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第一話

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『異世界転生券』
 映画館の切符のように、簡素的な切り取り線が描かれたなんともない紙切れ。
 何やらわからない英単語だがかの羅列があるだけで無地の面白みも、高級感も一切ない。


 そんな一見してしまえば少年誌の付録のような、子供だましのような曖昧なものを水篠怜奈が手に入れたのは偶然であった。


 少なくとも、怜奈にとってはであるが。

―――――

 明るすぎない白色に、落ち着くことはなくても決して嫌悪感を抱くこともない不思議な消毒の匂いのする一室。

「水篠さん、大きく息を吸ってください」
「はい」
 
 若干子供扱いされているような感じに少し恥ずかしい気持ちになるが、相手にそんな意図はないということはわかる。
 看護師さんの声にこたえて大きく息をすれば、聴診器を当ててきた先生は満足そうに笑顔を見せる。

「綺麗な心音ですよ」
「ありがとうございます」

 優しい声音でそう告げてくれる先生に同姓なのもあって凄く気持ちが楽になったのを感じる。
 ほっと一息をついた瞬間、

「水篠さん、最近何か悩み事なんてありますか?」
「え?」

 あまりにも予想外なそんな言葉に思わず気の抜けたような、呆けた声が出てしまった。

「あ、いえ、形式みたいなものですので」

 思わぬ私の反応に焦ったのか、先生がフォローして見せるが焦ったのは間違いなく私の方。

 まさか先生も旦那の浮気を知っているのか。
 そんなに悩んでいるように見えるのか。
 ほかに何かあるのか。

 僅かな間にもそんな途方もないことをいっぱい考えてしまう。
 
 そしてそれと同時に、

―ーもし今相談でしたら

 そんな考えが浮かんでくる。

 友人や同期のも打ち明けられず両親にも言えない。
 
 その中でお医者さんという存在がとても魅力的に感じてしまう。
 もし変に思われても守秘義務はしっかりしてそうだし、変な空気になったらかかりつけ医だけど変えればいい。

 自分の中でそう落とし込めた、
 
 
「.......えっと」
「まぁ、水篠さんみたいな美人な奥さん、女の私だってほしいですよ」

 踏み出そうとしたとき、そんな声をかけられてしまえば言葉は止まってしまった。
 もちろん彼女に悪気はなくて気を使ってくれた結果なのだろう。
 
「あ、あはは」
 止まった言葉を愛想笑いでごまかせば先生も表情を崩して見せる。

「もぉ、笑顔もかわいい」
「あはは」

 茶目っ気のある言葉をもらっているのに愛想笑いしかできない。

 それに先生のこの言葉はきっと完全なお世辞なんだろうとも思ってしまう。

 先生は本当に私なんかを欲しいのだろうか。
 旦那は私のことを駄目な女だという。
 使えない、妻としての役目をできない女だと。

 そんな旦那に愛想をつかされかけている、いや実際に浮気をされているんだから、愛想をつかされている女を本気で先生は求めているんだろうか。

 それ以前に、こんなお世辞ですら私を憐れんでいるのではなかろうか。


「あの、水篠さん?」
「っはい!?」
「どうされました?」
「あ、大丈夫です」
 マイナスに完全に思考が支配されている中、聞こえてきた先生の声に驚いてしまったが、おかげで思考の海から上がることができた。

「えっと、そういえばお子さんとかはもうすぐですか?」

 変な空気を変えるように先生が話題を振ってくる。
 
「あ、まだ仕事が落ち着かないので」
「そうですか。 水篠さんバリバリのキャリアですもんね!」
「はい。 まだまだ頑張らないと」
「良いママさんですね」

 気を使って看護師さんも声をかけてくれるが、それも逆効果ですらない。
 本当は子供は欲しい。
 今すぐにでも。

 ネットで、子どもについてだって調べてるし、子育てだって調べてる。
 育児休暇の制度と貯金を切り崩して、旦那さんの協力もあれば十分子育てもできるはずなのだが、
『まだ、稼がねぇと』
『はえぇよ』
『だるいわおまえ』
 子供が欲しいといえば返ってくるのはそんな声ばかり。

 旦那さんの言い分だってわかる。実質出産後は家庭に入る嫁を考えれば、お金はいくらあってもいらないことはないから。
 だけど、女性と男性の考え方は違うのだ。
 出産の年齢が遅れれば遅れるほどに、その影響は体に出てくる。

 別に、旦那さんの子どもが欲しいわけではない。

 ただ子供と一緒に遊園地だって着たい。
 ピクニックだって、お出かけだって、おしゃれしていきたい。

 それを二十代で出来るか、三十代で出来るか、はたまた四十代で出来るかは大きく違うのだ。
 若いしっかりとしたママとして子供に喜ばれたいし、周りの目を気にしないで若いことができる年でありたい。

 でも、旦那の理解は得られない。

 どうしてこうなっちゃったんだろう。

「あの水篠さん」
「あ、すいません。 すこし疲れてて」
「いえ、今日は検診はこれで終わりなのでゆっくりお休みください」
「ありがとうございます」

 間違いなく、嘘だとばれてるし気を使われているのはわかっている。
 それでも突っ込んでこないのは、ベテランだからだろう。

 なぜか気遣いがものすごく情けなく感じてしまう。

 今すぐ逃げたい。

 少しでも一人の時間を作って、しっかりと心を休めたい。

 先生へのお礼も早々に、私は診察室を出た。


―ーー



「水篠さーん、水篠怜奈さーん」
「はい」
 待合室で待つこと数十分。
 読まなきゃいいのに手が伸びた育児雑誌に心がしょげてしまいそうなとき受付から呼ばれた。
 
 雑誌を棚に戻し、受付に向かうといつも通りの検査結果が入った封筒に領収書、それと。

「あの、これなんですか?」
「え? あれこれなんでしょ?」
「え?」

 キャッシュトレーに乗せられた領収書の下でひょこりと顔を出す紙切れが一枚。
 それを問いただしてみても、答えはなかった。

「えっと、どうしましょう」

 どうしましょうと聞かれても、どうしようもない。

『異世界転生券』
 明らかにふざけたような内容の紙だが、子どもが書いたようなものでも、プリンターで雑にすられたようなものにも見えなかった。
 そしてそれには、
「一応もらっておきますね」
「はい」
 不思議な魅力があったのだ。


――――――

「もう! もういい加減にしてよ!」
「私が!私が本当に悪いの!?」

 感情が止まらない。
 ずっとスマホの通知画面や、会社で知っていた不倫の内情ではなく、目の当たりにした愛し合って姿。
 子供を求めないくせに他の女と愛をはぐくんでいる姿。

 それに嫌気がさし、絶望し、嫌悪し、感情が爆発したときに不思議と手にあった異世界転生券を引きちぎった。


 チケットのようなものなのに、それも関係なくビリビリに。


 目の前で、旦那も浮気相手も目を見開いているのがわかるが関係ない。

 唯々収まらない感情のままに紙を破き続けていたとき、

『チケットが使用されました』

 そんな声が聞こえた。



*********
「あーあ、お姉さんはやっぱり使ったか」

 ある病院の一室。
 そこで女は、机に脚を乗せ回転いすで体を左右に揺りながらそうぼやく。

 別に視認したわけではないが、感覚として感知したのだ。

 それが使われたという事実を。

「さぁ、お姉さんはどんな転生を見せてくれるのかな?」


 嬉しそうに、それでいて蠱惑に微笑む彼女の笑い声は、静かに病院内に........

「神田君! 早くきたまえ!」
「あ、すいません院長!」

 響くことはなかった。

 
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