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絢爛!思いの丈!

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「あ!ちょっ!で、電話だ!少しごめん!」
「あ!お兄さん!俺も急用で!」
「え!」

 藍罠兄のスマホがコール音を響かせる中、照臣が帰ると申し出た。

「えー!」
「本当にご馳走様でした!また今度ゆっくり!じゃあまた来週!アリガとー!」
「あぁ!気をつけてね?」
「どーもーー!」
「えー!あー!···うん···」

 ワチャワチャとしたやりとりをしながら、藍罠兄と照臣は32号室から離れて行った。一瞬静かになる部屋。だがすぐに壁掛けになったディスプレイに映るプロモーションCMに対応した様々な音が、スピーカーから流れ始める。

 ♪···

「むぅ···どんなエライ人からの連絡にも動じなかったおニィがあんなに慌てて···怪しい···」
「しゅぐ偵察にゆったほうがイケ!ウリュはお母様達に動画撮るじぇら!がぁうお!」
「わかりました!」
「ウヒヒ!ちょっと見てくる···」
「わかりました!」
 イタズラっぽく32号室を抜け出す磨瑠香を、変な表情かおになった宇留は敬礼で見送った。



 カラオケ店を出た照臣は往来の左右を見渡した。
「ふぅ」
 宇留達の護衛をしている明らかに一般人では無いオーラのある大人達が数人、談笑するフリをしている。
 その中の一人が照臣に気付き、おお!という顔になった。
 顔見知りなのだろう。照臣も被っていた帽子のツバをつまんでクイッと引き上げ、微笑んで会釈する。
 そしてすぐさま反対側を振り向いた照臣。
 多くの歩行者の先からカラオケ店の様子を窺っていた視線の主が、目線を外して歩き去った。
 途端に照臣が駆け出す。
 磨瑠香との鬼ごっこの時とは比べ物にならない程の軽妙かつ迅速なフットワークで歩行者の合間を縫って走る照臣。
 やがて人気ひとけの無いビルの谷間に駆け込んだ照臣の帽子から、やや青い透明なバイザーが降りて目元を覆う。
 逃げている人物をマークしている標準サイト矢印ナビが、移動イメージを視覚化して照臣に伝えた。
 ビルの谷間を抜け、次の歩道に出て丁度青信号になった横断歩道を渡り、路地裏に走り込む。
「!」
 バイザーの標準サイトが示す先、路上に転がった安物のラジオのような小型の機械が照臣を待っていた。
「ダミー持ち!存在感系迷彩か!俺のリンクがバレてた?」
 照臣が小型の機械を見ていると、機械はポキュ!という音を立てて自爆炎上した。
「···」
 火は機械全体に燃え広がってすぐに消える。自爆用の燃料は最小限だったらしい。

 照臣は周囲を見渡し、何処か近くに居るであろう視線の人物を探していた。





 カラオケ店の廊下で観葉植物の陰に隠れた磨瑠香は、フリースペースの椅子に腰掛け楽しげに電話をする兄の様子をこっそり窺っていた。
 彼女の知らない兄の普通の若者的な一面と、仄かに周囲が明るく見える程のむず痒くなるようなハッピーオーラ。
「ま、ま···まさか···!」
 磨瑠香は、背後に誰かが近寄る事にも気付けない程に驚愕していた。
「いいですね?彼女さんと電話ですか?」
「!」
 磨瑠香の背後で江洲田がヒソヒソと呟いた。
 だが磨瑠香の内心は、背後を取られたどころの騒ぎでは無かった。江洲田から再びアハハと笑う藍罠兄に視線を戻す磨瑠香の目は大きく見開かれている。

「ま!まさか!お!お二ィィィィィイェアァ!」
「フフフフ···キミも頑張りなさい···」
「ェゃ?ありがと···ザいます···?」

 そう言って江洲田はゲームコーナーで使えるゲームカード五百円分を磨瑠香に渡し、磨瑠香の元を去った。

「エシュタガ、彼の電話!傍受出来なかった!なんでだろう?」
「いや、これ以上はもう止めておいた方がいいだろう···」
 隙を見て磨瑠香の手首からヨギセの琥珀アンバーを回収した江洲田エシュタガは、次の仕事へと向かった。
 




 テーブルの上にスマホを置き、動画撮影のアングルを吟味している宇留とヒメナ。
 ドアが開いたので藍罠兄妹が戻って来たと思った二人は、同時に「「おかえりなシャイ」」声を掛けて後悔した。
「ぬ!」
 ゴロゴロ果肉ピーチゼリーが載ったトレイを持った江洲田が、さも当然の如くソファーに座る。そしてポケットから取り出したポーションミルクをパキッと開けてゼリーにかけると、長い指先をピンと伸ばした手を合わせ、相変わらず美しきイタダキマスを披露して食べ始める。
「ぅわあ···」
「フ···そう引くもんじゃない···これは格安で天国のスイーツを入手する方法だと思っている。まぁ自己責任だがな?」
 江洲田のペースと回復しつつある酔いモドキのせいで、宇留は少し頭が痛かった。

「気付いているんだろう?」
「!」
 江洲田の一言で、宇留もヒメナもそれが藍罠兄ヨキトの事であると察した。
「にゃ、なんとにゃく···?」
「確かに!ドウリでお兄さんから宝甲の雰囲気においがすりゅと思ったのりゃ!」
 的確だが締まらない宇留達の解答に、今度は江洲田が困惑する。
「む、むぅ···そういう事だ。聞いていないのなら、実は···」
「あ!ちょっと!」
「?」
 解説に入ろうとした江洲田を宇留が止める。
藍罠ヨキトさんが後からのお楽しみって言ってたから、せっかくなりゃ楽しみにしてよぅよ?」
 ヒメナも江洲田も宇留の提案に微笑む。
「おお!うーん···!」
「······成る程な、それも一興か?···さて!ここの監視データは何とかさせるから、今日の所は好きに遊んでいくといい···」
「な?、何とかって?え?」
 宇留は部屋を見渡す。
「!、お前知らないのか!?カラオケにはメアリーさんとミミアリーさんが出るんだぞ!」
「メ、メア?ミ!ミミさん?ナニソレこわ!」
「ふう···気を付ける事だな···」
 そう言うと江洲田はテーブルの上に数枚の名刺を置いた。
「これは?」
「この度わたくし、転職いたしまして···それではまた···」

 空になったスイーツグラスの載ったトレイを持って立ち上がる江洲田。その時扉が開き、藍罠兄妹が32号室に戻って来た。
「いやぁ!宇留!ヒメサマ!待たせてスマン!ゲームコーナーに懐かしのケツダケパニックがあってさぁ!磨瑠香と遊んで来ちゃったよ!」
「くっくっくっ!」
 何故か藍罠兄の後ろに居る磨瑠香は、まだ笑いが収まっていない。

「あ!マルカ!お兄さん!この店員しゃんが一曲歌ってくれるってにょ?!」

「なッ!?」
 ヒメナが江洲田に無茶振りをかました。
「え!あぁ!イヤ!私は仕事がありますので!···これで!」
「誰がこのスイーツ代を払うんだい?まさか琥珀の戦士様とあろうお方が“また„食い逃げなんてする筈が無いよねぇ?アンちゃ~ん?」
 藍罠兄は江洲田の肩をガッと掴み、江洲田の牛乳瓶の底眼鏡と空のスイーツグラスを交互に見た。その上ガルンも一切の助け船を江洲田に出さない。
「き!気付いていたのか!?」
「↭?」「↭?」
 江洲田のボケに宇留と磨瑠香は見つめ合い、呆れた表情でやれやれのポーズを披露する。
「押し引きの極意!緒向流!未熟者メガ!。未熟者ギガ、未熟者テラもあるよ!」
「最近ペタも出来たって!」
「ひ!ひぃ!ウソ!」
 磨瑠香の言葉に、藍罠兄の表情が一気に寒々しくなる。


 結局逃げ場を失った江洲田は、マイクを持たされ一曲披露する事になった。
 しかしその歌は江洲田の高い歌唱力と相まって、ガルンの優秀なコーラスに支えられた情感のこもったリアルな女歌だった為に、全員が感動して号泣する羽目に陥ってしまったのだった。



 
 夕方。

 琥珀王アンバーニオン軍カラオケ大会は終了し、カラオケ店近くの立体駐車場の下において、走って帰るという宇留とヒメナ、車で帰る藍罠兄妹は和気藹々わきあいあいの解散となった。

 藍罠兄は三階に停めたレンタカーのエンジンを始動させ、エアコンを全開にする。
 そして磨瑠香が後部座席に手荷物を積んでいる間に、江洲田が配ったシンプルな名刺に目を通す。

 最終局面省

  江洲田 元三郎

 最終局面省

  マーベラス 強山ごうやま

 助手席に乗り込んだ磨瑠香は、微笑んで名刺を見つめる兄を横目で見てほっこりしながら、カチャカチャとシートベルトを装着した。



「うわ!」
 河沿いまでやって来た宇留とヒメナは、遠くにある巨大な入道雲に見惚れて足を止めた。
 入道雲の根元は暗く、その下の方はゲリラ豪雨なのか白く雲っている。その影響か、河の上を水に先駆けて涼しい風が滑って通り抜けて行く。
「ヒメナ、大丈夫?」
「!」
 宇留はヒメナの酩酊状態の心配をしていたのだが、ヒメナはそれで宇留に伝えなければならない事があった事を思い出した。

「う、うん!」

 心臓が跳ねる感覚。ヒメナは言葉に詰まる。だが···
「よかった!よーし!明日から頑張るぞー!ンーー!」
 宇留は一度背伸びをして入道雲を眺めながら続ける。
「···ねぇヒメナ、なんか不思議だね?ちょっと前までみんなあんなに困らせ合ってたのに、もう笑い合えてる」
「···ウリュ······」

「全部ヒメナとアンバーニオンに会えたおかげさまだね?···ありがとう!」

「!······」
 ヒメナの視界、夕方の太陽が涙で滲む。
 言葉はもう余計に出て来なかった。

「コ、コチラ···こそ、ありがと······」

 遠くでヒグラシが微かに鳴いた。


「!ー」
 微妙な間のせいで急速な照れに襲われた宇留は、ロルトノクの琥珀アンバーを手で押さえ、その場で走り出そうと足踏みをし始めた。
「さ、さー!ランニング!走って帰るよ!帰って明日の準備···」
「ウリュ!」
「?」
 宇留は足踏みを止めて手の中のヒメナを見た。
ボクもサボるから、ウリュもサボって?」
「へ?」
「楽しかったね······」
「···う、うん······」

 再び何処かでヒグラシがか細く鳴く。


 遠くから響く遠雷の音と、オレンジ色に変わっていく入道雲のある光景が、二人コンビの夕方を包んでいた。













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