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第一章 巳坂

最初の晩餐、続き

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「そういや、あかねにはもう会ったのか?」

「そう言われればまだでした。今聞いてみますね」

 玄さんはそういって胸に手を当てた。

 そして、そのまましばらく黙りこむ。

「明日、着替えた時でいいそうです」

 やがて、顔を上げてそう答えた。

「ま、一々着替えるのも面倒だしな。まずは夕飯を済ましちまうか」

 まだ、会わせたい誰かいるような会話であったが、どうやら明日に繰り越されたらしい。なので気にしないことにした。

 僕は卓上のタタキに箸を伸ばす。薬味をたっぷり乗せて頬張ったところで玄さんが声を出した。

「環くんって、猫又なんですよね? 薬味ごと食べてしまっていいのですか?」

 そう尋ねられた。

 その瞬間、それを聞いていた円さんと景さんがむせてしまった。

 円さんは焦って続ける。

「だから、人間のいる前で妖怪の正体を明かすなよ。吃驚した」

 景さんはお酒が変なところに入ったのか、まだ咳き込んでいた。

「僕は気にしませんが」

「お前らが良くても、他の妖怪連中は違うんだよ。中にはその場に居れなくなったり、消えちまったり、洒落じゃすまない奴らだっているんだから。人間か妖怪かを尋ねるんならいざ知らず、無闇に妖怪の正体を聞くな。郷に入っては郷に従えって言うだろう」

 円さんは溢した酒を拭きながら言った。

「けどもまあ、知っていた俺も迂闊だったな。その、大丈夫なのか?」

「ええ、問題はないです。何と言いますか、葱とか韮の類が苦手な猫又は多いかもしれませんが、食べられない訳ではないです。僕たちは猫の妖怪であって猫そのものではないですから」

「よく分からねえな?」

「厳密に言えば、そりゃ猫の要素も持ってますが」

 僕は少し頭を捻る。

 なんと説明すれば良かろうか?

「つまり、人間と猿みたいなものと言えば分かりますか? 霊長類として括っても人間とオラウータンは違うでしょう? けど犬や鳥みたいな、そこまで大きな違いではない、といいますか」

「ほほう。言い得て妙な話だな」

 円さんは目から鱗が落ちたような顔をした。

 玄さんはあまり現代の知識がない妖怪なのかぶつぶつと、オラウータン、オラウータン、と反芻し呟いていた。

「ってことは、ある日突然、同属がぽんと加わったりするってこともあるのか?」

「ありますよ。むしろ動物の化生の中じゃよくある話です」

「妖怪変化なんて、基本的には年月の影響で化けるものよ。天獄屋は血族で続いてるのが多いから目立たないけど、巳崎にも少なからずそういうあやかしは居るわ」

 障子の向こうからも声がした。

「猿が今日から人間になります、なんてのは人にとっては違和感あるかもしれませんけどね」

「落語みたいですね」

 くすくすと妖怪たちは笑いあったが、この場で唯一の人間はふうむと考え込んでいた。

「ま、進化って言葉も化けると書くし、猿の化け物をつまり人間と呼ぶってのも面白い話だな」

 円さんはそう言うと、実に美味そうに酒をゴクリと飲んだ。

 そして隣に座っていた僕でさえ聞き逃してしまうような小さな声で呟いた。

「誰かが妖怪になった瞬間なんて一度しか見たことないからな」

 一瞬、もの悲し気な顔を見せたが、グラスを空にした後の顔は見慣れた円さんのそれだった。
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