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第2章 交易都市トナミカ

『災害』の後

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帰ってきた港には、負傷者が所狭しと横たえられていた。

「⋯⋯酷い」

 僕の横に立つイスカが惨状に口元を押さえた。
 うっすらと明けようとする夜空が、海上に漂う白い靄を浮かび上がらせた。
 神秘的な風景とは真逆の光景が眼前では繰り広げられていた。

「ガーゼを持ってこい!!血が止まらない」
「そいつはもうだめだ!他の奴に資材を使え!!」
「担架とベッドが足りない!町中の病院と診療所からかき集めろ!」
「回復術士の方はいますか!早く来てください!!」

 トナミカギルドの前には簡易テントが設営され、広場にはベッドや担架が並べられている。
 ざっと100台以上のベッドが準備されているが、それでも数は足りずに軽傷者達は地面に敷かれた毛布の上で傷を庇うように横たわっていた。

「ん。臭いがすごい」

 僕の服に鼻を押し付けながらフーシェが顔をしかめた。
 僕たちが引き起こした水蒸気爆発は、クラーケンを討伐することに成功はしたが、その時の衝撃の余波は高波を起こし、トナミカの町にも少なからず被害を与えてしまっていた。
 海抜の低いトナミカギルド前の広場は、一度高波に晒されてしまったために不衛生な海水が染み込み、不快な匂いを辺りに充満させている。

「⋯⋯あれは」

 数人の男達が麻袋を肩に担いで歩いていく。

「ユズキは見ない方がいいわよ」

 僕の少し後ろに立っていたリズが僕の肩を叩いた。

「──大丈夫だよ」

 そうは言ったものの、僕自身はこのような光景を実際に見ることは初めての経験だ。
 自分の口から出た言葉にのせられた抑揚は、感情が追い付いていないのか、それとも感覚が麻痺してしまっているのか。口から発すると、自分の言葉が思った以上に淡々としていることに衝撃を受けてしまった。

「ふむ、その口調は余り良い物とは言えませんぞ」

 トナミカに戻り、合流したローガンが髭をいじりながら、僕を心配そうに見つめた。

『先に言っておきますが、無理ですよ』

 脳内のセラ様AIが僕に告げる。
 そう、僕のスキル『体力譲渡』を使い負傷者の回復ができないか。
 脳内の思考を読み取ったセラ様AIは、先回りで僕にそのことが不可能であることを教えてくれたのだ。

 負傷者は増え続け、今まで患者が横たわったベッドに麻袋が置かれていく。
 治療を受けても亡くなってしまった負傷者が、遺体となって運ばれると、またそのベッドには新たな負傷者が運ばれることとなるのだ。

「沈没した船はおよそ15隻か。中型船以上が100隻集まってこの損害だと、大被害だよ。沈没しなかった船もベビー達にやられて無傷ではないからね」

 ビビはそう言うと、マントから太い葉巻を取り出すと、髑髏の装飾が施されたオイルライターをポケットから出して火をつけた。

「ちっ、湿気ってなかなか点かないねぇ」

 燃え盛るような赤紙を掻きながらビビが苛立ちながら悪態をつく。そのうち、葉巻の先に火が灯るとビビは安堵したように、大きく息を吸い込んだ。

 ──ホウッ

 ビビが大きく息を吐くと、白い煙が頼りなさそうに空へと溶けていった。

「悪いね、生き残った奴の特権て奴さ」

 そう言うビビの瞳は悲しそうだ。

「もう吸えない奴の分まで私が吸ってやるのさ」

 そう言い終え葉巻の半分を吸い終えたところで、ビビは素手で葉巻の火を消すと、くるりと僕たちに背を向けた。
 2メートルに及ぶはずのその背中は、今はやけに小さく感じてしまう。そのままビビは歩み出す。

「あぁ、戦いの前の話だけど。忘れちゃいないよ。船は2日後にはレーベンに発てるだろう。その時レグナント号に来るんだよ。私も休んでばかりはいられないからね」

 数歩歩いたところで、クルリとビビは踵を返した。
 そして、頭に被っていたキャプテンハットを右手で脱ぐと、深々と頭を下げた。

「本当に、一度だけでなく二度も助けてくれたこと、船長として最大限の謝辞を述べさせてもらうよ。──本当にありがとう」

 ビビはゆっくりと頭を下げたあと、目深に帽子を被り直すと、今度は振り返ることなくギルドの前を去っていってしまった。

 残された僕の横に近づいたリズが口を開く。

「魔族は目立つわ。他の船は多少なりとも被害が出ていたのに、レグナント号はユズキ達のお陰でほぼ無傷。ここには長居したくなかったのでしょうね」

「──船長」

 遠ざかるビビの姿を僕は見送ることしかできなかった。

「おい!開けろ!」

 大きな声をかけられ、僕達は飛び跳ねるように端へと寄った。
 すぐに、僕達を追い抜くように負傷者を乗せた担架が、二人の男によって運び込まれる。

「あの人は!」

 担架に横たわる人物を見て、イスカが驚きの声をあげた。
 イスカが担架に近づく。僕もイスカの後を追って担架の人物を確認する。
 そこには、左半身を負傷した『蒼天の灯台ブルートーチ』のリーダー、エレナが力なく運ばれていた。

「エレナさん!」

 エレナといえば、トナミカで会ったB級パーティーのリーダーだ。大の男にも凛とした姿で立ち向かっていた彼女だが、今の状態は一目で分かるほどに酷い。

「えへっ、ちょっとドジしちゃったかな……」

 見れば、彼女の半身にはクラーケンベビーに巻き付かれた跡が残されており、その損傷から太ももの骨は折れ、肋骨は肺に刺さっていることが想像できた。

「カッ!」

 口を開こうとすると、口角から血のついた泡が吹きこぼれ、担架を赤く濡らした。

「まずいわね。回復するわよ」

 担架に並走するように、リズが歩きながら魔力を手に集中させる。
 淡く優しい淡緑色の光が出現したかと思うと、その光はゆっくりとエレナの傷ついた部分を覆った。

「⋯⋯ありがとう」

 弱弱しくエレナが声をあげる。

「なんだ、お前回復術士か。なら、エレナはここに置いていくぞ。俺たちはまだまだ船から降ろさないといけない患者がわんさかいるんだ」

 リズの回復魔法を見ると、エレナを運んでいた男たちは、さっさと担架を僕たちに預けるように渡すと、踵を返し船へと戻ってしまった。

「助かります?」

 心配そうなイスカの声に、リズは顔を曇らせる。

「とりあえず命は助けることはできるわ。でも、それ以上のことは私の回復だけでは⋯⋯」

 リズの言葉に、僕は自身の『体力譲渡』のスキルを思い出す。

「そうだ!僕ならエレナを回復することができる」

 そう言って手をかざそうとする僕を、エレナは少し回復したのか小さく腕を横に振った。

「ありがとう、でもいいわ。その力、何人に使うことができる?私はこれで十分。その力は他の人達に使って。私を完全に回復させたせいで、誰かが助からないということは耐えられない。

『エレナの言う通りです。体力、魔力を譲渡した今の状態で完全回復できる人数は80人程度です。しかし、現状ここには1000人を超える負傷者が集まろうとしています』

 脳内のセラ様AIが現実を突き付けてくる。確かに、僕がエレナを完全に回復させることは、能力を分配することで助かる見込みのある数人の命を見捨てることになる。

「トリアージか⋯⋯」

 医療系のドラマやドキュメントでも使われた言葉。
 最大多数を救命するためには、優先順位を決めなければならない。
 しかも、このような未曽有の災害に直面した場合、資源を適切に配分しなければすぐに資材は底をついてしまうだろう。

『報告、今までのスキル発動の累積により、新スキル『探索サーチ』が使えるようになりました。このスキルの能力で、この広場くらいであれば命を繋ぎとめるために必要な体力及び、魔力量を算出することができます』

 セラ様AIの言葉に、僕は少し安堵する。

「分かった、エレナ。その気持ち、受け取ったよ。できる限り多くの人が死なないように頑張ってみる」

 僕の言葉に、弱った表情だがエレナはにっこりとほほ笑んだ。

「ごめん、みんな譲渡したレベルを『回収』してもいい?」

 僕の言葉に、イスカとフーシェ、そしてローガンが頷く。

「勿論です!」
「ん。問題ない」
「人様の役に立てることは喜びです」

 その言葉を聞いて、僕は回収スキルを発動する。
 3人の中から白いピースが現れると、譲渡していたレベルが身体の中に戻ってきた。

「ふむ、何か名残惜しいような感覚ですな」

 ローガンが、感慨深そうに呟いた。

「──ん?」

 ピースが体内に戻ってきたときに、僕は今まで感じなかった少しくすぐったいような感覚を胸に感じた。しかし、その感覚はすぐに消え失せたため、僕はすぐにスキルを発動させるために意識を集中した。

探索 サーチ!」

 まるでこうしろと言わんばかりに、僕はスキルを発動させると同時に瞳を閉じた。
 スキルを発動させると、僕を中心とした波紋のような見えない波が広がりを見せる。

『検索完了。現時点で可及的速やかに回復手段が必要な患者は323名です。また、『魔力譲渡』を行うべき12人の回復術士を発見致しました』

 セラ様AIの報告に僕は大きく頷く。

「イスカ、今から可能な限り『体力譲渡』と『魔力譲渡』を行うから、もし僕が倒れたら後のことを任せてもいいかな?」

 その言葉に、一瞬イスカは驚いたようだが、すぐに胸の前で両手を握りしめると頷いた。

「任せてください!」

「ま、ユズキ一人なら宿くらいまでなら転移させられるわよ」

「ユズキは私が背負う」

「これこれ、女性に力仕事はさせられません。ここは、私めが責任をもって宿までお運び致します」

 皆の言葉にエレナが薄く笑う。

「いい⋯⋯パーティーね。──私の、パーティーはみんなクラーケンの攻撃で船から落とされちゃった。みんな、みんなに会いたいよ」

 エレナの小さな声はやがて嗚咽に変わった。
 その言葉を聞いて僕の決心は固まる。

『やろう、セラ様』

『警告、一気に譲渡スキルを発動すると、ブラックアウト。最悪の場合は意識消失する可能性があります。続けますか?』

 脳内のセラ様AIは警告はしてくれるのだが、僕の心情を察していることは間違いない。
 だから、僕はその問いにすぐさま回答するのだ。

「勿論だよ。──いくぞ、『譲渡アサイメント』!」

 声と共にスキルを発動する。
 その瞬間、感じたことのない脱力感に身体が支配されるのを僕は感じるのだった。
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