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第二章 岩馬
不浄
しおりを挟むそして吾大さんの店と同じように戸や窓を閉じた家の前にまでやってくると、表の戸を三度叩いた。
「どちらさんで?」
「贈り物です」
「誰から?」
「持ち主を求める刃もある」
合言葉だ。物語であれば心躍るシチュエーションであるが、今の様子からはただならぬものしか感じ取れない。僕は緊張していた。
「合言葉まで使うのか」
「まあな」
中から戸を開けた男は吾大さんが共を連れているのにギョッとした。
「吾大、そいつらは?」
「俺の昔馴染みなんだ。頼りになるから連れてきた」
「巳坂の和泉屋という」
円さんが軽く自己紹介すると、何か得心の言った顔になって応えた。
「あぁ、前にお前の口から出た名前だな」
中は外見から想像した通りの作りだった。戸や窓は閉め切ってあるので日中でもあっても暗く、蝋燭の灯りが光源となっている。そこには戸を開けた男の他に三人の男が車座に囲炉裏を囲っていた。
僕らは促されるままに土間に背を向ける形で座った。円さんの飄々とした顔が少しだけ曇っており、僕も朱さんも警戒を隠さぬ面構えになっている。
「それで、合言葉まで使って誰から逃げてんだ?」
「・・・」
他の連中は事情を知っていると見えて、顔を伏せたりため息を漏らしたりと各々の反応を見せた。
そして決して短くない間の静寂から絞り出すように吾大さんが、一言だけ呟いた。
「禍室」
その言葉が発せられた途端、場の空気が重く陰鬱なモノになった気がした。触れてはいけないモノに後から気が付いたような、妙な不安感が胸中に満ちていく。そして、その胸騒ぎを裏付けるかのように円さんが慌てふためきながら復唱し、立ち上がった。
「禍室だとっ!?」
「声がでかい」
「当たり前だろ。そんなやばい奴らと揉めてんのか!?」
「・・・ああ」
『カムロ』という名を聞いた円さんは立ち上がって驚きを表した。そして頭を抱え、ため息をついて一先ず会話を結んでしまった。
そんな状態の円さんに声を掛ける勇気がなく、僕は知らぬであろうことは予想しつつ、朱さんに尋ねて場の空気を変えようとした。
「カムロって知ってますか?」
「いや、私も初めて聞いた名だ」
するとその声が聞こえたのか、円さんが鬱屈した気持ちを吐露するような声音で教えてくれたのだった。
「禍室ってのは、天獄屋の最も汚らわしい連中の事さ。『亥袋』を拠点にしている極悪非道な奴等でな、妖怪の世界である天獄屋を以って闇と邪を食んで生きている。そこらの妖怪が可愛く見えるほどに恐ろしい」
そう説明する円さんの顔は青ざめていた。巳坂の両当主が一目置くほどの存在である円さんの口から出る言葉は僕たちにとっては最も分かり易い判断材料だ。
「そんな物騒な奴等に・・・?」
「一体、何を仕出かしたんだ?」
「何もしちゃいねえよ」
「じゃあなんで・・・?」
「知るか。こっちが聞きてえよ」
「これは飽くまでも噂なんですが・・・」
囲炉裏の周りに居座っていたウチの一人が口を開いた。
話を掻い摘むと禍室という集団の中に、天獄屋の中に少なからず跋扈する「人間」という存在を好ましく思っていない思想の妖怪たちが増えてきたらしい。今では然したる理由もなく悪逆非道の行いを思うが儘にやってきていたそうだが、最近になって人間を殺すことに執心した動きを見せるようになっているという。
そして禍室に属している妖怪の多くは、古い因習に捕らわれたり、かつての因縁から金物や刀剣をとかく嫌っている。その為に人間から対抗手段を奪う一つの策として刀鍛冶を襲う輩が出没しているそうだ。
この家に集まっているのは、全員が最近になって不可解な事件や事故に巻き込まれたりした人間たちで、自衛の為にこうして助け合っているのだった。
「・・・理不尽な話だな」
「それが禍室って奴等だ。天災の方がまだ諦めがつく」
いらつきが募っているのか、円さんは未だかつて見た事のないペースでお化けけむりを吹かし、ウイスキーを呷った。
「ところで、お前らはどうして岩馬に? 俺の店に行ったと言ってたけど」
「ああ。実はな、こいつを直してもらいたかったんだ」
円さんの言葉をきっかけに朱さんが袱紗ごと太刀を吾大さんに手渡した。それをほどいて中身を改めると、周りにいた鍛冶屋や職人たちが落胆の息を漏らし、皆で一様に円さんを一瞥した。
「…ひでぇなこりゃ」
「言ってくれるな…で、どうだ? 直せるか?」
「ああ。とは言っても少し時間を貰うがそれでもいいか?」
「当たり前だろう」
「ホントは半日で十分なんだが、禍室のことがあるからな――出来上がったら手紙でも出すから取りに来てくれ」
「ああ、分かった」
手短にそう話をまとめると、吾大さんの方から少しでも早くここから去るように促された。円さんは少々渋ったが、チラリと僕らの顔を見るとすぐに納得し、帰り支度を始めた。
気を使ってくれるのは嬉しいが、足を引っ張っているのではないかと歯痒くなる。
そうして表の戸に手を掛けた時、円さんが一つ思い出して言った。
「そういや紫には会わなかったか?」
「紫? 坂鐘の?」
「店までは一緒だったんだが、その後分かれてあんたを探すことになってな」
吾大さんは黙って固まってしまった。その様子を妙に思ったのは僕だけではないはずだ。
「どうした?」
虚ろ気味に固まっていた吾大さんはハッとした表情を見せたかと思うと、誤魔化す様な笑みを見せて応じてきた。
「いや、すまん。紫にはさっき会ったんだ。同じことを話して、何とか坂鐘に助力を貰えないか頼んでな」
「それで?」
「当然、あのクソ野郎に伺いを立てないと返事ができないと言われてな」
「そりゃそうだろうな」
「とにかく急ぎで返事が欲しいと言ったら、すっとんで巳坂に行ってくれたよ」
「そうか」
言い終わると、吾大さんは僕と朱さんの顔を見て尋ねてきた。
「それと、帰る段になって今更だが、そっちのも紹介してくれるか?」
「ああ、悪い。ちょっとした事情でウチで今預かってるんだ」
「朱と申します」
「環です」
「俺は吾大。和泉屋とは天聞塾時代からの仲でね。初対面なのに、いきなり物騒な話をしちまって悪かった。事が収まったらまた改めて挨拶させてくれ」
それからはコソコソと泥棒のように周囲を気にしながら外に出た。取りあえず視線や気配は何も感じない。
円さんは大通りに出るまでの間に何度かため息を漏らし、幾度か独り言をぼそぼそと呟き、心配そうに振り返りながら歩いていた。
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