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第二章 岩馬

真実か詐話か

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「というわけで、僕達坂鐘家御用勤めに和泉屋さんの鍋島環君を加えまして、めでたく巳坂に『こりてんみょう』が揃いました。それでは、これからも仲良くしようという意味を込めまして…乾杯っ!」


 棗さんの音頭と共に五つの手が伸びて、五つのコップがチンッとガラス同士がぶつかった独特の音を奏でた。

 その音を耳の奥に届けながら、僕はここに来るまでの短いながらも怒涛の時間を思い出していた。

――――――――――

 坂鐘家の庭でのひと悶着の後、予想通りの面子で無事に「集めの揃え」に足を運ぶことができた。尤も道中、スズメさんと小梅子コンビのじゃれつき合いは絶えずして、しかも棗さんは仲裁に入らずだったので、互いが僕を味方に付けようと巻き込まれる形になっていた。

 道中に聞いたのだが、古来より化ける能力に抜きん出ている四つの動物のことを「こりてんみょう」と言うらしい。なぜこりてんみょうというのかと聞けば、漢字で書くと「狐狸貂猫」となるからだそうな。

 すると湧いてくる疑問が一つ増えた。


「五つで一組じゃないと入れないんですよね? こりてんみょうだと四つで一組になるんじゃないですか?」


 そんな疑問を棗さんに投げかけると、すぐ横からしししっと小馬鹿にしたような笑い声が聞こえた。


「違うよ、お兄ちゃん。私たち貂は少なくとも二匹いないと化けられないんだよ。だからこりてんみょうが揃うって事は、最低でも五匹になるって事」

「へえ。なるほどね」

「そうそう。一匹だけじゃ妖術も使えない半端な奴らってことだ」

「はいはい。一匹で何でも出来るなんてすごいすごい」

「え? 小梅、何言ってるか分かるの? 私、ぽんぽこぽーんってしか聞こえないのにー」

「ぶっ飛ばずぞ、ガキども」


 と、狸と貂は器用に歩きながら喧嘩をし始めたのだった。

 ―――――――

「ふう」


 不意にため息が漏れた。思い出しただけでも疲れるのだから仕方がない。

 結局、スズメさんと小梅子はじゃれつき合いを最後の最後までしていた。終始楽しそうに眺めていた棗さんが信じられない。ひょっとすると親睦などは名ばかりでこの三匹の世話を押し付ける為に呼んだんじゃないかと勘ぐってしまうほどだった。

 しかし。

 そうぐったりとつまらないことを考えたのも束の間。僕は庵に運ばれてきた料理に目と心を奪われていた。

 この「集めの揃え」という店は如何にもな料亭の門構えをしていた。そこをくぐればこじんまりとした庭園が歓迎してくれた。鈴様のいる巳縞家の庭園を見事というならば、ここの庭園は風情といった具合だろうか。

 派手さも広さも巳縞のそれには劣るが、どちらも甲乙つけがたい。

 何かと五に拘る店なのは確かなようで料理が運ばれてくる庵が五つほど点在していた。僕らその中で小さな池の真ん中に建っている庵に通されていた。入ったことはないが。茶室とはこんな感じの部屋なんじゃないかと思わせる様な日本風の部屋で、呼吸をするだけで和んでいくようだ。

 そんな部屋に並ぶ料理を想像してもらいたい。目だけでも十二分に楽しめる程の仕事がなされていたのだ、多少の苛立ちや疲労感など埃のように飛ばされてしまった。

 ここに来るまでのあれこれで喉が渇いていた僕は、乾杯の時に汲まれた水を一気に飲み干してしまった。美味しい。


「はい、環お兄ちゃん。どぞ」


 そう言いながら梅子が銚子を傾けてきた。折角だけど、と僕は前置きしてからそれを断る。


「折角だけどお酒は…」

「え? 飲まないの?」

「そりゃまあ、未成年だし」


 僕がそういうとスズメさんが笑い出した。くいっと一気に酒を呷ると乱暴に言った。


「妖怪に未成年も何もないだろ」

「そりゃそうですけど、此の世での暮らしが長いと人間の法律は身に染みてますから…」

「そうか? 俺らだって此の世の暮らしは長かったけど気にしてねえぞ?」

「え、皆さんも外様なんですか?」


 外様と言うのは天獄屋の外で生まれ育ち、何かしらの事情で天獄屋に入ってきた妖怪の事を言う。僕は厳密には天獄屋の生まれなのだが、此の世の暮らしの方がはるかに長いので自分の事も外様だと思っている。

 ちなみに此の世とは天獄屋の中での人間の世界の呼び方だ。


「うん。僕らは此の世にいたころから縁があってね、まとめて磨角様に面倒見てもらってるんだよ」

「棗が磨角様にお願いして、私たちを坂鐘に入れてくれたのー」

「へえ」


 僕は外様仲間が増えた事に密かに喜びを感じていた。天獄屋に来てからは目新しいことに振り回されっぱなしだったから、尚更此の世からやってきた妖怪には親近感を覚えるのだ。

 それを皮切りに、皆で此の世にいた思い出話を肴にし始めた。

 何でも棗さん達は此の世にいた頃はお互いに敵対関係だったらしいが、ひょんなことから話をしてみると、意外に意気投合してつるむようになったそうだ。

 しかし人間社会の変化についていけず自分たちの一族は離散。行き場を無くした棗さん達は藁にも縋る思いで天獄屋へやってたという。その時、同じように仲の良かった猫が一匹いたらしいのだが、その猫だけは此の世に留まる事を選び以来一度も会えていないのだという。


「だから環君が猫又だって知った時、ついこの子たちに話をしてみてね。仲良くできたらなって事になったんだ」

「なんであれ仲良くしてくれるのは嬉しいですよ」


 僕がそう言うとふとしんみりとした空気が流れ、それに感化されたのか小梅がしみじみと呟く。その瞳は涙を堪える様に潤んでいた。酒も進んでいるようだから、彼女はひょっとしたら泣き上戸なのかもしれない。


「今頃なにしてんだろうね、緑子」

「昼寝しながら寝てる夢でも見てるんだろ、きっと」


 そう言うとスズメさんは正しく酔っ払いのようにヒックと、一つしゃっくりをした。その時、僕は両脇にいた小梅と梅子がいつの間にか距離を縮めてすり寄ってきている事に気が付いた。

 揃いも揃ってむふー、というよく分からない息の仕方をしている。紅潮した顔は色っぽいと言うよりもだらしない。やっぱり子供なんだから酒を飲ませるべきじゃなかった。僕は慌てて水を飲むように促す。


「じゃあ口移しがいいな」

「梅子もー」

「馬鹿言ってないで、ちゃんと飲まないと二日酔いになるよ」


 取り合ったら面倒くさいことは短いながらも和泉屋の暮らしで身に染みている。酔っ払いはまともに相手をした時点でこちらの負けなのだ。

 僕のそんな様子が一体どんな風に映ったのか、小梅子コンビはまたしても呂律がよく回っていない口で面倒くさいことを言い出した。


「口移しくらいでビビるなんてザコなんじゃないの」

「かっこわるーい。私達が女の子のこと教えてあげようか、お兄ちゃん」


 そうしてケタケタと笑い始める。

 どうやら小梅は「ザコ」、梅子は「かっこわるーい」というのが口癖らしい。なんてうっとおしい口癖なんだろうか。少なくとも立場を選べと言えば僕はスズメさんに同情する機会が多くなりそうな気がした。

 双子の様を見ていた棗さんは、近所の子供を可愛がるお年寄りのような目をこちらに向けていた。他の三匹と同じくらいに酒の進んでいるはずなのに、見た目も言動も酔っている風には見えなかった。


「良かった。みんな環君のことも気に入ってくれたみたいで」

「片やケンカ売られて、片や罵倒されてるんですが…」

「ふふふ。だからだよ、スズメも小梅も梅子も気に入った相手にしかそんなことしないよ……いや、小梅と梅子は本当に馬鹿にするときもあるか」

「駄目じゃないですか…」


 いや、そもそも喧嘩を売られて罵倒されるくらいなら気に入られなくても全然いい…とは流石に口が言葉を出すことを留めた。色々と妖怪や人間と知り合う機会は増えたものの、やはり同じ四本足で歩く仲間は大事にしたいという思いが強くなってしまう。

 棗さんは双子を見て微笑んでいるのだと思っていたけれど、どうも違うらしい。

 僕を含めて今、この庵にいるみんなを見て慈愛に満ちているような雰囲気だった。

 すると酔ったスズメさんが軽はずみにこんなことを言った。


「ま、お前も役得だろ。美女だらけの酒席なんて滅多にないぜ」

「美女?」


 と、言ったのは僕ではなくて小梅と梅子だ。断っておくが。

 その上で僕は一応のツッコミを入れておいた。


「いやいや、棗さんだっているじゃないですか」


 チラリと棗さんに視線を送る。てっきり「そうだよね」と肯定の一言でも言ってくれるかと思っていたのに、棗さんは照れくさいというか、申し訳ないというような表情でぽりぽりと頬を掻くばかりだった。

 それは何も言わない事が一番雄弁に何かを語っている。

 僕は何一つとして取り繕わずに思ったことをそのまま喋ってしまった。


「…マジっすか?」

「うーん、実はマジなんだよね」

「すみません、僕はてっきり男の方だと…」

「ううん、気にしないで。体は女なんだけど女として振る舞いたくないんだよね。だからこんな格好してる訳だし。だからこれまで通りに仲良くしてくれると嬉しいな」

「そりゃもちろんです」

「ありがとう」


 世の中色んな人がいるから、色んな妖怪もいるだろう。と頭の中で思っていても、いざ自分の身近に事情を抱えている妖怪がいると思うと、そわそわしてきてしまった。

 幸いだったのはそんなそわそわ感を味わう暇なく、酔ったスズメさんと小梅子に散々におもちゃにされた事だった。

 酔うと面倒くさくなる輩は和泉屋でも沢山見てきたが、こいつらは別格だった。

 仮に和泉屋の店に来てもらう機会があったとしても、酒は飲ますまい。そう心に誓う。そして、そんな絡み酒に付き合っている僕を棗さんは微笑ましく肴にしていた。

 うーむ。やはりこうしてみると顔立ちは整っているけれど、女には見えない。尤も妖怪の変化した顔にどれほどの信用が持てるのかは甚だ疑問であるが。それでも僕は、何となく狐につままれているような感触から抜け出せないのであった。
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