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そして、いよいよ初めての現場

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「支度と言ってもあまり大袈裟なものはないですが…忘れちゃならないのがこの『中間木刀』ですね」
「なんか、オモチャの刀みたいですね」

 福松は思った感想を素直に口にした。すると愛島も笑って同意してきた。

 事実、中間木刀という小道具は子供のオモチャのようなこじんまりとしたものだった。100円ショップで売っているプラスチックの刀程度の長さしかなく、木製であることが辛うじて武器らしさを出している。取って付けたような鍔もついているが、護身用以上に効果を発揮することはないだろう。

 愛島はそれを手にすると後ろ帯に差した。福松もそれに倣って木刀を差す。木刀とは装備することでピンっと空気が張ったような気がした。次いで履き物の説明をされた。

「絶対にそうだという訳じゃないんですけど、ウチの撮影所だと鼻緒が黒いのが武家関係、白が町人になることが多いですね。ただ、やっぱり絶対にそうだと決まっている訳じゃないんでその日のスタッフさんに確認した方が無難です。今日は黒でオッケーですけどね」
「わかりました」
「これで準備は終わりです。因みに肩当てはもってきました? ないと駕籠を担ぐときに肩が死にます」
「あはは…昨日の時代劇塾で経験済みです。手拭いがあるんでそれを使います」
「ならよかった」

 かくして一通りの支度を終えた福松と愛島は他の出演者が来るのを待ちながら話に花を咲かせていた。

 やがてぞろぞろとエキストラの役者達が第三スタジオへとやって来る。福松たち中間の他は全員が裃をつけた侍の出で立ちだ。すると、ありがたいことに愛島は顔馴染みを見つけると声をかけて、その都度福松の事を紹介してくれた。

もう何度「初めまして」と「よろしくお願いします」を言ったかもわからなくなった頃、助監督の貝ケ森がやってきた。

「それでは撮影を始めますので、皆さんは現場に移動してください」

 ◇

 いよいよ、だ。

そう思ったとき福松は無意識に深呼吸をした。そして愛島、山田、大野田の三人に従って現場へと移動する。今回の撮影場所は所内の符丁で『大店通り』と呼ばれているらしい。その名の通り商店が立ち並び活気や大通りでのシーンを撮る際に使われるのだという。

すでに粗方の準備は済んでおり、昨日教わった豪華な造りの大名駕籠が大きな存在感を放っている。福松たちエキストラの面々が到着すると簡単な挨拶の後、貝ケ森がシーンの説明をし始めた。

「では並んでもらいます。袋原さん達は前、残りの方たちで駕籠を囲ってもらいます。いいですね、自分の主人が乗ってて襲われるかもしれないっていう緊張感を全員で出してください」
「「はい!」」
「で、中間さん達」

 福松の鼻がピクッと動く。同時歯がカチカチ鳴るくらいに緊張感が全身を覆った。

「担ぐ順番を決めましょうか。背の順はどうなってます?」
「前から愛島、山田、大野田、福松って順番ですかね。福松さんは初中間なんでなるたけ後ろにいてもらった方が…」
「確かにですね。その順番で行きましょうか」
「うっす」

 と、あれよあれよという間に順序や動きが決まった。福松は辛うじててんやわんになって取り乱さないように自制ができている。もうここは授業の場ではない。正真正銘、映像のプロフェッショナル達が作品を作る場所なのだ。

 細部にまで気を配り、撮影が円滑に進むように専念する。時として言葉でなく空気で察する必要だって出てくる。まだまだ新米ではあるが、今まで身に付けた役者のノウハウをフルに活用してことに望むと意気込んだ。

 それにキチンと気を使ってもらっていることも福松は理解していた。

 駕籠は構造上、後ろの方が比較的担ぎやすいからだ。前の方を担ぐと進行方向や制止、合図などなど気を配る要素が格段に増える。一方で後ろの担ぎ手は前の相棒と息を会わせつつ、安定と推進力に徹すればいい。車でいうならば前はブレーキとハンドル、後ろがアクセルと言った具合だろうか。とにもかくにも昨日の時代劇塾での勉強がこれでもかと役に立つ。

 福松達が駕籠の担ぎ順や足の出し方、進行ルートなどを確認している間に貝ケ森は続々と供侍の隊列を作っていく。やがて五分もしないウチに各々の動きが決まると、

「それでは一回テストしまーす!」

 という声がオープンセットにコダマしたのだった。

 宣言通り貝ケ森を筆頭に照明、音響、衣装、メイクなどなど様々なスタッフの目が光った。一挙手一投足の全てが見られているような感覚だ。

「じゃあ駕籠を担いで」
「はい。行きますよ…せーのっ」

 愛島の合図に合わせて後ろの三人は駕籠を担ぐ。昨日、勉強したことをフル活用して福松は精々格好をつけた。そして貝ケ森の掛け声をきっかけに駕籠中間と供侍の集団が歩き始めた。

 オープンセットの壁の向こうに広がる麗らかな春の京都の青空が馬鹿に目に入った。しかし決して気を抜いたからではない。遠くを見つつ視野全体で舞台の状態を把握するという、いつかのワークショップで培った福松なりの演技術だ。これができているといことは場の雰囲気に飲まれていないとということだ。

 そんな確信めいた自信が湧くと自然と集中力も増した。

 上手くやることは考えなくていい。回りに合わせて足を引っ張らない事に注力するのがこの場合の最適解であることを少なくない舞台経験から直感的に理解している。

『映像作品で活躍している役者が舞台で使えるか分からないけど、舞台で活躍できる役者は映像に行っても使える』

 かつて福松がお世話になった監督の言葉だ。今の今まで忘れていたのに、ふとこのタイミングでその言葉が思い起こされていたのだ。

 肩にのし掛かる駕籠の重さは昨日よりもいくらか軽い。やはり前の三人の技術が高いからだと思った。それぞれが均等に駕籠の重さを分散させているものだから、きちんと四分の一の負担で事足りている。

やがて距離にして百メートルを歩いたくらいだろうか。貝ケ森がテスト終了を告げた。

 すぐに複数の現場スタッフが駆け寄って福松達から奪うように駕籠を預かった。疲れさせないで撮影に集中させるための措置であることは分かっていた新米の新米がスタッフをこき使っているようで少々居心地が悪い。しかしそんな干渉に浸っている暇はなかった。素早く元の位置に戻されると、怒濤の勢いでチェックと修正箇所の説明をされる。そしてそれが終わるとすぐに本番の撮影になった。

「では、本番回します。もっともっと緊張感だして! 主人を狙うって脅迫文が届いてるんですから、もっともっと警戒して。ただしキョロキョロはしない。OK?」
「はい!」

 福松はついムキになったような返事をしてしまう。途端にエキストラ全員の視線を集めて気まずくなったが、貝ケ森だけは笑い飛ばしてくれた。

「そうそう。福松さんみたいに気合い入れてくださいよ」

  そうして貝ケ森が所定の位置につくと、

「ほんば~ん!!」

 という声がオープンセットに響き渡った。

 ついで一間置いて国見監督の「用意…スタート!」という声と同時にカチンコが音を立て、行進が始まる。やっていることはさっきと同じなのに、全員の緊張感が段違いだった。貝ケ森の指示通り皆が刺客を警戒し、誰も乗っていないはずの駕籠の中に要人を生み出している。最後尾にいる福松は図らずも皆の芝居をそうやって俯瞰で見ることができていた。

 先程より止まった箇所をあっという間に通過する。それでもカットがかかるまでは芝居を続けるのが現場の鉄則だ。

 やがてカットの掛け声とそれを追って「OK」という監督の指示が飛んでくる。

「はい皆さん、ありがとうございます。OKなんで今のシーンを反します。すぐに準備してください」

 反しという耳慣れない単語を聞いた福松はそそくさと愛島にすり寄って小声で尋ねる。

「愛島さん」
「はい?」
「すみません。反しってなんですか?」
「ああ、反しっていのは同じシーンを反対から撮るって意味ですよ。今は前から撮ったんで、今度は後ろか横からの画を撮るんだと思います」
「なるほど…ひっくり返すみたいな話ですね」
「そうですそうです。なので特に指示がない場合は今のと全く同じことをしてください」
「わかりました!」

 羽二重をつけるときも思ったけれど、現場の専門用語も覚えないと辛そうだ。

 ゲネ、場当たり、テクリハなどなどの舞台用語は一通り分かっているから多少はついていけるかもしれないが、やはり瞬時に反応できるようにはしておきたい。

 そうして反しの撮影もOKが出ると、福松のデビュー戦は一先ず大きな失敗もなく終わりを迎えたのだった。
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