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絢爛!思いの丈!
五百と八十九日
しおりを挟む立ち上がりたくないのを耐える。そして無理矢理心を立ち上げる。
まるで睡眠不足の日の朝のようだった。
震えているのがバレないように、横隔膜で腹筋を力強く吊し上げて呼吸を整える。そっちの方が格好いい。これ男心の極意なり。
だがどんな強敵の一撃よりも大切な人の事情の方が、その虚勢を風前の灯と化していく。
それでも受け止めると決めた。
たとえ自分が人間をやめてでも。
ただのシステムとなってでも······
「いつまで?」
宇留は琥珀越しにヒメナを真剣な顔で見つめ、そして訊ねた。
一度だけ少々強めにダプンと波打ち際を叩いた小波の魁が、座っている宇留の履いていた上履きの先端を濡らす。ヒメナは先程までの浮かれの余韻を必死に押し隠し、宇留の真剣に返礼しようとした。
「···先に聞かれちゃった。なんで先に言えなかったのかな?私···」
「······」
「いつ?···うーん···このままだと···多分、六百日前後くらいかな?」
「!!!···来···年?!」
「限界···存在限界···どんな神業を使ったとしても、一個体には存在していい絶対の限界点がある。私もたくさんこの世界に居すぎた。もうすぐで···私の、その時···」
「!、アンバーニオンの運用には、今まで通りで何の問題も無いからね?アレハコレソレハソレ···」
ヒメナは宇留の目から視線を外し、やや重そうに持ち上げた自身の左手に視線を移す。指先を全てコシャコシャと動かしているようなのだが、小指と薬指の間接が動いていなかった。
「!···」
ヒメナのその切なく慈しむような眼差しを目の当たりにした宇留に、ようやく現実感が湧き始める。
「アンバーニオンのシステムを全部ウリュにあげたら。ぅ、ウリュが高等部に進級するのを見届けるまではがんばりたいなぁ~?」
「···」
ニカリと微笑むヒメナ、一方宇留も複雑な笑みを浮かべた。
宇留は泣くのを我慢している。実はヒメナにはそれがバレバレだったので、ここでヒメナは余計なお世話を更に一つ、彼に差し出してみる。
「···ウリュ!彼女つくるんだよ?」
「ぬぅ!!、なぁ!な!ヒメナ!さっきからオバアチャンみたいな事言わないでよー!」
分かりやすく狼狽える宇留。自分が不在となった日の後の心配だろうか?冗談としての受け止め半分、何故そんな事が言えるのかというショック半分。
今の自分達は、そしてかつてのヒメナとムスアウは友人や相棒、もしくは恋人や家族であったという事でいいのか?。正直、ヒメナにとっての自分の立ち位置に混乱さえしていた。だが、根掘り葉掘り聞き出そうとするまでもないと思う事だけは、ムスアウとしての記憶無き経験値に基づくものだと、根拠不明で納得こそ出来ないものの、何故か今のままでいいという“感触„のようなものが意識下にあった。
しかし明らかになったこのカウントダウン。待って欲しかった。この間の一秒一秒、これ程待って欲しいと願えるのは、今までの人生において数える程しかなかったと宇留は回想した。
その内ヒメナはもう更に一世話、宇留に回答を差し出した。
「ふふ、もしオバアチャンになれていたらまた違った考えにも至れたんだろうけど···もしそうだったら“ウリュ„達と出会えなかったし。それに身体が年齢をとらないと学べない事もあるんだと思うよ?私達だって、たくさんの若い仲間達が歳をとりながらすぐ側を駆け抜けて···消えていった。私達はなれなかった、彼らのような大人に、人間に、自分に·····宝甲の戦士になるっていうのは、そういう事···琥珀の外で時間が過ぎていくのをただ見守るような···それが続いていく事に、耐える事···」
「···!」
宇留はヒメナが覚悟、もしくは達観とでも呼べる考えを持っていると理解した。
だが覚悟を持つという点で、宇留はヒメナと張り合うつもりなどなかった。
しかしここで心が揺らいだ方向へ決心を向けてしまったら、ヒメナに返礼も出来ずに煮え切らない最期の日を迎えてしまいそうだと宇留は感じた。
あらゆる感覚を超越していく意識。それは長い記憶の中で培われた生きる術。
かつて宇留も相対したアルオスゴロノ帝国の戦士達からも少なからず感じた衝動を、ヒメナやムスアウ、アンバーニオンの仲間達も同じく抱えて戦っている。そしてそれは、自分にも受け継がれているのだと宇留はしみじみと感じた。
すると風が吹くように自然と、笑顔になった宇留の口からその言葉は溢れた。
「···じゃあ、ヒメナ!来年一緒に卒業式しようよ!」
「え!」
「みんなで一緒に!みんなや丘越さん達も呼んでさー?!」
「ウ··リュ?」
「今まで長い間スッゴク頑張ってくれてたんだもん!残り時間はゆったりいこうよ!後は俺とアンバーニオンに任せて!?ね?」
「あ···!」
ヒメナは宇留と背後のアンバーニオンを見つめる。夏の洋上、遮るものの無い白砂の島であるにも関わらず暑さをあまり感じなかったのは、アンバーニオンが直射日光を受け止め、広げたバインダーウィングや琥珀宝甲を透過したその明るい影が彼らを暑さから守っていたからに他ならなかった。
アンバーニオンはヒメナ達を悠然と見下ろし、会話に聞き耳を立てながらそこで休んでいるように見える。
「ゃ!約束だ···よっ!」
「!」
宇留はロルトノクの琥珀を一度砂地にサクッと刺して少しの間そばに置くと、夏用制服のワイシャツを脱ぎ捨てオリーブドラブ色のTシャツ姿になり、靴と靴下を脱いで私物と共にワイシャツの上に乱雑に放り投げた。
「あぁれ!スマホ忘れてたんだった!まーいぃ···か!」
そしてスラックスの両方の裾を膝下まで捲るとロルトノクの琥珀を持ち直し、まるで子供のように波打ち際の向こうへバシャバシャと走り出した。
「泳いでから帰ろ!プライベートビーチだ!ワハハハ!」
「!」
宇留の声が上ずっていたのは急いで着替えたからか?それともついに涙を堪えきれなくなったからか?
しかし宇留と共に美しいクリアコーラルブルーの海水に飛び込んでしまったヒメナに、宇留の涙を確かめる術はもう無かった。
しばらく宇留は海水に順応しようと小遊びをしたり、泳ぎながら体を捻ったりしていたが、やがて海面からはにかみながら顔を突き出した。
「プァ!···ニヒヒヒ!」
「え!ちょ!ちょっと、ウリュ!」
宇留は手に持ったロルトノクの琥珀をグッと持ち上げ、空中に放り投げようと構えていた。
「それ!わーーっしょーーい!!」
「わ!わぁぁぁぁ!」
ヒメナの心配を他所に、弧を描いて海上を飛ぶロルトノクの琥珀。
「!」
その時、ヒメナの脳裏にいつかの記憶が過る。
ヒメナは微かにその海抜の高さを覚えていた。あの時もそう、海の見えるこの場所で、思わせ振りな雰囲気を茶化されて、そのまま·····
ポシャン!とロルトノクの琥珀が着水し、その記憶は一度遠退いた。
海中に沈んだロルトノクの琥珀は、すぐに泳いで来た宇留の手に包まれる。それを感じたヒメナは閉じていた瞼を開ける。
「も、もーーーー!!」
「アハハ!ヒメナ!ごめんごめん!」
宇留は仰向け気味に泳ぎながら、手に持ったロルトノクの琥珀を大事そうに青空に掲げて透かした。
「!!、!!?!」
ヒメナはロルトノクの琥珀の内部で、服想の気替えを終えていた。
昼間を目指して青濃くなりつつある大空の逆光によって良く見えなかったが、ヒメナは白系の水着を着て宇留を恥ずかしそうに睨んでいるように見える。宇留はこの時初めて、ヒメナが一部着痩せするタイプだと悟った。
「ちょ!!!、そっっっ!卑怯!あ!ウワアアアアアアアアア!」
ロルトノクの琥珀の鎖は、グイ!とそれを手に持った宇留を海の中で引き摺る。
「ウワアアアアアアア!助けてーーーーーー!」
ロルトノクの琥珀は超高速で加速を続けながら優しい波間を跳ね回り、琥珀のジェットスキーの様相を呈した。悲鳴を上げる宇留にまともな遠慮もせず、彼を水切り石のように引き摺り続けながら海岸近くを旋回する。
「ごめん!ぶ!ごめん!ぷあ!わああああぶあああ!ワハハハ!」
「ァーアハハハ!!」
聞こえてたよ?ウリュ。
想文じゃなくてもね?
強い想いは、ちゃんと願わないと勝手に溢れてしまうんだから···
ヒメナはいつの間にか、宇留と共に笑顔になっていた。そんな二人を、アンバーニオンだけが優しげに見守っていた。
一ヶ月後、
一時的に海上に出現していただけのこの砂の島は、荒天による高波に洗われて姿を消す事になる。
ムスアウとヒメナ、そしてこの場所を知る者達の思い出を残して、ムスアウの家の名残りは、もう誰も見る事も出来ない海の底へ、安らかに、緩やかに堆積物の上を滑り、沈んでいった。
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