彼氏ほしいな~」
 目の前のエビシュウマイとピラフを口に頬張りながら、幸せそうな時を過ごす真妃と秦野たちを遠巻きに眺めていた。
「んーそうだな、じゃあちょっと私もよさそうな方法考えてやるわ。百合絵好みの男子も、探せばきっとどこかにいるだろう」
 琴乃がそう言いかけたときだった。

「あら~っ、何他の人ジロジロ見てんのかしら?」
「うわっキモッ、変態じゃないの」

「……!」

 何度も聞いているあの嫌らしい声に私は我に返った。辺りを見回すも、気づいた時には声の主たち――辰巳と柳瀬の姿は遠く小さくなっていた。

「あいつら~っ」
「またか……。まーでも百合絵、おまえもううちらのクラスでは変態扱いされてるってことなのかもな~。だから生田にもスルーされてるんだろう。いくら興味ない女子の隣だからとはいえ、男子だったら普通はもっと優しく接してくると思うんだけど……。案外もう彼氏づくりは無理ゲーかもしれないな~」
「え~っ! 何よそれ~!」

 いったい、私を励ましたいのか悲しませたいのかどちらなのだろうか。絶妙な返しをしてくる琴乃に今日も惑わされていた。


「琴姉ー、帰ろーっ」
「おおっ」
 カバンを背負い、琴乃の席へ。やはり今日の放課後も、授業が終わったというのに問題集とノートを広げて机に向かっていた。

「早く~っ」
「わかった、わかった。……しかしあれだな、百合絵も変わっちゃったな~。昔は放課後も一生懸命教科書や問題集と格闘してたのに、もういいのか?」
「何よ、別にどうでもいいわよ。勉強なんて家でやればいいし。それに、大学なんてそこそこのとこは入れればどうでもいいし。そんな無理して受験勉強ばかりしたって人生後悔するだけよ」
「ふう~ん、そんなもんか……」
 無表情? いや、やや蔑むような顔つきでこちらへ視線を飛ばす琴乃を見て、少しだけイラっとしてしまった。そんなこと言う暇があったらさっさと目の前の大量の勉強道具を片付けてほしいのだけど。

「悪いな。さっ、帰るか」
 少しばかりめんどくさそうにそう言うと、深いため息とともにゆっくり席を立ちカバンの中に荷物をしまい始めてくれた。そして、机の上を片すと私のことを確認するや否やさっさと廊下に向かって歩きだした。

「ち、ちょっと待ってよ~っ」

 気づけばもう、夏がすぐそこまで迫っていた。ついこの間まで涼しい中で体育祭を終えたかと思えば、今はもうじめじめとした嫌な熱気に包まれながら学校までの長い道のりを行っては帰りる日々が続いていた。六時間目を終えた後の疲れ切った頃に目にする影はあのころよりも明らかに短く、冷房が効いているはずの教室の中でも空高くから照り付ける太陽の光と床からの熱をうっとうしいほどに感じるのだった。そして校舎から出たときにはもうたまらない。少し歩くだけでたちまち体が火照ってくるのを感じるほどだった。たまらず私はカバンから取り出した下敷でバサバサと全身をあおいでしまった。

「あ~、あつ~っ。琴姉よく平気だね~」
「まあ気象図とか見てある程度は調べてきてるからな。……けどちょっとここまでだとは思わなかったわ」
 やはり私と違って下準備はそれなりにできているようで。琴乃は今日もいつものように灰色のベストを着ているけれど、今日のは少しばかり通気性のよいもののようでそれほど暑わけではないようだ。それにしても普段あれだけ勉強していて、その上気象図なんて見ているなんて、彼女はいったいどんな生活を送っているのだろうか。
「それはそうと百合絵、おまえ最近授業中もきちんと起きてられんじゃねーか、もう眠たくなのか?」
「まあね。というか何よそれ? いかにも授業中寝てるのが当たり前みたいな言い方、そんなことないわよ!」
 琴乃の突然の言葉に不機嫌になる私。確かに少し前は異様に眠気を感じた日もあったけれど、そこまで寝てばかりいたわけではなかったと思うのだけど。

「ふう~ん、それはよかった。じゃ、その調子でこれからも頑張るんだな」
「言われなくてもわかってるわよそんなこと! ……あ~! んも~!」

 不機嫌になればなるほど体の芯が燃え上がるのを感じる。外と中からの熱を冷ますために風を求める身体を感じ、たまらず下敷きを扇ぐ手が早くなる。すました顔の琴乃を横に、私は一人、下敷きをバサバサさせながら必死になっていた。

 ピンポーン、バタンッ。プシュン……。

 最寄り駅までの苦行を何とかやり過ごし、私たちはやっとのことでとろけるような暑さから逃れることができた。あいにく座ることは叶わなかったけれど、冷房がガンガンに効いた電車の中でつかの間の休憩をとることにした。

「ところでさー、今日もやっぱ横浜?」
「ああ。というか毎日だけどな」
「ふ~ん」
 思っていた通り、やはり今日も途中の横浜駅でのお別れとなってしまう。琴乃は難関校の合格を目指して横浜にある予備校に通っているのは知っていたけれど、どうやら毎日らしい。つまり彼女は日曜日以外のほぼ毎日、学校での六時間もの苦行に加え予備校での苦行に何時間も耐えているということになるのだ。考えれば考えるほど恐ろしい。私だったらおそらく一ヶ月も体がもたないだろう。

 感心しっぱなしの私は冗談交じりで口を開いた。
「よくそんな何時間も勉強なんてできるわね、逆に頭おかしくなっちゃうんじゃないの?」
「ははっ、別にたいしたことないさ。ただ未知の問題の探究を嗜んでるってだけだ。まっ、受験のためってのも少しはあるけどな」
「はあ……」
 未知の問題の探求に快楽とか、私にはとても理解不能なことを口にする琴乃を見てやはり根本的に頭の作りが違うのだということをしみじみ感じざるを得なくなるのであった。そしてそう考えれば考えるほど、こんなに高等な頭脳の持ち主である琴乃と私のような勉強嫌いのバカがこうして何年も同じ学校に通って親友を続けていることを改めてすごいと感じるのであった。

「でも、やっぱあれなんでしょ……、第一志望?」
「ああ。悪いが、そこだけはいくら百合絵のためだとは言え、譲る気はないからな」
「そっか……、まあそうだよね」

 けれどもそれももうすぐおしまい。やはり琴乃の気は変わってなどいなかった。今日も彼女は東京工業大学という理系最難関の国立大学への入学を目指して勉学に励んでいるようだ。当然それは、私なんかにはどうあがいたって届くことのない目標だった。それ以前に大学受験全体の中でも教科数が多く大変と言われている国立大学の合格でさえ今の私にとっては到底及ぶはずのないものなのだから。

 なぜだか知らないけど、返す言葉がなくなってしまった。無言のままの私に琴乃が問いかけた。

「まっ、基本私は狙った獲物は逃がさない性分なんで。邪魔者を殺してでもな……。残念だけど、百合絵とは今年でお別れってことになってしまうかもな。まっ、別に百合絵が東工大に合格してくれれば万事解決ってわけなんだけどな」
「む……無理です。たぶんその前に死んじゃいます」
「ははっ、だろうなー。まっ、でも別に今の時代SNSとかチャットとかなんでもあるし、別に家も近所で引っ越しするわけじゃないんだからそんな深く考えるなよなー」

 冗談を言っているかのように目の前の琴乃はニコニコしていたけれども、私は到底そんな気分にはなれなかった。これまで何年も続いてきた琴乃との日常がとうとう終わりを迎え、来年の春からは長年恐れていた学校でのボッチ生活が始まってしまうという現実を突き詰められ、むなしさとほのかな悲しさに苛まれてしまうのだった。
 そして気づけば、またもや無言になってしまっていた。

 隣の琴乃も何も話さない、私たちは終始無言のまま途中の自由ヶ丘で乗り換え横浜へ向かう電車に揺られていた。窓の外に広がる多摩川は夕日に照らされキラキラと輝いていた。ふと隣に目をやると、琴乃も何やら遠くの方を見ているようだった。単語帳を見ているわけでも、イヤホンをつけて音楽を聴いているわけでも、スマートフォンをいじっているわけでもなかった。ただ遠くを見つめて何かを考えているような横顔。輪郭を際立たせる日差しのせいなのだろうか、どことなくそれは、少しばかり哀愁を感じさせるような表情にも見えるのだった。

「……!」
 
 少しだけこちらの方に視線をそらしたのを感じ、慌ててつり革をつかむ腕で自分の視線を隠した。また何か察せられて余計なことを言われてしまうかもしれない。そう考えた私は何事もなかったかのように再び窓の外へ視線を飛ばした。

 まーどうせまた勉強のことか何か考えてるのでしょう。いつものことじゃないか。仕方ない、邪魔しないでおくか。

 あまり深く考えすぎてしまうのは自分のためにも琴乃のためにもよくない。そう自分に言い聞かせて納得した私は、横浜駅に着くまで静かに見守ってあげることにした。 
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