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化生部屋のあやかし達
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名前から妖怪の店だと予感めいたものはあった。しかし店内はとてもきれいで現代的だった。そして居酒屋とも蕎麦屋とも定食屋ともとれるような独特の造りになっている。
妖怪たちは慣れたように座敷に上がるとそれで満員になってしまった。仕方なく福松はドリさんと共にカウンター席に腰を掛けた。すると同じタイミングで店の奥から店員、のようなものが現れた。
少なくとも福松にとっては店員ではない。たすき掛けで袖を楽にした狐が二足歩行で現れたからだ。
「おや、皆さん。お久りぶりで」
狐は風体からは想像できない程のイケメンボイスで出迎えの挨拶を飛ばしてきた。そして目敏く見慣れない顔にも気が付いた。
「これはこれは。新入りさんですか?」
「ああ、はい。福松です」
「どうもコックリの板前で鶴来です。よろしくご贔屓に」
「こちらこそ」
そんな挨拶を終えると同時に妖怪たちが我先にと酒や料理を注文する。鶴来は威勢よく返事をすると再び奥へと消えて行った。それを茫然と見ていた福松の耳にドリさんの笑い声が届く。
「絵に描いたように面食らってんな」
「そりゃそうですよ。狐が和服着て店員やってんですもの」
「ま、オレも初めて来たときはそうだったからな。気持ちは分かる…さて、何食べる?」
と、あっけらかんと言われてしまって福松は困った。ここが何の店で、何を出してくれるかがまるで見当もついていないのだから。
「そう言われても…ドリさんのお勧めで」
「うーん。そうだなあ…じゃあ江戸時代の飯にするか」
「はい?」
「ここの店は三人の妖怪が切り盛りしてるんだけどな、全員が芝居好きなのさ。で、たまにやってくるオレ達みたいな人間の役者のために江戸時代の庶民の食事とか反対に武士貴族大名の食事とかを再現して出してくれたりするんだ。普通のご飯もあるけど」
「へえ!」
ドリさんの説明に福松のテンションが一気に上がった。恐怖や怪訝さよりも興味が勝って言われるがままにそれを頼んでみる事にした。
しかし福松は後ろでニヤニヤとほくそ笑んでいる妖怪たちに気が付くことができなかった。
◇
「へい、お待ちどうさま」
鶴来はトレイに乗せた御膳を福松の前に置いた。それを見て愕然としている福松を見てドリさんは愉快そうに笑った。
二、三切れの沢庵に野菜くずの味噌汁。小皿には申し訳程度に塩と味噌が乗っている。それだけなら貧相なおかずと割り切って耐えられなくはないのだが、問題は普通の茶碗で五杯分は盛られている大量の白米だった。
「え? これマジですか?」
「マジですよ。福松さんの年齢だったら江戸の人はこのくらい食べてました、一食で」
「一食で!?」
「江戸の頃だと成人の男性でしたら一日で五、六合は平らげてしまうんです。この時代は大半の人間が肉体労働者でしたからこのくらい食べないと体がもたないし、米に比べておかずはどうしても割高な上、調理が必要なので汁物と漬物以外は庶民がおいそれと口にはできなかったんです。それにキチンと三食を食べる人もそう多くなかったですからね。どうしても一食当たりの摂取カロリーを多くしていたんですよ。ま、能書きはともかくどうぞ」
「どうぞと言われましても…」
紛れもなく自分が注文した料理を今更下げてもらう訳にもいかず福松は観念して食べ始めた。茶碗を左手に持つと軽いダンベルのような重量感が伝わる。ご飯茶碗に許される重さではない。
取り合えず味噌汁を除いて唯一おかずになりそうな沢庵に箸を伸ばす。一口齧ってみるとまたしても驚いた。
「しょっぱ!」
想像していた沢庵の2.4倍は塩辛い。本当は水が欲しかったが、塩辛さに耐え切れず白米を掻っ込む。一齧りで十分なほどの塩味が口の中に残った。
その様子を見て笑いながら鶴来は解説してくれる。
「ははは。沢庵も今と違って保存料なんてないですからね。塩で防腐するしかないんですよ。しかも御覧の通りそれだけじゃ足りないんで味噌と塩もありました。少し裕福な家だと焼き魚とかお浸し何かをつけたりもしましたが」
つまりこの塩分摂取量でも十分なくらい汗を流していたという事か。思えば車も何もない時代は現代人とは比較できない程に体を動かしていたのだろうから。しかしこの献立を見ると不安になることもある。
「けど、明らかに足りてない栄養ありますよね? 体壊しませんか?」
「はい。壊してましたよ。福松さんは『江戸患い』って聞いた事ありませんか?」
「えどわずらい?」
初めて聞く単語に福松は首を傾げた。するとドリさんが横から口を挟んできた。
「脚気、なら分かるか?」
「ああ、脚気……?」
脚気はもちろん聞き覚えがあった。しかしどんな病気か説明しろと言われるとイマイチピンとこない。それは二人には何を言わずとも伝わったようだ。
「脚気ってのはビタミン欠乏症の一種だよ。神経に影響が出たり、身体がむくんだり、心不全を起こしたりってのが主な特徴だったっけかな」
「詳しいですね」
「お前と一緒でな。オレもペーペーの頃は同じような事を先輩にやられたのさ」
「なるほど。通りで」
「けど理由も分からずに苦しんでいた人を見てきたこっちからすると、福松さんみたいに何の病気か分からなくなるほど栄養のある食事が全国にある時代になって良かったなあとも思えますよ」
鶴来は特に気にするでなく言った言葉であろうが、福松の腹にズンとのしかかるほどの勢いがあった。福松の元々の性分として出された食べ物を残す選択肢はなかったが、鶴来の言葉を聞いた後より一層の気合いを入れて盛られた飯を全て食べきったのだった。
そして福松はご飯と一緒に今日の出来事を噛みしめていた。
棒手振りに始まり、神社で求められる礼儀や江戸時代の歴史や事情など知らない事が多すぎる。役者としての技法は色々と勉強してきたつもりだったが、時代劇に携わる役者としてはまだスタートラインにすら立てていない。
しかしその事を負い目には感じない。
知らないなら勉強するし、出来ないのなら稽古をすればいい。その為に自分は京都に来たのではないかと福松は人知れず決意を新たにしていた。
妖怪たちは慣れたように座敷に上がるとそれで満員になってしまった。仕方なく福松はドリさんと共にカウンター席に腰を掛けた。すると同じタイミングで店の奥から店員、のようなものが現れた。
少なくとも福松にとっては店員ではない。たすき掛けで袖を楽にした狐が二足歩行で現れたからだ。
「おや、皆さん。お久りぶりで」
狐は風体からは想像できない程のイケメンボイスで出迎えの挨拶を飛ばしてきた。そして目敏く見慣れない顔にも気が付いた。
「これはこれは。新入りさんですか?」
「ああ、はい。福松です」
「どうもコックリの板前で鶴来です。よろしくご贔屓に」
「こちらこそ」
そんな挨拶を終えると同時に妖怪たちが我先にと酒や料理を注文する。鶴来は威勢よく返事をすると再び奥へと消えて行った。それを茫然と見ていた福松の耳にドリさんの笑い声が届く。
「絵に描いたように面食らってんな」
「そりゃそうですよ。狐が和服着て店員やってんですもの」
「ま、オレも初めて来たときはそうだったからな。気持ちは分かる…さて、何食べる?」
と、あっけらかんと言われてしまって福松は困った。ここが何の店で、何を出してくれるかがまるで見当もついていないのだから。
「そう言われても…ドリさんのお勧めで」
「うーん。そうだなあ…じゃあ江戸時代の飯にするか」
「はい?」
「ここの店は三人の妖怪が切り盛りしてるんだけどな、全員が芝居好きなのさ。で、たまにやってくるオレ達みたいな人間の役者のために江戸時代の庶民の食事とか反対に武士貴族大名の食事とかを再現して出してくれたりするんだ。普通のご飯もあるけど」
「へえ!」
ドリさんの説明に福松のテンションが一気に上がった。恐怖や怪訝さよりも興味が勝って言われるがままにそれを頼んでみる事にした。
しかし福松は後ろでニヤニヤとほくそ笑んでいる妖怪たちに気が付くことができなかった。
◇
「へい、お待ちどうさま」
鶴来はトレイに乗せた御膳を福松の前に置いた。それを見て愕然としている福松を見てドリさんは愉快そうに笑った。
二、三切れの沢庵に野菜くずの味噌汁。小皿には申し訳程度に塩と味噌が乗っている。それだけなら貧相なおかずと割り切って耐えられなくはないのだが、問題は普通の茶碗で五杯分は盛られている大量の白米だった。
「え? これマジですか?」
「マジですよ。福松さんの年齢だったら江戸の人はこのくらい食べてました、一食で」
「一食で!?」
「江戸の頃だと成人の男性でしたら一日で五、六合は平らげてしまうんです。この時代は大半の人間が肉体労働者でしたからこのくらい食べないと体がもたないし、米に比べておかずはどうしても割高な上、調理が必要なので汁物と漬物以外は庶民がおいそれと口にはできなかったんです。それにキチンと三食を食べる人もそう多くなかったですからね。どうしても一食当たりの摂取カロリーを多くしていたんですよ。ま、能書きはともかくどうぞ」
「どうぞと言われましても…」
紛れもなく自分が注文した料理を今更下げてもらう訳にもいかず福松は観念して食べ始めた。茶碗を左手に持つと軽いダンベルのような重量感が伝わる。ご飯茶碗に許される重さではない。
取り合えず味噌汁を除いて唯一おかずになりそうな沢庵に箸を伸ばす。一口齧ってみるとまたしても驚いた。
「しょっぱ!」
想像していた沢庵の2.4倍は塩辛い。本当は水が欲しかったが、塩辛さに耐え切れず白米を掻っ込む。一齧りで十分なほどの塩味が口の中に残った。
その様子を見て笑いながら鶴来は解説してくれる。
「ははは。沢庵も今と違って保存料なんてないですからね。塩で防腐するしかないんですよ。しかも御覧の通りそれだけじゃ足りないんで味噌と塩もありました。少し裕福な家だと焼き魚とかお浸し何かをつけたりもしましたが」
つまりこの塩分摂取量でも十分なくらい汗を流していたという事か。思えば車も何もない時代は現代人とは比較できない程に体を動かしていたのだろうから。しかしこの献立を見ると不安になることもある。
「けど、明らかに足りてない栄養ありますよね? 体壊しませんか?」
「はい。壊してましたよ。福松さんは『江戸患い』って聞いた事ありませんか?」
「えどわずらい?」
初めて聞く単語に福松は首を傾げた。するとドリさんが横から口を挟んできた。
「脚気、なら分かるか?」
「ああ、脚気……?」
脚気はもちろん聞き覚えがあった。しかしどんな病気か説明しろと言われるとイマイチピンとこない。それは二人には何を言わずとも伝わったようだ。
「脚気ってのはビタミン欠乏症の一種だよ。神経に影響が出たり、身体がむくんだり、心不全を起こしたりってのが主な特徴だったっけかな」
「詳しいですね」
「お前と一緒でな。オレもペーペーの頃は同じような事を先輩にやられたのさ」
「なるほど。通りで」
「けど理由も分からずに苦しんでいた人を見てきたこっちからすると、福松さんみたいに何の病気か分からなくなるほど栄養のある食事が全国にある時代になって良かったなあとも思えますよ」
鶴来は特に気にするでなく言った言葉であろうが、福松の腹にズンとのしかかるほどの勢いがあった。福松の元々の性分として出された食べ物を残す選択肢はなかったが、鶴来の言葉を聞いた後より一層の気合いを入れて盛られた飯を全て食べきったのだった。
そして福松はご飯と一緒に今日の出来事を噛みしめていた。
棒手振りに始まり、神社で求められる礼儀や江戸時代の歴史や事情など知らない事が多すぎる。役者としての技法は色々と勉強してきたつもりだったが、時代劇に携わる役者としてはまだスタートラインにすら立てていない。
しかしその事を負い目には感じない。
知らないなら勉強するし、出来ないのなら稽古をすればいい。その為に自分は京都に来たのではないかと福松は人知れず決意を新たにしていた。
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