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二十一章 最寄りの路線

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 その日の帰り、何とか泣き止んだ私はまだ悩んでいた。
「西谷、何でもないわけないだろ、何なんだよいったい?」
「……う、ううん」
「はぁ~……西谷~……」
 私はまだあのことを啓介に話す決心がついていなかった。
 私たちの恋愛にお守りと直通運転が関係しているなんて、そんなこと言ったところで信じてくれるわけない。それに……、そんなこと知っちゃったら……、啓介だって悲しむにきまってる!
 考えれば考えるほど、私は口を固く閉ざした。
 ダメ! 絶対ダメ! あんなバカみたいなことなんて……絶対言えない!
「西谷……もしかして俺のこと……嫌いか……?」
「えっ!」突然の言葉に私は動揺を隠せなかった。閉ざしていた口は一気に開いた。
「ち、違うよ! そんなわけないじゃん! 何でそんなこと!」
「はー……、じゃあ何で教えてくれないんだよ……」
「えっ……教えてくれないって……、だから、何もないって……」
「そんなわけないだろ! 俺にごめんねって言ってあんなに泣いてたじゃねーか!」
「わっ!」突然の罵声に私は縮こまった。これまでの啓介からは想像できないような強く鋭い声が私を突き刺した。
「ごめん……俺……、心配なんだよ……西谷のこと……」
「えっ……」
「おまえがあんなに泣いてんの初めて見たから……」
「……」
 啓介……、ごめん……。
 まさか彼がそんな風に思ってくれているとは思わなかった。私の心配してくれるなんて……。でももう、これ以上隠し通すのは限界みたいだ。もう彼に余計な心配をかけさせるわけにはいかなかった。それに、これ以上隠し通したところで、結局は作られた偽物の恋愛である可能性については変わらない。しかも啓介にいたってはそのことを一生知らないまま私と付き合うことになってしまう。本当にそれが啓介のためにもなるのだろうか。
「ふ……舟渡くん……。あの……」
「ん?」
「あ……、あの……、驚かないで……信じてくれる?」
「えっ……?」
 意を決した私は、例のあのことについて、重い口を開いて打ち明けることにした。

 ――私はとうとう話してしまった。琴乃が初めて私に口にした、お守りが私たちの恋愛感情に影響を与えている可能性のことから、結局はお守りだけではなく、恋愛感情を抱く人それぞれの家の最寄りの路線が直通運転していることも関係しているという結論に至った経緯まで、彼女が調べあげたことすべてを啓介に話した。私自身、途中で悲しさに心をつぶされそうになったけど、それでも何とかすべてを話し切った。

「お守りと直通運転……。そんなことが……」
「うん……」
「……そうか……」
「……」

 やっぱり啓介も信じられないようだった。それもそのはずだ。お守りと直通運転が恋愛感情に影響しているなんて、誰が信じられるだろうか。思わず私は再び口を開いた。
「舟渡くん、やっぱりそうでしょ。そんなバカみたいなこと信じられないでしょ。私だってそんなこと信じられないし信じたくないわよ! ……でももし、今言ったことが本当だったら……、本当にこのお守りと……、あと、去年の冬に始まった相鉄線と埼京線の直通運転が関係しているのなら……、私たちの恋愛って……、私たちのこれまでの関係って……、いったい何だったんだろう……」
「……」
「もちろん舟渡くんと一緒にいられて楽しかったよ。いろんなお店行ったり、一緒にご飯食べたり、私が知らないようなことまでいろいろ教えてくれたり……。でも……、結局はそれもこれも、みんなこのお守りとその直通運転によって作られたまやかしってことなの……? 舟渡くんのことが好きになった気持ちも、一緒に過ごした幸せな時間も、結局はすべて作られた偽物ってことなの……? 何でそんなこと……ほんともうわけわかんない!」
 話ながら何を言っているのか自分でもわからなくなってしまう感覚と何か熱くなる感覚に苛まれた。気づいたころには、自分の視界はまたにじんでしまっていた。頭をもたげ、手で視界を遮った。掌が湿ってくるのを感じた。私はまた何も話すことができなくなってしまった。
 彼も何も話さなかった。真っ暗な視界の中、体が火照るのだけを感じながら私はとうとうその場で立ち止まってしまった。

「西谷……、ありがとう」

「……えっ」途端に彼の方を見た。
「西谷……。俺も、おまえと二人きりになれて本当によかった。実は初めは俺も、おまえのこと見てものすごくドキドキしてたんだ。何で西谷なんか見てドキドキするんだろうって……。でもそのおかげで俺は西谷のいろいろな一面を知ることができた。泣いたり笑ったり、そして怒ったり……、感情豊かな西谷。地味だとか言いながらも本当はおしゃれしたい西谷。友達思いの優しい西谷。そして……、俺のことを一途に好きになってくれた西谷。……こんなにたくさんの西谷を見ることができるなんて……、俺は本当に幸せ者だ」
 彼の突然の発言に混乱してしまった。何を話していいかわからない。けどやっぱりものすごく熱くなつてしまうのだった。
「ふ……舟渡くん……」
「ああ……ごめん……。だから……、だから西谷も、もう作り物とか偽物とかなんて言わないでくれよな」
 そう言って彼は私の手を握った。沈みかけの夕日がまぶしくて彼がどんな表情なのかはよくわからなかったけれど、気のせいか笑っているように見えた。
「舟渡くん……、あの……」
「ああ……。別に、お守りと直通運転によって結ばれた恋愛っていうのもありなんじゃないか」
「えっ、……はっ!」
「ははっ、ドキドキしちゃって。その気持ちが本当なら、何で結ばれたかなんて俺は関係ないと思うけどな」
「……」
 手にぬくもりを感じる。気づけば私と啓介は手をしっかりとつないでいた。
「舟渡くん……」相変わらず複雑な気持ちのままだったけれど、次第に心の中のモヤモヤが晴れていくような気がした。
「舟渡くん……」
「西谷、これからもこのお守り、ずっと大事に持っておこうな」
「……う、うん」
 あの赤いお守りを手にして、啓介はニッコリとした。私は気持ちの整理ができないままだったけど、そう言い返した。

 気づけばそこは学校までの駅の道の途中だった。私はこんなところで立ち止まってしまったようだった。夕日が沈み暗くなり始めた道を、私たちは再び駅に向けて歩き出した。電車に乗って途中の乗り換え駅で啓介と別れた後、私は一人、掌に乗せた赤いものを見つめていた。だけどそこにはもうあの時のような迷いはなかった。

 私はこの大切な架け橋を、これからもなくしたりしないように大事にしなくてはならない。私自身のためにも。そして、啓介のためにも。
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