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第二章 岩馬

劇的な入場

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「いやいや、一緒に連れていくよ。そんな非道な奴じゃないぞ、俺は」
「本当か?」
「昨日、巡も言っていた通り、いま単独で動くのは怖い。お前らも、もし俺を抜きに表を歩くなら可能な限り誰かと連れ添うように気を付けろよ」
「わかりました」

 そして各々が朝食の支度に取り掛かろうと店から奥へ引っ込もうとしたところで、朱さんが妙な事に気が付いた。

「おい、何だかこの煙、妙ではないか?」

 言われて僕も反応した。確かに円さんのお化けけむりの残りにしては煙が立ち込め過ぎている。その上風もないのにうねうねと動き、まるで意思を持って集まっているかのようだ。現に部屋の中の煙は緩やかな渦となって僕らが囲んでいる卓袱台の上に固まってきている。

「ん? あ、これは・・・」

 何事かと困惑する僕らを尻目に円さんだけは状況に得心がいったらしい。

 一体何ですか、と聞こうと思った僕の声はかき消された。煙の中から軽快なあいさつと共にセーラー服姿の女が飛び出してきたからだ。

「ぃっよっすー!」

 黒いショートボブにはパーマがかかっていて、とてもフカフカとしていた。セーラー服の似合う華奢で軽そうな体つきなのだが、実際にプカプカと空に浮かんでいる。膝上くらいの長さのスカートからはすらっと細い足が出ており、ブカブカのローファーの先っぽはぼやけていて煙との境目がよく分からない。人の形を取ってはいるが妖怪なのは間違いなさそうだ。

 そして何より僕の正面に座っている円さんに挨拶しているものだから、スカートの中が丸見えだった。尤もいくら相手が女でも人の形をしているモノにはどうしたって欲情しないのだけれど。

「・・・知り合いですか?」
「残念ながら知り合いだ」
「なんという塩対応。流石のボクも傷つくぜー☆」

 語尾に☆でもついているかのような軽いノリと喋り方だった。円さんは早々にうんざりしたような顔で僕らを指差して女に向かって言った。

「いいから自己紹介でもしてろ」
「そだねー」
「うぜぇ」

 浮かんでいる女はクルリと向きを変えると、屈むようにして目の高さを下げてきた。が、それでも僕よりはいくらか高い。

「改めまして、こんにちは。ボクは坂鐘家当主専属の御側御用役目の紫(むらさき)。以後お見知りおきをー」
「あぁ、はい。環といいます。円さんのところに厄介になっています」
「同じく朱と申します」
「棗くんから聞いてるよ。この間はお揃いで大層なご活躍だったそうじゃないか」

 紫さんは僕らの後ろに素早く抜けると肩を組んで、そんな風におだててきた。肩に乗っかっている感触はあるのに重量がまるで感じられない。何とも不思議な感覚だった。

「で、何しに来たんだ?」
「つれないなぁ。珍しく円君がやられたっていうからお見舞いに来たんじゃないか。怪我はもういいのかい?」
「まあ、ボチボチとな」
「そいつは何よりだ」
「で?」
「で? とは?」

 紫さんは人差し指を頬に当てながら、あざとく小首を傾げて聞き返す。

「それだけじゃないだろ」
「いやいやいや、ホントにそれだけだって。ついでのお見舞いなのは悪いとは思ったけどさ」
「ついで?」

 僕らを離れ、円さんの肩を揉みながらご機嫌取りのように言った。

「磨角さまに頼まれたお使いの途中なんだよね。けど聞いていたら、何やら円君達も岩馬に行くみたいな話しじゃないか」
「達もって事は…お前もか?」
「そうなんだよ。折角だから一緒に行こうぜー」

 転がる様に話がまとまると、すぐに朝食の支度をすることになった。紫さんは率先して台所に入り、柱に掛かっていたエプロンを慣れた手つきで身に着けた。てっきりその流れで包丁とまな板を取り出すかと思いきや、天井の方へ浮かんでいってしまった。

 円さんは慣れたように無視して料理を始める。すると上から茶化す様な声がした。

「いやー、ボクまでご馳走になって悪いね」
「ったく」
「そんな機嫌悪くするなよ。ホラ、セーラー服のエプロン姿なんて男の君には眼福だろ?」
「エプロン付けるんなら少しは手伝え」
「ムリムリ、めんどくさいし」

 それからも気の知れた掛け合いは続いた。その内にできた会話の合間に僕は見上げて尋ねてみた。

「紫さんって何でセーラー服着てるです?」

 そうしたら、まず不敵な笑いが返ってきた。

「ふふふ。久しぶりにそんな愚問を聞いたぜ」
「え?」
「それはね・・・セーラー服より可愛い服が存在しないからさ!」

 紫さんはさして大きくもない胸を張り、威風堂々とした態度でそう言い放つ。

「…あ、はい」

 僕の大したほどでもない経験則でも話半分で聞いておけと、たちまちにそう悟った。紫さんの瞳は性質や熱量は違えども、趣味に燃えた輩の目の光り方のそれだった。

「機能美、内容美、様式美を全て兼ね揃えていると言っても過言ではないと、ボクは思っているからね。これだけの美しさをもった服なんて天獄屋だけでなく此の世を探したって見つからないさ」
「一度しか天獄屋を出たことないくせによく言うよ」

 円さんの声に紫さんは更に芝居がかった口調と動きで説明し始めた。朝ごはんの支度の最中だから、正直言って鬱陶しい事この上ない。その上、円さんは慣れたように躱しているし、朱さんは絶妙に気配を殺しているので必然的に紫さんの講釈が僕に飛んでくる。

「…そうさ。思えばあの一度の外出が運命だったのさ。円君が高校生の時に、こっそりと彼の通う学校を見学させてもらってね。その時、通学路で見た朝の女学生たち…彼女らの身に纏うセーラー服を初めて見た時のボクの衝撃…分かるかい?」
「分かんねーよ」
「とにかく、そんな訳でそれ以来すっかりセーラー服の虜になってしまったのさ」
「そうですか」
「よかったら着てみるかい?」
「遠慮しておきます」
「ちぇ」

舌打ちをした紫さんは、あからさまに僕に興味を失い奥にいた朱さんに向かって話しかけた。

「朱ちゃんはどうだい? その赤みがかったポニーテールに映えると思うぜ」
「いや、私も遠慮させて頂く」
「そう…」

 短い間に僕も朱さんが紫さんのあしらい方を覚えていた。それからはクルクルと天井の真下を漂っていたが、やがてバツの悪さを感じたのか出来上がった料理を運ぶのを手伝い始めていた。

 やがて、いつもよりも遅めの朝食になった。

 卓袱台の上に不思議菜の花の味噌汁、ヨンマの塩焼き、血眼なまこの酢の物、大根の抜かず糠漬けが並ぶ。

多少なり天獄屋の食材にも慣れてきたが、まだまだよく分からない食べ物が多い。円さん曰く、どれもこれも酒の肴にうってつけの料理らしいが、飲まない身としては有難味は分からない。

 そうして全員が食べ終わった頃、紫がハッとした顔で言う。

「あれ? そういえば円君、お酒は?」
「飲まない」

 その返事に紫さんは思わず立ち上がり、その勢いのままに空中に浮かび上がってしまった。そして真っ逆さまになるとスカートを手で押さえながら円さんへ強めに問いただした。

「おいおいおいおい。これから出かけるってところだぜ? 雨が降ったりしたらどうするんだい?」
「清肝茶飲んだんだよ」
「…これはマズイな、槍が降るかも知れない」

 そう聞くと紫さんの顔は青くなり、まるでめまいを堪えるかのような格好のまま浮かんで行ってしまった。

「そういえば思い出したが、頼んでヤツはどうなってんだ?」
「ああ、ごめんごめん。まだ全部できてないんだ。あと一日二日で出来る予定だから、すぐ持ってくるよ」

 言いながら、さっきの芝居は何だったのかと言わんばかりにコロッと態度を変えて降りてきた。

「何か作ってるんですか?」
「店で出す肴で燻製を少しな。紫の作る燻製は絶品なんだよ」
「へえ、燻製ですか」
「そりゃあもう燻製だったら任せておいてよ。何しろボクは煙の妖怪『煙々羅』だからね。煙に関わる事なら何でもござれさ」

 素の会話の流れで出てきたのでうっかり流してしまいそうになったが、紫さんはとんでもないカミングアウトをしていることに気が付いた。

「…あ、あれ? いま正体を…」
「あ、そだねー。ままま、細かいことは良いじゃない」
「軽いなぁ」
「煙だからね☆」
「こいつは教科書に載せたいレベルの悪例だ。絶対に真似すんなよ…というか人間に気を使わせるなよ」
「円君は妖怪みたいなものだからね」
「どういう意味だ、コラ」

 と、円さんのツッコミが入ったところで朝食がお開きとなった。
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