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第二章 岩馬

暴露

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「それじゃあ、出発ー!」

 食休みを兼ねた出掛けるための支度を済ませた後、紫さんの号令と共に店を出た。

「行く前から疲れるんだが」

 すかさず円さんのため息に似た声が聞こえた。だが紫さんはまるで意に介していない。そんなやり取りを見つめながら、僕と朱さんは後ろをついて行っていた。

「で? 岩馬にはどこを通るつもりなんだい?」
「歩いて行けば良いだろ」
「それだと『馬の背』行くまでに時間がかかるよ。岩馬に行くのに『馬の背』を無視はないだろう」
「そうは行っても、他にどうやって」
「男女で二組作れるんだから『恋慕の穴』を通ればいいじゃない」
「あ、それもそうだな」
「何ですか、その『恋慕の穴』って」

 と、耳慣れない言葉が出てきたので、すかさず意味を尋ねる。分からない言葉が会話に出てきたらすぐに聞く。これを怠っただけで痛い目を見ることが天獄屋の中では多すぎるのだ。

 紫さんはくるりと宙返りをして僕の後ろに回り肩に手を置いてきた。

「天獄屋には特定の条件を満たしていないと入れない場所や通れない道が沢山あってね、その一つに『恋慕の穴』っていうのがあるんだ。未婚の男女が一組になっている時しか通れない道でね。岩馬くらいならそっちを通った方が早いんだよ。因みに君たちは結婚はしてないだろ?」
「はい」
「・・・ああ」

 紫さんの質問に朱さんはどうしてか沈んだ声音で応える。それが妙に僕の中に引っかかってしまった。だがそれもこれも打ち消すかのように、紫さんの軽い声が響いた。

「なら決まりね」

 しばらく円さんについて行くと、巳坂の楼閣のような景観からは大分異質な洞窟があった。灰色の石鳥居が前に立っており、その脇は見慣れた巳坂の飲み屋街が延々と続いている。

 周りには数は多くないが男女が何組かいて、洞窟から出てくるのも手を繋いだ男と女ばかりだ。

「組むのは俺と朱、環と紫でいいか」
「おやおや、朱ちゃんと手を取り合って歩きたいのかい?」
「その方がよいだろう。私と環はここを通ったことがない、互いに心得ている者についた方が安心だ」
「・・・ちぇ。からかい甲斐がないなぁ」

 拗ねたように言った紫さんは僕の手を取ると、ぐいぐいと恋慕の穴へと引っ張っていった。

 ◇

「そろそろ追いかけるか?」
「ああ」

 環らの姿が洞窟の暗闇で消えてしまった頃、俺は朱の手を取った。肌は白く上背も俺より低いのでつい侮ってしまいそうになるが、自分の掌に伝わってきたのは胼胝が固くなった武を嗜む者の手の感触だった。

 ふと朱の顔を見る。

 手合わせをした時のようなきりっとした顔つきを想像していたのだが、実際には緊張で強張った頬を自前の髪よりも赤く染めた顔があった。

普段の堅物な性格から察するに、男と手を繋ぐのは憚られるのだろう。言動を考えてみても、江戸時代とかの価値観だし。

 ・・・。

 いや、このギャップはまずいだろ。

 玄と朱がどんな因果で妖怪と化し、その姿を得たのかは知る由もない。が、玄はまだしも朱はどう見たって十六、七の齢の容姿だ。それで照れられると、何だかこっちまで気恥ずかしくなってきてしまった。

「・・・円殿」
「ひゃい?」

 三十を超えた分際で余計な事を考えていたら、ひっくり返った声を出してしまった。

「実は折り入って話しておきたいことがあるのだ」

 赤面はそのままに少々目が潤んでいる。俺が何も言えないでいると、それを返事と思ったのか、朱はおもむろにある事を喋りはじめた。

 ◇


「ボクが女だと分かって、もやもやは晴れたかい?」

 紫さんに手を引かれ恋慕の穴に入って少したった頃、不意にそう尋ねられた。紫さんの一人称が「ボク」なので、今一つ自信が持てずにもやもやしていたのだ。昨日の棗さんの一件もあるし。

「顔に出てましたか」
「まあね。というかこんな美女が男な訳がないだろう」
「すみません」

 僕がそう言うと紫さんはケタケタと笑った。

「いいさいいさ。ただでさえ、円君の周りには美女が多いからね。ボクレベルでも見劣りしてしまうのだよ」
「確かに紫さん始め、綺麗な方が多いですね」
「お? 嬉しいことを言ってくれる。まあ、そもそも天獄屋は女の方が多いから当然と言えば当然だけどね」
「女の方が多いんですか?」
「そうさ。ナントカ女とかナントカ婆っていう妖怪は結構いるけど、その逆はあんまり思い浮かばないだろう?」
「そう言われれば・・・」

 ふとこの数日の巳坂の日常を思い返す。確かにこっちでできた知り合いも、お世話になっているお店の客層も女の方が圧倒的に多いような気がする。もっとも皆が基本的には化けている姿なのだから、見た目を鵜呑みにしていいのかどうかは分からない。

「その上、円君は結構モテるからね…特に癖の強い訳アリ女には」

 ボクも含めてね、と紫さんは悪戯っぽく言うとやはりケタケタと笑った。

「紫さんも元天聞塾生なんですか?」
「その通り」
「やっぱり同窓生は多いんですね」
「ボクも含め、特に磨角さまと鈴さまのところは多いね。けど近くにいるから目立つだけで、実際はそんなに多くないよ」
「そうなんですか?」
「うん。実際には三十…もいないくらいだからね」
「あ、意外に少ない」
「だろ? その時から半分以上はボク達女妖だったしね。今となっては大体が巳坂にいるけど、さっき言った通り両当主のどちらかに転がり込んで暮らしているから、ちょくちょく会ったりはしてるんだけど」
「鈴様と磨角様に雇われてるんですね」
「そうそう、日々扱き使われてるのさ。とは言っても円君よりは楽だけどね」

 と、傍目にいる紫さんが言うのだから円さんは本当に扱き使われているのだろう。ただ、この前の事件以来、円さんが呼び出しを喰らったことはないので一応は怪我に気を使っては貰っているみたいだ。

「・・・ん?」
「どうかしたのかい?」
「今、素朴な疑問を持ったんですが」
「ほう、どんな?」
「鈴様たちの前のご当主は、どちらにいらっしゃるんですか・・・」
「・・・」
「そもそも、天獄屋で大妖怪って方に会ったことがないんですが」

 大妖怪、というのは定義はまちまちだが、僕は単純に年が千年以上の妖怪はそう呼んで差し支えないと思っている。その定義が天獄屋の中でも通じるのかどうかは知らないし、正体を隠すのが常の世界で年齢などをどうやって見分けるのかも分からないが、それほどまでの妖怪に会ったことは未だにない。

「環くん、ちょっとストップ」
「はい?」

 僕を諫める紫さんの声のトーンが途端に低くなり、少しだけ違和感を覚えた。紫さんは紫さんで声の雰囲気に違わぬ渋い顔をしてうんうんと唸って言葉を探している。

「うーん、その件は今の天獄屋ではかなりデリケートな話でね…あんまり他所に聞いて回らない方が良いよ」
「・・・」
「円君も流石にそこまでは教えてないか・・・けどごめんね、ボクも教える訳にはいかないんだ。彼が教えていないというのなら、きっと理由があるはずだからね」
「・・・分かりました」
「ままま、そんな顔しないで。本当にデリケートな話なんだ。けど、円君はずっと黙ったままなんて不誠実な事をする男じゃない。その内話してくれると思うから、気長に待ってなよ」

 ひょっとしなくても天獄屋のよろしくない部分に触れてしまっていたようだ。先日にも錬金術の塾がやっているかどうかを円さんに尋ねたところで、似た様な気まずい状況になってしまったことがあった。

 思わぬところに地雷が多いような気がするが致し方ない。まだこの世界の事がよく分かっていないのだ。そこは外様からの新参者という今の立場を十分に使わせてもらう他ない。

 そんな事を思っていると、やがて先に外の光りが見えてきた。
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