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はぐれ騎士は図書室で物語を憂う

最終話

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「よもやこのような事になろうとは」



 チャリスは窓から外を望み、城下町に立ち込める黒煙を見てぼそりと呟いた。



「まさか謀反が・・・その上、敵国の侵入を許すとは・・・」



 喚声、悲鳴、怒号が爆音とともに部屋の中にまで届いている。パージャの軍は急襲にまるで対応が間に合っておらず、戦況は火を見るよりも明らかだった。城壁を乗り越え、城門を打ち破って敵軍が攻め込んできているのを見ているのに、チャリスは冷静だ。



 廊下には武装した近衛兵がいるものの、部屋の中には一人きりである。これは達観ではなく、諦めだとチャリスは気が付いているのだろうか。



 その時、部屋の戸を乱暴に叩かれた。姫の部屋に入るための礼節ではあろうが、余裕がないのが丸わかりだ。



「失礼いたします」



 入って来たのは近衛兵を束ねる隊長だった。疲労、焦燥、不安、覚悟、様々な感情が溢れ出ている。チャリスが生まれてからこれまで最も長く仕えた男が初めて見せる顔だった。



「姫様」

「うむ」



 隊長は息せきながらも、極めて恭しく言った。



「すぐに城外へお逃げあそばして頂きます。お仕度を」

「まて。どこに逃げるというのだ」

「同盟国であるマシッキアへ亡命致します」

「父上や皆の者は?」

「姫様の亡命の為に少数精鋭の部隊を編成いたします。残りは残兵を片付け、民の救済にあたります。王は・・・お残りあそばされます」

「っ」



 チャリスは余程出掛った言葉を辛うじて飲み込んだ。心臓の鳴る音が馬鹿にうるさい。



「姫様はパージャ王家の血を引く、我らの希望なのです。どうか、どうかお生き延びください。亡命までの無事を何よりもお祈りいたします」



 チャリスは隊長の思いに報いるつもりで、力強く頷いた。



「私も其方たちの無事を祈る」

「有難きお言葉」



 チャリスは部屋を出ると、近衛兵たちに囲まれながら足早に城外を目指した。途中何度も振り返りたいという衝動を押し殺した。振り返ると自分の覚悟が壊れてしまうような、そんな気がしていたのだ。



 夜中に忍んで、イーデルのいる部屋に行くのと同じルートで外を目指している事にチャリスは気が付いた。もう遠い昔のような気がしている。そういえばイーデルは一体どうなったのかと、気が付くと彼女は更に恐ろしい不安に苛まれた。



 なので外の広場に出たとき、武装し待機している近衛兵の一団の中に彼の姿を見て思わずホッとしていた。



 チャリスが到着すると十数名の兵と共だってマシッキアへの亡命ルートの説明を受けた。チャリスは気が付かなかったようだが、それはいつか城を抜け出してシハンの家に行ったときと、ほとんど同じ道を通ることになっている。



「この先に馬を待たせております。そこまでの間、しばし御辛抱くださいませ」



 一団は城の裏手から外に出ると、一目散に馬を待機させている森を目指し進みだす。いつ雨が降り出してもおかしくない曇天の空が、一層気分を陰鬱なものにした。



 その時である。



 ピィィィィィィィィッ!



と、けたたましく警笛の鳴る音が一団の耳に入った。見れば城壁を包囲するために分かれたであろう軍勢がこちらに気が付き、馬で詰め寄ってきている。



「おのれ」

「走れっ!」



 その憎まれ口と副長の号令とが発せられたのはほぼ同時の事だった。



 兵たちは姫を取り囲みながら森の端の合流地点を目指しだした。しかし騎兵の速度には到底敵うものではなかった。



「駄目だ、追い付かれる」

「先頭の二名は姫を、残りの者は剣を抜け! 時間を稼ぐのだ」

「「「おおおっっ」」」



 副長の命令に一斉に鬨の声があがった。部隊の後方にいたイーデルも剣を抜き怒号にも似た喚声を気合と共に吐き出す。チャリスは部屋出てから初めて、振り返りたいという衝動を抑えられなかった。けれども必死に自分を諫めて前へ進む足だけは止めなかった。



 一瞬振り返った間に見ただけであるが、敵はこちらの倍以上はあり、さらには騎兵である。時間稼ぎに残った一勢はすぐに取り囲まれた。すぐさま馬上から魔法と矢が放たれる。第一波を辛うじて防ぎ、先頭の騎馬兵を数人凌いだイーデルたちだったが、数の不利を覆すには至らなかった。一人また一人と無惨に討たれていき、全滅するにはさほどかからなかった。



 撃破にそれほどの人数は必要ないとすぐに判断したのか、敵は余った騎兵をすぐさまチャリスと二人の兵たちを追ってくる。瞬く間に取り囲まれたあと、抵抗の色を見せた兵たちは刹那のうちに殺されてしまった。



「パージャのチャリス姫ですな」



 敵将らしい男は馬上からチャリスを見る。その恰好と振る舞いとで判断したらしかった。



「如何にも」

「下手な抵抗はなさいますな。余計な考えを起こさないうちはお命の保証を致します」



 言われずともチャリスに抵抗の意思はなかった。傍らにある二つの死骸と自分を囲んでいる敵兵たちの合間から見えるさっきまで共にいた兵たちの死骸、そして絶命までの最後の力を振り絞ってこちらに這い寄って来たであろうイーデルの死体とが目に入ると、まるで自らの体がまるで木偶で出来ているのではないかと錯覚するような虚無感に覆われていた。



 何故、涙も怒りも湧いてこないのだろうか。チャリスは冷静にそんなことを考えている。



 敵の一人が縄を携えて近づいてきた。チャリスは何も言われなくとも両の手を前へと差し出した。相手は無感情のままに縄で括ろうとしたが、それは敵わなかった。縄を持っていた敵兵は突如として倒れてしまった。



 チャリスは目を丸くした。本当に何が起こっているのかが分からなかったからだ。敵兵たちもざわめきたち、すぐに倒れた者の様子を窺った。が、すでに事切れている事は誰もがすぐに理解をした。



 するとあちらこちらで悲鳴や混乱の声が聞こえてきた。馬上にいる者たちが次々と息絶えては、何の抵抗もなく落馬していく。そればかりか、馬たちまでもが倒れていった。瞬く間にチャリスを残し、その場の全員が死に絶えてしまった。



 しんっと、静寂だけがその場を支配した。



 すると落ち葉と草を踏みしめ近づいてくる誰かの足音が鮮明に聞こえた。



「ごきげんよう。お姫様」

「シハン」



 ネクロマンサーはまるで悪の魔法使いといっても差し支えない程、真っ黒なローブに身を包み、どうやって作ったのか分からない程おどろおどろしい杖を携えている。



 ポツリポツリと、とうとう雨が降り出してきた。



 ◆



 雨が二人と骸たちを容赦なく濡らしていく。春を過ぎ夏が近づいた時季の雨がジワリとした暖かさを持っている事が妙に有難く思えた。



 チャリスは虚ろな目でネクロマンサーを見つめている。



「助けにきてくれたのか」

「ええ。姫さんとは約束があるからね」

「この者達は・・・死んでいるのか?」

「死んでいるよ、便宜上は。そういう魔法だからね」

「意外だ」

「何が?」

「其方の行動が、だ。何となくだが、魔術をこういう事には使わない者だと思っていた」



 そう言われたネクロマンサーは、ふうっと息を一つ漏らした。



「いつだったか言ったでしょう。人を殺してはいけないのは、元に戻すことができないからだってね」

「なるほど、元に戻せる其方なら殺人は肯定されるという訳か」

「と言ったって、俺だってあまり好ましいとは思ってない。ただこうでもしないと、姫さんと話す時間が取れないんじゃないかとね。今、誰よりも俺に遭いたいんじゃないかと思ってすっ飛んできた訳ですよ」



 ぺたりと草の上に座り込んでいたチャリスは、よろよろとしながらも立ち上がった。そして胸を張り、堂々たる態度でネクロマンサーへと近づいた。



「確かに、今は誰よりも其方に会いたいと思っていたところだ。頼みたい事がある」

「何なりと」



 ネクロマンサーは従者のように跪き、頭を下げた。そしてその恰好からは想像もつかぬ程慈愛に満ちた眼差しを向けてきた。



「どうせ無駄だと分かっているが、言わせてくれ」

「・・・」

「その力を私とパージャの為に使ってくれ、父上を、兵士たちを、民を蘇らせてくれ。そしてその死を操る魔術をもって、敵兵を討ち、この国を・・・平和だったこの国そのものを蘇らしてくれ」



 長い沈黙があった。その沈黙がネクロマンサーの答えであることをチャリスは理解していた。



「叶わぬか」

「ああ、それは無理だ」

「死というのは理不尽なものだな」



 チャリスは自嘲気味に笑って言った。



 するとネクロマンサーは杖を置いて跪き、まるで父親が愛娘を抱えるかのようにチャリスを抱擁した。極限にいた姫君は、ようやくしっかりと身を預けられるものを得て思わず彼のローブを握りしめた。



「・・・理不尽な訳じゃない、死は不平等なだけだ。王も平民も死ぬ、だから死こそが唯一すべての人間平等に訪れる・・・と勘違いしている奴等が多いけどね。不平等だからこそ、俺のような奴がいるんだ」

「そうか・・・」



 ネクロマンサーから離れたチャリスは、今度こそ堂々と強く自分の力で大地に立った。そして振り返り、兵たちと城と、自分の血筋が治めてきたパージャという地を見て、そして言った。



「しかし、私には一度だけその不平等を取り消すことができる機会がある。そうだな?」

「ああ」

「ならば、そこで死に絶えているイーデルを蘇らせることはできるか?」

「・・・いいのかい、姫様。チャンスは一度きり。そんな一介の兵士を蘇らせるよりも、もっと他に」



 その続きをネクロマンサーは言えなかった。チャリスが凛とした声で遮ったからだ。



「シハン」



 ネクロマンサーは姫の声に身を竦めた。凛々しさよりも何よりも、どういう訳だか酷く恐怖を覚えた。かえって怖く見えるほどの確固たる決意だった。



「私はできるかどうかを聞いている」



 一瞬呆けていたネクロマンサーはハッとした。そして気を取り直すと跪いたまま厳かに返事をする。



「勿論できますよ」

「ならば頼む。イーデルを甦らせてくれ」



 ネクロマンサーは転がっている数多の死体を踏まないようにしてイーデルの骸に近づいた。そして深い深い息を一つ漏らすと、杖を地面にトンッと一突きした。



 するとすぐにイーデルの骸がピクリと動いた。禍々しい呪文や悍ましい道具が出てくることもなく、拍子抜けするほどあっさりとイーデルは蘇ったのである。



 息を吹き返したイーデルはよろよろと体を起こす。まだぼんやりとした様子だ。



「よう」

「シ、シハン・・・?」

「良かった」



 姫は駆け寄り飛び掛かるような勢いでイーデルに抱き着いた。



「姫様・・・あれ? でも・・・」



 イーデルの混乱している頭の中に、つき先ほど起こった痛ましい記憶が蘇る。周りに倒れている仲間の骸はその記憶の何よりの証明だった。



「そういうこった」

「なっ!? それは姫様のご意思で・・・」

「ああ」

「そんな」



 イーデルは絶句した。同時にいくつもの言葉と思考とが脳みその中に渦巻いてしまった。全身の力が抜け、一体どこを見ればいいのかすら分からなくなってしまったのだった。



 だが、状況が彼に休息を与えてはくれない。



「とりあえず、ぼやぼやしてる暇はないぞ。そこで死んでる奴等が帰ってこないとなると、また追っ手がくる」



 三人は周囲を警戒しながら、再び逃亡用の馬車が停めてある場所を目指して走り出した。イーデルが手綱を握ると、残りの二人は二台へと乗る。シハンはチャリスと雨と敵の目から庇うように自分のローブの中に包み込んだ。



「さあ、急ぐとしようか」

「お前も来るのか?」

「当たり前だろ。ここはもう戦地だ。逃げ出さにゃ、危ないだろうが」



 それっきり三人は三人とも押し黙ってしまった。それぞれが一人でじっくりと考えて心の中を整理したい事が起こり過ぎた。



 雨の降る草原の道を馬車がおもむろに走り出す。



 姫と近衛とネクロマンサーの姿は、やがて草原の彼方に消えて行った。
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