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エピソード1

貸与術師とファーストキス

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「うわあ…」

 つい、そんな声を出してしまった。

 店の中は中央にスポットライトが当たり、ステージパフォーマンスを楽しみながら飲み食いができる仕様だ。反面、壁側は薄暗く、ところどころから口説き文句や喘ぎに似た声が聞こえてくる。等間隔にある扉も、その先がどうなっているのかは想像に難くなかった。そしてそのほとんどが着ている意味があるのかわからないような、煽情的な格好をしていた。普通に服を着ている俺の方が恥ずかしくなると錯覚しそうだ。

 しかし今はそんな事はどうでもいい。濡女子が女を祟るという話は聞かないが、この店の半分以上は男の客だ。しかもどう考えたって、濡女子に微笑まれたらスケベ顔で笑い返すであろう俗っぽい男しかいない。急がないと…大変な事になる前に。

 流石に今まさに乳繰り合っている奴らに聞く気は起きず、酒を飲んだり、声をかけた女にフラれたおっさんに聞き込みをしていたのだが、返ってくる返事は決まって、

「兄ちゃん、初めてか? 女だったらそこかしこにいるだろ。気に入ったのに声をかけて遊んでもらいな」

 と言うものだった。

 ホントにエロイことを考えている奴しかいねえ空間だ。

 ひょっとして男を誘い込んでどっかの個室に入ったか、さもなくば別の出入り口から逃げ出したか…そうなったらいよいよお手上げだ。

 俺が手を拱いていると、不意に肩を掴まれた。

「坊や。ちょっといいかな?」
「え?」

 振り返ると、一人の女が立っていた。

 俺よりも幾分背の高いその女は。黒いシルクハットを被っていた。そこから垂れるサイドテールは脱色したような不自然な白さだ。目を下に落とせば、レオタードに燕尾服を合わせた様な衣装を着ていて、手にしたステッキと相まって女手品師のような第一印象を持った。

「興味があるのは分かるけど、ここは健全な男の子には早すぎるわよ。不健全な大人になってからもう一度いらっしゃい」
「あなたは?」
「オレ? この店のオーナーだけど?」

 女手品師はそう言ったが、にわかには信じられない。化粧をしているとはいえ、俺よりも少し年上くらいの年齢だ。こんな大規模な風俗店の経営者だとは思えない。亜人種なら見た目の年齢は分かりかねるが、この人は多分、『人間』だろう。俺のエデンキアで学んだ亜人の特徴が何一つ当てはまらないからだ。

 ただ、それでも色ボケしている他の男達よりかは話を聞いてくれそうだ。俺は何よりも先にこの店にきた理由を打ち明けた。

「この店にウィアードが入ったんです。探すのを手伝ってもらえませんか?」
「…何ですって?」
「人を襲うタイプのウィアードです。早くしないと手遅れになる」
「…からかってるんだとしたら、二度とお父さんとお母さんに会えなくなるかもよ?」

 俺の身体を壁に押し付け、正しく脅すようにそう呟いた。女手品師のサテン生地のような赤いネクタイが手の甲に当たり、少しくすぐったかったが俺は顔を逸らさずに目で訴え続けている。

 すると女手品師は、舌を短く出して下唇を舐めた。

「本気ね。なら話を聞かせてもらおうかしら?」
「濡れた髪の女で、男に微笑みかけてそれに笑い返した男を呪い殺すウィアードです」

 時間がないせいで端的に濡女子の特徴や性質を説明する。オーナーというのが真実なら、店の客に被害を出させるのは忌避したいだろうから、きっと協力してくれるはずだ。

 そう思っていたのだが、俺の耳にはまるで見当違いの返事が返ってきた。

「…へえぇ。面白いじゃねえか、そのウィアード」
「え?」
「だとしたら、ここにいる男どもは皆呪い殺されちゃうわね」

 店で饗宴に興じる客たちを一瞥しながらそう呟くと、女は愉快そうに笑みを浮かべる。俺は背筋に冷たいものを感じながらももう一度訴えた。

「だから、早く見つけないと」
「いえ? そういうウィアードだったら歓迎するわ」
「何を言ってるんです?」
「ここにはそんな事で取り乱すバカは一人もいないわ。むしろ、誰かしら男が死ねば盛り上がる。丁度余興が潰れて退屈してたところだから」

 女手品師はケタケタと笑った。人が死ぬ恐れがあると言っているのに愉快そうに笑う神経が信じられないし、心の底から誰かが死ぬことを楽しんでいる様な雰囲気に俺は恐怖感を抱いた。

「…本気で言ってんのか、あんた」
「ここが何処で、オレが誰だと思ってるの?」
「ふざけんな」

 力づくで押し退けて、俺は単独で濡女子を探そうとその場を立ち去ろうとした。ところが、すぐに女手品師が俺の名を呼んで引き留めたのだった。

「へえ。ヲルカ・ヲセット君って言うのね」

 !?

 何で、俺の名前を知っている…?

 その疑問の答えは振り返った瞬間に分かった。

「! 俺の市民証…」

 いつの間にかスられていた市民証をふんだくると、女手品師は興味を俺に向けてくる。新しいおもちゃを買ってもらった子供の様な瞳だ。

「まさか、こんなところで会えるなんて思ってなかったわ」
「どういう意味だ?」
「今日、ギルド同盟が君に新ギルド設立を依頼しに行ったはずだけど、聞いてるかしら?」
「な、なぜそれを?」
「理由は簡単。オレが『ワドルドーベ家』の代表に選ばれてるから」
「…え?」

 女魔術師は、動揺した俺を再び壁に押し付けると、その勢いのままに唇を重ねてきた。

 一瞬の出来事がもの凄く長い時間に感じられた。そしてキスを終えると、また下唇を短く舐めて妖艶な笑顔と共に言った。

「オレはワドワーレ・ワドルドーベ。よろしくね、ギルドマスター」

 …この人が新ギルドのメンバー? 俺の部下になるってことか?

 いや、待て。それよりも何よりも。俺、今キスされたよね?

 大人の階段を登るとか冗談半分で言っていたけどさ、こういう事じゃないんだよ。ファーストキスだったんだけど、こんな軽いモノでいいのか。乙女じゃないけど、もっとロマンチックなところでしたかった…けど、年上のお姉さんに奪われるって言うのはある意味理想的か? いやいや、それよりも濡女子を探さないと。キスくらいで動揺するって童貞じゃないんだから。あ、童貞だった。やばい、混乱するな、俺!

「な、何してんだ、あんた!?」
「オレの新しいギルドマスターにご挨拶しただけでしょ? それとももっと先の事がご所望かな?」

 場所の雰囲気も手伝って物凄く艶めかしい。薄々感じていたけど、俺は年上のお姉さんが好みなのか? いや、結構好きだけども。

 落ち着け、ヲルカ・ヲセット。クールになれ。聞きたい事は色々あるが今は濡女子を探すのが先だ。

 俺は今なお押さえ付けてくるワドワーレと名乗った女を跳ね除けて、立ち去ろうとした。だがその瞬間に男の悲鳴が店内に響き渡ったのだ。

 見ればゴブリンが一人、天井から首を吊ってぶら下がっているのが見えた。さっきの悲鳴はこのゴブリンの物だったのだろう。そのゴブリンを支えているロープを辿り、上に目線を送る。今更気が付いたが高い天井には幾重にもロープが張り巡らさせており、怪しげなおもちゃからどう見ても凶器としかいいようがない刃物までが様々絡まっているのが見えた。

 さらに目を凝らす。すると、天井に誰かがいることにも気がついた。

 濡女子か…? いやでも、濡女子がこんな直接的な方法で男を殺すというのは設定になかったはず。そもそも誰かに取り憑くという話までで、その後どうやって祟り殺すのかまでは書かれていなかった。じっちゃんの考えた怪物たちの設定量は均一じゃなくて、いっぱいあるのもいれば、ほとんど絵しか描かれていないやつだっているのだ。

 そして人影は揺らめき、二つに分かれた。元々一つに重なっていたので、勘違いしていたらしい。

 片方は予想通りに濡女子だ。ならばもう一つの影は…。

「く、『縊れ鬼くびれおに』!?」

 遠目なので断定はできていないのだが、俺の勘が咄嗟にそう結論付けたのだった。

 縊れ鬼というウィアードは憑き物の一つだ。これに取り憑かれるとどれだけ憂いや心配事のない者でも途端に首を括って死ななければならないと思い込んでしまうという。その時に誰か身の回りの者に引き留められて一命を取り止めるという設定を持っているが、あのゴブリンの場合、それが叶わなかったのだろう。設定では彼の世と此の世の魂の数を調節しているとも言われており、首を括って死んだ者の魂が生まれ変わるために、同じく首を括った死者を見繕って前世に席を空けるのだという。

 まさかとは思うが、タッグを組んでる? 濡女子が男を引き込んで、縊れ鬼がトドメを刺す、みたいな?

 もしもその想像通りだとしたら厄介すぎる。だが、それ以上にゾッと背筋が凍るような事が起こっていた。

 ゴブリンの首つりを見ていた店内の客たちが、笑い声と共にお祭り騒ぎにはしゃぎ始めたのだ。男も女も入り乱れては酒を呷り、無意味に抱擁とキスを交わし、ゴブリンの死体を一つのエンターテイメントに仕立て上げている。

 余興か何かと勘違いしている訳でもない。仮にそうだとしても、この場で唯一、俺から事の真相を知らさせているにもかかわらずに、客たちを呷り始めているワドワーレのイカレっぷりは本物だ。

 そして、チラリと俺を見ては勝ち誇ったような恍惚の顔で言う。

「ほらね」
「さすが『ワドルドーベ家』だな」

 もう構うのを止めにした方がいい。

 そう思って濡女子と縊れ鬼の退治に乗り出そうとした。だが、俺の殺気を感じたのか否か、その二体の妖怪はするりと天井から降りて、人混みを縫って店の奥へと逃げていった。濡女子はともかく、縊れ鬼はまごうことなく怪物の様相を取っているのに、皆は盛り上がりこそすれど慄く様子はない。クスリでもきめてんの、こいつら。

「くそ」

 自由奔放に踊る客たちを掻き分けて、俺は縊れ鬼たちの後を追う。ところが逃げた先は裏口のようになっており、そこから表の路地に逃げ出して行くところが見えた。今度は店に入る前と違って出遅れた訳でもないし、油断もない。路地から表通り出るところで捕まえられると、そう確信できた。

 だが、結果として俺の思惑は外れた。

 突然、横からぶつかるかのように何かやってきて、濡女子と縊れ鬼の二体を掻っ攫ってしまったのだ。

 狭い路地からでははっきりとは見えなかったのだが、角を曲がり表通りを猛スピードで駆けて行くそれを見て、俺は正体を見定め、また絶句した。

「牛車!? って事は、まさかの『朧車おぼろぐるま』かよ!?」

 濡女子、縊れ鬼、朧車。三体の妖怪が結託しているとしか思えない動きで俺を攪乱してくる。こんなこと一年間のウィアード退治の中で初めてのケースだ。しばらくはこれ以上に驚くことはない。

 …そう思っていたのだが、いとも簡単にそれ以上に驚くことが起こった。 何の前触れもなく、隣の壁が爆発音とともに崩れ落ち、その瓦礫を掻き分けてワドワーレが揚々として現れたのだ。大好きなアイドルのライブコンサートにでも行くかのように、目を爛々と輝かせて、店の客たちを扇動している。

「何してんだ、アンタ」
「ウィアード退治でしょ? オレも付き合うよ」
「さっきはそんな乗り気じゃなかっただろ。ていうか、後ろの連中は!?」
「さあ? 面白そうな事があったらパレードができるのは当たり前じゃない?」

 客たちの勢いが止まらない。このままじゃ踏みつぶされんばかりだ。俺は暴動の徒から逃げるためと、ウィアードを追いかけるための二つの理由を得て、全速力で走り出したのだった。

 俺が朧車を追って駆け出すとワドワーレも当然の顔をしてついている。従ってワドワーレを追って暴徒と化した店の客たちがこっちに迫ってくるので、まるで俺が一軍団を率いているかのような構図になってしまった。
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