上 下
32 / 85
エピソード2

貸与術師と『人狼』のアルル

しおりを挟む

 ◇

「い、いらっしゃいませ」
「いや、お店じゃないんだから」
「そうだけどさ…」

 朝食を再び弁当で済ませた後、俺は宣言通りに片付けが終わったであろう頃合いを見計らってアルルの部屋を尋ねた。ディアンドルを身に纏い、くるぶしの少し上くらいまで伸びたスカートの裾と、狼の耳を隠すかのように被った緑色のバンダナには彼女の所属する『アネルマ連』のギルド員が施されていた。

 てか、見た目からして胸が立派なのに更に強調するような服は反則だろ。目のやり場に困るんですよ。

 ガチガチに緊張したアルルに部屋の中へと通される。作りはラトネッカリや俺の使っている部屋と同じであったが、印象は大分違う。可愛らしい小物や植木鉢から生える植物の緑が映え、小洒落た雑貨屋か喫茶店のような内装だ。

「えと…お茶で良い?」
「うん。ありがとう」

 これまたレトロ調な丸テーブルと椅子に座らされ、お茶が出てくるのを待った。女性の部屋をキョロキョロと眺めるのは憚られたが、やることがないのでどうしても目線があちこちに移ろいでしまう。

「あ、お茶請けがない」
「いいよ。そこまでしてもらわなくても」
「でも…」
「なんで、そんな余所余所しいと言うか、慌ててるの?」

 俺は部屋を訪ねた時から感じていた疑問を直接ぶつけた。すると、

「そりゃそうなるでしょ!」

 という、魂の叫びのような声が帰ってきた。驚いてちょっと泣きそう。

「男の子を自分の部屋に入れるなんて初めてだし、二人っきりだし、しかもウチの新しいギルドマスターだし。そもそも出会ってから三日しか経ってないから何話していいか分かんないし…」
「そ、それもそうか」

 俺の素っ頓狂な返事が幸いにも功を制したのか、アルルはふうっと息を抜き、ついでに肩の荷を下ろしたかのようにうな垂れて自然な笑顔になった。

「なんかウチだけ緊張してバカみたい」

 その純朴な姿に、少しだけドキッとしてしまったのは内緒だ。

 俺は照れ隠しの意味も込めて、出された紅茶に手を出した。何の気なしに飲んだ紅茶だったが、今まで飲んだどの紅茶よりも鮮烈に香り立つそれに思わず唸ってしまう。

「あ、この紅茶、美味しい」
「よかった」

 紅茶の品評でアルルは更に安堵した雰囲気に変わった。ようやくお互いの呼吸が整ってまともに話をできる空気になったような気がした。

 それはアルルも感じ取ったようで、向こうから一番の話題を振ってきたのだった。

「で、本題だけど。狼が原因のウィアードってどういうこと?」

 折角アルルがそのように話題を切りだしてきてくれたのに、俺は前々から感じていた疑問を払拭するために、少しだけ話を変えてアルルに尋ねた。

「俺もその前に確認したいんだけど、アルルって人狼なんだよね」
「うん」
「人狼って狼になるときに、人っぽさが残るもんじゃないの? 完全な狼じゃなくてさ」

 少なくとも学校にいた頃の人狼は軒並みそういうタイプの変身をしていたものだから気になっていたのだ。

 込み入った事情でもあるのかと勝手に一人で盛り上がっていたが、教えられた真実は実に呆気ないモノだった。

「あ、それ? 半獣人っぽくなるのは男の人狼だよ。女の人狼はおっきい狼になるの」
「ああ、性別の違いなんだ」
「そう。なんでそうなるのかはよくわからないんだけどね」

 ようやく長らくの疑問が解けた。確かに今思えば学校生活を送っていた頃にできた人狼の知り合いは全て男だった。

 もやもやとしたモノが晴れた後、俺は話題を今度は自分から戻した。 

「…俺が気になっているウィアードってのが『パック・オブ・ウルヴズ』って事件って呼ばれてるんだけど、聞いた事ある?」
「『パック・オブ・ウルヴズ』? いえ…初めて聞いた」
「正確にはまだ事件は起こしてないんだけどね。だから知名度もそんな高くない…けど」
「けど?」
「もし本格的に動きだして、しかもそれがオレの思っているウィアードだったら…人が死ぬ」
「っ」

 脅かすつもりはなかったが、話の成り行き上仕方がない。それでもアルルの顔を不必要に青ざめさせてしまったことは申し訳なくなった。

 けれども、やはりアルルも熟練のギルド員の一人であった。

 すぐにきりっとした顔つきに変わり、瞳は使命感と責任感に燃えていた。狼の時と同じ銀にも見える白い髪が窓から入る日光に照らされては、キラキラとイルミネーションの様に光っている。

「詳しく聞かせて」
「ああ」

 俺は噂から推察し得た、『千疋狼』というウィアードについてゆっくりと話し始める。

 千疋狼とは名の通り夥しい数の狼が現れるという怪奇で個体を示す名称ではない。このウィアードの別称に『鍛冶が嬶』というものがあるが、こちらの場合になって初めて一個体を表すようになる。

 これはじっちゃんの画集の中でも結構な怪奇譚だった。

 とある身重の女が里帰りの為、夜中に山道を歩いていた。すると運悪く狼に襲われそうになる。それでも不幸中の幸いとばかりに通りかかった一人の配達屋に助けられ、高い木の上に逃げて狼をやり過ごそうとする。そうしたところ、狼は仲間を呼び木の下には千疋を数える様な狼の群れが集まる。狼たちは幾重にも重なり合い、梯子のようになって枝の上にいた二人に襲い掛かるが、配達屋の持っていた短剣で次々に切り伏せられる。痺れを切らした狼たちは口々に、「サキハマの鍛冶が嬶を呼べ」と囁くとしばらくして一回りも二回りも大きい狼が現れた。白毛に覆われたその大狼は器用に頭に鉄鍋を被り、狼梯子を登ってくる。刀が鍋に弾かれ苦戦を強いられる配達屋だったが、偶然にも鍋を払いのけ鍛冶が嬶の額を切り裂くことが叶ったのだ。すると途端に人間のような叫び声が森にこだまして、狼たちは皆一様にどこかに消え失せてしまった。

 明くる朝、配達屋は女を通りすがりの旅人に任せると鍋を持ち、狼たちの言っていたサキハマという場所を目指して走り始めた。そこには鍛冶が嬶のものと思われる血痕が転々としており、それはとある鍛冶屋にまで続いていた。飛脚がそこを尋ねると鍛冶屋の婆様が頭に傷を負い、あまつさえ大事な鍋が無くなって朝からてんやわんやしているという話を聞いた。

 配達屋は鍋を家の者に見せ、昨晩の事を言って聞かせる。そして寝込んでいる婆様に詰め寄ると狼の正体を現したので、一刀のもとに切り伏せた。婆様の寝ていた床下を覗いてみると、夥しい数の人骨が転がっており、その中には本物の婆様の骨もあったという。

 例によって俺は、じっちゃんの考えたこの千疋狼の話を画集を匂わすことのないように改変してから伝えた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

ナイナイ尽くしの異世界転生◆翌日から始めるDIY生活◆

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:127pt お気に入り:140

ドS王子は溺愛系

恋愛 / 完結 24h.ポイント:866pt お気に入り:1,375

雪と灼熱

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:19

きみの左手薬指に 〜きみの夫になってあげます〜

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:268

朝方の婚約破棄 ~寝起きが悪いせいで偏屈な辺境伯に嫁ぎます!?~

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:18,109pt お気に入り:218

君の望む僕に、なろうと努力はしますけども。

BL / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:13

お菓子店の経営に夢中な私は、婚約破棄されても挫けない!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:234pt お気に入り:1,458

べらぼう旅一座 ~道頓堀てんとうむし江戸下り~

歴史・時代 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:24

処理中です...