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第二章 岩馬
錬金術師の隠れ家
しおりを挟む慌てた様子で出て行った玄さんが戻ってきた。出て行った時の青ざめた様な顔は少しだけだが和らいでおり、目の奥には何かを覚悟したような芯の強さが感じられた。
玄さんは店にまだ客が入っていない事を確認すると、カウンターの奥でテイスティングをしていた円さんに毅然として声を掛けた。
「円様。折り入ってご相談したい事があります」
「どうした? 改まって」
「私たちに本格的に修行を付けて頂けませんか?」
「修行?」
「はい。今度いつ、先日のような事が起こるか分かりません。その為に日々の研鑽を積んでおくのは無駄ではないはずです」
「それは体術の修行って事か?」
「勿論、それもありますが、体術はきっと朱の方がお役に立てることも多かろうと思います…私の場合は錬金術の修行をお願いしたいのです」
「・・・」
「理屈や知識を蓄えることでしたら私の方が心得ていますし…それに…実は梅ヶ原様に、円様の外套のことを伺いました」
それを聞いた途端、一気に円さんの顔が曇るのが分かった。事情は分からないが、あまり知られたくはなかったことをばらされた様子だ。そして舌打ちを前において、
「ッチ。あの野郎、余計な事を」
と、不機嫌そうにつぶやく。
「私が無理にお伺いしたのです…確たることをお約束はできないのですが、一つ考えがあります。まだ詳しくはお話しできませんが、それでも錬金術を教えて頂ければ、必ずお役に立ってみせます」
「…」
「お願いします、円様」
立ったまま深々と頭を下げた玄さんを見て、円さんは残っていたウイスキーを一気に呷って飲み干した。
カンッと、グラスをカウンターに置いた際の甲高い音が店に響く。そして手癖のようにおばけけむりに火を付けて返事をした。
「実を言うと、そういう修行になってもいいか聞こうと思ってたんだ」
「え?」
「環からも同じことを言われてな」
「環くんも?」
振り返ってきた玄さんに向かって僕は黙って頷いた。円さんの怪我の治りを待って、さきほど玄さんが店を飛び出した時に丁度タイミングがあったので先に頼んでみていたのだ。
「厳しくなってもいいから、より本格的で実践的なことを教えてくれと頼まれたんだ。体術と錬金術の両方をな」
「…そうでしたか」
円さんはカウンターから出ると、店の戸に吊るしてあった営業を知らせる看板を外してしまい、カーテンまでかけた。
「折角やる気が出たんだ。それを削ぐのはもったいない。どうせ客もいないし、やってみるか? 本格的な修行ってやつ」
その言葉に僕と玄さんは目を輝かせて返事をした。
「「お願いします!!」」
僕達はすぐに店から円さんの部屋へと移動した。
約一週間ぶりに入ったが、何をどうしたらこうなるのかというくらいの散らかり様で、前にはあった足の踏み場さえもなくなっていた。玄さん初めてこの部屋に入ったのであろう、少し顔が引きつっていた。
そんな僕らの事はお構いなしに、円さんは秘密の隠し部屋の鍵となっている絵の前に立って、例の呪文を呟く。
『錬金術はあらゆる世界の扉を叩く』
裏でからくり仕掛けが動くような鈍い音が部屋の中に響いた。壁の一部が変わり、すぐに奥へと続く階段とそれを照らすランタン、重々しい扉が露わになった。
「これは…」
木造の和室から急にレンガ造りのトンネルと階段が現れた事に、玄さんは分かりやすく驚いている。僕も初めて見た時は驚いたのだから気持ちは分かる。もっとも急な事だったので、今よりさらに気まずかったけれど。
「こいつは俺の実験室の隠し扉だよ。今、俺が言ったのが合言葉だ。この部屋の中でああ言えば、この扉が見つかる仕掛けだ」
「環くんは知ってましたか?」
「実はこの前偶然見せてもらいました。けど中は僕も知らないです」
そう。だからこそ、今日はその中に入ることに胸が躍っている。
階段を下り、最奥の扉の前につくと先頭に立っていた円さんが徐に振り返った。その眼は冗談やお道化たような雰囲気は一切なく、相手は妖怪ではなく人間であるというのにプレッシャーを感じてしまった。
円さんはその眼光に違わぬ声音を出した。
「錬金術師は秘匿性を何よりも重んじる。この中で見聞きした一切を他言しないと誓えるか?」
僕は怖気ずに力強く頷いた。それは玄さんも同じだ。
その旨を確認した円さんはポケットから鍵を取り出し、重々しい扉を押し開けた。ここから先は僕も見た事がない。緊張感と期待感が混じって、自分でも浮足立っているのがよく分かった。
廊下の先は行き止まりになっており、その左右に対称的な扉が二つあった。
円さんは向かって左側の部屋に入って行く。この部屋の扉には鍵がかかっていないようだ。
部屋の中はどこかの道場を思わせるような広い空間となっていた。入ってきた扉から向かって右側は正しく道場と例えたように板張りの床になっており、壁には木刀、木剣、六尺棒などが掛けられている。
反対に左側はガラス張りの小部屋が設けられている。こちらは『錬金術師の工房』という言葉が最も似合うような様相だった。時代の掛かった机や棚にフラスコや試験官、ビーカー、奇妙な形の器具や金属などが置かれている。そしてどちらの部屋も円さんの私室と違い、埃一つない程に整理整頓されていた。
『天獄屋は空間が半分働いていない』
つい先日聞いた言葉を思い出した。この部屋も術で作った部屋なのだろう。
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